ミーラー・ナーイル監督の映画「その名にちなんで」は「知的名作」
2008年 01月 04日
■官公庁や多くの企業は本日が「仕事始め」であるに違いなく、一方で年末も年始もなく働きづめの人もいるようで、恐らく後者の「よく働く方」が収入は低くかつかつの生活を維持しているのでしょう。残念ながらそれが今の日本の現実です。
■昨日今年初めて電車に乗って日比谷まで出かけ、日比谷シャンテで映画「その名にちなんで」を見ました。インド人女性のミーラー・ナーイル監督作品でロシア文学の作家「ゴーゴリ」がキーワードになって展開する「家族劇」です。飛行機にも乗ったことのないインドの古典音楽を学ぶベンガル人女性がお見合いでニューヨークに住むインド人学者と結婚し、異文化のニューヨークで生活し、やがて二人の子を産んで育てる。長男の名前に夫が「ゴーゴリ」という名をつけるのですが、これが後々まで尾をひくことになります。二人の子供が独立し、これから夫婦二人の生活がはじまるかと思ったとき、単身赴任で大学に教えにいっていた夫が死亡する。
■劇的なストーリー展開や激しい喧嘩や口論があるわけではなく、淡々とした描写の中に、人がただ生きるということにまつわる哀しみといったものを描いていき、一瞬、小津映画を思い出していました。とかく誇張した表現、過剰なコメディ調に仕上げる映像作品が多い中、静謐さを漂わせつつ描く手法に感心しました。「われわれはみんなゴーゴリの『外套』から出てきた」とはドストエフスキーの有名な言葉ですが、映画のなかにもこの言葉が出てきて効果的に使われます。ミーラー・ナーイル監督はデリー大学とハーバード大学を卒業し一時、俳優もしていたそうです。ベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した「モンスーン・ウエディング」が日本では比較的知られた作品です。音楽の使い方も巧みで、なにより省略の仕方がうまい。才能のある映像作家であると実感しました。
■原作は「停電の夜」でピューリッツァ賞を受賞したアメリカ在住のインド人女性作家、ジュンパ・ラヒリの「The Namesake」で、言葉の本当の意味で「知的な」映画といっていいかと思います。現在の日本にもっとも欠けているものの一つが「知的なもの」なので、ことさらこの映画の深い意味が胸に迫ります。現在、何百館とある東京の映画館でこの作を上映しているところが日比谷シャンテ1館きりというのも、寂しいことです。3日の最終回を見たのですが、観客は10数人でした。
見てもなんの足しにもならない作品が膨大な宣伝費などのおかげで、それなりの数の観客を引き寄せているのに。こういうしみじみとした味わいのある作品が、どんどん少なくなっているせいか、見終わったあと「懐かしい」気がしたものです。ぜひもっと多くの人に見て欲しい映画です。
■本日新聞の夕刊トップに株が765円も下がったとの記事が載っていました。(その後値上がりしたものの終値は600円超の減)例のサブプライムローンの「津波」の余波が早くも日本にまで押し寄せてきたかと懸念されます。海外のエコノミストには大恐慌の可能性を指摘する声もあります。一方で、喫茶店やうどん屋などの価格も静かにあがりはじめています。本日、今年初めて昼の「外食」をしたのですが、一杯のうどんが20円から40年値上がりしていました。
■不景気のもとでの値上がりであり、多くの人の給料はあがるはずもない中、困った事態です。ところで、高級官僚の天下り等で使われる税金の額が6兆円にもなると週刊ポストの最近号が報じていました。現在、日本を実質的に統治しているのは与党の政治家でもなんでもなく、霞ヶ関の官僚です。お上意識と特権に恵まれていた戦前の官僚システムは、敗戦後の日本に残った数少ないシステムで、それが未だに生き続けているわけです。
■週刊ポストによれば、天下りは戦前の高級官僚が享受していた特権を、形をかえて維持するために編み出したシステムだそうで、だとするとなかなかこの特権を手放したがないのももっともなことです。その類の官僚の何人かを個人的に知っていますが、表面的には「ジェントルマン」で上品そうに見えるものです。時代劇に出てくるような悪代官のような顔つきの人は少なく、逮捕された守屋元防衛事務次官など例外といえるでしょう。もちろん、優秀な人もいますが、既得権益の維持を最優先で考えている人も多く、今の時代のあり得るべき姿ではありません。
■いずれにしても、大恐慌に陥らないよう政府・官僚は英知を絞って対策を講じて欲しいもの。不況などの嵐に真っ先に直撃され生活が行き詰まるのは、たいてい「弱者」といわれている層で、自己防衛など出来ない「大津波」がやってくるかもしれないのです。文化・芸術などにまわるオカネも真っ先に削られ、予定したことが相次いで崩れ去る「悪夢」を思い浮かべてしまいますが、そういう事態がこないことを望みたいものです。ところで、今年は初詣にいきませんでした。