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オペラ座の怪人

 4月30日(金)
 ゴールデン・ウイークの始まりだという。「毎日が日曜日」で「貧乏暇なし」のぼくには関係のないことだ。旅行や遊びなどに精を出す人達を「異邦人」のように感じてしまう。逆にぼくが「異邦人」なのかもしれない。
 早朝起きて午前6時から1時間ほど読書、7時から12時まで2件の喫茶店でみっちり執筆作業。帰宅して休憩して、また仕事。夕方近く、あまりに疲れているので切り上げ、渋谷に出てシネタワーで映画『オペラ座の怪人』を見る。
 客席は2割にも満たない。しかし、面白かった。「オペラ座の怪人」についてはガストン・ルルーの原作はもちろん読んでいるし、以前、映画化されたものや劇団四季で上演したミュージカルも見ている。四季の作品は確か新橋演舞場で見たものですでに20年近く前だが、歌い手と怪人の悲しみがよくでており、歌もよく楽しめた。
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 「オペラ座の怪人」は、 天才作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーの名ミュージカルを映画化したもので、すでにミュージカルの「古典」というってもよい作品だ。
 19世紀パリのオペラ座を舞台に、オペラ座に住む謎の男と、彼に見初められた歌姫の物語が妖しくも優美に展開される。
 監督はジョエル・シュマッカー。出演は『タイムライン』のジェラルド・パトラー、『デイ・アフター・トゥモロー』のエミー・ロッサムら。
 吹き替えなしで歌う彼等の歌唱力に感嘆した。エミー・ロッサムは『ミスティック・リバー』でも好演していた女優で、この役にぴったりだった。
 妖しく、謎に満ち、幻想的で、心をゆさぶる音楽に充ち満ちていて、これぞエンターテインメントの極地という傑作だ。
 こういう作を作らせたら、残年ながらアメリカ映画にはかなわない……。
 アメリカの「文化帝国主義」という言葉があるが、こういう映画が世界を席巻するのも無理はない。少々、無力感、脱力感を覚える。日本のテレビなどますます見る気がしなくなってしまう。
by katorishu | 2005-04-30 08:36

届く言葉 11

 4月28(木)
★「山下さんも、アメリカ人弁護団の活動に接して、あらためて、アメリカという国の凄さというか、奥行きの深さを認識したようです。おのれがこうと思ったら、敵国人であってもこれを徹底的に弁護し、裁判官や検事に、対決する。自分たちが、そのことで将来不利になるなど二の次、三の次で、とにかく正義や自己の信条のためなら、軍の上層部にも真っ向から対決する。日本の軍人であったら、絶対にできないことです」 
 『マッカーサーが探した男』 (香取俊介著・双葉社刊)戦後、間もなくフィリピンで行われた 山下奉文裁判にアメリカ人裁判官とアメリカ人弁護士の通訳として出廷した浜本正勝氏の言葉。浜本さんとは東京會舘と恵比寿の自宅で何度も話を聞いた。戦時中の日本とフィリピンの統治の中枢にはいり、むずかしい問題の処理にあたった「ビジネスマン」だ。
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 右腕から肩にかけての痛みが消えない。いわゆる「50肩」なのだと思うが。
by katorishu | 2005-04-29 12:58

