コラム


by katorishu
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

映画にせよドラマ、小説にせよ、人の評価は千差万別、ある意味他人は無責任

10月20日(土)
■蓼(たで)食う虫も好き好きという言葉があるが、人の好みはじつにさまざまである。過日、創作の分野で仕事をしている30代半ばの女性5,6人ほかと「勉強会」を開いた。雑談にうつり、NHKのテレビ小説に話題がおよんだ。テレビ自体をあまり見ないぼくは時折、ちらっと見た程度だが、「カーネーション」がもっとも面白いのではないかと思った。その点では皆さんの意見が一致したが、現在放送されている作品については否定的な意見が多かった。一人、テレビ小説がこんなに面白いとは思わなかったと30代半ばの女性が発言した。

■他の人が、ここが駄目というところが、逆に面白いという。このことで思い出したことがある。以前、創作テレビドラマ大賞の「統括」の役割を担っていて、最終選考会の司会をやったり、途中の審査で最終審査作品を選ぶ作業をしたことがある。何年か続けたのだが、驚いたことがある。受賞するとしたらこれだなと思って選考会にのぞんだところ、他の選考委員は否定的。最終選考にはNHKのプロデューサー、演出家が5人、ベテランの脚本家が5人ほど出るのだが、1,2作に評価が集まることは希で、たいてい評価がばらばらになる。驚くほど評価がまちまちで、最初は驚くと同時に、大きな発見でもあった。





■自分はこれが一番と思って審査に望んだのに、他の委員からは否定される。その作の長所であるとある委員の思うところが、他の委員には短所になり、その逆もある。初めて審査に参加した脚本家は一様にこんなに人によって評価が違うのかと驚くのが常であった。スポーツなどと違って、ドラマや映画や文学の評価は人によって、じつにさまざま。選考委員が別の人になっていれば、まったく別の作品が大賞に選ばれていたであろう。以前、脚本家の竹山洋氏が「脚本家なんて運だ。自分の才能を評価してくれる制作者に出会うかどうか。それがすべて」と半ば冗談にまぎらせて本当のことをいっていた。

■特に新人諸氏にいいたいのだが、ここから得られる「教訓」は、たとえ一人二人に「つまらない」「面白くない」といわれても、しおれたりしないことだ。ある人が「ここが素晴らしい」と思う点が別の人にとっては「そこが駄目な点」であったりする。作品の評価に絶対的基準はない。語弊があるかもしれないが、たいてい「素人」ほど、自分の評価に絶対の自信をもっていえ、「あんなの駄目」「面白くないんだよ」という。同じものが別の人が読み、見たりすると、まるで違う評価がでる。

■同じ作品であっても、10年20年の時間をへて見たり読んだりすると、まったく違った印象を覚えることもある。一人の人間の鑑賞眼であっても、そのときの気分、体調、経験の違いによって、変わってしまうのである。現在流行していて「面白い」と多くの人が思っているものも、時が経過すると案外つまらないものが多い。文化芸術作品にかぎらず、物事の評価の物差しは絶えず変わる。多くは「空気」に左右されるようだ。作り手はいつも自信と自信のなさとの間で揺れ動きながらクリエイトしているのだが、自分がこれだと思う対象に渾身の力をいれて創った場合、世の中にはかならずこの作を評価し、面白い、感動したという人がいるはず。そんな思い込みをもつことが大事である、とあらためて思ったことだった。
by katorishu | 2012-10-20 09:00 | 映画演劇