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奇々怪々なマスコミ

3月30日(水)
 最近、マスメディアの中も混沌としてきたようだ。
 本日の読売新聞ウエブ版によると、朝日新聞社が2000年から01年にかけて週刊朝日で連載した企画記事を巡り、消費者金融大手「武富士」から「編集協力費」として5000万円を受け取っていたという。
 連載は武富士とのタイアップ企画だったが、誌面には武富士の社名などは掲載されていなかった。
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 連載は、週刊朝日の00年7月7日号~01年8月10日号に計53回掲載された「世界の家族」というタイトルの記事で、イタリア、オーストリア、中国など20か国の家族の様子などを紹介する内容だった。
 朝日新聞社が武富士と交わした覚書には、編集協力費の金額や支払い方法、週刊朝日の編集方針を武富士が尊重することなどが盛り込まれていたという。
 タイアップ記事であるにもかかわらず「編集協力・武富士」などの記載がなかったことについて、朝日新聞社は、「(記載には)武富士が消極的だった。連載終了後に写真展を開いたり、写真集を出版したりして武富士の名前を出す予定だったが、(その後)編集長が交代するなどして、現在も実現していない」と説明している。
 これがわかったのは、読売新聞によれば、この4月30日であるという。
 武富士の竹井会長は、フリージャーナリストに対する盗聴事件で有罪判決をうけている。恐らく、武富士側からのリークにもとづいた報道だろう。

 一方、ライブドアと経営権をめぐって、虚々実々の闘いを演じているフジテレビの日枝会長について、右翼の政治結社への「詫び状」を出していたという記事が、3月28日、発売の『週刊朝日』増大号に巻頭特集としてでている。
 詫び状は、「外資乗っ取り」の防御策がまったく出来ていないことが中心のようであるが、どんな理由があるにせよ、大手マスコミの経営者が右翼に詫び状を出すことは異例である。
 『週刊朝日』をだしている朝日新聞は、現在、NHKと番組への政治家の介入の有無をめぐって係争中である。そして、読売新聞と朝日新聞は従来から「天敵同士」のようで、
社説などもしばしば対立する論を展開している。
 
 週刊朝日がサラ金の帝王から、どんな名目にせよ大金を受け取ったことも問題であるし、大手マスコミの会長が右翼に詫び状をだしたことなども問題である。
 共にどういう経緯でそういうことなったのか、よくわからない。恐らく、こういうことは氷山の一角で、ほかにも水面下でいろいろなことが渦巻いているのだろう。
 マスメディアも一種の「末期症状」に陥っている、といっていいかもしれない。
 ライブドアのような突然できたような企業が有名企業を飲み込もうとすることも初めてであり、大手マスコミ同士がが真正面から衝突することも、これまでの日本にはなかったことである。
 マスメディアは世論を動かす力をもっており、「世論」を無視して「政治」が成り立たない以上、マスメディアの動向は日本社会の明日に決定的な影響をあたえる。
 そんな言論機関の代表ともいうべき「大手マスコミ」のなかで、あいついで起こる異例な事態。マスコミは社会の反映であり、社会を映す鏡のようなものであることを考慮すると、多くの人が意識していないところで、この社会に大きな地殻変動が起こっているにちがいない。
 水面下や背後で、なにかが蠢動しており、すでにマグマとしてたまっていて、いつ爆発するかわからない。日本国民の中にも、数々の不満がマグマのようにたまっており、はけ口をみつけてうごめいている。
 やがて、そんなマグマが地殻から吹き出すと、思わぬ方向に社会が動いていく可能性がある。それが、多くの日本人にとって、果たして良いことなのか、悪いことなのか。
 いずれにしても、一寸先は闇の、混沌とした社会に、日本は向かいつつあるようだ。
 誰であったか、日本はタイタニック号の上でポーカーゲームをやっているようなものといっていた。舵をどちらかに切らなければ破局に至るのだが……。
 さて、誰が、どちらに舵取りをすればよいのか。判断の材料である情報を提供してくれるマスメディアが、悲しいことに、こういったテイタラクである。
 かといって、ホリエモンのいっているように、インターネットの情報に頼るわけにもいかない。インターネット上に流れている情報はあまりに膨大で、未整理で、真偽も定かでないものが多く、そこから的確な判断をくだせる情報を得ることなど至難のワザである。

