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<   2004年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

駒沢大学駅の強い風

11月29日(月)。
 2日に1度くらいの割合で地下鉄に乗るが、最寄り駅の田園都市線、駒沢大学駅ほど風の強い駅はない。田園都市線は何駅か先の二子玉川駅あたりから地下にもぐるので、電車がトコロテンを押し出す器具のように風を地下鉄路線内に押し込んでくるのだろう。
 しかし、地上から地下にもぐる路線は東京にいくつもあり、そんな路線の駅に乗り降りしたが、駒沢大学駅ほど強烈な風が吹くところはなかった。
 数年前、引っ越してきて初めて駅のプラットホームにたったとき、「これはなんだ」と驚いた。
これまで乗客はよく我慢してきたものだ。冬など冷たい強風がふき、帽子をとばされる人や髪をおさえる人なども多く、息をするのが苦しくなるほどだ。駅の構造上の問題ではないか……と漠然と思ってきた。
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 本日、駅の入り口や改札口、プラットホームなどで風圧計などを使って風の調査をしていた。調査をしている青服の人に「風の調査ですか」と聞いたところ、
「そう。ひどいね、この駅の風は。電車が来る方向からばかりじゃなくて、反対方向からも、ものすごく吹いてくる」とあきれ顔だった。

 田園都市線を経営しているのは東急電鉄である。
 ぼくの知り合いの役者で駒沢の隣りの桜新町に住む役者が、
「田園都市線は腹立たしいほどこむ。やっぱりゴウトウケイタの経営だからね。とにかく御客をつめこめるだけつめこんで、儲けようとする」と話していた。
 ゴウトウケイタとは東急電鉄の創設者の五島慶太氏で、強引で豪腕な経営ぶりから、つとに、そういわれてきた。
 今年の春、田園都市線はダイヤ改正で少々便数をふやしたものの、夜など渋谷から乗るとき、これ以上乗れないほどぎゅーぎゅーづめにおしこめられ、乗り切れない人もでる。
 テレビの「金妻」などの舞台になった町が沿線にあるため人気がで、多くの人間が住み着いたのだが、私鉄としての歴史はまだ30年ほどと、新しい。

 通勤ラッシュにはほとんど乗ったことはないが、毎朝ぎゅーぎゅーづめの電車で会社や学校に通う人はご苦労さまである。
 駒沢は都内では「高級住宅地」といわれているそうで、以前、駒沢に引っ越したと話すと、何人もの人から「いいところに引っ越しましたね」といわれた。
 ほんとに、いいところかいな……というのが、ぼくの実感である。もっとも三軒長屋の一角に住んでいる「貧乏作家」なので、高級官僚等の住んでいる庭付きの「高級住宅」に住むのとは、実感がおのずと違うのかもしれないが。
 都内ではかなり広い駒沢公園を除くと、お世辞にも魅力のある町とはいえない。

 駅前の四つ角にたって見回すと、洋服の「青山」、眼鏡の安売りの「メガネスーパー」、チェーン店の酒場の「和民」と「白木屋」、「マクドナルド」、立ち食い蕎麦の「フジ蕎麦」、牛丼の「吉野屋」「松屋」、カラオケ店、それにコンビニ……といった、この10数年で隆盛になったチェーン店ばかりだ。それに小さな不動産屋がやたらと多い。以前、試みに信号から信号までの200メートルほどを歩いて、不動産屋の数を数えたら道の片側だけで6店ほどあった。

 渋谷駅に6,7分ほどでいけるのはいいが、これが「高級住宅地」というのだろうか。
 「世界で第二の経済大国」といっても、首都の住環境はこんなものである。外国人特派員協会の会長であるウォルフレン氏が『人間を幸福にしない日本というシステム』など一連の著書で繰り返し強調しているが、日本人は知的能力も高いし、概して勤勉である。だが、それに見合った「幸福な生活」をお世辞にも送っているとはいえない。
 数字の上では「経済大国」なのだが、多くの国民は決してそれに見合った生活を送っていないと、外国と具体例をあげて比較し、説得力のある論を展開していた。
 ぼくはウォルフレン氏の意見に全面的に賛成し、納得した。
 私鉄やホテルを傘下に置くコク…なんとかという会社を牛耳っている人物など一握りの層に都合のよいシステムが、いまだに国の隅々までおおっているである。

