コラム


by katorishu
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時実新子追悼の「川柳大学全国大会」に顔を出す

6月3日(日)
■市ヶ谷の私学会館で行われた「川柳大学全国大会」に顔をだす。今春、亡くなられた現代川柳を築いた時実新子氏の「追悼」の集まりでもあった。ぼくは「部外者」で時実新子氏に一度もお会いしたことはないが、川柳大学横浜ゼミには「ちょっとしたこと」がきっかけで、ときどき顔をだしている。そのため、横浜ゼミ関係者と親しいカミサンともども参加した。

■参加者は120数名。そのうち10数人は旧知の人。「水」「電気」「釦」等々12の「兼題」がでており、これは前もってつくっていく。また会場で出る「席題」として「新しい」と「子」のふたつ。「席題」はその場でつくり短冊に鉛筆で書く。一つの題につき2句つくるので、合計28句つくることになる。ぼくは前夜、即席につくったので、この数に至らず20句程度しか出来なかった。

■それぞれの題について前もって選ばれた選者が、ひとつの題について15句ほど選び出し、その場で読み上げる。さらに最優秀句として1句を選び、メダルが贈呈される。
 選者の価値観、センス、好みなどが当然、色濃く反映されるので、必ずしも「落ちた」句が「下」ということはない。ただ、選ばれたものにはそれなりの理由があるはずで、選者の選ぶ句によって、選者の「思い」やその句をつくった人との「相性」や、選者のセンス、価値観等が間接的に読み取れ、これはこれで興味深かった。

■川柳は江戸時代からの柳樽の伝統をひくものや、風刺をこめたサラリーマン川柳などが一般には知られている。社会風刺をしたり、言葉遊びをしたり、権威をおちょくったりの句が多く、世間には川柳とはそういうものとして伝わっている。同じ五七五という短詩型文学として俳句がある。松尾芭蕉や松岡子規などの努力の甲斐あって俳句は社会的に認知され、教科書などにも載っているので、川柳より俳句が上と思っている人が多いようだ。

■時実新子氏は、川柳を「自己のドラマ」として新しい表現をつくりだしたといっていいだろう。ぼく自身、何度か川柳句会に参加して、川柳の「奥深さ」というものを、改めて実感した。
 俳句は自然と人との関係を重視し「季語」が必須で、情景描写に重点をおく。一方、時実川柳は、あくまで「私」にこだわり、「私」の心情の吐露が重用視される。
 日本の伝統文学である「私小説」に通じるものがある。だが、深刻なものではなく、伝統川柳のもつ「面白さ」「ユーモア」を併せ持っている。

■時実川柳は、日々の生活のなかで心に堆積したものを一種の「叫び」として表出するのだが、その思いを一度、体にため五七五という枠にはめることで「ささやき」に転化して表出する、とぼくはとらえている。旧来の、あてこすりや、風刺、諧謔などを重視する、いわゆる「川柳」の概念を破るもので、これはこれで立派な「文学表現」の一形式である。

■時実師匠が亡くなられたことで、毎月発行されていた「川柳大学」という雑誌も廃刊になり、離れていく人もいるようだが、残った有為の「弟子」がどう発展させていくか。興味深い。その後の懇親会や二次会にも出席し、いろいろな人と歓談した。女性が6割強で、40代、50代がもっとも多い。男性はやや年齢が高く50代後半から60代が中心である。参加者の職業はさまざまで、今回は関西からの参加者が多かったこともあり、いろいろと面白い話もきけ、意義深い一日だった。時実新子氏の著書は何冊も出ているので、ぜひ一度、お読みになるといいかと思います。それが機縁で新しい世界が開けるかもしれません。

■尚、横浜ゼミの中心メンバーで脚本家でもある杉山昌善氏が、毎週NHKの「いっと6けん」(関東ローカル)の火曜日11時からの番組に出演し、川柳について解説したり、視聴者から寄せられた川柳を披露しています。その中に「アルバム川柳」というのがあり、古いアルバム写真に川柳をそえたものを紹介していますが、6月5日(火)にぼくの「アルバム川柳」が紹介される予定です。子供のころのセピア色の写真に川柳をそえたものです。やや気恥ずかしい思いもしますが、「時代色」が一枚の写真と川柳に出ており、参考になればと自発的に「投稿」したものです。
 興味のある方はご覧になってください。
by katorishu | 2007-06-04 02:09 | 文化一般