コラム


by katorishu
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新宿をぶらぶら歩き、オルテガの『大衆の反逆』を再読した 

 12月22日(火)
■レザープリンタの黄色のインクがなくなってしまったので、新宿のヨドバシカメラまで買いにいった。沖電気のレザープリンタを使用しているのだが、カラーはあまり使っていないのに、減り方が早すぎる。黒を印字する際、カラーも一緒に消耗されるらしい。そのため、黒字だけにするようクリックが必要とのこと。レザープリンタのインクは結構たかい。黄色だけで、1万円以上する。カラーを全部とりかえると、5,6万になる。

■従来からインクジェットのインクにしても、メーカーはインクのカートリッジ販売でかせいでいるのである。中身をつめかえて再利用すればいいのに。従来のやり方では資源のムダになる。部屋にはすでに10本ほどのインクのカートリッジがある。A4版まで印刷できる「法人用」の機材なので、カートリッジも大きい。これひとつで、安いプリンターが1台買えるな、などと思ってしまう。

■それはそれとして――。久し振りに新宿の街をぶらぶら歩いた。南口から新宿三丁目、そこから地下のサブナードを歩き、歌舞伎町近くにでて、ガードをくぐって西口に。
 サブナードなどもう7,8年ぶりではないのか。この界隈はあまりかわっていないが、中にはいっている商店街などがかわっている。伊勢丹デパートの裏あたりのビルもかわり、新宿ピカデリーも、今様のシネコンとなって、見た目にはきれいである。時間があえば『パブリック・エネミーズ』を見ようと思ったが、開演まで1時間半ほど。それだけあれば、仕事ができると思い、適当な喫茶店をさがしたが、ふさわしい場所がなかったので、そのままぶらぶら歩いただけで、新宿を辞した。以前の新宿にあった、「文化の発信基地」の面影はない。

■ぶらぶら歩いた途次、3軒ほど本屋をのぞいた。マンガとハウツーものの氾濫である。こういう本しか出さないのか、いや、売れないのか。買わないのでしょうね。本棚を見ながら、なんだか寒々しいものを覚えてしまった。ハウツーものをいくらよんでも、たいして身につくものではない。身についたと錯覚することで、読者はある満足を得るのだろう。

■スペインの哲学者オルテガの『大衆の反逆』を、再読のため持ち歩いていて、電車のなかなどで読みつづけ、ほぼ再読した。第一次世界大戦後に書かれた本だが、オルテガの分析は今の時代にも充分すぎるほどあてはまり、怖いくらいだ。率直にいえば、この世は、自分の頭では何も考えない(当人は考えていると思いこんでいる)大衆(マス)によって、動かされているということを、論理的に記述したものだ。示唆に富んだ文章がぎっしりつまっており、こういう本を読むことこそ、究極の「ハウツーもの」の極意を得ることにつながると思うのだが。

■大学で「一般教養」をなくしてから20年ほどたつのではないか。それが社会の知的劣化のはじまりである、と指摘する心ある学者も多い。オルテガもいっているが、言葉の本当の意味の「教養」を欠いた「大衆」は、「すべてのことに干渉する。しかも彼等は暴力的に干渉する」。本当の「教養人」は自分がいかに無知であるかを知っており、自分の意見をためらいがちにだし、常に試行錯誤を繰り返している。そのため、外からは一見、優柔不断に見える。一方「大衆(マス)」は、自分の意見に絶対的に自信をもち、常に自分が正しいと思いこんでいる。(学歴の高い低いには関係がない)。この層が、残念ながら多数派をしめている。それがオルテガのいう「大衆(マス)」であり、こういう人たちが世界を動かしている。(テレビなど、その最たるもの)。

■その果てに豊饒な文化はなく、「文化まがい」のものが荒涼とひろがる。ただ部品としては性能の悪くない「専門家」が育つ。ここでいう「専門家」とは、自分の専門領域以外のことについては、恐ろしく無知の人である。しかも、ここが重要なのだが、彼等は自分が「無知」であることをツユ疑っていない。むしろ、他の分野でも、専門領域のように、強い自信をもって発言したりする。最大の困りものが、最近の言葉でいう「専門バカ」である。「一般教養」の不足が、この類の人種の大量生産に貢献しているようで、この流れの果てにくるものは、歓迎すべきこととは対極の、精神的には野蛮な時代への回帰である。
 断っておくが、ぼくも「大衆(マス)」の一人である。もっとも、自分は常に間違っているのでは、と思う謙虚さは十分すぎるほどあり、それがわずかに救いだなと思っている。
by katorishu | 2009-12-22 21:26 | 文化一般