コラム


by katorishu
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大地震とメディア。これを契機にツイッター等々新しいメディアの存在感が確実に増す

3月17日(木)
■東北・関東大震災が勃発したあと、テレビも新聞もこれに関係する報道一色といっていい。以前であったら、テレビが速報性のナンバー1で、大変な威力を発揮した。テレビと新聞、さらにラジオ以外に遠隔地で起こった事態を把握しようがなかった。

■ところが、今回は様相を異にした。Webの存在である。現場の状況を伝える即効性ではツイッターが大変な役割を演じた、といっていいだろう。一ヶ月ほど前からツイッターを利用しているので、今回の災害にあたってツイッターからの情報にかなり頼った。

■なにより現場の当事者から時々刻々と伝えられる。ツイッターの最大の強みである。政治家や識者、企業も積極的に利用していて、玉石混淆ながら多くは貴重な情報である。少なくともぼくがフォローしているツイッターからの情報については大いに役だった。情報の収集手段が画期的に変わったといってよい。





■ぼくのように外で仕事をしていて、スマートフォンをもっていると、まことに便利で、いながらにして、旧来のマスメディアではこぼれていた情報も膨大にはいってくる。じつは旧来のマスメディアが削ってしまった情報のなかに案外貴重なものがあるのである。自らの判断で情報を精査し、なにが事実で真実かを推定していく。そのためのヨスガになった、と実体験から言える。

■じっさい、ツイッターから新聞記事に飛べるし、個人サイトその他にも自在に飛べる。海外のメディアのこともわかる。この機能を利用して朝日新聞や読売新聞なども盛んにツイッターを通じて最新記事を流す。それに多くの人が反応するので、批判、同感、反感、賛辞等々、さまざまな観点からの意見が居ながらにして読める。じつに多種多様な意見があって、興味深かった。

■ぼく個人に限っては、この大災害についての情報量は、おおまかにいってツイッターやPCからの情報が4割、テレビからが3割、新聞が2割、週刊誌・ラジオが1割といった比率であった。従来のメディアが独占していた記者クラブ主催の記者会見に、自由報道協会のフリーランス記者も一部ながら顔をだしたり、独自の記者会見をしたりと画期的な報道を行った。

■デマ情報や誤った認識、誤解、単純ミスの情報も流れたが、総じてWebがあったがために、より多くの国民がいち早く情報をとり、事態に対処することが出来たのではないか。ところで気になるのは、民放テレビのCMである。災害発生以来、さかんに公共広告機構(ACジャパン)のCMばかりが流れる。『ACジャパンとは、広告を営利目的のためでなく、公共のために役立てようと、全国の企業から寄せられた会費で公共広告活動を行なう民間のボランティア団体である』ここからはほとんど広告収入がはいらない。こんな状態が続くと、確実にテレビ局の経営を圧迫する。

■だんだんと通常の編成にもどっていくのだろうが、大災害が日本経済に与える負の影響を考えると、今後CM収入の増加はのぞめないし、相当程度減る見込み。一方、悲惨な事態を繰り返し目にし耳にした視聴者の脳に、今後当人が意識する以上に大きな変化が訪れるにちがいない。この大災害が潜在意識に与えた影響は大きく、従来「面白い」と思っていたことに感応せず、なにやってんだといった気分になることも充分あり得る。「笑い」はいいとして「お笑い」「おちゃらけ」に対して距離を感じる人が急増すると推定する。

■人の感覚は微妙である。大きな不幸、大きな悲しみを体験すると嗜好も変化するものである。旧メディアが従来通りの安っぽい番組を作り、従来通りの紋切り型の記事を流していたら、見放される確率は高い。しっとりして、心に沁みる内容がもっと増えないと、と思うのだが、関係者にこういう声はたぶん届かないだろう。届いても無視されるか・・・。
by katorishu | 2011-03-18 00:07 | 文化一般