 かくて、多くの国民は的確で肝心な「情報」をあたえられないまま、タイタニック号の上でつかの間の安逸をむさぼっている。さすがに太平楽な日本人でも、霧の彼方に氷山が見え隠れすることには気づいている。
 気づいていながら「なんとかなるだろう、これまでもなんとかなったのだから。アメリカもついていることだし」と楽観という酒に酔いながら、ひたすら自分の周囲にだけ目をむけ、ポーカーゲームの金儲けに腐心している。
 目ざとい人間は、沈没する船から逃げ出す鼠のように、すでにさまざまな手を講じて脱出の準備をし始めている。他の人に気づかれないように、密かに、そっと……。
 
by katorishu | 2005-03-31 03:22

第32回、邂逅忌

3月28日(月)。
 夕方、明治学院大学で行われた第32回の「邂逅忌」にいく。第一次戦後派を代表する作家椎名麟三をしのぶ集まりである。
 作家の小川国夫さんの講演があるというので、出かけた。小川さんとは30年以上前、ぼくの文学仲間を通じて知り合い、何度か一緒にお酒を飲んだり、旅行にいったりもした。
b0028235_2355758.jpg小川さんが同人誌「青銅時代」に連載した「アポロンの島」を、作家の島尾敏雄が朝日新聞の書評で激賞して間もないころだった。
 パレスティナやギリシャなど地中海沿岸を単身バイクで旅行した小川さん自身の体験にもとずいた短編集で、それまでの日本文学にはない乾いた文体で、青年の心象風景などをおりまぜて描いていた。
 その後の純文学畑での小川さんの活躍はめざましかった。地味なので、あまり一般ウケはしないようだが、熱烈な小川文学ファンが今もいる。
 ギリシャ彫刻を彷彿させるような端整な顔で、とつとつとした感じでしゃべる。ぼくが最初にお会いしたとき、こちらは20代半ば、小川さんは40過ぎていた。当時から「永遠の文学青年」という雰囲気をもっていた。 27,8年ぶりにお会いしたが、無駄肉がなく、いまも「永遠の文学青年」の雰囲気は失われていない。

 邂逅忌の講演では「復活」について話されていた。
 小川さんは去年の正月、大腿骨を骨折したとのことだ。朝五時ごろまで酒を飲んでいたひっくりかえったらしい。酒好きに小川さんらしいエピソードだ。
 埴谷雄高など「第一次戦後派」作家とのつきあいもあったようで、その延長線上に椎名麟三がいる。小川さんはカトリックなので、昭和22年、キリスト教に改宗した椎名麟三と共通点があるようだ。

 詳しくはいずれ記す予定のエッセーにゆずるが、小川さんがここで話された柱のひとつは、人間は「弱きによって強くなる」ということである。大腿骨を骨折したとき、小川さんは「神が私にとげをさした。とげがわたしを苦しめ、痛くさせた。しかし、この痛みは神があたえてくれたもので、その痛みによって、私は強くなった」といった意味のことを語っていた。つまり、弱点をもっているから、強くなる、というのである。
「文学や宗教も同じ」と小川さんはいう。
 人生においてマイナスの価値、たとえば事業の失敗、病気、失恋など……を体験することによって、つまり逆境にたつことによって、人生の境地がわかり、それが作品などに結晶するというのである。
 マイナスの条件を乗り越えて、すばらしいものに結びつけてくれる、それが文学であり宗教である。ほかの領域ではそういうことはない。椎名文学とはそういうものであり、ぎりぎり追いつめたれた者、死んでしまいたいと思う心境、死と同然になった者が「復活」したところに生まれる文学である……といった意味のことを話された。
 さらにキリストの「復活」論にはいり、聖書をほとんど読んでいない「無宗教」のぼくなど、よくわからないことがあったが、小川さんのいいたいことはよくわかった。

 科学文明万能の時代であり、人間は自分の脳ですべてを「わかった」気分になっているが、とんでもないことであり、宇宙のこと、永遠ということなど、人間はほとんど何もわかっていない。  ところで、現代人は「永遠」という概念をもっていない。一方、古代の人には永遠という概念が生きていた。永遠があるからこそ、復活があり、そこに宗教がうまれたのだろう。
 人間の脳髄で理解することをこえた大きな存在、それが「カミ」というものなのだろう。
 