届く言葉 10

 4月、27日(水)。
★届く言葉10
「ネット上で発言していると、不特定多数の人たちに向けて書いているせいなのか、つい公正であろうとしてしまう。自由なはずの自分のホームページなのに(それに稿料がもらえるわけでもないのに)なぜか、自分自身を縛ってしまう。
『善悪の彼岸へ』を文芸誌に連載しているとき、このような危険ことは文芸誌だからこそ書けるのだと感じていた。ほかのメディアでは絶対に書けないことを、あえて書くことができた。ホームページは自由なようでいて、なぜかそれができない。そして不本意なまま、つい「啓蒙的」で「モラリスト」ふうの文章ばかり書いてしまう。そのことに、いたたまれない自己嫌悪を感じるようになった。
 小説家の言葉は決してきれいごとではなく、本来もっと荒々しく、危険なものであるはずだ。愛憎もある。毒もある。澄んだ言葉も、暗く沈んだ言葉もある。それは社会的な発言においても同質であるはずだ。だがホームページでは、なぜか退屈なモラリストになってしまいがちだ。どこか欺瞞的で、自己嫌悪ばかりつのってくる。どうしてだろう? まったく困ったものだ。」
    (「海亀日記」・作家・宮内勝典のホームページ上の日記より)
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 同じようなことを、ぼくも考えていたので、少々、考えこんでしまった。宮内氏の小説は外国を舞台にしたものが多く、現代日本文学の中で特異な位置をしめていて、熱烈なファンも多い。
 去年まで早稲田の二文で非常勤講師として文学を教えていて、ぼくもほぼ同じ時間にシナリオ演習を担当していたので、教員控え室で何度か顔を会わせることがあった。
 熱っぽく文学の意味を語っていたとのことで、学生の評判も実によかった。
by katorishu | 2005-04-28 06:08

届く言葉 9

 4月26日(火)
★「以前は、例えば父親は父親であり、子供は子供、女性は女性、白人は白人、黒人は黒人であり、違いを前提に、みんながコミュニュケーションをはかろうとしていた。ところが、今は、みんな同じなんだということで、違いを曖昧にしてしまった。
 怖いんですね、みんな。以前でしたら、茶碗というものは壊れるもので、壊れないように、精一杯注意してあつかうけど、壊れたら壊れたで、これは茶碗であるから仕方がないと、そういう考え方があった。ところが、いつの間にか、茶碗というものは壊されてはならない、だからなるべく触らないほうがいいんだという、そういう文化が日本全体を支配するようになってきてると思うんですよ」
  
『やっぱりヘンなニッポン』(香取俊介著・双葉社刊)より。チベットからやってきた学者、ペマ・ギャルポ氏へのインタビュー。ギャルボ氏の事務所で。
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by katorishu | 2005-04-27 01:58

時間よ止まれ

 4月25日(月)。
 夕方、高田馬場の居酒屋で、「ガンジーの会」代表の文芸評論家・末延氏、オペラ演出家・飯村氏もまじえ、立教大教授の横山紘一氏と歓談。横山氏は仏教の「唯識」の権威で、禅や武道の実践家で「禅的生き方」をしている方。ゆっくり話すのは初めて。
 好奇心が強く、酒も強く、日本社会のあり方、文化、政治等々について意見交換をした。
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 帰宅後、テレビを見ながら寝込んでしまい、午前3時すぎに起きて、仕事。
 前日、半徹夜だったので、一日の区切りが明確ではない。
 時間の経過の早さを、あらためて痛感する。あげるべき原稿がなかなか予定通り進まない。
「時間よ止まれ」と思わず叫びたくなる。
by katorishu | 2005-04-26 04:19
4月24日(日)
 正午から、恒例のハンスト。仕事の合間、気分転換に三軒茶屋シネマで韓国とドイツの合作映画『春夏秋冬そして春』を見た。
b0028235_122118.jpg(写真は三軒茶屋商店街) 妙な雰囲気の映画だった。
 韓国映画界屈指の「映像派」といわれるキム・ギドク監督作品。四季の美しい風景をバックに、湖の上に漂う小さな寺で暮らしていた少年僧の波乱に富んだ人生と、彼の生き様を見つめる老僧の姿を描く。春、夏、秋、冬、そして春の5つのパートにわかれ、人間の罪や悔悟、癒し、再生をとらえた物語。老僧の「焼身自殺」など衝撃的なシーンをはさみながら、一種、幻想味をおびて展開する。
『冬」のパートは、監督自らが主人公を演じていたとのこと。
 映像は感嘆するほどしいが、見終わって「うーん」という言葉がでてしまった。なぜドイツとの合作かよくわからない。江原道の金剛山とあるから38度線近くの「北」の領域にある湖なのか……。
 政治的意図や宗教的な寓意があるのか、ないのか、よくわからない。韓国映画には、こういう作もあるのか……と発見の意味では興味深かったが。
by katorishu | 2005-04-25 01:10