 隣りの三軒茶屋には、まだ町のたたずまいがあり、商店も比較的多彩で、映画館や劇場などもある。そこまで散歩の距離が適当なので住んでいるが……。
 住民には申し訳ないが、あまり好きになれない町だ。そろそろ引っ越したい気分になっている。
  もっとも、今の都内、どこにいっても大同小異で、金太郎飴のような店が並び、目に光りのない人間が惚けた顔で歩いている。
「お前もその一人だ」といわれたら、「ちがう」と強く反論できる自信はないのだが……・。
by katorishu | 2004-11-30 03:30

道祖神

 11月28日(日)。
 世田谷区の弦巻地区の環七と駒留通りが交差する近くにある道祖神。
 昔はこの辺が純農村であったころの名残である。
 散歩の途次、撮ってみた。
 すでに今年も残り一ヶ月あまり。歳月人を待たずとか、少年老いやすく学成りがたし、と昔の人は人生の真実を的確に指摘していた。
 昔の旅人にもどった気分で、しばし、この前でたたずんだ。
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by katorishu | 2004-11-28 21:36

三の酉

 11月26日(金)。
 本日は三の酉である。三の酉のある年は、火事が多いと昔から言い伝えられてきた。
 本日、渋谷で編集者と打ち合わせのあと、いきつけの喫茶店で4時間ほど粘って仕事をした。三の酉だというので、午後8時すぎ、渋谷の宮益坂の途中にある御嶽神社にいってみた。
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 新宿花園神社などに比べると、ごくごく小さな神社で、付近の夜店もほんの数えるほどだった。縁起物を売る店も境内に一軒あるだけで、写真に見る通り隙間が見え背景のビニールシートが丸見えであった。10分ほど境内にいたが、御客はゼロで、店番の人も暇なので携帯メールをやっていた。
 時代なのだろう。年中行事とともに生きていた人々の生活もかわっていく。
 よく変わっていけばいいのだが、どうも悪いほうへ悪いほうへと変わっていくような気がしてならない。
 毎日が「ハレ」であるため、「ケ」の合間に出現する「ハレ」の意味がなくなり、ハレがハレでなくなってしまったのである。
 感動の鈍磨としかいいようのないものが、日本社会をエーテルのように覆っている。
by katorishu | 2004-11-27 00:06

新宿

11月25(木)。
 過日、久しぶりに新宿に行った。上杉祥三氏、作演出・出演の「嘘と真実」という舞台を家人と一緒に見た。上杉氏から電話があり、「面白くできたので是非見て欲しい」とのことであったので、見に行った。
 長野里美氏との二人芝居で、機関銃のようにぽんぽん飛び出す二人の達者なやりとりのうちに、人生の哀歓が浮かびあがって面白かった。
 舞台の楽屋裏で発生した殺人事件を、男女二人の刑事が、解き明かすという構図だが、刑事役の二人が、役者になりかわって推理劇を展開し、最後まで飽きさせない。
 役者冥利につきる舞台であったと思う。
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 上杉氏に「面白かった……」と感想をいったあと、伊勢丹会館の居酒屋で飲食し、さらに新宿花園神社にいった。酉の市でにぎわっていた。
 地元のヤクザの親分衆が、テント張りの食堂で食事をしていて、外では子分が何人もガードをするように立っていた。これなどいかにも新宿の風景であったが、さすがにデジカメに収める勇気はなかった。
 そのあと、実に久しぶりでゴールデン街のブイや一草に顔をだす。週刊新潮の記者にであったり、遅くまで飲んで帰りはタクシー。
 昔は毎週のように通った町であり、店であったが……。
by katorishu | 2004-11-26 00:11

勤労感謝の日

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 11月23日(火)。
 勤労感謝の日ということで、勤め人は休みだが、自由業には関係がない。
 過日、買ったばかりのデジカメをもって、近くの駒沢公園にいった。テストを兼ねて撮ったスナップで、公開するほどのことでもないが。試みに。

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 犬と散歩する人、ひたすら歩く人、体育館で汗を流す人、スポーツ大会……等々でにぎわっていた。ここだけ見ていると、日本は平和そのもので、「いい社会」と思えるのだが。
 内外にさまざまな問題を抱えており、暴風雨の襲来前の、つかの間の「晴れ間」という気がする。

万歩計をつけて歩いたところ、約5000歩。そのあと、いきつけの駅前の喫茶店にはいり、パソコンを開いて3時間ほど「創作」。
 戯曲の進展状況ほか、携帯にいくつか原稿の問い合わせがあった。いずれも予定通りすすまず、焦る。
 隣りの客の煙草の煙が気になって、なかなか仕事がすすまない。昔はぼくも吸っていたときがあったので、吸うなともいえないが、煙草は体に悪いですよ、といってやりたくなる。
by KATORISHU | 2004-11-24 01:56

