大人の童話 メロドラマ (連載小説その1)
2010年 01月 28日
メロドラマ その1
枯れたと思って引き抜いたまま放置しておいた紫陽花(あじさい)が、青黄色い芽をだしはじめた。コの字型の十坪ほどの庭で、中央に瓢箪(ひょうたん)型をした池のまわりには、珍しく尾長と思われる小鳥が二羽やってきてエサをついばんでいた。
春はもうそこまできているのだった。
亜矢は四季のなかでは春がもっとも好きで、どんなに厭なことがあっても、どんなに辛く悲しいことがあっても、春の柔らかな陽光のもと健気に生きている小さな生き物や緑色に芽吹く草花を目にすると、厭な気分も吹き飛び生きようという思いが強くわいてくる。
人はそれをオプティミストというが、二一世紀という時代はオプティミストでなければ幸せに生きられない。
気づいたとき両手が拳の形になっていた。強く握りしめていたようで、指の一部が白くなっていた。先ほどから亜矢の胸のなかでひとつの疑惑が渦をまき、次第に苛立ちへと育ってきているのだった。
昨夜――。
久しぶりに高校時代の友人の真杉映子と銀座であってワインを飲みながら夕飯を食べたのだが、コース料理が終わったとき映子が、
「黙ってようかと思ってたんだけど、あんただから、やっぱり話すわ」
と前置きして、こんな話をした。
一昨日の土曜日、映子は陶芸仲間と伊豆の湯が島温泉に旅行にいき、民芸風の旅館に泊まった。露天風呂に入ったあと川沿いの廊下を歩いていると、浴衣姿で歩いていく女連れの男に見覚えがあった。どうもその男が亜矢の夫の拓郎ではないか、と映子はいうのである。
相手の女性の顔はよく見えなかったが、姿形から二〇代の後半で、黒く長い髪を肩までたらし、痩せぎすでスタイルのいい女であったという。
「おどろいちゃった。もう完全に恋人同士の雰囲気だったわ」
「へえ、よく似た人がいるもんね」
平静をよそおって亜矢はいったが、胸底にざらつくものをおぼえていた。たしかに、夫の拓郎は仕事で伊豆半島方面に土曜日の朝から三泊四日の予定でいっていた。
それに映子はこういったのである。
「あなたのご主人、身長は一七〇センチぐらいだったわよね」
「ええ」
「それに、ご主人、ちょっと小太りでしょう?お正月、お宅にうかがったとき、わたし、ご主人に会っているし、おやおやと思っちゃった」
ひとは他人の不幸やスキャンダラスな匂いのするものを、ことのほか好むものである。聖心女子大卒をひごろ自慢にしている映子の口元が、醜く歪み下卑て見えた。
どう、あたりでしょ?といわんばかりの表情を映子は浮かべたが、口では、
「でも、まさかよね。他人の空似ってあるもの」
「いえ、多分、亭主の拓郎だと思う」
「え……」
「一種のビョーキなの。元気があるだけいいかもしれない」
「亜矢、あなた平気なの、旦那さんが浮気をしてて」
「平気じゃないけど、子供じゃないんだから、自己判断にまかせるわ」
「へえ、ずいぶん寛大なんだ」
《じつは拓郎はインポなの》という言葉が喉もとまででかかったが、さすがにはしたないと思い、おさえた。