コラム


by katorishu
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「政治の季節」に安吾の「堕落論」を読む

 7月20日(月)
■いよいよ「政治の季節」にはいるようだ。21日、衆議院は解散し、総選挙がおこなわれる。世論調査などで与党、自民党への逆風は強く、民主圧勝は動きそうにない。与党関係者は、去年10月、麻生首相が雑誌で公言していたように、総理就任後ただちに解散しておけばよかった、と思っているにちがいない。こういうのを後の祭りという。

■ある政治家が「国会の解散は自民党の解散である」といっていたが、そのようになりつつある。雑誌「望星」6月号で「安吾ふたたび」という特集をしている。終戦直後、「堕落論」を書いた作家の坂口安吾である。再生するためには、一度堕ちよ、底の底まで堕ちたところから再生する、という論旨を展開し、多くの読者の注目をあつめた。バブル崩壊の直後、ぼくは安吾の堕落論が今こそ必要なときはないと思い、どこかにちらっとその趣旨を書いた記憶がある。

■この雑誌には「堕落論」と「続堕落論」「総理大臣が貰った手紙の話」が掲載されている。昨夜、寝床でひさびさに「堕落論」を読んだが、今の時代にこそ、ふさわしい論である。、安吾は書く。
「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるものであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くではあり得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる」

■日本人は「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」と結論づけている。
 逆説と諧謔に満ちた論であるが、なるほどと思う。総選挙で民主党が勝ち、政権をにぎるだろう。多くの人はそこに過大な期待をいだいて、恐らく裏切られる。政治とは国民を裏切る歴史といってもよいくらいだ。では、どうしたらよいのか。安吾が強調しているように「自分自身を発見する」ことによってしか解決されないのだろう。

■疲れることではあるが、仕方がない。天気がいいので、天王洲まで歩いた。湾岸地区の最先端のスポットのひとつとして脚光をあびた場所であったが、本日も閑散としていた。夕食時だというのに、イタリア料理店には客がゼロ。ほかもがら空きであり、店員はみんな手持ちぶさた。北品川まで歩いてはいった天ぷらやは、お客がはいっていた。昭和30年代というより、20年代を思わせる、いまにも崩れそうな古い木造の長屋ふうの一角にある。「三浦屋」といい、知る人ぞ知る店だが、ここは客がはいっていた。表面きれいできわめて人工的なエリアに人影がなく、昔ながらの「きたない」とも形容できそうな古い木造の店に客がいる。ここらに日本再生のヒントがありそうだ。
by katorishu | 2009-07-21 00:58 | 文化一般