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ライブドアと自民党

 1月30日(月)
 風邪が治らず、熱が続き、体調は最悪です。原稿執筆は予定通りすすまず、焦り気味。
 ライブドア問題で、民主党の鳩山幹事長が、投資組合に与党の政治家が関連していることを匂わすことをいっている。公党の幹事長がテレビで発言したのだから、根拠があるのだろう。
 森派の議員が投資しているとの噂が流れている。これが表面化すれば「政局」になり自民党は瓦解に向かうだろう。
 小泉政権は「自民党をぶっこわす」といきまいて総理になったのだが、この爆弾が爆発すれば、彼の言葉通りになるのだが。
 検察がどこまで踏み込めるか。そこまでやると、現体制がおかしくなるからと、途中で手加減をするのかどうか。
 膿を出し尽くして、もう一度、日本人は出直したほうがいいのだが、現状を変えたくない人は恐らく6割ぐらいはいそうなので、難しいかもしれない。
 かくて日本の「危機」は刻一刻と迫っている。
by katorishu | 2006-01-30 22:09
 1月29日(日)。
 下北沢の本多劇場で公演中のミュージカル「ジ・芥川ショウ」(横山由和脚本・演出)を、急遽見にいく。主催の「ステップス」および「文藝プロダクション」のプロデューサーの岩間佳子氏からの連絡で、時間があったら見て欲しいとのこと。去年の夏、お会いしたとき、ぼくが丁度「ミュージック・ドラマ」の「チバリヨ」の脚本・演出を担当したあとであったので、「そのうち、何か音楽劇を一緒にできたら」という話になった。
 
 その後、ぼくのほうもボランティア活動その他「生業」で忙しく、そのままになっており、転居案内も出し忘れていたのだが、携帯に電話があったのである。作演出は中年の人で「音楽座」の創始者のようだが、「ステップス」は若い人中心のミュージカル劇団であり、今後の参考のために見ることにした。
 音楽の強さを改めて感じた。小劇場だと、台詞が強いが、やや広めの劇場だと音楽の迫力にはかなわないところがある。ただ、深みとなると別の問題だが。

 30人近い出演者で、とくに主役がいるわけではなく、全員が主役ともいえる舞台だった。
 芥川龍之介の短編小説の「杜子春」「舞踏会」「蜘蛛の糸」「奉教人の死」「藪の中」をちりばめた内容で、狂言回しとしてバスの運転手と車掌を配し、さらに若い男女の恋愛模様をからませる。構成が難しい内容で、どうしても総花的になりやすい。
 人の作については何とでもいえるのだが、若い人をひっぱってここまで仕上げるのは大変なことだと思う。若々しく迫力ある舞台は、楽しかった。今の時代「楽しい」「嬉しい」というのが一番欠けている要素です。
by katorishu | 2006-01-30 00:01

ライブドアばかりなのか

1月27日(金)
 午後、六本木の放送作家協会での理事会に出席。そのあと、同じ場所でビールや日本酒を飲みながら「新年会」。
 その席でライブドア事件に関して興味深い話をきいた。協会員のひとりで、元パソコン雑誌の編集長をつとめたこともあるAさんから聞いたのだが、IT関係者の間ではホリエモンのような「不正」は決して珍しいことではないという。
「ホリエモンは極端にやりすぎたということはありますが、あそこもここも、似たような処理をしています」
 
 IT業界に通じたAさんの話だけに真実味をもつ。ここには記せないが、Aさん自身が目撃したいくつかのケースについて具体的にきいた。
 ホリエモンが検察のターゲットになったのは、「一罰百戒」の意味がある、とはよくいわれることだ。恐らくホリエモンは小菅の拘置所で「みんなやっているのに、なんで俺だけが」という思いでいるのではないかとのことだ。
 とにかく、急成長するIT業界には、いかがわしい組織が相当数あり、そういうところは企業として何の価値もないところにM&Aをしかけ、誇張した「業績」をPRして株価を高め、「一般投資家」に売って大儲けをするのだという。

 なんの価値もない企業に10億20億の桁違いの金額を投じて、なお巨額の利得を売る。ギャンブルと同じであるが、仕掛けるほうは成功の確率が多い。成功の確率があるから非合法すれすれのところで、仕掛けるのである。
 ライブドアの創業者が外国人(アメリカ人)であることも初めて知った。ホリエモンに売ったときの社長は日本人であったが。

