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 11月30日(水)
 慶応大学の学生が演じる永井荷風の戯曲『異郷の恋』のリハーサルを見に行く。友人の文藝評論家末延氏が慶応でこの春より特別講座で教えて生徒が手がけるもの。
 森田ふえこというなかなかファイトあふれる女学生で、荷風の戯曲をそのままは上演しにくいので、彼女が脚色し、演出もかねる。
 ぼくはアドバイザーとしていろいろと意見をいう立場。

 プロのぼくから見れば、いろいろ欠点もあるが、予想していたより面白くなりそうだ。12月2日(金)に慶応大学日吉校舎の来訪舎のホールで18時15分より上演される。入場料は無料。

 最近の若者は覇気がないといわれるが、少数ながら、意欲的に対象にむかってチャレンジしていく若者もいる。
 そんな若者に引っ張られ、一人でも多くの若者が、現状を変革するため、エネルギーを発揮してほしいものだ。活力を失った社会は、衰亡する運命にある。
 いずれ衰亡するのだが、衰亡の速度をできるだけ遅くさせたほうがいいに決まっている。
by katorishu | 2005-11-30 23:34
 11月29日(火)
 久しぶりにテレビで国会中継を見た。例のマンションの耐震構造の偽造問題で、国土交通省の委員会が開かれ、関係者が参考人として呼ばれた。
 偽造設計を行った当の設計士が欠席したので、焦点がややぼけてしまったが、それでも関係者の責任回避と他へのなすりあい劇の一端は垣間見ることができた。

 ヒューザーとかいう売り主の社長が、怒声を発するところなど、彼の本性が暴露され、この業界の暗部をのぞきみる思いだった。
 乱立するマンション業界でも「低価格」競争が熾烈になっている。安く売ってしかも利益をあげるには、「手抜き」を行うしかなかったのだろう。
「職人」としてのモラルなど、かけらもない。「グローバリゼーション」が日本に導入されてから、こういう傾向が社会全体に広がっているようだ。
 中国の「社会主義市場経済」などでも、至るところに不正がはびこっている。
 
 今回の件はこの業界の「氷山の一角」で、まだまだいろいろな問題が噴出してくるに違いない。アスベストの問題などもふくめて、効率化、能率化の「負」の部分がこれから顕著になってきて、「当たり前」になる事態も想定される。こういう現象を「末世」という。
 
 便利さ、快適さこそ「最高の幸福」といった価値観から脱却しない限り、今後、人口過剰な地球上で、さらに悲惨な事態が日常的に起きるにちがいない。
 人類は「滅亡」のコース」にはいったというのが、ぼくの個人的な見解である。地上に自然に存在する以外の物質、科学物質や原子力などをつくりだし「自然の摂理」に反することをやったことで「神の怒り」をかったと言えないこともない。もっとも、ぼくは「葬式仏教徒」で、宗教心は薄いが、人類が「やってはいけない域」を越えてしまったことは間違いない。
 地球が永遠ではないのだから、人類にも早晩、終わりがくるのだが、それが早まったという気がしてならない。

 もっとも、ぼくが生きている時代に、そんな破滅が一挙にやってくるとは思えないが、衰亡への坂をころげはじめていることは、間違いなさそうだ。
 動物の一種類であることから、飛躍して、傲慢になってしまった人類。とくに先進国が築きあげて文明が、かえって文明を滅ぼすという構図。ひとりひとりが物質的幸福を求めて頑張れば頑張るほど、天然資源は枯渇し、自然環境は悪化し、取り返しのつかない状況に地球を追い込んでいく。
 賢明な人間はよくわかっているのだが、多くの人は立ち止まることができない。「競争社会」という名の「グローバリゼーション」が全地球的にひろがってしまった現在、「立ち止まる」ことは、すなわち「敗者」への転落を意味するので、みんなとにかく走り続けるしかない。ビジネスの社会に於いて顕著である。
 天然資源の枯渇や自然環境の悪化に苦しむ100年後、200年後あたりの人類は恐らく、「20世紀から21世紀にかけて生きていた俺たちの先祖は、ほんとうにとんでもないことをしてくれた」嘆き怒るにちがいない。
 国会中継の登場人物たちの責任回避の言葉を耳にしながら思ったことだった。
 
by katorishu | 2005-11-30 00:30

台湾問題研究会

 11月28日(月)
 夕方、国会記者会館の中で行われた「台湾問題研究会」に出席。第7回目で、ぼくは3回目の出席。元外交官で衆議院議員をつとめた北沢氏の息子さんの「吉田書簡」に関する報告と、早稲田の大学院生でプロの通訳でもある一本由美嬢の報告。
 