 講演とオルガン演奏が終わって、会場の二階でワインなどを飲みながら懇親会が行われた。
 激しい雨にもかかわらず、40数人が参加した。
 椎名文学を知る人は、やはり高齢の人が多かったが、なかには若い人もいた。
 文学が「不当に」軽視されている現在、貴重な集まりであった。
 人間が人間であることの土台にあるのは、言葉、言語である。その言語を縦横に駆使して創り出した芸術が、文学であり、映像時代とはいっても、それでは味わえない深いものを、優れた文学はもっている。

 ドストエフスキーが椎名文学の基本にあるとのことだが、ぼくもロシア語専攻で、多少ともドストエフスキーほかのロシア文学を読んでいるので、よくわかる。
 そういえば「悪霊」を去年の末ごろ再読した。
 今の日本の混沌とした社会に、あてはめて考えることができる。
 小川さんの講演を聞いて、欧米の文化、文学の基底にあるキリスト教について、もう少し勉強してみようと改めて思ったことだった。
by katorishu | 2005-03-29 23:14

訂正

 3月26日の項目で、訂正があります。
 H嬢が小山内氏のアシスタントを辞めた理由ですが、小山内氏の病気のためではなく、「金八先生」の仕事が終わるまで……という最初lからの契約であったとのこと。
 また、小山内美江子氏は現在、健康になっているとのこと。
 小生の思いこみで記しましたが、訂正します。失礼しました。
by katorishu | 2005-03-28 01:15
 3月27日(日)。
 以前、三軒茶屋で異様と思われる光景を目にしたことがある。
 キャロットタワー横の通りにでたとき、世田谷通りのほうから、若くスタイルのいいモデルかと思われる女が早足で歩いてきた。焦点があった瞬間、ぼくは強い違和感を覚えた。彼女は歩きながら箸をつかって幕の内弁当を食べていたのである。
b0028235_0421211.jpgスタイルのいい女性で姿勢をすっとのばしているのだが、白昼、幕の内弁当を食べながら歩く若い女性など、これまでの日本では「あり得ない光景」だった。
 ハンバーガーなどを食べながら歩くのが普通になった時代だから、幕の内弁当を箸で食べながら歩いていても不思議ではないのかもしれないが、歩きながら箸をつかって食べるという「作法」はこれまでの日本文化にないものだった。

 あるいは彼女は日本人ではなかったのかもしれないが、最近、抑制というかタガがはずれてしまったとしか思えないような人が増えている。
 他人に迷惑をかけず法律に違反していなければ、基本的に何をやってもいいともいえるのだが、ひとつの民族が伝統文化として長い時間をかけて培ってきた「礼儀」とか「エチケット」というものがある。時代とともに、そういうものも変わっていくものだとしても、あれはいただけなかった。ぼくだけでなく、強い違和感を抱いた通行人は多かったはずである。

 しかし、こんなことに驚いていてはいけないのかもしれない。なにしろ、渋谷の繁華街では、高校生ばかりか中学生までが「援助交際」という名の売春を堂々とやる時代である。彼女たちに罪悪感はあまりないようだ。貧窮し、生活のために体を売るというのなら、まだわかるが、遊ぶ金や携帯料金のために、いとも簡単に体を売り、そのことを別に恥ずかしいとも思わない。
 やっぱり、こういう人間の行動を認めてはいけない。青少年なんとか条例があり、ときどき教員などが捕まるが、法律があるとかないとか以前の人間としての「品位」の問題である。
 ところで、動物には金銭がないので、そういうことはしない。動物には過剰な「欲望」もなく、自然の摂理、道理にしたがって生きている。
 過剰な欲望は、想像力をもち、社会をつくり、金銭という装置をつくりだした人間だけがもつ性向のようであるが、よくよく考えてみれば奇矯なことである。

 人間は歪んだ動物であり、地球のほかの動物から見たら「悪魔」のような存在でしかない、とあらためて思う。
 そういうことを強く認識したところから、宗教なども生まれたのだろうが、一部の宗教は自分たちと異なる価値観をもつものを排除し、差別し、かえって悪魔性を助長するようなこともしている。
 もちろん、自分をも含めてだが「万物の霊長」である人間とはまったく困った存在である。
by katorishu | 2005-03-28 00:43

