コラム


by katorishu
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『ママが遺したラブソング』をDVDで見た。金言、至言に満ちた佳作

 12月24日(金)
■宅配便でDVDを自宅に送ってもらうツタヤの会員になっているので、DVDで映画を見ることもあるのだが、時間がないこともあってなかなか消化できない。以前は月に8本ほど見られる会員であったが、数本しか見られないので4本会員になった。それでもこのシステムで見る映画は月に多くて2本程度か。11月初めに借りてそのままになっていた『ママの遺したラブソング』(ジョン・トラボルタ、スカーレット・ヨハンソン主演)を今朝早起きして見た。ミシシッピの田舎町を舞台に、若くして亡くなった女性歌手の一人娘と、その女性歌手への追慕の情をすてがたい中年の男たちの物語。ロナルド・カップスの小説「Off Magazine Street」が原作。

■繰り返しながされるバラード風の音楽、とりわけ歌詞がいい。トラボルタ役の中年男はは元大学教授のインテリだが、今は無職のアル中でミシシッピー沿岸の町、ニューオーリンズの地元の仲間たちと語らい歌を歌ったりするのが生き甲斐の人物。彼と共同生活する男は売れない作家。いずれも過去に心の傷をもつ。この二人が、亡くなった女性歌手のボロ家に居候しているのだが、そこに高校を中退した、亡き女性歌手の娘がやってくる。法的にはこの娘が持ち主である。二人のアル中男がこの娘に勉強を教えたり、世話をやいたりしながら、「まっとうな」生活をさせようと努力する。娘はアル中に反発するが、次第に二人の男の「人の良さ」「暖かさ」にふれ、気持ちをやわらげていく。

■一種の「疑似家族」を形成していくのだが、そこにある空気がうまれ、紆余曲折がありつつも涙の結末にむかっていく。随所にかわされる作家らの「言葉」がきわめて効果的。二人の男はアル中の中年ながら、教養の土壌は相当なもので、地元でもそこに一目おかれている。

■トラボルタがラストで娘の大学進学がきまった地元のざっくばらんな野外パーティで挨拶をする。このとき引用するのはT・Sエリオットの次のような言葉。「人は冒険をやめてはならない。長い冒険の果てに出発点にたどりつくのだから。そして、初めて自分の居場所を知るのだ」。そんな金言、至言に満ちていて、しみじみとした人生の哀歓、情感を感じさせてくれる。なにより脚本がいい。

■こういう質の高い作品もつくるハリウッドに、いまの日本の映画もテレビも遠く及ばない。トラボルタやスカーレット・ヨハンソンの演技も秀逸。ハリウッド映画に映像テクニックばかり学んで、時代の先端をいっていると錯覚している映像関係者も日本に多いが、たまにはこういう映画を見て脚本の重要さについて理解を深めてほしいもの。脚本家、役者、監督ともに、ハリウッドの層の厚さをあらためて実感する。背後にあるのは文化の土壌の豊穣さである。土壌が豊かでないと、芽もでないし花も咲かない。「有名だから」「名前が出ているから」といった要素を最優先して作られるシステムからは、こういう佳作はなかなか生まれない。大事なのはまず企画、そして脚本である。
by katorishu | 2010-12-24 12:22 | 映画演劇