 終わって溜池の「庄屋」で飲み会。元共同通信記者で現在、龍谷大学教授をやっている人や中国の情報ビジネスを立ち上げた「元株屋」など、面白い面々で日中、台湾関係から、アメリカの世界戦略、皇室の女帝問題まで話が弾む。
 現場で取材をしたり、ビジネスをしたりしている人の話には、ブッッキシュな知識で観念論を展開している人にはない面白さがある。

 話の弾みから次回、1月の例会はぼくが報告することになってしまった。テーマは文革時代に北京監獄に無実の罪で5年2ヶ月幽閉された商社マンの話。すでに記したが、これは当事者の鈴木氏と共著で来春、文藝春秋から出版の予定。
 今のところタイトルは『愛と憎しみの中国』と考えている。

 この関連で読み始めた『ワイルドスワン』の作者による毛沢東についてのノンフィクション『マオ』がすこぶる面白い。毛沢東の人間性を、鋭くてっけつしていて、息もつかせぬ面白さといっていいかと思う。
 毛沢東が権力を奪取する課程で、いかに仲間を裏切り、唯我独尊を貫くと同時にサディスティックな性格を実地の行動に移したかを、鮮やかに浮き上がらせている。まだ上巻の3分の1ほどを読んだだけだが、毛沢東は20世紀が生んだユニークな「怪物」として、極めて興味深い存在である。
 上下漢で5000円近い値段ですが、一読に値する本です。ぜひ、お読みになることをおすすめします。
by katorishu | 2005-11-29 01:37
 11月27日(「日)
 日曜日は恒例のハンストの日。午後遅く起きるので、ハンストといっても、ぼくの場合、1日1食を抜くだけであるが。旧友の末延氏の呼びかけに応じてはじめたもの。
 そもそもはイラクへの自衛隊派遣に反対のための「1市民」の抗議の表明の形である。

 近くの品川シーサイド駅近くのコーヒー店にシナリオ義塾の教え子がきた。彼の書いた20枚シナリオ(ペラ20枚。ペラとは映画業界用語で200字詰め原稿用紙のこと)を講評するから、この日時にくるようにといった。
 テレビドラマの場合、ペラ2枚が、2分の分量に相当する。従って60分のドラマであったら、ペラ120枚が平均の原稿枚数である。

 本日、やってきた青年は27歳で、プロの作家を志望している。プロになるためには、日々、精進が必要で、そういう努力を面白い、楽しいと思えなければ、作家を志すのをやめたほうがいいと話す。
 数回分の講義を受けたような価値があった……と青年は述懐していたが、どのように伸びていくか、あるいは途中で挫折してしまうか。
 こういうことは、すべてボタンティアでやっている。意欲ある若者に、ぼくなりに獲得した体験をなんとかバトンタッチして、いい作品を書いてもらいたいという思いでやっている。
 現在の「日本文化」は危機的状況だとぼくは思っている。先人から受け継いできた文化遺産が次世代にうまく継承されていっていない、と日頃から感じている。
 人を批判しても仕方がないので、自分で出来る範囲で、バトンタッチの作業をしていきたい。
 少々「ええカッコし」と思われるかもしれないが、そうでもしないと日本文化は衰退する一方のような気がする。ぼくがアドバイスしたり指導したりする中から一人でもプロに値する作家が育っていって欲しいものだ。
 
by katorishu | 2005-11-27 22:26
 11月26日(土)
 品川図書館で5時間ほど執筆作業。これもパソコンコーナーが出来たおかげである。机の前にコンセントがついているので、バッテリーがなくてもよく、第一画面が明るい。資料も豊富にあるし、品川に引っ越してよかったことのひとつだ。

 他の図書館でも、最近はパソコンを使用できるコーナーが少しはできているが、コンセントまでついている所は、ここ以外に知らない。徒歩10分、旧東海道を歩いていけるので、散歩にもなり、ぼくにはありがたい施設だ。

 図書館には常連がかなりいるようだ。本を読む常連は少なく、多くはビデオを見る人たちである。品川図書館にはビデオを見られる装置が6台ほど並んでおり、いつも満席である。
 若い人もいるが、圧倒的多数はシルバー世代だ。ウイークデーの昼間からきている人もいて、中には「失業者かな」と思える人もいる。

