原発に頼れないと社会・経済システムの根本的な組み替えが必要。まさに正念場・土壇場にきた日本。
2011年 03月 23日
■福島原発危機、3号機をのぞき電源の接続ができ、とりあえず危機は回避できたようだ。しかし、放射能漏れはつづいているし、安心できる状態ではない。今後、心配なのは「電力不足」からくる経済停滞である。こういう事態にならなくとも、電力の節約は必要なことで、これまであまりに野放図に使われてきた。
■原子力発電に頼ったからである。クリーンエネルギーであるとして、今後一層、原子力発電を増やそうという計画があるようで、長い間、原発をつくることをタブー視されたアメリカでも、オバマ大統領が率先して原子力発電を採用すると宣言していた。それが、今度の福島原発の大事故で、どうなるかわからなくなった。電力においても「大量発電・大量供給」という図式が崩れたといってよい。では、電力不足をどうやって補うのか。
■旧来通りの電力のふんだんな使用を前提とした社会は、原子力発電なしに維持することは難しい。ここで意見が大きくふたつに別れる。従来にもまして経済の「成長路線」を維持する派と、そういう成長路線を根本から改めてエコを基盤とした「リサイクル社会」派。おおまかな分け方だが、二つのどちらに重心をおくかで対応の仕方がかわってくる。
■これだけの事故を起こした以上、アメリカはともかく、日本では今後しばらくの間、「原発アレルギー」が生じ、新しく原発をつくることなど不可能になるだろう。既存の原発が現状維持できるかどうかさえ怪しくなった。すると必然的に「成長路線」をとれなくなる。従来のような電力使用は不可となれば、必然的にそういうことになる。
■「低成長路線」でうまくやっていければ問題は少ないが、膨大にふくれあがった財政赤字ひとつとっても、経済成長をとることで解決をするしかない深刻な事態である。しかし、成長路線のためには膨大な電力供給が必要で、そのためには原発に頼らざるを得ない。それが出来ない。でも、必要、というジレンマに陥っている。さらに少子高齢化の問題。これの解決を「成長路線」ではないやり方で克服できるのか、どうか。
■目指す方向は「リサイクル社会」と、口でいうのは易しいが、それを果敢に実行することは、すでに出来上がった社会のシステムを根本から組み替えることで、そう簡単なことではない。理想を口ではいくらでもいえる。実行となると難問ばかり、壁、壁、壁だ。よほど胆力のあるリーダーが出現し、一種の強行突破でもしない限り実行はむずかしい。
■今は大震災の衝撃の大きさに目を奪われているが、やがて被災にあわなかった人も、現実の経済停滞のもたらす負の影響をじわじわ受け、真綿で首をしめられるようになる可能性がきわめて強い。現政権は目前の難題への応急処理に精一杯で、これからやってっくる「深刻な危機」に対処できているとは、お世辞でも言えない。では、かわりに誰がやるか。この人だと自信をもってい指摘できる人材が、いない。
■こう記すと暗くなるばかりだが、それが現実なので、目をそむけることは出来ない。いつであったか、テレビ草創期のプロデューサーで数々の人気番組の仕掛け人のS氏を囲む会があり、そのあと数人で軽く飲むことがあったが、その際、S氏が「ぼくの生きている限りテレビ局が赤字決算になるとは夢にも思わなかった」と率直に述懐されていた。同じように、ぼくの生きている限り、日本がこういう深刻な事態に直面するとは思わなかった。大変な時代に直面したものである。まだ危機の端緒である点が怖い。21世紀初頭の日本はまさに正念場である。いや、土壇場にきたといってもよい。誰か人材が、どこかにいないか。呼びかけても「いない」という木魂がかえってきそうである。