一冊の本

 11月22日(月)。
 前日、21日、高円寺の寿司屋で行われた「読書会」に出席。ぼくは日曜日は「ガンジーの会」のハンストをしているので、水だけを飲んで皆さんにつきあった。
 飽食の時代、週に一回、ハンスト・断食をすることで、いろいろと社会のあり方などに対して深く考えるヨスガになるし、第一健康によい。減量になやんでいる方、現在の文明のあり方に疑問を抱いている方、環境保護に関心のある方、そしてイラク戦争に反対の方……は、一度「ガンジーの会」のホームページをのぞいてみてください。

 さて、この「読書会」、隔月に一回、20年近くにわたって続いてきたが、今回が最後というので、出席した。これまでも、3度に1度くらいは出席したと記憶する。
 昔「散文芸術」という同人誌がでていて、それなりに水準の高いものだった。ぼくも編集委員という形で参加していた。ここから「群像新人賞」や「新潮新人賞」「すばる文学賞」「太宰治賞」など、いろいろな新人賞をもらった人が輩出した。

 「散文芸術」は、作家の中上健次氏等も参加していた「文芸首都」が終刊になり、その同人の有志がつくったもので、ぼくは30年ほど前に参加し、何編か小説を発表した。
 芥川賞を受賞して間もないころの中上氏も集まりに出て、意気軒昂にしゃべっていた。彼もすでに亡くなっている。
 いろいろ個性豊かな人が多かったが、すでにかなりの数の人が鬼籍にはいってしまった。

 今回、集まったのは「散文芸術」の同人たちで、ぼくもいれて9人。芥川賞候補にもなった飯田章氏や第一回すばる文学賞の受賞者の原トミコ氏らも参加した。さらに80歳の高齢ながら、静岡で個人史「紅炉草子」を発行しているベレー帽が似合う島岡明子氏ら。
 原氏はぼくと同年だが、一人をのぞいて、ほかはぼくより年長者。
 伴侶に先立たれた人がいたり、時の流れを感じてしまうが、文学に賭ける執念をなおも持ち続けている人もいて、心強かった。
 今回は最後なので、各人が文学的に触発された作品などについて、一人5分から10分ほどしゃべることになった。

 古く懐かしい文学者の名前や作品名が聞かれた。文学作品について、熱く語れる人が極めて少なくなってしまった現在、貴重な集まりであったが、みなさん寄る年波には勝てないようだ。
 9人のうち、パソコンを日常的に使用し、インターネットを利用しているのは、最年少で銀行関係者のU氏が仕事で使っているのをのぞくと、ぼく一人。
 良い悪いは別にして、パソコン、インターネットが時代の流れであることを、ぼくは力説し、お年寄りだからこそ、利用したほうがいいのでは……とすすめたが。

 さて、ぼくにとって20代の中頃、もっとも影響をあたえられ衝撃的であった作品は、なんといっても水上勉の『宇野浩二伝』である。
 中央公論社から出ていた「海」という文芸雑誌に連載されていたもので、ぼくは毎月発売と同時に買い、むさぼるように読んだ記憶がある。
「自分には文学的才能はない」と半ば諦め、サラリーマン生活を可もなく不可もない状態で送り、安易に自堕落に生きていくしかない……と思い決めていた時期に出会った評伝だった。
「あれは傑作だった。水上勉氏のなかで、最上の作品じゃないか」と水上勉氏と面識のあった飯田氏も語っていたが、戦後の「評伝文学」の最高傑作ではないかと、ぼくも思う。
 
 あれほど、血が騒いだ作は久しぶりで、もう一度、小説を書いてみようという気分にさせてくれた。ぼくにとって、忘れがたい作品だ。宇野浩二と水上勉は、師弟関係といった仲で、一時、水上氏が宇野浩二の口述筆記もし、生活もほとんど共にしている状態だった。
 文学者とは、こうも情熱的で、面白い存在なのか……とぼくは目から鱗が落ちる思いだった。
 文学に賭ける執念というものに、体が熱くなり、当時、入ったばかりの放送局を、いつやめるか、真剣に考えはじめた。
 結局、10数年勤めて、なんとか「作家・脚本家」という職業につくことになったのだが、あのとき「宇野浩二伝」を読まなければ、多分、ぼくは作家にはならなかったであろうし、まったく別の人生が開けていただろう。
 一冊の本が人の一生を変えてしまうのである。
 その後も、本は人並み以上に読んできているが、あのときほどの興奮を味わうことは、残念ながら一度もない。
 ドストエフスキーの作品などに熱中した時期もあったが、別種の感興である。いろいろと本を読んできて、あれだけ思い入れのできた本に出会ったことは、率直にいって幸せであった。
 それにしても、以前は会うと、熱く文学について1時間でも2時間でも語り合える人が、身近に何人もいたのだが、今は本当に少なくなってしまった。
by katorishu | 2004-11-23 02:46

