コラム


by katorishu
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

粗食のすすめ

 10月13日(水)曇り。
 新聞に、イタリアで子供の肥満児が36パーセントにも達し、このままいくと200年後には全イタリア人が肥満になる恐れがあるという。「美食」を売り物にしている国のなれの果てという気がする。たんに毎日うまいものを食べているというのではなく、量も多いのだろうが、そんな子供たちの行く手に、当然の報いのように「成人病」が待ちかまえている。
 肥満児の親に、肥満が多かったとのことであり、親の問題でもある。

 日本でも最近、肥満児が目立つ。肥満のオッサン、オバサンのほか、若いひとでも肉食や油っぽい食べ物の多用で、肥満している人が多い。過日コンビニにいったら、レジで三人ならんでいる30歳前後のうち2人が80キロか90キロほどありそうで、ハンバーグ弁当のほか照り焼きにフライドチキンなど、いずれもカロリーのありそうなものを買っていた。どう見ても一人で食べるようだった。
 
 大して暑くもないのに額に汗をかいて、もったりした感じで二重あごだった。あまり見栄えがよろしくないし、一種のビョーキだなとぼくは思った。
 最近、居酒屋などにいって感じることだが、揚げ物類がやたらと多く、以前はどの店にもあった煮しめやおひたしなど、メニューから探すのに苦労する。調理するほうも揚げ物のほうが楽だし、素人同然でもそれなりにマニュアルで仕上がる。そして、より多くはけるからそちらに偏っていくのだろう。
 コンビニ弁当はもちろん、ファースト・フードや総菜類も、とにかく油類が多く、全体に甘口である。アメリカ人の食に近づいているのだろうか。

 沖縄は長寿県として知られているが、最近、男子については平均寿命は都道府県のうち26位にさがってしまったとか。ハンバーガーなどアメリカ式の食生活になったことが最大の理由だという。
 沖縄は戦後しばらくアメリカが統治していたので、本土以上にアメリカ化が早かった。その影響で年配の人までが動物性のタンパク質や脂肪をより多くとるようになり、心臓病や脳梗塞などの病気が増え、結果として長寿県ではなくなってしまった。
 研究者は、いずれこれが時間差をおいて、本土にひろがっていくのでは、と危惧を表明していた。

 日本は依然として世界一の長寿国だが、長寿を支えている高齢者が子供のころとった食事は、「一汁一菜」という言葉に象徴されるように、つましいものだった。
 粗食である。昭和20年代の「粗食」は、すこしひどすぎるが、30年代の「高度成長」に入る前あたりの食事が理想なのだろう。
 米など穀類をおもに、根菜類や魚を食べることが多く、温室栽培も普及していなかったから、みんな旬のものを食べていた。その人が住んでいる近辺でとれた食物を多用し、外食など滅多にしなかった。
 つまり「ケ」の日を日常は生きていたのである。そうして、たまさか訪れる「ハレ」の日に、思いっきり羽をのばし、ご馳走を食べた。
 たまに食べるからご馳走であり、うまいのである。感激があり、たとえば羊羹をちょっと食べるだけで、幸せになれた。
 
 誰だって、まずいものより、うまいものを食べたいに決まっている。しかし、そこは欲望を抑えて、我慢して、つまり節制して、日々を生きる。ごく一部の支配者や金持ちをのぞいて、多くの人は何千年という年月、そんなつましい生活をしてきたのである。
 それが「高度経済成長」のころから、日本人は欲望を全開し、より多く欲望を満足させることが「幸福」であると思うようになった。
 食欲ばかりでなく性欲、物欲、名誉欲……等々、ここ何十年かの社会を見ていると、「欲」「欲」「欲」の氾濫である。「足るを知る」といった言葉など、すでに死語である。

 地球の資源が無限にあるのなら、それも結構。しかし、有限であり、そろそろ枯渇の時期が見えている。欲を前面に打ち出す社会の価値観、システムを変えていかないと、近い将来、深刻な食料危機に見舞われるだろう。
 よくしたもので「美食」のはてにあるのは、肥満であり、成人病であり、短命である。のんべんだらりと長く生きることが、いいことかどうかは別にして、同じ生きるなら健康で長寿でありたいもの。
 そのためには、とにかく腹八分目であり、粗食である。断っておくが、粗食イコール貧しい食事ではない。日本人が長い間、食べてきた食べ物を中心に食べるのである。
 米飯、みそ汁、納豆、小魚、豆腐、卵、根菜、昆布やキノコ類……。パン食に牛乳製品類を加えてもいいが、こういう「伝統食」を基礎に、時にちょっと色づけをする。
 そうして、時たま訪れる「ハレ」の日に、ご馳走を食べる。あとは適度の運動と、水を多むこと。そうすれば、健康でいられる……。
 これはじつは今年92歳になるぼくの親父が、いつかぼくにいった言葉である。特に水。水さえ飲んで、適度に腹をふくらませていれば、腹もでてこないし、健康でいられる。
 親父は90過ぎても一人で旅行もすれば、自転車にも乗る。電話でときたま話すことがあるが、まったく耳も声も衰えていない。

 遺伝子の問題もあるだろうが、やはり「粗食」であると思う。 第一、普段、粗食をしていると、たまさか食べる「ご馳走」がじつにうまい。これは自然にかなっている。
 親父とは対立することが多く、ことごとく反発してきたが、これは全面的に受け入れた。
 おかげで、体重は20歳のときと同じで、血圧も正常、血糖値も悪くないし、かなり過労気味に仕事をしているのだが、今のところ、どこも悪くない。
 自慢じゃないけど、粗食のおかげである。

 食欲も性欲も動物に備わった本能である。「美食家」と称して食欲を丸出しにした人間がテレビなどにしゃしゃりでて「文化人」を気取っているが、ぼくにいわせれば、食欲丸出しの人間は性欲丸出しの人間と同じである。
 性欲だと「はしたない」といわれ、食欲だと脚光をあびる……。ちょっと、おかしいとは思いませんか。

 「武士は食わねど高楊枝」などという言葉もあったのである。食を楽しむのは結構だが、食欲全開で、太った豚のような体になった人は第一美しくないし、健康にも悪い。
 「太った豚」は随所に見受けられるが「痩せたソクラテス」は、年々少なくなっている。
 イタリアのような国になる前に、伝統にもどって今こそ粗食をして、生きる感動をとりもどしたいものだ。繰り返すが、粗食の日常があるからこそ「ご馳走」であり、うまいのである。感動もより強いのである。
 本当はじつに簡単なことなのだが、それがなかなかできない。現代人の脳は、自然から遠ざかった環境にあるため、どこか壊れかかっているのかもしれない。
by katorishu | 2004-10-14 02:40