コラム


by katorishu
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デジタル百科事典

 10月2日(土)。
 インターネットで購入した世界大百科事典の第2版のCD版が届いた。1枚のCDに平凡社の20数巻におよぶ世界大百科事典の内容がぎっしりつまっている。総索引数が約35万語で、総文字数は7000万字であるとうたってある。写真や図形などはふくまれていないが、大変なものである。
 昭和37年、大学にはいったとき、たまたま家の景気がよかったこともあって、テープレコーダーと百科事典を親にねだった買ってもらった。いずれも当時は貴重なもので、かなり高価であった。リールつきのテープレコーダーは、ずしりと重く、当初これで語学をマスターするといって張り切っていたのだが、熱しやすく冷めやすいタチなのですぐに飽きて埃をかぶったままになってしまった。一方、世界大百科事典のほうはその後も折に触れてとりだし、気ままに読んだり、調べものをしたり参照したりして、ずいぶんと役に立った。

 あの膨大な百科事典の内容が薄いCD1枚にはいってしまうとは。送られてきたCDの1枚の軽さを味わいながら、しばし嘆息してしまった。20数巻の百科事典が届いたときは、大事だった。そのための本棚を買ったり、どこに置くか思案したり。値段がいくらであったか忘れたが、サラリーマンの1ヶ月分の給料の数ヶ月分はしたのではないか。

 それがデジタル版だと、税込みで1万3500円である。図形や写真、音声などは、別途、年間契約して有料のサービスということになっているが、人類の知恵がぎっしりつまた知識の宝庫である。他の物価などにくらべると安いというべきだろう。
 この世界大百科事典で版元の平凡社は充分に元をとったであろうから、情報そのものは無料に近い形で提供してもよいと考えているのだろう。CDを製作したのは、「日立システムアンドサービス」という会社である。

 そういえば、硬派の出版社である平凡社は経営不振で、たしか日立に身売りされたのではなかったか。中央公論新社が読売新聞社に身売りされたように。
 デジタル時代に問題なのは、形のない「情報」というものに、人がお金を支払わないということである。初期に導入した人たちが、そういうシステムをつくったわけである。そのために、デジタル関連の産業が隆盛になったことは否定できないものの、内容つまりソフトを苦心して時間をかけて作ったひとが、あまり報われない。文筆業者のはしくれとしては、看過できないものをふくんでいる。
 最近、著作権がかなり重視されるようになったものの、一般的に情報が商品としての価値を低下しつつあることは否定できない。その典型が新聞である。じつはぼくも大いに利用させていただいているのだが、日本の大手の新聞社のほとんどはウエッブ版をもっていて、無料で公開している。そのため、われわれは活字に印刷された新聞に載る情報のほとんどを、ウエッブ上で読むことができる。

 考えてみると、ぼくも新聞の情報の半分以上を、ウエッブ上で得ている。毎日や読売、産経、沖縄タイムスといった日本の新聞ばかりではなく、ニューヨーク・タイムスや英文のアルジャジーラなどにも、日に一回ぐらいは目を通す。
 とくに英文サイトは充実しており、翻訳ソフトで不完全ながら即時に日本語に翻訳する技術もすすんでいるので、ますますウエッブ上で新聞をよんだりして、情報を得る人が増えていくだろう。こういう傾向がすすむと、新聞を買って読むひとが減っていく。
 現に新聞の関係者は相当の危機感をもって、この傾向にどう対応していくべきか、頭をひねっているようだ。
 活字ばかりでなく、音楽や映像も、「無料」で聴取する傾向は強くなっている。ナップスターやウイニーなどの無料交換ソフトも出回ったりし、いろいろな問題が起こっているが、提供する側もまず無料で情報を見てもらうことに腐心しているようだ。

 今、はやりの韓国のテレビ・ドラマについて、ぼくは何本か見たが、いずれもウエッブ上で無料視聴できるものだった。連続ドラマの場合、最初の1本か4本ぐらいまで無料でみせ、興味をもって続きを見たければあとは有料という形をとっている。

 作り手は「課金システム」について、いろいろ試行錯誤をしている段階だが、作り手が苦労して充分に商品価値のあるものを作ったとして、それを公開して、一円にもならないのでは、「プロ」はやっていけなくなる。プロとはあくまで、それを職業としている人間で、それによって生活費を得ている人である。
 しかし、基本的にインターネット上に飛びかう情報はタダというのが、多くの人々の「常識」になっている。確かに、わざわざお金を払って読む(見る、聴く)に値しないものが圧倒的に多い。しかし、なかには、書店で売られている本や雑誌の内容より、ずっと中身が濃く、面白く、卓見に富んだものもある。こういうものに、どう金銭的な価値を内包させるかである。
 
 インターネットが普及してまだ時間があまりたっていないので、現在は交通ルールのない道路のようなものである。いずれ、ウエッブ上のルールも生まれ、玉石混淆の情報の中から、玉と石があぶりだされ、少なくとも「玉」に値するものには「代価」を支払う仕組みが、もっと一般化してくるのだろう。
 いずれにしても、インターネットがここまで普及し、瞬時に世界中に情報が行き交う時代になると、人々の考えもかわり、やがて生活意識や習慣に影響をおよぼし、世界に革命的な変化をもたらすかもしれない。
 パソコンの進化は急速で、5年後、10年後はまったく予測できない。良い方向に進化していくか、とんでもない方向に作用するかどうか。
 インターネット時代の行く末も、見てみたい。あれも、これも、と行く末を見てみたいものが多く、これでは長生きを心がけるしかない。
by katorishu | 2004-10-03 01:15