コラム


by katorishu
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映画、寝ずの番

 5月3日(水)
■快晴の天気であったので、久しぶりに銀座にいく。電車で20分ほどなので、造作なくいけるのはありがたい。渋谷や新宿など盛り場が、ある落ち着きを失った今、銀座はさすがに「大人の町」という印象がある。
 ただ、物価は高い。高いものを売っているということである。ショーウインドーをのぞくと、一着10万を超えるジャケットなど安いほうで、何十万もの衣類を売っている。株やITで儲けた層が買っていくのかどうか。それらしい高級衣料に身をつつんだ人が、歩いていた。こっちは、せいぜい1万円前後のジャケットだが、卑下することもない。

■昔、女優の山岡久乃さんと一緒に仕事をしたことがあるが、スタッフの一人がこういっていた。「山岡さんてとっても高級な服を着ているけど、そう見えないね。それが山岡さんの美点かもしれないけど」
 ついでながら、仕事の合間にお茶を飲んだ南田洋子さんが、着ていたカーディガンについて、こちらがほめたところ、こういっていた。「イタリアで買ったんですけど、安物なのよ」「いくらなんですか」「50万ぐらいなの」当時、こっちの月給は20万に満たなかった。スターは違うと思ったことだった。

■和光裏の銀座シネスイッチで映画『寝ずの番』を見た。マキノ雅博監督第1回作品。役者の津川雅彦のことである。芸達者なひとたちをそろえ、思っていた以上に面白かった。出だしの落語家の師匠の葬儀にまつわるドタバタ騒ぎは台詞にウイットもあり、なかなかだと思った。ところが、後半、堺正章が出てくるころから、面白くなくなった。
 要するに楽屋落ちばかりが目立つのである。創っている連中には面白いかもしれないが、要するにムダが多すぎる。津川氏は有名タレントである堺正章氏等に「配慮」したのだと思う。役者を「たてすぎ」ることのマイナス面が露骨にでていた典型例であった。
 後半、あんな風にダレた展開にせず、出だしの軽妙さ、ウイットを持続させれば、今年度の日本映画の収穫になったのに。失礼ながらいわせていただけば、仲間内への配慮もほどほどにしたほうがいい、と思ったことだった。

■ところで本日は憲法記念日である。おおかたの国民は忘れているのだろう。単に仕事が休める祝日程度にしか思っていないのではないか。ぼく自身、新橋駅でおり、デモ隊を見て、そうだった本日は憲法記念日であったと、思いを新たにしたくらいである。
 新橋から銀座四丁目にかけて、護憲のデモ隊が進んでいた。反対側に愛国党の街宣車が大音響で、「国体護持、憲法改正」を訴えていた。そのうるさいこと。

■デモ隊に追尾する形で銀座四丁目まで歩いたが、気づいたことはデモ参加者の高齢化だ。ざっと見て平均年齢が50の後半である。音楽をがんがんならして踊りながら行進する一グループをのぞいて、地味で、御世辞にも格好いいとはいえない中高年の人たち。
 これでは、ダメだなと思った。デモで汗を流している人には一応の敬意を表するが、中高年は早々と消えてなくなる人たちである。若い層をとりこめなかったら、早晩、彼等が願う方向とは別の方向にいってしまう。
 若者層をとりこめなかったことに、「旧左翼」の最大の欠点があると思っている。若者層をとりくむには、 戦略的にやらなければダメなのに、「純粋」さとか「自分たちこそ正しい」といったものを前面に押し出してやってきたのではないか。

■元は人間とも同じ生物である豚や牛を日常的に食っているのだから、人間ななてヒトラーと大同小異である。そんな高尚なことをいってもはじまらない。自分たちも、どうしよもない存在で、日々罪深いことをやっているという前提にたって働きかけない限り、この種の運動は衰微していくに違いない。
 しかし、市民運動などをやっている人に多くみられることだが、自分たちは高尚で崇高なことをやっているのだという意識がどこかに残っている。マスというのは、ぼくも含めてバカなのだが、偽善を見抜くガンリキだけは、下手なインテリなどが及ばぬくらいもっている。

■カミサンと一緒にいったので、映画を見たあとは、銀座ライオンの大正ロマンティシズムの残滓をとどめる本店でビールを飲んだ。以前、カミサンが雑誌の取材で、この店を紹介したこともある。かくて、本日は3時間ほど仕事をしただけで終わる。
by katorishu | 2006-05-04 01:09