 ぼくなども「萬年失業者」といえばいえるので、そう思われているかもしれない。本日、そのビデオ視聴コーナーから音声が漏れ聞こえてきて、うるさかった。そのうち、閉館近く、ビデオを見ていた初老のオッサンが突然、図書館員を「お前、ちょっとこい」とよんで怒鳴りはじめた。
 読書などをしていた人が一斉に聞き耳をたてていた。
 どうやら、そのオッサンが両耳につけていたヘッドホンから音声が漏れていたようだ。職員が漏れていることを注意したことに、そのオッサンは切れてしまった。
「悪いのは俺じゃねえ。こんな壊れたヘッドホンを貸したお前たちが悪い」といった意味のことをオッサンは大きな声で怒りをこめていっていた。

 わかい職員がひたすら低姿勢にでて謝ったので、オッサンは帰っていったが、「余裕がなくなっているな」とぼくは思ったことだった。
 図書館にはホームレスの姿も目立つ。ときおり館内の案内スピーカーから「席を離れるときは持ち物をもっていってください」とアナウンスされる。ビデオ視聴コーナーには、一見してそれらしい人もいた。
 さきほどのオッサンは、着ているものがみすぼらしく無精髭もはやしており、もしかしてホームレスであると思われたことで、反発したのではないか。

 ホームレスの人はビデオを見ながら大抵眠っている。傍らに大きな荷物があるので、だいたいわかる。もっとも、ぼくも資料などでふくらんだバッグをもっているので、パソコンを前に出していなかったら、ホームレスと見られるかもしれない。(そんなことはないか)
 
 今は若者がキレルとかで、異常な犯罪も報告されているが、今後、団塊の世代を中心したシルバー世代の犯罪などが増えるのではないか。定年退職を迎え、閑でなにをやっていいかわからない。そんなシルバー層が急増したときが危ない。
 
 人は失うのに惜しい財産なり、係累なり、地位や名誉などがあり、生き甲斐をもっていれば、あまりへんなことに走らないものだ。走ろうとしてもブレーキがかかる。  
 が、孤独になり、社会から疎外されていると感じるようになると、刹那的、虚無的になる。
それが内攻すれば「自殺」に向かい、外に向かうと暴発したり、犯罪に走ったりする。

ほとんどの人間は心にブレーキをもっており、社会の常識という規範を自分の課しているので、胸の中では思っても、実施に移さないものだ。が、何百人、何千人かに一人は、そんなブレーキが壊れてしまっている。そんな人が刹那的、虚無的になれば、容易にアンモラルな行為に走りかねない。
 図書館にやってくるシルバーは、何か生き甲斐を求めているのだろうが、なかには、いつも口の中でぶつぶついって落ち着かない人もいる。本日もそんな常連の一人がビデオを見ていたが、画面は真っ黒いままで何も映っていなかった。なのに、そのひとはヘッドホンをつけ、何も映っていない画面に見入っていた。ちょっと怖い風景だった。
by katorishu | 2005-11-27 00:22

中年の受賞者を祝したい

 11月25日(金)
 割に暖かな日だった。午後2時から、日本放送作家協会の理事会。乃木坂のハートイン乃木坂で。終わって、第30回創作テレビドラマ脚本懸賞公募の授賞式。日本放送作家協会とNHKが共催して行っているイベントである。

 今回の受賞者は林一臣氏。この種の懸賞では珍しく52歳の「熟年」。50歳になってから作家を志し、四国に家族をおいて仕事もやめ上京し、ひたすら創作に励んだ上の受賞であり、本人も今年だめだったら、四国にもどろうかと思っていたそうだ。風貌からして、純粋さを保持している、今の日本では数少なくなった人のようだ。
 感慨もひとしおであったと思う。『風の息』という作品で、来年1月6日、NHKより放送予定とのことだ。
 『ドラマ』という月刊誌に林氏の脚本が載っているので、お時間のある方はぜひ読んでみてください。
 
 最近の日本の文化状況は、「若ければ良い」という風潮が強まる一方である。中高年がこれだけ数が多いのに、「若ければ良い」というのは、理解に苦しむ現象である。
 そんな中、林氏の受賞は中高年に勇気を与えることとして歓迎したい。林氏に頑張って欲しいとエールを送った。