育って欲しい若い芽

 3月26日(土)。
 夕方、シナリオ義塾で講義をしたあと、高田馬場で早稲田二文の「教え子」ら3人とあい、近くの大衆酒場で歓談。
 2002年度のぼくのシナリオ演習をとっていたH嬢と、2003年度にとっていたO君、それに「もぐり」の大阪教育大生のM君。
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 H嬢は大学卒業後、ぼくの演習で書いたシナリオが機縁になって「金八」先生などの脚本家の小山内美江子氏のアシスタントとなり、この1年、小山内宅に住み込み仕事をしてきたという。小山内氏が病気のため、この春、アシスタントの仕事をはなれ、現在、就職活動中。
 O君は卒業後、早稲田大学図書館でアルバイトをしながらシナリオを書いてきた。この春から故郷で「代用教員」をやることになっていたが、事情でやらなくなり、引き続き東京に残ってシナリオを書いていくという。
 M君は半年の「東京映画遊学」を終え、4月に大阪にもどる。H嬢とM君は映画監督になる夢をもっていて、M君は自主制作の短編映画をつくったりしながら、チャンスを狙っている。H嬢はとりあせず映像制作会社にはいって経験をつんでから……と考えているようだ。

 この道の「プロ」になり「プロ」であり続けるのは、そう簡単ではないが、夢をもちつづけ実現してほしいものだ。ぼくがもし今の時代に学生であったら、おそらく「自主映画」などをつくり、さらにアメリカのハリウッドにいくだろう。向こうの大学の映画学科か専門学校にはいり、「映画修行」をすると思う。
 ぼくの学生時代、映画をつくるには、とにかく松竹や東宝、東映といった既成の映画会社にはいるしか道はなく、しかも、それら映画会社はすでに「斜陽」で、助監督を募集していなかった……。
 今や個人でもビデオカメラをもてる時代であり、パソコンで編集すれば、それなりの「作品」がつくれる。
 ところが、若い世代に接していて感じることだが、そんな時代の「豊かさ」をうまく利用していない。こんな方法もある、こういう作品をつくったら……等々、いくつかのアイディアを彼等になげた。彼等がどう受け止め、発酵させて作品としていくか……期待したいものだ。
 まず「夢」や「希望」をもつことが大事で、そこにむかってたゆまず努力を続けていれば、何かにぶつかる。そこでどういう火花が散るかわからないが、いくつかの壁を乗り越えることで、多くを学んでいくことだろう。
 若い人と話すと、こちらも気持ちが活性化される。過去の「成功体験」にどっぷりひたっている人からは得られないものが、「若い芽」にはあり、こちらも刺激される。時代の空気を一番敏感につかんでいるのは、彼等「これからの人たち」である。
 多少、長く生きてきた人間として、先人からうけたものを、若い世代にバトンタッチしていく。それが今ほど必要なときはない。
by katorishu | 2005-03-27 03:25

奇策の応酬

 3月25日(金)。
 テレビ関係者の一人として、ライブドアのニッポン放送へのM&Aにどうしても関心が向いてしまう。東京高等裁判所の裁定で、ライブドアが圧倒的に有利になったかと思っていたが、24日、フジテレビがソフトバンクの子会社にニッポン放送株を「貸して」ファンドを立ち上げるとの奇策をもちい、一転また有利になったようだ。
 いろいろな手があるものだと感心する。 この買収劇、一歩離れて見ていると、下手なドラマを見ているよりずっと面白い。マスコミも当然、トップニュースとして繰り返し報じている。
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 今後どうなるかわからないが、どっちが勝つにせよ、大事なのは「視聴者」である。このことは忘れないでいてもらいたい。
 面白く、ためになる番組を数多く作るとともに、ジャーナリストとしての批判精神も失わないで欲しい。感じ方は人それぞれで、ある人にとって面白いものが、ある人にとっては面白くもない……といことはありがちで、そう簡単ではないが、多くの人が納得できる最低限の基準というものはあるだろう。
「面白くなければテレビじゃない」の標語で、テレビ界トップの売り上げ会社に躍り出たフジテレビだが、「面白さ」の中身が問題である。
 テレビは子供など若年層への影響が強いメディアである。いくら「数字」をかせげるからといって、日本人の品性を落とし、日本にやってきた外国人からバカにされるような番組はつくらないでもらいたいものだ。
 以前、日本に住む何人もの外国人に取材をしたことがあるが、日本のテレビ番組について彼等が異口同音に口にしたのは、「幼稚すぎる」「まともな大人の見られるものが少ない」「この程度なのか」といったことだった。「とっても面白い」という意見もあったが、総じて「世界第二の経済力」に見合った質の高い番組が少なすぎるという。謙虚に受け止めるべきことだろう。

