コラム


by katorishu
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疲れた一日

  5月27日(水)
■日本脚本家連盟の総代会と日本放送作家協会総会に出席した。脚本家連盟の総代会の焦点は理事選挙で、本日が開票日。これまで脚本家連盟の理事はずっと選挙なしできまっていたが、今回は放送作家協会の理事から比較的多くの人が立候補したため選挙になった。

■定員23名のところに33名が立候補したので10名が落ちることになる。放送作家協会の理事や脚本アーカイブズの委員など8名が立候補した。投票は郵送で行われ本日開票日。100人あまりの総代が選ぶ選挙だが、開票結果は放送作家協会の「側」と見られる8名全員が落選。組織的な動きが背後にあった、と記すだけにとどめよう。

■両組織とも構成員はほぼかさなるのだが、脚本家連盟が著作権処理などをあつかう「組合」なのにたいし、放送作家協会は文化事業をおこなう財団法人。管轄官庁もちがうが、大いにちがうのは両組織にはいってくる金額だ。放送作家協会が会員ひとりの月1000円の会費でなりたっていて支援金をいれても数千万の予算なの対し、脚本家連盟には30億を超える「著作権料」などがはいってくる。

■構成員は重なるのに、この両組織の理事クラスがどうも仲がよくない。自分たちの権益を確保するのもいいが、文化活動にも一部資金をつかって劣化の度をふかめる映像ソフトを豊かなものにすべき、というのが作家協会側の心ある理事の意見だが、それが否定されたということである。いやはやである。

■脚本家連盟の理事の高齢化がすすみ、デジタル化時代に対応できない方もすくなからずいる。ウェブ上の著作権問題についても、脚本家連盟側の古い理事の考えと、ぼくなどかなりの開きがある。この組織、いろいろ問題点もあり改善すべき点も多いはずだが、旧弊がつづくのだろうか。旧習墨守は長い目でみて組織にマイナスに働くと思うのだが。巨額の著作権料がはいってくるためか、「危機意識」がどうも薄い、と思わざるをえない。こういう時代「貧」のほうが物の本質をよりよく理解できる。

■放送作家協会の総会では「常務理事」として総会のしきり役になったが、こちらも疲れた。終わって懇親会。「大変ですね」と小声でいってくれる人もいた。ある方が小声で「知的じゃない人がのさばってますね」と歎き顔で語っていた。「顔を見ればわかりますよ」という人もいた。なんだか日本の縮図を見ているようで、げんなりした。こういうことからそろそろ足をあらい、執筆に専念したほうがいいかな、と思ったりもした。

■といっても、書いたものが何冊も氷付けになっている状態なので、じつは書く意欲がすくなからず削がれている。「香取さんの書くのは《文化》だから、今の状況だと出版はかなりむずかしい」と話していた某編集者。ある編集社は「今はハウツーものとペットものしか売れないんですよ。とにかくここ1,2年は冬眠です」といっていた。そういえば、先日メールで連絡をとりあった旧知の元編集者でノンフィクション作家の某氏が、時間をかけて一年以上前に書きあげたノンフィクションがまだでないと嘆いていた。「じつに出版界は深刻です」という某氏は、現在複数の癌で入院中。どこを見ても状況はよろしくない。

■そんな中、「大作映画」の企画人から「私は執念深いし、必ず実現します。これは必ずヒットする」という心強いファクスがはいっていた。悪いことや嫌なことにばかり目をむけていても仕方がない。良いことに目をむけたいもの。そして、自分が正しいと心から思うことはかならず世に受け入れられる――というオプチミズムを失いたくない。こういう時代、オプチミストでないと生きられない。
by katorishu | 2009-05-28 00:35 | 個人的な問題