届く言葉 8

 4月23日(土)
★「自然は聞く耳を持たない者には何も与えることはない」。
  愛知万博の開会式で、ケニア環境副大臣のワンガリ・マータイの言葉。
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by katorishu | 2005-04-24 00:13

フリー受難の時代

 4月22日(金)
 タレントのポール・牧さんが自殺した。直接の面識はなかったが、昔、ぼくの書いたドラマに出演したこともある。原因は不明だが、仕事が減っていることを嘆いていたともいう。
 コメディアンの中には表面の明るさとは違って、案外、生真面目で思い詰めるタイプの人もいる。関西系のお笑い芸人ばかりが隆盛で、東京の芸人には日の当たらないという事情も影響しているのだろう。いずれにしても傷ましいことである。
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 14時から16時半まで、六本木のハラビルで、日本放送作家協会の理事会。月一回開かれる理事会で、「社団法人」の形をとっているが、どこぞの天下り官僚が高給をはんでいる公益法人や社団法人とちがって、理事全員がボランティアである。
 ちょっとショッキングなことを知った。放送作家協会員で81歳になるガンをわずらっている某女性が、月1000円の会費を払えないとのこと。なんでも一人暮らしで、月4万5000円で生活しているという。恐らく国民年金だけで食べているのだろう。

 結構な退職金や厚生年金、共済年金などで手厚い保護をうけている公務員や大企業のサラリーマンとちがって、フリーの職業の人達はなんの保証もない。
 一部の著名人が高収入があり、それがマスコミ等で喧伝されるので、放送作家など結構、高給をとって優雅な暮らしをしている……と見られがちだが、およそ1000人いる会員のなかで、平均的サラリーマンの年収があるのは、3分の1にも満たないのではないか。
 高齢化が進む一方で、放送界の現場は比較的、若い人が仕切っており、年配者にはなかなか仕事がまわってこないので、貧窮故の会費未払いも増えている。
 じっさい、放送作家で経済的に追いつめられている人は多い。夜逃げする人や自殺者も多く、かなり悲惨な状況になっている。「明日は我が身だねえ」などとささやきあった。

 放送作家に限らず、フリーランスで仕事をしている人は、常に生活の不安にさらされている。若者文化全盛で、文化や芸術方面にお金を使うのは若者ばかりで、中高年は本は図書館で読み、映画館や芝居などにもあまりいかない。勢い中高年の「創作者」の活動する場がどんどん狭められていっている。
 クラシック関係の音楽家なども同様で、表向き優雅そうに振る舞っていても、内情は四苦八苦の人も多いのではないか。物書きとて同じである。
 物や食べ物、旅行などには平気で大金を払うのに、文化や芸術にはなかなかお金を出さない国民である。
 日本文化も崩壊の瀬戸際にきているようだ。
by katorishu | 2005-04-23 01:56

一瞬、死んだかと思った

 4月21日(木)。
 昼間、シャツの左胸のポケットに携帯電話をいれて仮眠をしていたとき、電話がかかった。マナーモードにしていたのだが、一瞬、夢の中で心臓が破裂しそうに動きだし「もうだめだ、死ぬ」と思った。目がさめたとき、一瞬何事が起きたのかわからなかった。すぐ、胸の上で携帯がバイブレターの作用をしているのだとわかって、受信ボタンを押した。
 仕事の電話であった。「眠っていたの?」とプロデューサー氏にいわれてしまった。
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 昼夜、時間に関係ない生活をしているので、しばしば電話で起こされるが、胸のポケットに携帯をいれて起こされたのは初めてのことだった。ああ、これで死ぬ……と思ったのも久しぶりだ。夢の中で死んでしまい、なにやら青い寒天の海のようなところを漂った記憶があるが。
 心臓発作や脳溢血などで、意識を失うケースは、恐らくあんな気分なのだろう。

