コラム


by katorishu
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中国人女性作家、楊逸の「時が滲む朝」を読んだ

 9月23日(木)
■現代中国のことを知るため参考になればと第139回芥川賞受賞作、中国人女性作家楊逸(ヤンイー)作の「時が滲む朝」を読んだ。天安門事件で挫折し、日本に逃げるようにやってきた中国人を主人公にした中編である。中国人として初めて芥川賞を受賞したことで話題を読んだ。この作家の作品は初めて読んだのだが、この作に限っては、あまり感心しなかった。昔よく同人誌に載っていたたぐいの作品で、中国人が日本語で書いた小説という点は斬新だが、わりに凡作で、この種の問題をあつかったノンフィクション作品を凌駕していない、と思った。現在、楊逸氏は朝日新聞の夕刊に「獅子頭(シーズトオ)を連載していて、こちらは読んでいないのだが。

■以前は芥川賞受賞作といえば、とにかく読んでみて、感銘を受けた作も多かった。最近は「純文学」なるものを読まなくなった。おもしろい作品に出会わないからである。むしろ大衆作家と呼ばれる作家の作品におもしろく、人間の不可思議さに深く迫るものがある。「純」という言葉が、わざわいしているなと思うようになった。そのころから、読まなくなったのだが。今回読んでみて、芥川賞というには、このレベルなのかと、ちょっとがっかりした。

■日本人の劣化がいわれるが、文学にも劣化が及んでいるのかな、と思ってしまう。もっともあまり文学作品を読んでいないので、断定はできないが。新田次郎の息子さんの藤原正彦氏が週刊誌のコラムに書いていたが、以前は編集者と作家との濃密な関係があって、両者はしばしば会い、議論をし酒を飲み、取材にもつきあい、生原稿をその場で読み、といった関係があった。ところが、今はそれもなくなった。インターネットの発達で、作家と編集者があわずに原稿のやりとりをするようになったのである。作家と編集者の濃密な関係が、佳作を生む土壌になったのだが。

■今は便利になったものの、結果として、つまらない作品、売れればそれで良いという作品が増えた。文化の劣化は小説世界にも及んでいるのだなと思い、喫茶店で仕事休めにiPhoneで折口信夫などを読んでみた。うなるような深みと滋味のある作だった。昔はこれほど高いレベルの文章家が数多くいたのか、と改めて溜息をついたことだった。本日は雨降りなので、近所のコーヒー店を2軒まわってほとんど資料読みと読書で費やすうち、一日はおわる。ところで本日は祝日であったそうで、夜になって初めて知った。ぼくにとっては、あっても、なくてもよい日であった。
by katorishu | 2010-09-23 21:12 | 新聞・出版