11月21日(金)
■朝は相当寒かったようだ。午前9時ごろおき、10時ごろふらふら散歩をかねた「創作」にでたが、そのころには気温があがっているようで、ほどよい寒さであった。暑いとどうも脳の働きが弱くなる。あまり寒くてもいけないが、やや寒いというのが、精神の活動には良いようだ。
■アメリカ発の金融危機による損失が大学経営にもおよんでいるとの記事があった。駒沢大学と大正大学で、100から150億円前後のデリバティブ取引による損失を出したという。大学までがそんないかがわしい資金運用にかかわっていたのか、驚いた。「少子化」の影響で大学経営も楽ではないらしいが、その前に日本には「大学」と称する機関が多すぎるのではないか、と思う。
■以前からいわれているように、入るのは易しくして出るのをむずかしくすれば、「大学卒」の価値もあがるのに。旧来の基準からいえば今は、「大学卒」のレベルに達しない「知力欠如」の大卒もかなりの数にのぼるに違いない。ぼくなども学生時代、あまり真面目に勉強をしてこなかったので、後悔しているのだが、なにより古典と歴史と哲学関係の本をもっと読んでおけばよかった。それと、知力をもった人たちとの交流をもっとしておくことと、異文化をもった人たちと、もっと深くつきあっておけば……。後悔先にたたずで、脳が若く新鮮なときには、脳を鍛えることになかなか気づかない。良き師、良き友が残念ながら身近にいなかった(皆無ではないが)……と振りかえって思う。
■自分のことはさておき、やはり日本の指導者のことが気になる。最高指導者はもちろん麻生太郎首相である。この方は指導者たり得るのか、大いに疑問である。この方は恐らく古典や歴史、哲学書などと縁のないところで若い時代を過ごしたに違いない。自分が本当は「これをしたい」「こうありたい」と願っても、いろいろな壁にぶつかるものである。壁の前で悩んだり傷ついたり絶望したりする中で、人は鍛えられるのだが、麻生氏は恐らくそんなふうに悩む必要のない環境にいたのだろう。そのため、脳を鍛えることもなく、60、70と馬齢を重ねてしまった……と理解するしかないようなことが多すぎる。
■本日も与党内から首相への不満が噴出している。一方、党と政府の「顔」ともいうべき幹事長と官房長官の二人の声の弱さ、頼りなさには、驚くというよりゲンナリする。
記者会見に党と政府の「顔」として出るのだし、もう少し覇気のある話し方をするべきなのに、気力の失せたぼそぼそ声。気分が沈んでしまう。こういう時期だからこそ、力強く、国民に勇気のわく話し方をして欲しいものだ。もちろん、政策が肝心なのだが、そちらに一本芯が通っていないので、なおさら二人の「声」の力のなさが目立つ。
■ぼくは人の声にはかなり敏感なほうで、電話などで30秒話しただけで、相手が何者であるか、ある程度わかる――つもりでいる。その人の健康から、性格、姿形まで、かなりの程度、声に微妙に反映するのである。声は話す当人の思っている以上に、当人について「語って」しまう。従ってリーダーたるべき人は、声に力がなくてはいけない。その点、田中角栄元首相は良い悪いは別にしてリーダーたるべき素質をもった人だった。
■オバマ次期アメリカ大統領など、とにかく声に力がある。彼の生きてきた人生がこめられているようで、頼もしさを感じさせる。リーダーとして相応しい条件を備えている人だと思った。その点、我が国は……。民主の小沢代表も、声という角度で見る限り、リーダーたりえない。参謀役にしりぞいて、たとえば「声」に力があり、なおかつ論理的に話すことができる長妻代議士などを「顔」にすえるくらいの勇気や大胆さ、果敢さが欲しい。とくにこういう危機的状況の時には……と思うのだが。