映画『接吻』を見た.「世俗」「世間」への批判のメッセージ
2008年 03月 30日
■昨日、渋谷のユーロスペースで映画『接吻』を見た。「純愛物語」と記している紹介文があるが、ぼくは「世俗」や「世間」に対する強烈な批判が根底に宿されていると見た。
緊張感ある画面で、法廷と接見室のシーンが多く、一種の「舞台劇」の趣があるが、一方で「映画ならでは」の表現が随所に見られた。万田邦敏監督という人の映画は初めてみたが、(恐らく少ない)予算を逆手にとって工面して省略の効果もあげているし、才気のある監督だと思った。
■じつはこの映画を見るために渋谷にいったのではなかったが、知り合いの篠田三郎氏が出ているので、なんとなく見た。主演のOLの京子役の若手女優、小池栄子はグラビアアイドル出身でバラエティなどにでているとかで、映画初主演だというが、世間から「差別」というより「無視」されてきたOLの心情を、自然にリアルに演じていた。
■なにより、登場人物がオーバーアクションをひとつもせず、リアルに演じきっていたのがいい。小劇場の過剰演技とお笑いタレントのオーバーアクションがテレビにもちこまれ、とにかく「注目をあびよう」と大袈裟で空疎な芝居の氾濫する中、『接吻』では全員が愚直なほど真摯に演じている。それだけでも評価に値する、と見ている間思ったことだった。
ただ「衝撃のラスト」は、やや疑問が残る。「接吻」というタイトルがここから出てくるのだが。
■映画を見ていない人のために、以下,go映画のあらすじの一部を記す。
『28歳のOL、京子は、家族とも疎遠であり、友達もいない孤独な人生を歩んでいた。ある日、テレビに映し出された殺人犯、坂口に一瞬で恋に落ちる。新聞、雑誌を買いあさり、情報を集めると、彼こそが自分の同士であると確信。拘留中の坂口に面会を申し出る。坂口の国選弁護人、長谷川は、京子を不審がったが、坂口に手紙や差し入れをする京子に心を惹かれ、二人を面会させる。坂口の死刑が確定すると、二人は獄中結婚をする』
■ユーロスペースは定員100人未満の小さな映画館で、映画マニアが多い。地味そうな映画なので2割程度の入りかと思ってはいったところ、8割の席が埋まっていた。ぼくは珍しく一番前の席にすわって見た。終わって観客はどんな人たちなのかと目がいってしまう。場所柄、20代30代と思える人たちが大半だった。みんな緊張した面持ちで、主人公の目になり顔になっている。主人公に十分感情移入して、主人公の気持ちになっている証拠である。
■殺人犯役の豊川悦司も、この人ならではの演技をしており、いい味をだしていいた。この人はこの種の役をやると冴える。余計なことかもしれないが、以前、連続テレビドラマでちらっとみた「弁護士のクズ」のようなコミカルな役はやらないほうがいい、と思ったことだった。他に仲村トオル、篠田三郎などが出演。
■こういう映画が、ユーロスペースの「単館上映」であるのは、残念なことである。地方の映画館でも上映しているようだが、いかにも少ない。いずれDVDになるのだろうが、映画館の暗い空間で見ないと、この映画の真髄はなかなか伝わってこないのではないか。
お勧め度は5段階評価で4,5といったところか。