 本日も三軒茶屋の喫茶店を二つまわり、外で計5時間近く執筆作業。ラジオを聴きながらパソコンに向かって呻吟していた。店がこんでいる場合は早々に出て行くが、比較的すいていたので、長時間の滞在となった。店の人も、すでに知っており、またきたかと思うと同時に「常連」でもあるので、特にいやな顔もしない……と思いたい。
 
by katorishu | 2005-03-26 04:05

金力には「文化力」で

3月23日(水)
 ライブドアのニッポン放送株、買い占めは、東京高等裁判所の裁定によって、どうやらライブドアの「勝ち」となったようだ。ライブドアの視野には当然、フジテレビがはいっており、今後、守るフジテレビと水面下で虚々実々のかけひきが行われるのだろう。
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この10年ほどで、民放キー局は、デジタル化に費用のかかることなどから、競うようにして株を上場したが、まさかこんな「攻撃」を受けるとは誰も予想していなかっただろう。

 ITバブルのとき、ある集まりで雑談した「IT長者」氏は、自分は3000億を動かせると豪語していた。少々酔っていたが、香取さん、今度一緒にバンコクのお寺にいきましょう、とも語った。お金はざくざくはいってくるものの、胸に大きな空洞があいており、それを癒すにはバンコクにいって寺で数日過ごすのが一番いいとのことだった。
 その集まりで、ぼくは短い「講演」をしたのだが、もともとあまり話術が得意ではなく疲れてもいたので、とりとめのない話になってしまった。ITなどで日本は救われない、大事なのは心の問題……といったことを語ったという気がする。終わって真っ先にぼくのところにきて、ぼくの著書を何冊も買ってくれ「面白かった、胸にこたえた」と彼は語った。雑談の中で、彼がIT長者であることを知った。
 IT技術を駆使して富を得たのではなく、パソコンの組み立て販売で成功したようだ。
 高校卒なのに、今は東大卒を使っている……と誇らしげに語っていた。
 その後、彼は某中堅スーパーを買収し、一時は日の出の勢いであったが、ITバブル崩壊で勢いは消えてしまったようだ。一時はテレビでCMを流していた彼の会社も、最近はあまり広告も見ない。作家というのが珍しいのか、その後、会いましょうと連絡をしてきた。一度あったときは、日本社会を痛烈に批判している評論家の斉藤貴男氏が一緒だった。斉藤氏が雑誌のインタビューで彼を取材した縁のようだった。
 ぼくがシナリオを書いた映画の件で、頓挫している時期でもあったから、ふと、「映画に出資しませんか」という言葉が出そうになっていた。
 資金があったら、ぼくにしてもいろいろやりたい試みがあるのだが、すべて先立つものがないために、実行できない。
 その日は、別の集まりに出席する予定があったので、早めに辞してしまった。以後、あまり話をする機会もなく、そのままになっている。
 頭の回転が速い人で、即断即決で、社員を動かす。乗っ取った某スーパーを視察したときの彼の姿が、某テレビに出ていたが、確かにそれまでの「成功体験」によりかかっている人間にはない、機転や客の気持ちをつかむ能力が備わっているようだった。

 ホリエモンは、彼とはまた別の「IT長者」なのだろう。両人ともでっぷり太っている点が共通している。「太った豚」より「痩せたソクラテス」のほうにシンパシィを感じるぼくとしては、あまり親しくつきあいたい相手ではない。
「株式資本主義」ということで、こういうアメリカ式のドライに割り切った「合理的」な経営者が日本を牛耳っていくことになるのだろうか。
 既得権益にいすわっている人たちも問題だが、「節度」とは対極のこういう人がお金は合理的だとして、金力で各方面に支配力を発揮していくとしたら、やはり問題である。
 いずれ、政治家をも金力でつくりだしてしまうかもしれない。あの「今太閤」といわれた田中角栄元首相のように。ホリエモン本人は政治家にならないだろうが、金力で政治家を動かすことは日本の政治風土だと容易にできそうである。
 それが一番怖い。
 金力には「文化力」とでもいったもので、対処するしかない。
 やせ我慢の思想といっていい。有意の人は、金だけでは動かない、ということをホリエモンは、いつわかるであろうか。恐らく、彼の金力にあずかろうと、いろいろな人達が彼に今後ますますすり寄っていくにちがいない。
 そのときである、ホリエモンの本当の姿が、はっきりと見えてくるのは。
 金儲けもいいが、自分一人の力で儲けたと思っていたら、某鉄道会社のオーナーのように、いずれ大きな間違いを犯す。ボランティア精神を大いに発揮して欲しいものだ。ビルゲイツだって、過日のスマトラ大津波では膨大な援助をしているし、「金融王」のジョージソロスも、莫大な資金を投じて教育施設を貧しい地域につくっている。
 悲しいことに、日本の「成金」にはそんなボランティア精神が欠けている人が多い。そもそもそんな精神をもっていたら、あそこまで太ることはできないのだろう。
by katorishu | 2005-03-24 03:44

