「昭和エロ・グロ・ナンセンス演劇編7回」本日配信です(WEBRONZA)
2013年 11月 22日
【昭和エロ・グロ・ナンセンスに見る現在――第2章 演劇篇(7)】 ナンセンス忠臣蔵本日、朝日新聞WEBURONZAで配信です。
香取俊介(脚本家、ノンフィクション作家)
2013年11月22日
.昭和エロ・グロ・ナンセンスと震災後の世相
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【成功をもたらしたのは珍奇であざとい宣伝と仕掛け】
1930(昭和5)年の末、珍妙にして人目を惹く広告が新聞の求人欄にのった。
「遺産五千万を抱いて二三歳の未亡人、夫を求む、当方累なし、委細は玉木座へ」
というものだった。「委細は玉木座へ」というところがミソであったが、大不況のなか大卒の就職率が3割にも満たず、しかも初任給が50円程度の時代の5000万円である。額があまりに大きいので、かえってまともに受け取った男性も多く、玉木座には「これは何たる吉報ぞと、われと思わん面々が髪を手入れしたり香水を匂わせ、中には履歴書まで懐中にして玉木座におしかけた」(『喜劇人廻り舞台』)。
交通整理の警官まででたとのことだが、じつはこれは「夫を求む」という一幕物の宣伝であった。結婚をのぞむブルジョアの未亡人とペテン師との仲を玉木座の座主が取り込もうとしてミソをつけるという笑劇で、作者は「奇人」「変人」といわれた中山呑海であった。旗一兵によると、めかし込んできた応募者の中には宣伝と知って怒鳴りこむものもいた。
こんなケースもあった。玉木座を結婚紹介所と勘違いして婦人が訪れてきたのである。婦人は「自分には5千万円はないが、4、5万円はある。足りないところは愛情で埋め合わせをするから、何とか良縁を世話してもらいたい」といって座り込んだ。
象潟署(現在の浅草署)では「不景気時代につけ込む罪な宣伝だ」と玉木座に厳重注意をした。芝居の作者は呑海だが、仕掛けたのは支配人の佐々木千里であった。
この時期の「軽演劇」についてまとまった記録としては旗一兵の『喜劇人廻り舞台』しか残っていないので、さらに同書から引用させていただくと……。
中山呑海はこの騒動の前、自作の「エロ三世相」という作品で象潟署長のクビが飛びかねない問題を起こしていた。「エロ三世相」は音羽座の安木節と木村時子のひきいるレビュー団の合同公演で演じられたものだった。この中の「天の岩戸」の場面で、天照大神が馬鹿囃子のような歌と踊りにつられて、こもっていた岩戸から出てくるのだが、なんと天照大神はツルツツの禿げ頭であり、その反射であたりが明るくなるというものだった。
観客は面白がってわいたが、禿げ頭で世の中が明るくなるというギャグに、右翼が、「国体の精髄である皇祖皇宗を茶化すとは不敬きわまる。警察は何をしとるのか」と騒ぎだし、管轄の象潟署長は左遷されそうになった。
中山呑海は長身長髪で「怪人」といわれた多芸多才な人で、シナリオのほか演出、作詞もし、尺八を器用に吹き、舞台の背景を描き、さらに日活で映画監督もつとめた。時代に掉さすことで自らを際立たせた人で、旗一兵によると、玉木座の「プペ・ダンサント」がエノケン一座でかたまってくると、ほかに関心をうつし帝京座で色物や河合澄子のエロ・ダンスと合同して、メノコ義経「追分節の由来」という面妖なレビューを上演したのち、渋谷百軒店の聚楽座で「ピカ・フォーリーズ」を旗上げした。
【菊田一夫の登場】
つづきはWEBRONZAでお読みください。