本来なら本日が参議院選挙の投票日
2007年 07月 23日
■本来なら本日が参議院選挙の投票日である。ぼくは昔から一貫して支持政党なしで、その時々で、多くの国民にとってプラスとなる政策を実行してくれそうな候補者に投票してきた。(実行は期待できないにしても、一歩でもそこに近づく努力をしてくれそうな人に) 政治とは結局のところ税金をどう分配するかということである。この世の中、すべての人がハッピーになることなどあり得ない。
■ある人にとって良いことが、別の人にとっては悪いこと、といった類のことは世の中に無数にある。恋愛問題ひとつとっても自明であるが、ある人が「恋の勝利者」になる影には敗者の悲しみを味わう人がいる。
組織内でのポスト争いなども同様である。この世の本質は厳しい生存競争である。強い者が勝ち、弱い者は破れる。このケモノの世界から完全には無縁になれない。そこで「民主主義社会」に於ける政治とは、強者に厳しく、弱者に甘くすることである。
■別の言葉でいえば強者が得た物の一部を、弱者に「還元する」システムを作りこれをうまく機能させることである。その仕組みが戦後日本社会は比較的うまくいった。だからこそ「一億総中流化社会」が実現したのだが、バブル経済を機にそれが崩壊してしまった。
アメリカ方式を導入しないと日本は崩壊する、と危機感を抱いた竹中氏などが主導権をにぎり、あまり物事を深く考えない小泉前首相などをうまく乗せて「競争原理主義」を導入した。
■この政策、はっきりいって、強者に甘く、弱者に厳しいやり方である。アメリカ式のグローバリゼーションの日本への導入であり、日本に馴染まないこの政策が5年以上も続いた結果、惨憺たる状況が社会の至るところに現れている。テレビなどのマスコミ報道だけに接していては、見えてこない。
■日本文化にアメリカ式のグローバリゼーションは似合わない。いうまでもないことだが、日本はアメリカではない。「恥の文化」「譲り合いの文化」「分かち合う文化」が、かなりの程度、社会の土壌を築いていたのだが、バブル経済とその崩壊、さらにグローバリゼーションの波によって、根こそぎそうした文化が崩されてしまった。まだ根っこは残っているので、再生不可能ではない。