コラム


by katorishu
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テレビドラマの古き良き時代を担った和田勉氏、逝く

 1月18日(火)
■演出家の和田勉氏が80歳でなくなられたと新聞にでていた。テレビ草創期、ドラマの演出家として数々の話題作を世に送り出した。常に話題の人だった。「ベンさん」(その愛称が一般だった)の演出手法はアップの多様であり、ドラマ演出の形をつくった功績者といえるだろう。

■思えば良き時代を生きた演出家だった。ベンさんが仕事をはじめた昭和30年代は、なにしろテレビ表現についてはほとんど前例がないので、やることなすことが「実験」であり、チャレンジであり、創意工夫が形になった。映画でも演劇でもない、すぐれて「テレビ的」な演出で独自色をだせたことは、なんと幸せであったか、とあらためて思う。

■当時のベンさんと同じように「実験」をした人もいるが、ベンさんほど強烈ではなく、個性的でもなかった。(佐々木昭一郎さんのような異才もいるが)。NHKを定年で辞めてから映画の監督をしたが、これが大失敗で、その後のベンさんの演出家としての歩みを狂わせたと思う。映画とテレビでは当時、手法が大きくちがっていた。なによりスタッフが違った、映画の現場にはまだ「職人気質」の人が多く、テレビからきた「名演出家」に対して「なにするものぞ」という対抗意識もあり、ベンさんの演出力も十二分に発揮できなかったようだ。

■その後、これといった作品にも恵まれず、NHKとの間もうまくいっていなかった。関係者の間では、いつも話題にでていたが、否定的な意見が多かったと記憶する。一方、「ガハハおじさん」といったお笑い役でテレビによく出ていて、だじゃれを頻発していたが、晩年はあまり幸せではなかったのではないか。ベンさんについては、いろいろと、ここに記せないことも聞いた。

■ベンさんとは一緒に仕事をしたこともないし、3年ほど同じドラマの部屋に「在籍していた」という程度の間柄。こっちは下っ端のぺえぺえだし、ほとんど話をする機会もなかった。せかせか歩きと、あまり面白くもないダジャレを連発していたことを覚えている。昭和30年代のエピソードについて、関係者からきわめて面白い話も聞いたのだが、ノートなどもとっていない。きちんと取材をしておけば、テレビドラマ創世記について、1冊の本ぐらい書けたかもしれない。

■渋谷のロケで当時、渋谷を牛耳っていた『初の大学出』のヤクザの安藤昇氏とのかかわりなど、大変面白く、小説か映画にでもなるのではと思った。たまたま喫茶店で出会った当時のスタッフに聞いたのだが。その方に、そのうち話を聞きにいきますといって、もう10年がたってしまった。ベンさんのかかわったドラマでは『阿修羅のごとく』(向田邦子作)が秀逸だった。いずれにしても、テレビドラマ史に刻み込まれるべき逸材であったと、遠くから見ていた若輩の一人として記す。合掌。
by katorishu | 2011-01-18 18:39 | マスメディア