 今後、インターネットでのドラマ配信が主流となると思われる。その際、「短編ドラマ」が主流になるであろうから、この面で腕を磨いて欲しいと、一応先輩からのアドバイスをした。
by katorishu | 2005-11-26 00:11

2017年の日本

 11月24日(木)
 「団塊の世代」の二人と夕方、渋谷で歓談。一人はテレビ関係者、一人は出版関係者であったが、少子高齢化が話題の中心だった。
 団塊の世代が定年退職する2007年が「2007年問題」として話題になっているが、怖いのはさらに10年後、団塊の世代が70代になったときではないか、とこれはぼくの意見。

 60代はまだ元気だから、働ける人は働けばいい。しかし、70代になると加齢故の衰えはどうしようもない。その上の世代も含めて、他人の介護を必要とする人数は現在よりはるかに多くなっているにちがいない。

 一方、そんな膨大な老人を支える青年、壮年はそう多くはないし、昔のように「親孝行」など死語になっているので、「老人の世話なんか嫌だよ」という層もまた増えるに違いない。
 そうなると、どういう光景が展開するか。
「これは近未来小説として格好の素材だね」と3人の意見が一致した。医学のさらなる進歩で人はますます長寿になる。癌の特効薬が開発されたら、平均寿命はさらに高くなるだろう。
 
 長寿は慶賀すべきことだが、実際問題として逆ピラミッド型の人口構成では老人層を支える人間は決定的に足りなくなる。老人のかなりの部分は不要品として「廃棄」の運命をこうむるかもしれない。
「日本民族に対する最大の貢献は、役に立たなくなった老人が命を絶つこと……といった世界がやってくるかもしれない」という話になった。

 これに世界的な人口爆発で、食糧が足りなくなると、文字通り「人が人を食う」状況だってありえないことではない。ヒトラーがユダヤ人に対して行ったことが、日常の風景となる悪夢のような世界が到来しないとも限らない。

 もしかして深刻な疫病か戦争が、人減らしに貢献することになるかもしれない。
「今の若者の根性のなさ、頼りなさを思うと、未来は相当深刻」という点でも3人の意見は一致した。

 こうなる事態を政府、官僚もわかっていたはずなのに、有効な手だてをとらなかった。2,30年前から少子化へ手を打っておくべきであったのだが、この点でも危機がすぐ目の前に迫ってこないと何もこうじないないのですね。この問題は個人の努力などの領域を越えた問題である。

 子供を産み育てることにあまりに負担がかかりすぎる現在のシステムを変えない限り、解決しないだろう。教育費なども高すぎるし、子供をもつことの「メリット」も少ない。別に「メリット」で子供を産むわけではないのだろうが、昔の人は自分の老後の幸せのために、子供を産んだのであり、それは決して悪いことではない。

 中国の話だが……川で母と妻と子の3人が溺れ、一人しか助けられない状況に陥った場合、誰を助けるか。日本であったら、まず「子供」ということになるのだろう。が、中国では、まず親からであるという。子供は死んでしまっても、また作れる、しかし、母は死んだらそれでおしまいで、代替がきかない。だからこそまず母から助ける。これが中国の常識であるという。

 妻はとっかえがきくので、最後になる可能性もあるが、子供を産めることからやはり2番目なのか。いずれにしても、子供は真っ先に助けるのではなく最後にまわす。
 これが「動物」としての人間の理にかなった行動なのだろう。
 今の日本は自然の摂理に反して子供に過剰に甘すぎる。甘く育てることは、動物の世界では死に直結する。
 人間も動物から学んだほうがいい。動物の生き方には実に教えられることが多い。動物は食べたり愛玩したりする対象ではなく、そこから学びべき「教師」である。そんな謙虚さを持ち合わせないと、人類の絶滅は早いのではないか。
 3人して紹興酒で中華料理を食べながら話したことだった。 
by katorishu | 2005-11-25 00:28

毛沢東の真実

 11月23日(水)
 勤労感謝の日で祝日だが、「毎日が日曜日」のようでもあるフリーランサーには実感はない。仕事をしているといえば、1年365日仕事をしているし、半ば「遊び」といわれると、そうかなとも思える。趣味と実益をかねているからこそ選んだ職業であり、この「不安定さ」という「特権(?)」は手放せない。