 小泉改革によって、パソコン上での「デイトレード」が比較的容易に出来るようになり。それまで株のことなど知らなかった「素人」が株取引を気軽にするようになった。株が分割化され、「安価」になったうえ、取り引きの手数料が以前とは比較にならないくらい安くなったので、「引きこもりの若者」や大学生などが気軽に株の売買をするようになった。

 しかし、多くの「一般投資家」は結局は「ババ」をつかまされることになる。ごく少数の人間が大もうけする裏で、多くの「素人投資家」が食い物にされているのである。
 もちろん、適法な商行為をやっているIT企業もあるが、ホリエモンだけが例外的存在ではないことは、IT関係者には「常識」であるようだ。

 新年会に出ていた放送作家のBさんは、例の六本木ヒルズに住んでいる。といって、大金持ちではなく、あのビルを建設する際、あの地に住んでいた人である。立ち退くかわりに「等価交換」でヒルズの部屋を得たのである。
 約400世帯が住むなか「等価交換」組は半分ほどいるという。従って六本木ヒルズに住む人間が必ずしも「超リッチ」でないことも知っておいたほうがいいだろう。悩みは管理費が高いことだという。開発者で所有者でもある森ビルは、そんな「普通の」「等価交換組」を追い出したいのだという人もいる。
 残り半分の「賃貸組」の中に「超リッチ」なIT長者がいるのである。分譲の持ち主ではなく、賃貸のほうが遙かに金持ちというのも、面白い現象だ。

 ところで、ライブドアが摘発されるだいぶ前から、ヒルズの住宅棟の賃貸の部屋に、検察関係者と思われる人がいかにも「住人」を装って「住んで」いたこともあるようだ。確証はないが、いかにもそういう類の人らしい雰囲気で、他の「長者」連中とは違っていたという。

 なるほど。マスコミ報道ではわからないことがいろいろある。今、マスコミに流れている情報のほとんどは検察のリーク情報であるし、真相はどうなっているのかわからない。
 広域暴力団の介在も噂されているし、政治家がからんでいるという噂も絶えない。
 検察が「事実」をつきとめたとして、「国策捜査」の意味合いが強いので、どこまで捜査の手をのばすか。
 政権や財界にとって危機的状況になれば、ある程度の「成果」を得たところで、幕引きということも考えられる。どこの国にも「闇」の部分があるものだが、この国の「闇」もかなり深いようだ。
by katorishu | 2006-01-27 23:24

昔の文学仲間の孤独な死

1月26日(木)
■夜、昔の文学仲間のUさんからの電話で、やはり文学仲間であったTさんの訃報を聞いた。本日、自宅で死んでいるのを「発見」されたということだ。死後、かなりの時間がたっていたようで、現在、警察の検視を受けているとのこと。
 T氏は10年ほど前に「丹沢文学」という同人誌を年に6回発行し、新しい才能の発掘と同時に自らの作品の発表舞台として、ずっと続けたいと話していた。相談を受けたとき、「それはいいことだ。ぜひやるべき」と勧めたことを覚えている。
 
 夫婦で小さな印刷所を経営しているので「安価」で雑誌ができると話していた。出来上がった雑誌は、ぼくにはやや不満で表紙もよくない……と年上のT氏にいいたいことをいったが、彼は彼なりの「美学」で意志を貫き出し続けた。
 同人誌で年6冊というのは無理があるし、原稿を精選したほうがいいと申し上げたのだが、彼はこれでいいと思っていたようだ。図書館に置いてもらったり近所の書店に置いてもらうためには、年に6回出すことが必要であるという話も聞いた。
 校正や割付などの編集作業は、ほとんど夫人がやっていたときく。その過労があったのかどうか、先年、夫人が他界した。一人になったT氏は相当精神的に参っていたようで、雑誌発行もとどこおり、去年の秋ごろから連絡がとれなくなったとのこと。

 「文学観」の違いもあって、Tさんとのつきあいは絶えており、消息を知らなかった。詳細はわからないが、一種「自殺」に近い死に方であったのではないか。
 20数年前、大和市にあるTさんの自宅に、やはり作家を志していたAさんと一緒に泊まりにいったことがある。ぼくと同年のAさんは10年以上も前に「志」をとげずに病死。ほかにも、ぼくと当年で「文学青年」であった人たちがいるが、ごく一部の「志」をとげた人はともかく、不器用な生き方しか出来ない人も多く、みんなあまり幸せそうな「終わり方」ではなかった。

