コラム


by katorishu
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「新人作家」は二極分化。電子書籍で「文運隆盛」になる?!

 9月18日(水)
■鹿島茂氏がなにかの雑誌で、今「新人小説家(およびその予備軍)」は二極分化していると書いていた。ひとつは、定職をもたず、フリーターやアルバイト、あるいは親のすねかじりか、勤めていても不安定な派遣など、「貧乏に慣れきって」しまっている若者たちの書く小説。こういう人の書く小説の素材やテーマは、たいてい個人的な不満や恨みつらみに満ちていて、これにちょっとした失恋をからめたものが圧倒的に多いという。数多ある新人賞を受賞したり最終候補にのこるのは、ほとんどがこの類であるとか。

■もうひとつは、定年退職をして時間のありあまる年金生活者が、みずからの人生をふりかえって、とりあえず自己表現してみようして書く小説。なかには長年同人雑誌などで書いてきたひともいるが、こうした「古参」の書き手は最終審査に残る前の「下読み」の段階で、たいてい落とされる。同人雑誌くささがあったり表現が古いなどが原因であるそうだ。なかにはかなり水準の高いものや、極めて「実験的」かつ「前衛的」に見える作品もある。なぜなら、以前のように同人雑誌などで相互批判をして鍛える場がないので、小説作法などにとらわれず自分勝手に描くので、結果として「実験的」「前衛的」に「見える」のだという。このタイプの作品は受賞することは希であるが、一方、電子書籍の登場で、その種の作品も他人の目に触れるようになった。





■電子書籍ではまったくの素人でも、たとえばアマゾンのkindleなど、形さえ整えばそのまま自動的に載せてくれる。(書店の経営する電子書籍店は別)。著名な作家などと「同列」にならび、しかも費用もあまりかからず、「世界に売れる」。
 ただ、電子書籍に欠けている重要な要素がある、と鹿島氏は指摘する。編集者の不在である。紙の書籍の場合は、それなりの出版社がだすので、当然、編集者の眼力にかなったものしか出版されない。編集者が一定レベルと判断し、しかも売れるとふんだものしか本にならないので、いかにも素人の書いた「実験的」「前衛的」作品は排除されてきた。

■電子書籍の出現で「一億総作家」という現象が現実化しつつある。昔、大宅壮一がテレビは「一億総白痴化」をもたらすという有名な言葉をはいたが、今や「一億総作家」の時代がこようとしている。ブログやツイッターなどのITメディアは、それ自体が「表現」のひとつの形である。
素人とプロの境目が今ほど曖昧になった時はない。ただ具眼の士が見れば(読めば)プロとアマの差は(一部の例外をのぞき)歴然としているのだが、その差を読み取る人間がへっている。鹿島氏は、電子書籍などで作品を発表していこうとする人に大事なのは「編集者」ないし「これにかわる人」の目であるという。具眼の士の目を通してもらうことが、確かに大事であると僕も思う。

■カラオケで得意になって「どうだうまいだろ」という人をよく見かける。あれが嫌で、ボクはカラオケやカラオケのおいてある店にはいかない。大量の小説(と自称する小説以前の作)の氾濫のなか、極上の質の高い小説が埋もれてしまい、人の手に届かなくなっているようだ。多くの人が小説に興味をもつのは結構なことだが、「はぐれもの」や「年金生活者」の小説ばかりでは面白くない。以前は、銀行員や新聞記者、科学者等でありながら、一方で小説を書く人が多かった。かれらの書く作品には、とうぜん「社会」や「経済」「政治」「社会の諸矛盾」等が色濃く反映され、面白く、読んでためになり、人間を、人生を深く考えるヨスガになった。
それが文字通り文運隆盛というものである。


■パリ社会の人間模様を新鮮な感覚で描き出したバルザックのような作家が輩出してくると、言葉の本当の意味での「文運隆盛」になるのだが。自分の書いた作品を、しっかり読んで欠点などを指摘してくれる「編集者」ないし「それにかわり得る人」の存在の重要性が増してきた。

●ところで、近々、電子書籍の個人出版社として「惑惑星」という屋号の版元を創設します。
当初は角川書店関係の電子書籍を通すことになり、ぼくの教え子他、「これからの人」が10人近く集まっています。
乞う、ご期待!
by katorishu | 2013-09-18 09:46 | 文化一般