ハンセン病文学

 11月16日。
 このところ、ハンセン病のミュージカルの台本を書いているので、関連の著書を読むことに多くの時間を費やしている。
 本日、インターネットで注文しておいた「向日葵通り」(田中美佐雄)という歌集が届いた。
田中さんは明治41年の生まれだというから、すでに90代の半ば。昭和3年、ハンセン病を発病して以来、世間から隔離された人生を送ってきた。
 そんな生活の中で見たこと感じたことが、素直に短歌に描きこまれている。歌集は皓星社というハンセン病関連の著書を多くだしている出版社から出ている。
 「ハンセン病文学全集」第一期、全10巻の刊行がはじまっていることを、同封のパンフによって知った。
 編集委員として記録・随筆・児童作品を鶴見俊輔氏が、評論・評伝を大谷藤郎氏が、詩・短歌・俳句・川柳を大岡信氏が、そして小説部門を加賀乙彦氏が編集している。
 第一期の作品は、全国各地の療養所の患者・元患者たちが出した単行本から集めれたということだ。すでに絶版になっている本や私家版が多いが、日本文学史の空白を埋める文学として、もっと広く知られていい「文学」である。

 じつはぼく自身、ハンセン病に関連した文学は、学生時代に北条民雄の『命の初夜』を読んだだけだった。この作は川端康成が推挙して世にでた作品だが、読み終えたとき、清瀬にある多磨全生園に隔離された北条民雄の、鬱屈や絶望が胸に迫り、体の震えるような気持ちになった。
 世の中に、こういう現実があったのかと驚いた。島崎藤村の『破壊』を読んだのは高校の2年のときで、それまで東京に育ったぼくは、そんな「差別」があることを、じつは知らなかった。
 驚くと同時に、日本人というのは、「いやな民族だな」と思ったことを覚えている。

 ハンセン病は、戦後になっても、「らい予防法」という誤った措置によって、「怖い病気」とされ、患者は強制的に隔離され、一種の「収容所」に閉じこめられた生活を余儀なくされてきた。
 影響力のある一部仏教が、前世の因果とか、業病とかいう誤った考えを国民に植え付けたこともあり、この病気にかかると、患者は家族はもちろん、一族からも排除され、関係を絶たれた。そして、「この世になき者」として、幽閉された生活を送らなければならなかった。

 じつはハンセン病は結核などと同様の伝染病で、感染率が弱く、特効薬もできていることだし、まずうつることはない。しかし、強制隔離する必要がないとして、「らい予防法」が廃止になったのは、やっと1990年代になってからである。
 それまで、患者たちが隔離された「療養所」という名の「収容所」で、どれほど苦しみ、憤り、悲しい思いをしたか、想像にあまりある。
 根底に横たわっているのは「差別」の問題である。
 この病にかかると、徹底的に差別され、世間から排除される。そんな患者のうめきや絶望が、文学作品として結実し、独自の分野を形作っているようだ。
 
 ぼくは、ハンセン病のミュージカルを書くため、にわか勉強をはじめたばかりだが、未だに過去のものとはなっていない。「らい予防法」が廃止された今でも、元ハンセン病患者であることがわかると、結婚や就職はもちろん、いろいろなところで偏見や差別にあう。
 従って、すでに治っている人でも、以前、この病気にかかっていたことは、ひた隠しにしている人が圧倒的に多いようだ。

 ハンセン病ミュージカルでは、敢えて実名を名乗ることで「カミングアウト」をした藤田美代治氏夫妻の悲しみや憤りに焦点をあてて描くが、この問題は現在、深く静かに潜行している「エイズ」の問題にもつながっている。
 現在、新たにハンセン病にかかる人は、一年に10人に満たないということだが、この病気と、これに対する医療関係者、統括官庁の姿勢、そして世間の視線、差別の深さ……等々は、日本という国のかかえている暗部を凝縮して示しているといえる。

