高性能機器は使い勝手が悪い
2010年 02月 09日
■家庭用の3Dテレビをパナソニックが発売するという。立体テレビであり、停滞している家電業界の救世主になるのではと企業側は期待しているようだ。ハードの充実より、内容面の充実が大事だと思うのだが。
■沖電気のレザープリンタを使用しているが、買って1年半で「FATAL ERROR」の表示。中の部品の交換と修理員を派遣すると7万円以上とられるという。それでも確実に直るかどうかわからない。多機能だが、故障が多く、使いにくい。基本的にブラック一色しか使わないので、そもそもこういう「高性能機」は必要なかったのだが。
■腹がたったから、「もう結構。近くの家電店で数万円のプリンターを買うから」といって電話を切った。インクもカラーのトナーが1本2万ほどもしたし、割高である。イラストレーターなど鮮度が大事な仕事の人には必要なのだろうが、文筆業には高機能は必要がない。インクジェットの安物プリンターを買って間に合わせようと思ったところ、捨てずにとっておいた古いインクジェットのプリンターがまだ使用できた。鮮明さでは劣るが、それでなんの不都合もない。機能の向上は必ずしも良いことにつながらない、と自分の体験が教える。
■立松和平氏が急死した。立松氏が『早稲田文学』に登場したころ、ぼくもしばしば『早稲田文学』に作品を発表していたので、よく記憶に残っている。『途方に暮れて』など、新鮮で、新しい才能が現れたな、と思ったものだった。当時は「文学」それも「純文学」が力をもっていて、文学が多くの若者の議論の中心に位置していた。
■相前後して高橋三千綱氏や中沢けい氏、村上龍氏などが登場した。高橋氏や中沢氏とは新宿でよく酒を飲み議論したり、時に旅行にいったりした。時は流れ、彼等と会うこともなくなった。最近、文芸誌に彼等の名前を見る事も少なくなった。文学の力も衰えており、「人間力」の衰えと軌を一にしている。本日、久々に新宿にいった。以前であったら、どこぞの居酒屋やスナック、バーなどに足を運ぶのだが、今はワクワク感がないので、用事がすむと真っ直ぐ帰宅。ぼくも年を取ったが、「新鋭作家」といわれ旺盛な筆力をみせていた彼等も年をとったものである。合掌。