割り勘

3月22日(火)
 仕事がら幅広いつきあいをしていることもあって、毎週のように芝居やイベント、催し、セミナー、勉強会等々の案内があり、そのどれにも参加すればそれなりの知識、情報jを得られ、新しい交友関係も生まれるのだが、すると自分の時間がなくなってしまう。
 b0028235_348411.jpg金銭上の出費もばかにならず、財布はすぐ空っぽになる。
 本日、遅ればせながら確定申告書をだしに世田谷税務署にいく。この時期に出すひとは少なく、年金生活者や主婦などが広い部屋にちらほら。
 はいってくるものが情けないほど少ないので、原稿料の源泉徴収で天引きされたものがもどってくる。考えてみると、去年「仕事」をしたうちの7,8割は「ボランティア」か「ボランティア料金」である。4人の学生の卒論を担当したが、これも無料奉仕。
 のべつまくなしに脚本を書いていたころは、それなりの収入があり、かなり鷹揚にものを買ったり、「ここは俺が払う」などといって、かっこうをつけてよく人におごったりしたが、最近はそういうこともしなくなった。人と飲むときは大衆酒場で割り勘である。

 昔、20代のころ、静岡県に住む作家の小川国夫さんがときどき上京する折り、小川さんをよく知る友人ともども、神保町あたりで一緒にあって飲み食いをした。当時、小川さんは40すぎで、自費出版した「アポロンの島」が、島尾敏雄に朝日新聞の書評欄で激賞され、文壇にデビューしていた。
 実家が裕福な旧家で、その年までほとんど仕事をしたことがなく、夏目漱石のいう一種「高等遊民」の生活をしていたのではないか。ぼくなど、その境遇に羨望していた。
 小川さんは東大を中退してパリのソルボンヌに留学した。今とちがって、パリに留学するなど、じつに珍しい時代のことだった。
 ハンサムでいかにも育ちの良さを感じさせる小川さんは、敬虔なカトリックでもあった。
 一緒に飲み食いするとき、学生など若い人の分を払うなどということは決してしなかった。
 当時は、「年功序列」が社会に浸透しており、年上の人と一緒に飲み食いするときなど、年上の人が払うのが一般だった。ぼくも勤めている組織の上司からよくおごられた。
 しかし、小川さんは常に「割り勘」であった。そのかわり、偉そうな態度は決してみせず、ぼくなどの「青二才」をまるで友のように遇してくださった。
 パリに留学していたころ、一人でバイクに乗ってギリシャやパレスチナなどを旅行した折りの話などをされた。黒いズボンで、白いワイシャツを腕まくりしている姿が、印象に強く残っている。
 ぼくの最初の小説集『隣の男』の帯は小川さんが書いてくださり、短編小説作家としての「才」があるともちあげてくださった。非常に愛情のある書き方で、その後、どれほど励みになったことか。今も大事に保管してある。
「あの作が、香取の文学の原点だね」と今も人からいわれる。

 来週、明治学院大学で椎名麟三の32回「邂逅記」が行われる。知人の放送作家の津川泉氏が毎回、案内状を送ってくれるのだが、これまで一度も顔をだしていなかった。
 今年は、小川国夫さんが講演をするというので、ぼくは参加の葉書を送った。津川泉氏他、文芸評論家の富岡幸一郎氏らが世話人になっている。富岡氏と会うのも、10数年ぶりか。
 椎名文学は『美しい女』や『深夜の酒宴』『懲役人の告発』などを読んでいるだけだが、独特の、乾いているようで湿った雰囲気をもつ奇妙な味のする文体で、戦後文学の隆盛のなかで、独特の輝きをはなっていた。舞台脚本も確か書いていた。
 姫路鉄道の乗務員をやりながら小説を書き、文壇に登場した。「第一次戦後派」を代表する作家で、クリスチャンでもある。
 今は、椎名麟三といっても、何者であるか知らない人が圧倒的に多いのではないか。
 こういう貴重な文学者が忘れられてしまうことは、残念でならない。
by katorishu | 2005-03-23 03:53

