コラム


by katorishu
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デジタル時代は「便利」だが、「気ぜわしい」

 5月31日(日)
■いつの間にか春もおわりに近づきつつある。「新緑の季節」とこの時期のことをいうが、都会のコンクリート造りの建物に囲まれたところに住んでいると、季節感もあまり感じられない。これは多分不幸なことだろう。
 脚本アーカイブズの会議が5時間ほど。いろいろ議論すべきことが多く、疲れた。この組織をどう動かしていくか、根本のところに触れる話し合いをしたが、とにかく「手枷足枷」のなかで動かなくてはならないので、今後も「茨の道」を歩くことになる。帰宅してすぐ寝てしまい、起きると、すでに午前3時。

■起きてまずやることといったらパソコンのスイッチをいれ、メールがきているかどうかを確認すること。そして世間になにが起こっているかニュースの見出しなどを拾い読みすること。必ず確認するのは、天気予報である。10数年前から、まずパソコン……という生活習慣になった。仕事関連の連絡も、とくに最近はメールでのやりとりが多くなった。それだけ、人と向かい合って話すことがすくなくなった。

■事務的用事はともかく、微妙なところはインターネットのメールでは伝わりにくい。おおかたの人はぼくと同様、まずパソコンを開く事から一日をはじめるのだろう。便利といえば便利になったかもしれないが、なんとなく気ぜわしくなった。ゆったりとした気分になりにくいのである。一般電話が鳴ることはほとんどない。まして葉書や手紙なども、私信については、ほとんどないといっていいだろう。

■電話だとたんに「情報」のやりとりではなく、相手の気持ちが「見える」。声には発する当人の気持ちはもちろん体調や、こちらへの感情等々、さまざまなことが「言外」に現れている。ところが、メールでは、なかなか「言外」の情報を確認しにくい。
 便利さ効率さを追い求めてきたことの代償として、案外、高いものを人類はこの先、支払わされるのではないか、という気がする。

■本日は新聞もよまず、テレビも見なかった。ときどきふっと思う。いまでもパソコンにまったく触れない人が年配の人を中心に一定数いるが、そういう人たちの「読み取る世界」とパソコンのインターネット経由で「(情報を)読み取る」人の世界との間には、案外大きな「溝」が生まれているのではないか。日々積み重なると、塵も積もれば山となるで、非常な落差になる可能性もある。昨日、週刊新潮や週刊文春が揶揄している「キムタク」主演のドラマ「ミスター・ブレイン」を見た。確かにセットなどにカネをつかっており、映像も凝っているが、何か大事なものが欠けている。「カッコ良さ」を全面にだすことばかりに留意したあまり、人の心がないがしろにされている。「ドラマのTBS」といわれた時代もあった、と過去形で語らなければならないのが、悲しい。
by katorishu | 2009-06-01 03:53 | 文化一般