 ほとんどは「純文学教徒」とでもいってよい人たちだった。文学に「純」も「不純」もないと思うのだが、「純」という言葉を好む日本人気質の延長なのか、「純」にこだわり「純」に殉じた人がぼくの周囲にはかなりいる。
 家族などからは、冷遇視された人も多く、もし、本人が他の分野で文学にかけるのと同じくらいの努力をしたら、それなりの業績を残せたのに、と思うこともある。
 でも、仕方がないのかもしれない。「普通の生活」がしにくいからこそ、よりどころとして、才能のあるないにかかわらず「純文学」を信じ、それをよりどころに生きようとしているのだから。
 ま、傍目にはどう映ろうと、案外、本人は満足であったのかもしれない。それなら、よかったと思うのだが……。

 文学を映画や演劇に置き換えても同じかもしれない。
 昔、丸谷才一がゴーゴリ全集の宣伝パンフに「ゴーゴリを読むな」といった短文を書いていた。詳しい内容は忘れたが、ゴーゴリなどを読んだらあまりの面白さに文学に淫してしまい、その後、不幸な人生を送りますよと逆接的に語っているのだった。
 それほど、かつては文学には魅力、魔力があった。今、それは「過去」のものになりつつある。(じつはとっても面白いものも数多くあるのだが、横着になった現代人は読むのに骨が折れるから読まないのですね)今は、「演劇」と「映画」が文学にとってかわっているようだ。
 志をとげず中途半端な人生を送ってしまう映画、演劇人も多い。金儲けを人生の目標にする「守銭奴」「成金」よりずっといいと思うのだが。
 いずれにしても、悲しいことだが、人はみんな死んでいく。Tさんに合掌。

■本日はまた、「ガンジーの会」2周年の記者会見が四谷の喫茶店で行われた。友人の文芸評論家の末延氏が発案したもので、「イラクへの自衛隊派遣反対、ハンスト・マラソン」というもの。
中心メンバーは週に1日、24時間、水以外になにも飲食せず、ガンジーを真似て市民の「不服従運動」としてインターネット上で反対の意志表示をする。末延氏は当初「芸術家グループ」によびかけた。

 そんなことをしても何にもならず「自己満足」でしかないと当初思ったが、「友だちのよしみ」と「好奇心」から参加した。他の人はともかく、ぼく個人は暖衣飽食の「文明世界」に「これでいいの、欲望を抑制しないと大変なことになる」という思いをこめた「文化運動」と位置づけていた。
 というより、週に一回ぐらいは「食欲」という欲望を敢えて絶つことで、地上にたまさか現れた人間という「怪物」について考えるよすがとしたかった。

 2年間続けてきて、曲がり角にきているなと思う。少々、つかれてもきた。
 友人だから率直にいうが、末延氏がしばしば使う「(九条の)永久護持」とか「絶対平和」なる言葉に、ぼくは距離を感じてしまう。そんなものがあるのかいな、と反論したくもなる。あまり「崇高なこと」をしているという意識はもたないほうがいい。本日の記者会見には信濃毎日と時事通信の女性記者がきていた。

 末延氏の意見に、思わず「ぼくの考えは少々違う」などといってしまった。数多ある「既成組織」のように「一丸となって」「みんな同じ」ということには、生来あまのじゃくのぼくは抵抗を覚える。 異論反論いろいろあるにしても一致できる点がひとつでもあれば、それを絆として、なにかに向かって一緒に歩く。インターネットを基本にした「運動」なので、それでいいのではないか。あまり生真面目すぎると息がつまる。「遊び」の要素も必要である、と生来アバウトなぼくは思うのである。
 出席した記者氏は、なるほどと納得したように、ぼくは感じた。
 仕事の打ち合わせがあり途中で退席しなかればならなかったが、もし、末延さん、このブログを読んでいたら、貴兄の「正義感」「じっくりと燃やす情熱」を評価した上での発言でですから悪しからず。

 「物書き」として常に「自由」でいたいというのが、基本的なスタンスである。思ったこと考えたこと感じたことを、素直に口にしたい、そのためにこそ選んだ職業なのです。
by katorishu | 2006-01-27 01:55
 1月25日(水)。
 新宿紀伊国屋ホールで「こまつ座」公演の『兄おとうと』(井上ひさし脚本)をカミサンと一緒に見る。こまつ座の芝居はほとんど外れがなく、時間とお金を使って見にいって「得をした」と思わせてくれる。まさにプロのなかのプロの仕事だ。