「毛沢東の真実」(北海閑人著・草思社)を極めて面白く読んでいる。5分の4ほど読んだところだが、毛沢東という人間の「悪魔的側面」をあますところなく伝えていて、面白い。といっては語弊があるかもしれないが、とにかく毛沢東の権力への執念はすさまじいもので、権力保持と自己の「理想」の追求のためには、人の命などなんとも思っていないようだ。
 毛沢東は明朝の永楽帝を理想化していたようで、自分の権力維持のためにどれほど非人間的な権謀術数を行使してきたか、唖然とすることばかりだ。

 中国人自身が「毛沢東の真実」を知らなすぎる。過去は過去として忘れようといった文化政策をとっており、教育でも「反日教育」には熱心だが、文革やそれ以前の反右派闘争など、何千万人を死に至らしめて毛沢東の独裁については、ほとんど教えていないようだ。中国で、現在、若い人の中には文革はフィクションだと公言する者も出てきているという。

 筆者は筆名で身分などを明らかにしていないが、北京に住む年配の知識人とのこと。香港の雑誌「争鳴」に連載されたもので、極めて説得力がある。「争鳴」は毛沢東の死去した翌年に創刊されたもので、世界各地にいる中国ウオッチャーに北京指導部内の暗闘を伝えているとのことで、中国では「禁書」になっているが、多くの中国人に密かに読まれている。

 ぼくなど、毛沢東が、おかしくなったのは権力を把握した1949年以降だと思っていたが、閑人氏によると、1930年代、中国共産党内で権力を獲得していく上で、仲間や同郷の人間をとことん利用した。そうして必要でなくなると切って捨て、死においやるという極めて非情な面をもっていた。

 中国を支配した皇帝とほとんどかわらない手法であり、そんな権力維持の毛沢東式メカニズムが鮮やかに活写されていて、胸に迫る。
 大躍進や文革の時代を通じて、毛沢東によって死においやられた人間は4000万以上に達すると閑人氏は指摘する。にわかには信じがたい気がするが、他の著者なども参照すると真実に近いようだ。ソ連崩壊や毛沢東の死去後、封印されていた情報が相当程度あきらかになってきており、信憑性は強い。

 毛沢東はどうやら、ヒトラーやスターリンの大虐殺に匹敵する独裁者であるといっても間違いではない。
 こんな毛沢東をひところ日本の多くの知識人が絶賛していた。毛沢東の「真実」が次第に明らかになってきた今、彼等はどんな思いを抱いているのだろうか。3,40年前の毛沢東主義礼賛者は一様に沈黙を守っているが、意見を聞きたいものだ。

 こういう本を読むと、あらためて権力のもつ魔力について思いがいく。権力は人間を狂わせるものだ。日本の首相も、歴代首相のなかではぬきんでて権力を強めているが、危ないなと、思う。権力の美酒は人を容易に狂気に走らせる。

 「ワイルドスワン」の著者、ユン・チュアンの新著「マオ・誰も知らなかった毛沢東」上下巻が講談社より出たのでさっそく買う。10年以上にわたり数百人とのインタビューを通して出来上がったとのことで、力作ノンフィクションである。

 今の中国ではまだ毛沢東の肖像が飾られているし、毛沢東の亡霊がいたる所に徘徊している。毛沢東の亡霊と完全に決別したときが、中国に民主主義の芽が出るときだろう。2008年の北京オリンピックまでは現体制でなんとかもつかもしれないが、その後、中国は大混乱に陥る可能性が強い。当然、日本にも深刻な余波がおよぶに違いない。
by katorishu | 2005-11-24 00:36

奇跡的に財布が出てきた

 11月22日(火)
 北千住駅近くの銀行のATMコーナーにカード入りの財布を忘れてしまい、5時間ほどたって気づき、慌てて銀行に走ったが、すでに閉店。その場にあった電話で問い合わせたところ、すでに関係者は帰宅し、23日は祝日なので24日にならないと連絡がとれないとのこと。

 すでに誰かに拾われ使われてしまっているかもしれない、と蒼くなった。とりあえずカード会社等に連絡をし、紛失届けを出そうと思ったところ、目の前に交番があった。もしやと思って駆け込むと、デスクの前で警察官が拾得物の書類を書いている。その手元に見覚えのある財布があった。「あ、それわたしのです」安堵とともに力が抜けた。傍らでは迷子になってしまった子供の若い母親が泣いている。まるで下手なドラマの1シーン。それにしても、書類作成に時間のかかること。「銀行がからむと1円の間違いでも問題になるんです」と年配の警察官。

