パソコンの脆弱性
2004年 10月 20日
また超大型の台風が近づき、日本を縦断しそうだという。
早稲田の文学部36号館で行われた国際シンポジウム「東南アジア映画の現在」に顔をだした。タイとマレーシア、フィリピン、インドネシア、シンガポールから若手の映像作家や評論家などが参加し、自国の映画製作の現況について語った。
面白く、なるほどと思ったことなどいろいろあり、帰宅してから、この道草日誌に感想などを記した。そこまではよかったのだが、このところかなり疲労しており、脳の判断が衰えていたのだろう、プレビューの段階で、すでに「書き込み」をしたと思ったようでパソコンを閉じてしまった。
数時間、仮眠をしてパソコンを開いたところ、せっかく記したものが載っていない。「受信」のボタンを押していなかったので、すべて消えてしまったようだ。やや長めに詳しく記したので、ガックリきてしまった。
このシンポジウムについては、あらためてエッセーの項目に発表したい。
それにしても、今のパソコンはしばしば動かなくなったり、せっかく書いたものが、一瞬にして消えてしまったり……と、手書きであれば考えられなかったミスが起こる。
じつは先月、これも疲労のためか、ちょっとした操作ミスで、アウトルックにあった受信のメール、1000通ほどが一瞬の間に消えてしまった。
1年ほど前には、ウインドウズのアップデイトを画面の指示通りに実施していると、これも送信と受信のメールがすべて消えてしまうという「事故」があった。
なかには、知人からのメールや、仕事上の大事なメール類もあった。帰宅して火事にあったような気分で、しばし呆然としてしまった。
パソコンに詳しい人の話では、アウトルックよりずっと安定性の良いソフトがあるという。そっちに乗り換えようかどうか、迷っている。
現在、外付けのディスクをつけ、バックアップを心がけているが、CDなどに書き込みをしたあと、「使用不可」になり、そこにいれてあった情報をとりだせなくなる……と、いったことが何度もあり、パソコンは常に危険と同居している。
便利さ、使い勝手の良さは、常に脆弱さと同居しているということのようだ。
ぼくが最初にワープロを導入したのは、確か1982,3年で、機能は今と比較にならないほど悪かった。用紙も両側に丸く穴のあいた、つながったもので、当時の価格で70万円ほどしたと記憶する。プロの文筆家になって間もないころだった。
字が汚く、読みにくいこと、原稿用紙に向かうとひどく心理的な圧力がかかって、文字を埋める作業が苦痛になっていた。
弱ったなと思っていた。欧米の作家はほとんどタイプライターで書いている。日本にも、そういう利器がないものかと思っていたとき、、当時、関取の高見山をコマーシャルに使っていた雑誌かなにかを見て、「和風タイプライター」の「ワードブロセッサー」なるものがあることを知った。
すぐさま芝公園の近くにあった富士通のショールームにいって、じっさいに手にさわったり、係の人に機能を聞いたりし、これだ……と思って、購入した。
当時としては思い切った「設備投資」だった。
1995年、ウインドウズ95が出たときも、かなり早めにパソコンを買ったのだが、問題があった。富士通の「親指シフト」なる、日本語入力については画期的ともいえるシステムに指が慣れてしまっていたので、なかなか別の入力システムに適応できないのだった。そのため、せっかく買ったパソコンはほとんど使用せず、埃をかぶったままだった。
親指シフトのワープロは4台目まで使用していた。ずっとこれを使っていくつもりであったが、ウインドウズ98がでたころから、ワープロ機械の製造そのものをやめてしまうメーカーが多く、不具合になったのを契機にパソコンに乗り換えた。
親指シフトに慣れきっていたので、苦労して今の「一般化」されている入力システムに慣れた。不思議なもので、このシステムになれてしまうと、以前あれほど習熟していた親指シフトの操作ができなくなってしまったのである。
入力の早さも、親指シフトのほうがずっと早く、例えば取材テープを起こすときなど、テープをあまり止めずに流しっぱなしでも、かなり正確に入力できたのに。
ピアニストのように「指が覚えて」いたのだった。それが、まるでできない。このときは愕然とした。
それはともかく、パソコンがさらに普及し、社会のすみずみまでこのシステムが行き渡ると、確かに便利で効率的にはなるものの、ガラス細工のように極めて脆弱な社会になるような気がしてならない。
「サイバー・テロ」なる言葉もある。ハッカーなど典型であるが、極端に言えば、数人の人間で世界を大混乱に陥れることが、現実のものになる可能性がる。
便利さも、ほどほどにしておいたほうが「自然」なのかもしれない。