 表向き、日本は「自由、平等」の「民主主義社会」ということになっているが、この病気に限らず、「差別」問題の根は深く、未だ日本は「民主主義」の面では「途上国」といった印象を否めない。
 マスコミや教育現場では、「差別用語」を使わず、表向き「ない」ことになっているが、実態はちがう。厳然として「ある」ものを、言葉の上で「ない」ものとして、蓋をしているのである。
 それが日本文化の、影の部分を構成している。
 ハンセン病の患者にあったり、関係者から話しをきくと、「偏見」や「無知」というのは実に恐ろしいことだなと、あらためて感じる。同時に、今もって差別の構造が厳然として存在する現実に、溜息がでる。
by katorishu | 2004-11-17 00:31

千倉までの「旅」

11月15日(月)
 12日の金曜日。作曲家の高橋如安さんと、千葉県の千倉に行く。東京駅発9時半の特急「さざなみ」に乗るつもりであったが、京葉線のホームがひどく離れたところにあり、そこまで歩いて15分かかると駅員にいわれ、急いだが結局乗れなかった。前夜来の豪雨でダイヤもかなり乱れていた。
 30分以上前に「銀の鈴」の近くで待ち合わせ、時間があるのでコーヒーを飲んでいたのだが、同じ駅構内で、そんなにも歩く必要があるとは。東京駅も肥大化したものである。
 おそらくディズニーランドがができ、湘南方面から房総に直接乗り入れるようにしたため、そんな無理な構造になったのだろう。
 房総方面はじつに久しぶりに出かけたので、東京駅がこんなに変化をしているとは知らなかった。

 東京に住んでいる人間からすると、かえって不便になってしまった、と少々腹がたった。
 仕方なしに鈍行で延々4時間半もかけて千倉の先の「千歳」という無人駅に向かった。
 如安さんの主宰するNPO「アバ音楽の森」で来年2月に予定されているハンセン病ミュージカルの取材でいったのである。
 千倉に、オペラ歌手兼演出家の飯村氏の別荘があり、知り合いに、ハンセン病療養所に勤務していたひとがいるとのことなので、お話にうかがった。

 結局、飯村氏の別荘に着いたのは、午後の1時半ごろ。夫人で舞台美術家の山本淑子氏のほか、森田氏ご夫妻が待ちくたびれていた。
 森田氏は以前、ハンセン病の療養所で2年ほどだが職員として勤務されていた経験があり、それでお話を聞こうということになった。
 森田氏は、リタイアーをしたあと、東京を引き払い千倉に移り住んで10年ほど。直木賞を受賞された作家の村山有佳氏(この先の鴨川在住)のご両親でもあり、その後、日本医師会で健康保険の作成にかかわった方で、それにまつわる興味深い話もうかがった。

 さらに、地元に長く住んでいる人たちと、どうつきあい折り合っていくか……興味深い話をうかがった。地元に若い人はすくなく、年配者が多い。彼らは地元を愛しており、よそ者に対して、目に見えない壁をつくっている。
 しかし、この地を、ついの住処と決めたからには、土地に溶け込んで暮らさないといけない。そのへんの生活の知恵なども、興味深かった。

 地元の漁港であがった新鮮な魚の刺身や、飯村氏手作りのイカのトマトソース煮など、いろいろなご馳走のほか、シャンパンなどもでて、すっかりご馳走になってしまった。
 途中で、近くにある「花の谷クリニック」の院長の伊藤真美先生なども見えた。先生は、お父様手作りのオリーブの漬け物なども持参、現代医療の問題点などに話題がうつり、瞬く間に数時間がすぎていった。

 暗くなってから花の谷クリニックに伺った。末期癌患者などの緩和ケア医療をする、ホスピスのある個人診療所で、まだ40台半ばとお見受けする伊藤先生が独力でつくった診療所である。
 いわゆる「ホスピス」らしくない「ホスピス」を目指したとかで、随所に、心が癒される装置がほどこされている。
 玄関をはいってすぎ右手の「ホール」は食堂をかねているが、グランドピアノが置いてあり、そのままコンサート・ホールにもなる。今月の23日、飯村氏がここで患者や地域の住民のためのコンサートを開くとのこと。

 さらにユニークなのは、別棟に「バー」があり、そこでは患者さんはもちろん、近所の人たちがお酒を飲んだりして、交流をはかれる。
 昭和の初期にたてられた民家を、そのまま「バー」というより和風居酒屋にあてたもので畳敷きの広い部屋の隅には、以前ここに住んでいた人の位牌なども安置されている。
 ここで、以前、六本木のバーで一時働いていたことのある診療所員が「スペシャル・ドリンク」をつくってくれた。マティニのような飲み物。
 花の谷クリニックについては、伊藤先生の著書のほか「花の谷の人びと」(土本亜理子著)がでている。

