コラム


by katorishu
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 台湾映画『海角7号』を見た

 1月6日(水)
■午後、東銀座までふらふらと足を運び、コーヒー店で書き下ろしの小説の原稿執筆。年末から書き始めたが、正月はもろもろやるべきことが多く停滞していたのだが、時間ができたので執筆を再開した。350枚を予定しており、1日10枚平均書くとして、月に費やせる日を15日として、2ヶ月ほどで完成の見込み。当初、映画企画として考えていたもので、ストーリーを読んだ某大手出版社の編集幹部氏は「これは面白いですね。書いてみてください」とのことで、とにかく書き上げることになった。出版不況の折り確実に出すという保証はなく、「面白くて売れる」作品でないと日の目を見ない。

■戦後の日韓中の3国に関連した男女の「血」にからんんだ物語で、基本はエンターテインメントだが、「昭和」と「異文化摩擦」がメインテーマのぼくとしては、大いに乗っている素材、テーマであり、「売れるはず」と強調しておいた。これは面白い、読んだ人は感動するはずという強い思いがなければ、小説など書けるものではない。本日、書いていて国際結婚について戸籍取得のことで今ひとつ詳細がわからず暗礁にのりあげてしまった。インターネットで調べるか、知り合いの弁護士に聞くのがいいと思い、執筆はあっさりとやめにして、アルベルト・モラヴィアの、15歳の青年の「性」との葛藤を描いた中編小説『反抗』の残りを読了した。さすがモラヴィアと感じ入った。その気分の延長上で夕方今年初めての映画を見ることにした。

■シネスイッチ銀座で上映中の台湾映画『海角7号』が面白そうなので、見た。60年前、日本が戦争に負けたとき、それまで台湾に住んでいた日本人が、台湾女性と哀しい別れをしなければならなかった。戦前、台湾は日本の植民地で日本語教育がおこなわれており、大抵の台湾人は日本語の読み書きができた。(25年前台湾を訪れたとき台北大学医学部教授等と話す機会があったが、みんな日本人と同じくらい日本語が上手であった)。こんな過去の歴史が背景になっていて、劇中に使われる言葉は9割かた台湾語だ。映画で描かれる時代は今で、台湾の大学に留学し台湾でモデル関連の仕事をする若い日本女性と、台湾南部の田舎でポストマンをやっている青年の「恋物語」である。

■終戦時哀しい別れをしなければならなくなった日本人男性が、別れた台湾人女性に日本語で7通の手紙を書く。だが、出さずじまいで、当人は最近死亡する。孫娘がその手紙を読み、これは宛名の「友子」という女性に送るべきものと思い、台湾の住所に郵送する。ところが、台南の町の住居表示は終戦時とはまったくかわってしまい、ポストマンは手紙をとどけることができない。好奇心から彼は手紙を開封して読んでしまう。知り合った日本人女性、友子と親しい関係になり、その手紙を友子に読ませる――。

■地元で日本から歌手を呼んでコンサートを開くイベントが、上記の物語にからんで展開し、最後に手紙は宛て先の「友子」という台湾女性にとどく。台南の素朴な光景のなかに展開する、過去と現在の交錯する「友情」「恋愛」物語だ。ラストはもりあがって泣かせる場面もあったが、前半は退屈な展開で、なにを描きたいのか、よくわからず散漫な印象だった。構成が弱く、素人がつくった映画かと思われた。日本人女性は田中千恵とかいう女優だが、馴染みはない。昭和30年代から40年代の日本映画をおもわせるものがあったものの、もうすこし脚本段階でなんとかならなかったものか。

■意図はわかるが、雑多な要素が多すぎて焦点が結ばず、感興がたかまらないのである。台南の観光を売り物にする映画でもあったようで、劇中に使われる土産ものや酒類などは、じっさいに販売しているものである。人を感動させるということは、なかなかむずかしいもので、作り手の「思い」が先行しすぎると逆効果になる場合があるが、その典型例である。エンターテインメントは「仕掛けるもの」であるということを、作り手はよくわかっていないのでないか。もちろん、意図はかえるし、箸にも棒にもかからない映画というわけではないが。期待していただけに、ややがっかりした、と率直に記す。
by katorishu | 2010-01-07 00:55 | 映画演劇