コラム


by katorishu
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2,26事件から75年、良い意味の「エリート」不在の日本

 2月26日(土)
■昭和の日本を破滅に追いやるきっかけの一つとなった「2.26事件」から75年目である。「昭和維新」を唱えて軍部の青年将校が決起して首相官邸や警視庁などを襲撃した事件である。今に通じる大不況のもと、倒産、自殺、餓死などが激増したが、政党は政争を繰り返し、なんら有効な手立てをこうじることができなかった。そこで軍部の若手将校らが、天皇と国民とを直接結ぶ「天皇親政」を目指してクーデターを行ったが、天皇の反対にあい失敗に終わった。

■以後、日本は急激に軍国主義につきすすみ、破滅に至ったのだが、麗澤大学の松本健一教授によると、政党不信など当時と今の状況がよく似ているという。(東京新聞、2月26日)。政党政治に愛想を尽かした国民の期待が、「清新なる軍人」へと向かい、「軍部が人気の高い近衛文麿を首相に担ぎ大衆迎合のポピュリズム政治を展開し、軍国主義、ファシズムへの道を開いた」。松本氏は「今は軍部の代わりにマスメディアが支持率を武器に首相を次から次へと引きずり下ろし、橋下大阪府知事らの人気者を担ぎだす」。昭和初期のポピュリズムの失敗がよみがえる、とのことだ。その通りだと思う。




■ウェブなどの新しいメディアが生まれ、言論統制もほとんど不可能な現在、昭和初期に起こったことと同じようなことが近年起きるとは思えないが、このまま劣化が続くと、この先どうなるかわからない。昔と今との違いがある。2,26事件のときのエリート青年将校は貧しい農民を救おうとたちあがったのに対し、現代の「勝ち組」の若者は、「負け組」を救うどころか、差別する、と松本氏は怒る。その理由として、社会に貢献する大事さを教えず自己実現だけを説いた「戦後教育」が、善きにつけ悪しきにつき影響している、と指摘する。

■傾聴に値する論である。市場経済原理が浸透したせいもあって、「公」の意識の欠けた「自分さえよければ」のエリートが、どうも増えてきているという気がする。誰でも自分が一番大事であり、自分が一番可愛いのだが、その度合いが強すぎる。以前は、エリートと称される人たちは、「公」の意識が今よりずっと強かった。マスメディアを担う人たちが「エリート」と呼べるかどうか、疑問のあるところだが、多くの国民に強い影響力をもっていることは確かである。

■その人たちの多くに、「善い意味のエリート意識」が欠けている。それも劣化に拍車をかけているようだ。政治家、官僚、弁護士、医者等々、しかりである。10年後20年後の日本を思うと、良い材料があまりに少なく、このままダメになっていくのだろうな、という思いが強くなる。一言でいうとエリート層に「教養」がなさすぎるのである。教養は知識の量ではない。「徳」に裏打ちされた教養であり、そこには当然「抑制の美学」が加わるのだが、これは昨今隆盛の「経済原理主義」とは相容れない。「売れれば善い」「有名になれば善い」といった思想にどうブレーキをかけられるか、そこに日本の明日の課題がある、などと記すと保守反動派と見られる今日この頃である。
by katorishu | 2011-02-27 02:38 | 社会問題