 現在、右の肩の周辺が炎症でも起こしているのか、腕をまわしたりすると痛いほかは、これといって悪いところはどこもない。ただ、根気がなくなっている。以前は、5時間6時間、ぶっつづけで原稿に向かっていたものだが、最近では2時間ほどでやめて休息をとらないと続かない。
 休息が長くなり、散歩に出て、ふっと目にはいった映画館にはいってしまったりする。
 昔、作家の田中小実昌氏が、道を歩いていてバスが止まると、どこ行きかも確かめず乗ってしまう……といったことをエッセイで書いていた。吉行淳之介が娼婦と対談したとき、娼婦の一人が「ついでに生きている」といったとかで、吉行淳之介は感心していたが、コミサンは「思いつきで」生きているようなところがあった。
 昔、新宿の飲み屋で何度も同席したことがある。ひょうひょうとして飾らず、じつに自然体で生きており、「こういう作家になりたい」とよく思ったものだ。
 ぼくなど、自意識過剰のタイプなので、とてもコミサンのような真似はできない。酒場などで、田中小実昌のことを、みんなコミサンと愛称で呼んでいた。
 コミサンも、数年前、ロサンジェルスで亡くなってしまった。
 自らの経験をもとにしたと思われる「兵隊もの」の小説が面白かった。とにかく、徹底的に「ダメな兵隊」であったようで、上官からも「お前みたいにいい加減で、それを恥じない兵隊も珍しい」と逆に感心されたこともあるようだ。
 軍隊や権力などの「権威の傘」をはぎとって、人間みんな同じ……と無言のうちにいっているようでもあった。
 威張ったり、媚びを振ったりする人間とは無縁の、自然体そのもので生きるユニークな方だった。 ぼくの記憶に残るコミサンは、新宿ゴールデン街でいつも下駄に半ズボンをはいていた。テレビドラマでも放送された放浪の画家、山下清に通じる風貌でもあった。それでも東大哲学科中退であり、バスの中などで愛読するのは哲学書が多かったと、エッセーに書いていた。

 ユニークで面白い人が、だんだん少なくなっていく。最近、マスコミに登場する人の多くは、小利口で、処世術にたけ、小金持ち……といった類ばかりという気がする。
 市井には、まだひっそりと、コミサンのような人が存在しているはず……と思いたいのだが、なかなかそういう人には出会わない。金も時間もないので、酒場へ足を運ぶ回数も自然減っていく。
 
by katorishu | 2005-04-21 22:15

脳が疲れている

 4月20日(水)。
 一日中雨。テクノストレスなのかどうか。どうも脳が疲れているようだ。1月末に約束した、ある原稿を、4月中旬まで仕上げるということであったが、ぼくの記憶から抜けていた。複数の人の「証言」ではどうもぼくの勘違いであったようだ……。
 何年も前からの「懸案」事項で、いろいろ行ったり来たり、試行錯誤があったり……の仕事であったから、ぼくの潜在意識として、そちらからしばし「回避」して、目前の作業に没頭したいといったふうに脳が働いたのかどうか。
b0028235_104646.jpg記憶の曖昧さ、不確かさ、そうして記憶というものは「生きて」おり、「変形するものである」ことを改めて実感する。その際に働くのは「自己防衛」のようで、だからこそ、脳が壊れなくてすんでいるのだろう。
 日々はいってくる膨大な情報を、選り分けて、「ゴミ箱」いきか「保存」か、無意識のうちに繰り返しているのだが、問題は「保存」のほうに仕分けしたものを、取り出す道筋が見えなくなることだ。一層問題なのは、保存したという作業自体を忘れているということ。
 手帳その他に記録していればいいのだが、口約束で話してメモをし忘れていると、そういうことが起こりがちだ。しかも、今週とか来週とかの「近い将来」であると、記憶に残るのだが、数ヶ月先となると……。
 そういえば口約束で「書く」といって、そのままになっている原稿も少なからずある。頼むほうも、ぜひとも……という気分ではなく、「できたら」という消極的な頼み方の場合が多く、その後、原稿の催促もないので、そのままになっている。外交辞令でもあったのかもしれない。

 それはともかく、加齢にともない、仕分け能力も保存や、そこから引き出す能力も衰えていくもの。注意しないといけない、とあらためて自戒したことだった。
 この件で、不愉快な気分になった関係者のみなさん、あらためてお詫びいたします。
 
by katorishu | 2005-04-21 01:53