 花の谷という名の由来について、案内パンフにはこう記してある。
『1931年、ある登山家がヒマラヤ山中で迷い、数百種類の高山植物が咲き乱れる谷を見つけました。彼はその場所を「花の谷」と名付けました。
 そこはまた、インド神話の神ハヌマーンが、万病の薬草を探し出した場所として、語り伝えられれいます』

 院長の伊藤先生の医者としての志や理念に共鳴された千倉の漁師が土地を提供してくれて、10年ほど前に開業したクリニックということで、看護師さんや所員のみなさんは、とっても感じが良く、「人生最後」の場として過ごすには、なかなかの場所である。冗談ながら、「いずれ、ぼくもここで」といった話もでた。

 病棟をはさんだ中庭を見せていただいたが、レンガじきに草花の花壇があり、ちょっとした空間で夜間の照明もある。ここで、野外コンサートや野外芝居、さらには詩などの朗読も出来そうであった。病棟の接して広いベランダがあり、そこが観客席になる。
 来年、なにかここでコンサートや芝居などをやろう……ということで意見が一致した。

 岐路は最終の鈍行にぎりぎり間に合い、結局、東京駅に着いたとき、11時40分をまわっていたが、有意義な「旅」であり、いい息抜きになった。
 考えてみれば、今年は一度大阪にいった以外、旅行らしい旅行もせず、ほとんど都内で過ごしており、これが初めての「旅」であった。
 鈍行の列車などにのって、単線で通過待ちをしたりしていると、いろいろと物思いにひたったりすることも多い。なにより、その土地ならではの人に接して、いろいろ歓談できるのが嬉しく、適度の刺激になる。
 もう少し旅をしないといけない、と改めて思ったことだった。
 
by katorishu | 2004-11-15 10:52

明るい話題

 11月6日(土)。
 明るい話題を探そうとするのだが、なかなか見つからない。ブッシュ大統領の再選を小泉首相や経済界などは歓迎しているようだが、どこが明るいのか。イラク情勢はますます混沌を深めているようだし、「テロの撲滅」をブッシュ政権は相変わらず叫んでいるが、力で封じ込めることは不可能だろう。
 なぜ「テロ」が発生するのか、根本のところを改善しない限り、今にとんでもない事態が発生するような気がしてならない。

 ニューヨーク4日共同によると、国連経済社会局は4日、西暦2300年の世界の人口はインドの約13億7100万人を筆頭に、現在の約64億人から約90億人に増加するとの長期的な推計を発表した。
 日本の人口は2000年の約1億2700万人から約1億人に減少するとし、世界順位も9位から18位に下がると予測している。
 減少するのは日本などわずかの国で、多くの国では人口は急増している。国連のこの報告は、途上国を含めた出生率が長期的に女性一人当たり2人程度の出産で安定するとの予測に基づいた推計だ。
 仮に現在の出生率が今後も継続するとすると、2100年の人口は、なんと440億人、さらに2300年には最大で1兆3400億人になるという。

 どんなにバイオ技術が発達しようと、これだけの人口を養えるものではない。まして、現在発展途上の道にある国の人たちが、日本など先進国並の生活をしようとしたら、消費エネルギーも膨大なものになり、地下資源は枯渇、環境は人類の生存が危機になるほど劣化するだろう。
 日本に限っても、そんな遠い先のことを考えなくとも、どうも「お先真っ暗」という状況である。「週刊現代」に堺屋太一氏が、団塊の世代が定年になる2007年ごろから、彼らのライフスタイルによって、別の価値観が根付き、ハッピイな時代がやってくる……と楽観的な見通しを語っていた。
 堺屋氏の「こうあって欲しい」という願望がこめられているようだが、果たしてそうなるかどうか。膨大な人口をかかえる彼らが、ありあまった余暇を、もっと文化や芸術活動に使ってくれることを、期待したいのだが、この世代、物、物、物……にとらわれ、物質的豊かさこそ「幸福」という生活感がしみついてしまっている。
 それをぶちこわし、もっと精神的なものに打ち込み、努力をし成果をだすことが、「幸福」、つまり「心の豊かさ」を目指すとしたら、希望も出てくるのだが。
 ここは堺屋氏の希望的観測に期待したい。