 銀行員が忘れ物に気づき保管していて、いつとりにくるかと待っていたが現れないので、交番にもっていったところだった。警官は「謝礼を」と話していたが、銀行では本人に無事返ったので、規則だから「謝礼などは結構です」とのこと。

 治安が悪化しているといわれる日本でも、こういう「奇蹟」が起こるのだ、と思った。じっさい、なくしたと気づいたとき一緒にいた数人の放送作家の諸氏はみんな一様に「5時間もたってるんでは、でてこないだろうな」という顔をしていた。
 彼等と本日飲食することになっており、ぼくがあとから居酒屋にかけつけ「出てきた」というと、5,6人の人たちが拍手喝采。

 たまには、こういうこともあるのですね。他の国だと、まず出てくることはむずかしい。日本に住んでいることの「ありがたさ」をつくづく実感した日でした。ちなみに、銀行は三井住友銀行でした。

 この銀行には1万円で通帳をつくったままで、その後、転居しても住所を知らせておらず、そもそも通帳をどこへしまいこんだかも、よくわからない状態だが、もっと活用しなくては……と思って、思い直した。預けるべきお金などないではないか。いずれ拙作がベストセラーにでもなったら(その可能性は1パーセント以下だが)、印税の振り込み先はこの銀行にしようと思ったことだった。
by katorishu | 2005-11-23 15:43
 11月21日(月)  
 21日、日ロ首脳会談が行われたが、日本にとって懸案の「北方領土」について、進展はなかったという。日本側が北方四島の帰属確認後に平和条約を結ぶとした「東京宣言」(1993年)の再確認を求めたのに対し、プーチン大統領は宣言に言及しなかった。
 共同声明の発表もなく、経済分野を中心に12の合意文書が署名されたものの、経済協力でも見るべき進展がなかった。

 小泉外交は日中、日韓でも手詰まりで、完全に落第点である。
 北方領土の返還問題については、ソ連崩壊後の混乱の中であえいでいたエリツィン大統領のときこそチャンスであったのだが、当時の日本政府が全力をあげてこの問題に取り組んだかどうか。
 バブル絶頂期で日本は「金余り」状態が続いており、北方領土を「買ってしまえばいい」という議論も展開されていた。
「買っても」なんでもいいから、国の総力をあげて返還をもとめるべきだった。

 当時のロシアの経済困難は深刻で西側諸国にSOSを発していた。なのに、おごりたかぶった日本は、これに真剣に対処しなかった。有効な外交カードが、今よりずっとあったはずなのに。
 プーチン政権になってから「偉大なロシア」の復活を目指す勢力が台頭してきており、一段と北方領土4島の日本への返還はむずかしくなっている。

 外交はきれいごとでいくものではない。いろいろなカードを出し合いながら、脅したりすかしたりの複雑微妙なかけひきである。
 外務省もマスコミも、鈴木宗男議員や佐藤優外務省職員を「切り捨てて」しまったが、ああいう「裏技の持ち主」の力もフル利用しなければ、領土など返ってくるものではない。
「善意」や「期待値」に依存する個人の交渉とは別なのである。
 
 プーチン政権下、ロシアは豊富な天然資源をバックに経済力をつけてきており、すでに日本などアテにしなくてもやっていける。
 日本はチャンスを逃したな、と小泉・プーチン会談の結果をニュースで見ながら思った。

 日本が将来的にもっとも重視しなければならないのは、「天然資源」である。未開発の天然資源が豊富に埋蔵されている国といったら、ロシアであり、シベリアである。
 アメリカべったりもいいが、日本はロシアこそ最重要国として対していかなければならないのに、政府はもちろん、ほとんどの国民も、ロシアへの関心が低すぎる。

 数々の問題をかかえているとはいえ、今後、中国とともにますますロシアのプレゼンスが増していくだろう。なにの、多くの国民にとって、ロシアなど地上に「存在しない」かのようだ。

  じょじょに力をつけてきている隣国ロシアが、アメリカ、中国に対抗する「大国」として復活するのは時間の問題だろう。そのときに慌てて対処を考えるのでは遅すぎる。
 火がすぐ目の前にまで迫ってこないと、気がつかないのですね、島国日本の官民は。
 
by katorishu | 2005-11-22 00:34