消費低迷。お金をいかにつかわないかに、快感を覚える人が増えているらしい
2012年 02月 03日
■2日は東京駅近くの丸ビル7階の丸ビルホールで行われたデジタル文化財創出機構のシンポジウムに参加した。6時間ほどの長丁場。前夜飲み過ぎて睡眠不足でもあり、疲労困憊。司会者より、突然、発言をもとめられたが、頭の回転がにぶく、見当外れのことをいったのではないか。終わって懇親会にちょっと顔をだしただけで、帰宅。炬燵で3時間ほど仮眠し、やっと脳が正常に働きはじめた。
■消費の低迷がつづいているようだ。お金をいかにつかわないかに腐心し、そのことに快感を覚えている人も増えているときく。江戸のエコ社会のようなシステムになれば、それもいいが、資本主義という枠組みのなかでそんな節約の空気が醸成され支配的になると、多くの企業、とくに中小零細は成り立たず、いろいろなところに「不幸」が現出する。将来的には、「お金のかからない」社会、システムに移行していくことに異論はないが、今は一定の消費水準をたもたないと、倒産、失業者が急増する。多少余裕のある人には、とにかくお金をつかってもらわないと、経済的に壊れる人が続出する。
■世界的に社会運営システムがいきづまっており、打開策がみつかっていない。むずかしい時代になってきたものである。想像したくないのだが、なんらかの「大破壊」によって、「大変化」を余儀なくされる可能性が強い。世界の人口がまもなく70億人になる。これだけの人が「狭い」地球に住むこと自体、無理があるのではないか。誰かが幸せになると、誰かが不幸になる。それがどうも人の暮らしの実相のようで、どんな理屈づけをしようが、かわらない。空気を明るくするのも「文化」である。
■社会のシステムを若干でもかえるため、なにができるか、なにをどうしたらいいか、無い知恵を絞ってみようと思うのだが。みんなが幸せになることはむずかしい。以前、ドラマの台詞に使ったが、「この世の幸せの量はきまっている。だから、誰かが幸福になると、そのぶん誰かが不幸になる」。