2009年 01月 03日 ( 3 )

 1月3日(土)
■今年ほど正月らしくない正月はなかったように思う。年末のクリスマスの時も、街からクリスマスらしさが消えていた。クリスマスに関しては、キリスト教徒でもない人間が浮かれて騒いだりするのはおかしい、とかねがね思っていたのだが。町に活力がなくなり、湿った空気が流れている。

■マスコミ等で喧伝されている「100年に1度の未曾有の金融危機」によって、多くの人の財布が縮こまってしまったことが原因だろう。財布の中身が縮こまったのにつれて、気持ちまで縮んでしまったようで、これはこれで別の新たな「危機」を醸成させるかもしれない。

■気持ちが晴れないと、ストレスも多くなり、ホルモンの影響で免疫力が低下し病気になりやすいという。CS放送のアニマル・プラネットをよく見るので、野性動物に顕著な傾向であることを学んだ。人も動物の一種であり、社会の空気が暗いとホルモン分泌にも微妙な影響をあたえ、免疫力の低下をもたらす。

■よく落選した政治家とか辞任させられた会社経営者などが、現役時代は極めて元気で精力的であったのに、退任すると急に病気になり亡くなる。失意や幻滅、希望の喪失は、人を短命にするのである。だから「お笑い」が必要なのだと、例えばテレビの「お笑い」番組関係者は主張するかもしれない。

■「笑い」は必要である。ただし、「お笑い」は、もう沢山である。「笑い」に「お」をつけたことで、笑いがひどく下卑たものになってしまった。私見によれば、「お笑い」にはユーモアやウイットなどがなく、安手で中途半端な軽薄さしかない。

■作家の野坂昭如氏など一時「軽薄派」を自称していたが、生真面目な「常識」をひっくりかえし、まったくちがった視点から社会を見る「見識」があった。だから笑いながら、なるほど、そうだよな……等々、人間存在の不可思議さにふれる思いがして、面白かった。なにより下品でないのが、よかった。言い換えれば「大人の笑い」であったのである。

■今、社会全体に急速に「小児化」がすすんでいるという気がする。小児は我慢というものをしないし、堪え性がない。物事を白か黒かに単純に区分けして見ており、白と黒の「あわい」などに気づくことができない。これは、はっきりいって下品である。「……の品格」などという本がベストセラーになること自体、社会の「下品化」が進んでいる証拠である。
 現代社会の「小児化」と「下品」の関係について、ちょっとした論文が書けそうであり、詳細は別のところに書くつもり。

■ところで、私見によれば「小泉・竹中改革」など、昔の「左翼小児病」と同じく、社会の小児化という土壌のもとに、一時的に咲いた徒花である。次の総選挙で、小泉純一郎氏のかわりに息子さんが、選挙の地盤、看板などを世襲され立候補するようだ。小泉氏の息子が当選するか落選するか。それによって、ひところより日本をエーテルのようにおおった「小児化」の空気が、未だあるか、減少したかが計られる、といっていいだろう。
「小児化」は物的繁栄の土壌でもっとも繁殖しやすい菌なので、土壌の崩壊により、菌の力が弱まるかもしれない。そこに、わずかながら希望があるかもしれない。
by katorishu | 2009-01-03 23:35 | 文化一般
 1月2日(金)そのⅡ
■前回のつづき。
 崔監督によれば、ハリウッド方式を真似た韓国映画はすでに2年ほど前から破綻の危機に瀕しているという。日本映画も、テレビ局主導でハリウッド方式の大作主義をつくる傾向が強かった。これも是正されるだろう。
 再来年あたりからぐっと地味で、心をうつ作品が数多くでてくるのではないか。

■大仕掛けな大作主義の傾向に、感心できなかったので、この傾向はむしろ歓迎したい。ただ、数億円規模の作品でも制作資金が集められなくなると、これはこれで問題である。一定規模のカネがなくては、映画はつくれない。カネをかけなくとも、「感動」「感銘」をあたえる映画が出来るはずで、そこに知恵を働かせたいものだ。