 室生犀星の『兄いもうと』をもじって井上ひさしは『兄おとうと』というタイトルをつけたのだろう、いつもながらの笑いの中に痛烈な諷刺をこめて観客を劇的空間にまきこみ、2時間45分の長丁場を長く感じさせない。
 民本主義を提唱し大正デモクラシーの旗手として知られた政治学者、吉野作造(辻萬長)と、10歳離れた弟、吉野信次(大鷹明良)の物語である。当然、価値観は相対立し、兄弟は顔も会わせなくなる。それを「賢夫人」の計略で箱根の旅館で会わせ、ラストの仲直りにもっていく。音楽を多様し、「音楽評伝劇」とでもいう舞台だ。
 内容は「民主主義」や「憲法」のあり方などをめぐる「堅い話」も多いのだが、観客の興味をつなぐため、随所に井上ひさし本人作詞の歌を9つほどいれ、笑わせつつ観客を民主主義や憲法のあり方とは何か、といったことに誘い、深く考えさせてくれる。

 吉野作造の弟は東大法学部から農商務省にはいり、官僚の最高位である次官にまでのぼりつめ、その後、二度も大臣をとつめた人物である。部下にはその後、首相になった岸信介などもいた。
 二人の兄弟の妻は姉妹(作造の妻役は剣幸、信次の妻は神野三鈴)で、いずれもユーモアを介する「賢夫人」として描かれ、これに下流階級を代表する女中や、説教強盗夫婦、娼婦の元締め、印刷会社経営者(宮地雅子と小嶋尚樹が何役もこなす)を織り交ぜ、随所で笑わせながら問題の核心に踏み込んでいく。

 巧みな作劇術である。演出はこまつ座おなじみの鵜山仁。「憲法とは、人びとから国家に向かって発せられた命令である」「法律とは、国家から人々に発せられた命令である」とか非常にわかりやすい台詞をちりばめ、片時も飽きさせない。

 初演は2003年で、演出の鵜山仁が読売演劇賞を受賞しているが、ぼくは見逃していた。今回は大幅に加筆したとのことで、大変面白く見た。辻萬長の演技をはじめ、6人の出演者も見事で、朴勝哲のピアノ演奏も秀逸。
 音楽の強さを改めて実感した。今後、書く戯曲に音楽劇的な要素をいれたくなった。こういう芝居を見終わったあとは気分爽快だ。昔であったら、新宿で深夜まで飲んで帰りはタクシーということになっただろうが、今は時間も金も惜しいので、電車で真っ直ぐ帰り、自宅近くの酒場でちょっと一杯。
 やはり「生」の舞台はいいですね。観客の中心は50歳前後か。もっと若い人に見てもらいたい。5000円という料金は決して高くないと思うのだが。やはり、これがネックになっているのかどうか。10代、20代は1割もいなかったのではないか。
 2月5日まで公演しています。面白くて楽しく、ちょっと悲しく……大衆演劇の要素をふんだんに採り入れながら、人間を深く描いている。テレビ中継などで見たら面白さは半減してしまいます。芝居は、とにかく舞台で。映画は映画館で、だと思います。
by katorishu | 2006-01-26 01:29

ライブドア社長逮捕

 1月23日(月)
 夕方、外で原稿執筆して帰宅すると、ライブドアの堀江社長逮捕のニュース。案外、早かったという印象を受けた。テレビでは街の反響をだしていたが、「ホリエモンを目指してきた」「ファンであっただけに残念だ」「がんばって」という若者の声が多く聞かれた。恐らく昨年の総選挙でこの種の若者が、自分たちの欲求不満を解消してくれると期待して小泉自民党に一票を投じたのだろう。

 そうだとすると浅はかとしか言いようがない。あまり本も読まず、歴史の動きなどにも無知な人たちが、比較的多く小泉政権に投票したと思うのだが、愚かなことである。
 彼等は率直にいって、「食い物」にされただけではないのか。
 歴史的に時の権力者、支配層、既得権益層にもっとも痛めつけられてきた層が、自分たちに惨状をもたらした者の正体がわからず、これを熱狂的に支持することがしばしばあった。