 ぼく個人についていえば、11月、12月、1月と、いろいろと引き受けてしまった仕事があり、それが思うように進まず、日々焦りの中にいる。文筆業など、「居職」であり、当然、神経をすりへらす仕事なので、腰痛や十二指腸潰瘍などが「職業病」となっている。
 どうやら、この二つから免れているものの、眼精疲労は激しく、鏡を見ると目の周辺に疲れが淀んでいる。
 たまに電話をかけてくる友人から「声に元気がないね」といわれる。声にはその人間の体調や精神の有りようが、案外、はっきりと現れるものだ。
 執筆等で、確かに疲れていることは確かだが、そればかりではない。日本全体を覆っている、なんとなく晴れないムードといったものに、ぼくも自然、感染しているにちがいない。

 それと、やはり加齢である。いろいろ、あれもやりたい、これもやりたい、と思うことが山積しているのに「持ち時間」が少なすぎる。そして、テレビにせよ映画にせよ、活字の仕事にせよ、こちらが本当にやりたいと思う企画は「当たらない」「売れない」といった理由で、なかなか通らず、「世間」との違和感は強まる一方だ。
 そして、身近な人たちの病気やいろいろな不幸……等々。

 どうもハッピーにはなれない。かといって、他の多くの日本人と比べて自分が不幸かというと、そんなことはない。なんとなく真綿で首をしめられていくような気分であり、これはどうも多くの日本人が現在、味わっている感情のようだ。
 ここまで書いてきて、身近なことにでも、なにか明るい話題は……と探そうとするのだが、残念ながら、思い浮かばない。
 ぼくの周りを見ても、心から明るく笑える人は、じつに少ない。表面、幸せを装っていても、一皮めくると、ちがう事態が進展していたり。子供のころ、毎晩のように我が家に愚痴話にやってくる機屋のおかみさんがいた。その人がよくいっていた言葉は、「この世は苦労の娑婆」ということだった。50年以上前のことなのに、そのおかみさんの口調や表情までよく覚えている。
 なるほど、この世は「苦労の娑婆」なのか。すると、苦労がちょっと消えたり、苦労の負担がちょっとでも軽くなったときが「明るい」ということなのだろう。
 そういうことなら、「明るい話題」もないことはないのだが、敢えて記すことでもない。
by katorishu | 2004-11-06 06:23

インターネットの光と影

 11月3日(水)
 仮眠して早朝4時ごろ起き、パソコンを起動したところ、購読しているメールマガジンのひとつで、情報関係のニュースやコメントを主に掲載しているものに、過日バグダッドで人質になり殺害された香田証生さんの殺害シーンが載っているとの情報。
 あまり見たくない映像だが、現実にどのように殺害されたのか、知っておきたいと思い、URLをクリックした。
 数分の映像であったが、衝撃的なものだった。黒覆面をした3人の男の前に、香田さんが座らされていた。3人がアラビア語で何事かをしゃべると香田さんの髪の毛をつかみ、左側の男がナイフを取り出し、じつに無造作に首を切り落としていく。
 香田さんはまったく抵抗らしい抵抗もしなかった。黒覆面の男たちはアルカイダ系の「戦士」であるということだが、まるでモンゴルの遊牧民が飼っていた羊を食用のために殺すように、あっさりと、手慣れた仕草で切り取り、最後は血のしたたった首を手で高くかかげた。
 香田さんの首なしの体はアメリカ国旗の上に横たわっており、体の上に切り落とされたばかりの首……。

 こんなことが21世紀の世の中に現実に起こっている、という自体に衝撃を受け慄然とした。同時に、更に怖いと思ったのは、パソコンさえもっていればいつでも誰でもが、こんな衝撃映像を居ながらにして見ることができるという現実だ。

 そのサイトは英語のサイトで、左側に小さいながら裸の女が股をひろげている写真があり、どうやらエロを売り物にしているサイトであった。
 気持ちが悪くなって、ぼくはすぐに閉じてしまったが、メルマガを配信している元公安調査庁の職員氏によると、この衝撃的映像がインターネット上にかなり出回っているらしい。

 テレビではまったく放送されない映像が、こうして国境を越えて、どこの国にも流れていく。
 北朝鮮など情報を閉鎖している国は別だが、普通の国の国民なら、ほとんど無料で見ることができる。
 現実に起こっていることであり、創作とかねつ造ではない。現実を「直視する」という意味で、どんなに衝撃的ではあっても、情報を封鎖することはできない、現実を現実として知っておくことが必要……という意見があるかもしれないが、この映像を目にして、つくづく考えさせられてしまった。

 交通事故や災害の現場など傷ましい出来事の現場を、テレビニュースは時々刻々と伝え、そこにこそテレビの速報性があり、意味があるのだが、そこには善し悪しは別にして、テレビ局は制作者の「取捨選択」があり、規制やブレーキがあった。
 一方、インターネット上では、規制らしいものもなく、生の情報がとびかい、それを誰でもが、いつでも簡単に見ることができる。

