年賀状
2008年 01月 08日
■今年は年賀状を250枚ほど書いた。ひところ500枚近く書いたことがあるが、住所は手書きにしており、一言、自筆で記すよう心がけているので、書くのに時間がかかる。で、なるべく減らそうと思うのだが、長年やりとりしていると「近況報告」をかねて出すことになる。
■最近は宛名書きソフトの普及で住所もパソコンで印字する人が多くなっているが、せめて住所だけでも手書きにしたい。で、一枚一枚記すのだが、手書きのいいところは書いている間、この人は今どうしているかとか、最後にあったのは5年前であったか……などなど、その人のことを、良いことも悪いこともひっくるめて、いろいろ思い起こす。その瞬間、相手はぼくの中で「生きている」と思うのである。
■去年の年賀状を見て思い出す人もいて、一年の締めくくりの「行事」として悪いものではない。ただ、300枚、400枚となると、なかなか大変な作業であり、なんとか300枚以内におさえたいのだが、浮き世の義理もあって続けている。以前、大島渚監督が年賀状を2000枚だすと語っていた。多くは仕事でかかわった人で、「それがぼくの財産である」という意味のことを話していた。なるほどな、と思ったことを覚えている。
■じつは年賀状を出すのをやめようと思ったことがあったのだが、大島監督の言葉を聞いて出すことにした。古い友人たちや仕事の関係者もふくめ、年賀状をやりとりする相手が、やはり「財産」であるとつくづく思う。今年受け取った賀状のなかで、150枚ぐらいは手書きの一言などが記されており、人のぬくもりを覚える。
インターネットは今後とも隆盛の一途になるだろうが、一方でアナログがますます大事になる。来年の年賀状はやや早めに版画かなにかで記したいと思ったりするのだが。