うたた荒涼

 3月21日(月)
 春分の日の振り替え休日。お彼岸でもあるし、八王子の実家に行く。「実家」といっても、すでに父も母もなく、弟の工場と、裏に元はアパートであった茅屋。ほとんどは物置場になっており、親父が一人で住んでいた二階の一室のほか、しばらく前から誰も住んでいない。親父が手作りでつくった人形や祖父母のモノクロの「肖像画」、母の肖像画等々……。
 一室は親父が一人で生活していたときのままになっている。「当分はこのままにしておくつもり」と親父の家業を継いだ弟。
 昔のべつまくなしに書いていた、テレビドラマの台本や資料等のはいった段ボールが、何10箱もあるのだが、すでに10数年前に一階の倉庫のような部屋に放置したまま。雨がふきこんだとのことで、どうなっているのか。見るのが怖いような気がして、そのままになっている。
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 比較的大きな犬小屋には、青いビニールシートをかぶった本の山。今の住居が狭いので、保管してもらっているのだが、これもどうなるか。
 周囲の景観は以前と全く変わってしまい、「思い出」につながるものは何ひとつ残っていない。 うたた荒涼という気分だ。ここは「八王子」かもしれないが、すでに「ハチョージ」ではない。
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 ぼくの学生時代の友人のT女史が論説委員を勤める某紙では、盛んに「愛国心」の涵養をといているが、いつのころからか、ぼくはどうもこの国にアイデンティティを感じることができなくなっている。
 かといって、他の国にアイデンティティを覚えるわけではないので、このまま住み続けなければならないのだが。少々疲れて、どうも鬱になっているようだ。
 
 大阪在住の作家、金井貴一さんから久しぶりに近況報告のメール。「小説東京裁判」執筆の準備をしているという。大作、力作になるにちがいない。
 金井さんは「帝銀事件」「下山事件」など昭和史を題材にしたユニークなミステリーを書いている。ぼくよりずっと年長だが、相変わらず筆力旺盛だ。ヤフーの検索エンジンなどで「金井貴一」で検索してみてください。いずれも大作で圧倒されます。ほかの筆名「谷川涼太郎」で文庫書き下ろしのミステリーを何冊も書いています。
by katorishu | 2005-03-22 01:54

三軒茶屋シネマ

 3月19日(土)。
 原稿の執筆に追われる日々だが、忙中閑ありで、三軒茶屋まで足をのばしたついでに、三軒茶屋シネマで、韓国映画を見た。
b0028235_23524832.jpg(写真は三軒茶屋の一角にある古家)  『「誰にでも秘密がある』で、「 韓流2大スター」である「冬のソナタ」のチェ・ジウと「美しき日々」のイ・ビョンホンが共演したラブコメディである。
 美しい3人姉妹とイ・ビョンホン演じるスヒョンの入り乱れた恋愛関係を、コミカルに都会的な感性あふれた手法で描いていく。監督はチャン・ヒョンス。
 見終わって、よくできたラブコメディだと思った。韓国映画の成熟度をしめす作品で、素直に笑って楽しめた。
 イギリス映画であったか(タイトルは忘れた)あるラブコメディからとったと思われるストーリー展開だが、韓国映画もずいぶんと洗練されたものと感嘆した。
 脚本の構成が緻密で、随所にバルザックの明言をはさんだりして、人間存在のおかしみを、よくあぶり出していた。

 終わって喫茶店にはいって執筆。テクノストレスなのか、目はしょぼしゅぼで、右の腕と肩が痛い。 50肩というより「60肩」なのだろう。
 気持ちを若くもっていても、寄る年波には勝てないようだ。
 あと、どれくらいの「持ち時間」が残されているのかわからないが、「これだ」という作品を残して、この世からオサラバしたいもの。そのために、ない知恵を絞っているのだが、言うは易く書くは難しで、会心の作などというものは、そうそう書けるものではない。
 それでも、なんとか一歩でも二歩でも近づけようと、日々努力をする。そんなことに無縁の人から見たら、なんでそんなアホなことに情熱を注ぐのかと言われるかもしれないが、「書く」ということを奪われたら、恐らくぼくはもぬけの殻である。
  
by katorishu | 2005-03-20 00:05