 じっさい、パソコンを操作できれば、首切り映像は子供でも見ることができる。
 現在、インターネットの世界は、交通ルールのない道路に人や車が勝手に行き来しているようなもので、個人への誹謗中傷はもちろん、ねつ造した情報や、一方的な作為に満ちた宣伝、PRなどが行き交っている。
 明らかに「嘘」とわかる情報は、まだ害が少ないが、「真実」や「事実」が8割ほどあると、あとの2割ほどがたとえ嘘八百であったとしても、受け取る側はそれを信じてしまう事例も多い。
 
 最近ではマスコミの若手の記者など、自分の足で歩き、対象を取材して記事を書くのではなく、お手軽にインターネットで検索して記事を書くというケースもあると聞く。
 社会経験の浅い人間が、インターネット上を飛びかう虚実いりまじった情報を無批判にとりいれ、記事等を書き発信しているとしたら、大いに問題である。

 根も葉もない噂というものがある。
 当初は、誰にでもわかる「嘘」の噂だが、恐ろしいことに、その噂が何人かを経由して伝わっていくうち次第に「事実」になっていく。われわれの身近な噂話などでも、しばしば経験することである。
 噂が噂を呼ぶうち、次第にそれが「事実」「真実」になって、第一次の情報を知らない人間の間に定着していく。
 世間話でも、この程度であるから、意識的に情報操作や宣伝などを行おうとする人間なり組織なりが、噂の機能をうまく使えば、世論をある方向にもっていくこともできる。
 とくに膨大な人間が簡単にアクセスできるインターネットである。
 新聞や雑誌等では、記者や編集者、校閲者等々のチェック機能が働き、ガセネタや嘘を排除する機能が働くが、インターネット上では誰でもが発言、発信できるので、ブレーキが働かない。
 しかも、他人の意見や映像を取り込み、加工をすることも容易なので、「一部の嘘を意識的にまじえた事実、真実」が、流れていることも多いのではないか。

 受け取る側に、一定の社会常識や理性が備わっている場合は、嘘と真実を腑分けしやすいが、社会体験も浅く、知識も少ない子供や少年などには、白紙にインクがすいこまれていくように、虚実とりまぜた情報がはいっていき、それが彼らの世界観を醸成する元になったりする。

 インターネットは確かに便利で、これが人と人ばかりでなく、人と組織のあり方をも変えていくにちがいない。
 良い方向に作用する場合も多いが、光があれが影があるの言葉通り、悪用されると、その影響もまた大きい。
 早急に、今のようなルールもなにもない世界に、一定のルールというかモラルというブレーキをかける必要があると思うのだが、いざ実行となると、これが極めてむずかしい。
 事は日本国内の問題ではないからである。
 世界にはいろいろな文化や伝統があり、いろいろな価値観、美意識、考え方の違いがある。 宗教の違いひとつとっても、正反対の価値観をもつものがあり、統一したルールをつくれるものではない。
 インターネット上のルールをつくったとして、それを誰が統制したり、規制したりするかである。

 日本でも「個人情報保護法」が成立し、来年春には施行されることになっているが、これなどその情報がニュースであるかないかを、基本的に判断し、規制の網をかぶせるのは、行政官、つまり役人である。
 彼らの恣意的な判断や、拡大解釈がはいりこまないという保証はない。
 言論の自由という問題と密接にからんでいるだけに、規制や統制はできるだけ排除していかなければならないのだが、だからといって、今のように「なんでもあり」というのも、困ったことである。
 個人への中傷、誹謗に対しては名誉毀損等の法が働くにしても、外国から国境を越えてはいってくる情報に対して日本国の法律など無力である。

 情報はすでに経済などと同様、ボーダレス化の中、縦横無尽に行き交っており、そんな情報の洪水のなか、なにが真実で、なにが真実でないのか、とうとうと押し寄せる濁流にのみこまれ、見えなくなっている。
 情報が人の判断や考え方に、大きな影響を与えるのである。
 この問題ひとつとっても、現在、人類は大変なところにきていることを実感しないわけにはいかない。
 よほど鈍感でおめでたい人間でない限り、未来は危機にさらされている、と考えているに違いない。
 多くの人が危機感を抱きながら、さまざまな「文明の利器」が開発され、危機の回避策が追いついていかない。21世紀とは、そういう時代である。
by katorishu | 2004-11-03 05:39