■今や、映像ビジネスも、「テレビ後」と同時に「ハリウッド後」の作品を模索する段階にはいったといってよいだろう。ぼく自身、昨年来の課題である「大作映画」について、当初より半分ほどの製作費で出来るようにプロットを書き直した。今年1年間準備して再来年には制作、公開にこぎつけたいものだ。原作・脚本・企画プロデューサーと三つに関わっており、壁、壁、壁が横たわっているが、なんとか実現させたい。
 原作小説の執筆は四苦八苦しながら、ほぼ終わりに近づいている。推敲の段階でカットしたりする予定だが、予定より大幅に長くなりそうで、「こんな厚い作品は値段も当然高くなるし、売れませんよ」と版元から文句をいわれるかもしれないが。

■一年の計は元旦にありという。これまではいちおう「計」を考えたのだが、今年は考えないことにした。一日一日を、天からあたえられた僥倖であるとして、大事にすごす。嫌なこと、苦しいこと、怒りたいことも、命があるからこそ味わえる「至福」であるとして味わう。そのくらいの余裕がないと、今のような時代を生き抜くことはできない。

■「定年になり無為の楽しさを享受しています」といった文字が本日きた友の年賀状に記してあったが、「無為」などなんともったいないことを……とぼくは思ってしまう。死ねば、無為で安らかに眠れるのだから、生きているうちにすることもない。生きているうちは、あくせくなにかをやりつづけたいものである。これが、一年の「計」といえばいえる。
by katorishu | 2009-01-03 01:58 | 文化一般
 
1月2日(金)そのⅠ
■元旦の朝日新聞のトップ記事は「陰るハリウッド」という大見出しで、カネも仕掛けも行き詰まるハリウッド映画の窮状を伝えていた。金融危機はハリウッドをも直撃しており、これまでハリウッドに多額の投資をしてきたフランスの有名投資会社も投資をやめたという。

■「2000万ドル(18億円)クラブ」と呼ばれる高給ギャラのスターをそろえ、最新のデジタル技術を駆使する大仕掛けの映画をつくりつづけたハリウッド。DVDの収入や海外での興行で多額の利益をあげてきたが、金融危機とともに破綻に瀕しているという。
 朝日新聞によれば、90年代半ばから、完成後の儲けを受け取る権利と引き替えにカネを集める手法も使われるようになった。10数本の映画の配給受け取り権を束ねたうえで小口にわけ、「格付け」をとって投資家に売る。これは悪名高いサブプライムローンでとられた「証券化」の仕組みと同じである。

■ハリウッド方式の典型的な成功者として、スピルバーグ監督をあげることができるが、彼の経営するドリムーワークスもインドでの制作にのりだすなど、映画作りの方法を変えざるを得ないところに追い込まれている。
 なにかでちょっと耳にしたのだが、スピルバーグ監督は制作資金の捻出に焦るあまり悪質な詐欺のような「××資金」に、カネをだまし取られたようだ。昨年ハリウッドにいったとき、スピルバーグ監督が母校に寄付した映画施設を見学したことがある。あのときは、まだここまで窮するとはまったく思わなかった。

■「インディージョーンズ」に象徴されるように、ハリウッド映画は、アメリカンコミックや大仕掛けのリメーク版の続編の制作をくりかえし、投資家へのハイリターンを保証してきた。派手なアクションをもりこんだ「大作主義」の映画は、人の心を描くことよりアクションに力をそそぐ。一方、見るほうも映画とは大仕掛けでオーバーアクション、コケ脅かしのストーリー展開で見せるもの、と思い込んできたようだ。アメリカ文化に首までどっぷりつかってしまった人が多い証拠だが、こうした受け手の意識も、今回のアメリカの金融崩壊とともに変わるのではないか。「レッドクリフ」のパート2は興行的にも失敗する、と予言しておこう。

■もちろん、アメリカにも地味ながら人の心のヒダにわけいった佳作がすくなからずある。このブログで絶賛した「哀しみの乾くまで」のような佳作が日本でも公開されているのだが、東京でも単館で上映されただけだ。テレビ等で宣伝しないので、こういう映画の存在さえ知らない人も多い。この傾向があらたまるといいのだが。いや、あらためたい。そのためにも微力を注ぎたいと思っているのだが。
by katorishu | 2009-01-03 01:55 | 映画演劇