 その典型例である。こういう事態になったことの背景には、テレビの影響力がある。多くの雑誌や本さえもが、テレビの影響力のもとにある。テレビで取り上げられた物よく売れるので、ますますもてはやされる。物を人と変えても同じである。戦後、日本人はもう少し利口になったと思っていたのだが、やはりバカは相変わらずだ。
 一握りの「小利口」な連中にいいように動かされている。動かされていることに本人が気づかないのだから、始末に悪い。
「バカは死ななきゃなおらない」と浪曲の広沢虎三は十八番の「森の石松」のくだりで名台詞をはいたが、それは現在も生きているようだ。

 額に汗して働いている職人の中には案外、冷静に冷徹に事態を見ている人が多い。楽をして儲けようとするヤカラに限って、金の亡者になっているため目先の「儲かるか儲からないか」の観点でしか物を見ることができないので、かえって事の本質がわからなくなる。
 今回の堀江氏逮捕は、いい教訓になったではないか。しかし、喉もとすぎればなんとやらで、またぞろ、人の隙をついて大金をせしめようとする人間は出てくるのだろう。その種の阿漕(あこぎ)な人間で未だ犯罪が発覚していない人は相当数いるに違いない。

 その点、アウトローを自認しているヤクザのほうがまだマシというもの。
 エコノミストと称する人は恐らく本人もかなりの株をもっているに違いなく、「日本経済のファンダメンタルはしっかりしているので、この影響は限定的」といって、なるべく影響を矮小化しようとしているが、そうだろうか。
 折から、耐震設計偽造問題やアメリカ産牛肉問題が浮上し、小泉政権は相当のダメージを受けている。もうひとつ何か不祥事が起これば小泉政権の支持率は劇的に落ち、「政局」になるに違いない。

 おごる平家は久しからず。去年の選挙で「歴史的な勝利」を得たことの反動が、今年中にやってくるだろう。一時的に混乱に見舞われるかもしれないが、政権交代により、本当の意味の「構造改革」をやらないと、日本はずるずると奈落の底に落ちていく。

 若い人にかぎらず、このブログを読んでくださる人、どうか楽をして大金を儲けようなどと考えず、額に汗して真面目に働く中に何か生きる喜びを見いだしてください。地道にコツコツ、これが一番強いのです。そうして「勝ち組」「負け組」などという嫌な言葉を流行らせない社会にしたいもの。

 足を知るという言葉が日本語にはあった。武士は食わねど高楊枝とか、やせ我慢という言葉も日本にはあった。それを「死語」にしてはいけないのだと思う。
 良い意味の武士道がすたれて、「稼ぐが勝ち」の価値観が日本中を覆ったのは、田中角栄氏が首相になり「日本列島改造論」を打ち出したころからだろうか。公共事業に湯水のように税金をつぎこみ、日本中を金太郎飴のようにしてしまった。

 その流れが頂点に達したのがバブル経済で、今度逮捕された「青年」たちは、バブルの中で精神形成をとげてきた「団塊ジュニア」に入るか、それに近い人たちである。
 一旦、骨の髄にしみこんだ価値観は、ちょっとやそっとでは抜けていかないもの。拝金教徒として洗脳されてしまった人たちから、どう洗脳を解くか、これからの日本の大きな課題である。
by katorishu | 2006-01-24 00:36
 1月21日(土)
 東京は久しぶりに積雪。午後2時半から高田馬場でシナリオ義塾の講義。3時間ぶっつづけで話したので、まだ風邪が完全に治ってはいない身にはつかれた。月に1度ある「薄謝」の講義だが、人の前で自説を開陳することはホルモンも活性化するし健康保持には良いようだ。
 
 夕方、下北沢の「劇小劇場」で『楽園』を見る。「宇宙堂」という劇団の土屋良太の脚本。若者に人気のある人なのだろうが初めて存在を知った。演出の中村和彦(レクラム舎)、6人の出演者の一人、松坂わかこ(レクラム舎)の二人を知っているので、見にいったのである。過日のレクラム舎の公演後の飲み会でこの芝居のことを聞いていた。
 中村和彦については「役者」としてしか知らなかったが、演出も何本か手がけているとのこと。脚本の土屋良太は役者としてもこの公演に出ていた。ほかに東京乾電池や壱組印の役者らが出演。

 大学時代、聡は3人の同級の女子学生とドライブしていたところ、交通事故にあい、松坂わかこ扮する志保は死ぬ。それを20年近く後から回顧し、現在の夫婦(事故の車に一緒に乗っていた女学生の一人と結婚)の心のすれ違いを、もう一人の生き残った現在カメラマンをやっているさゆりとのやりとりから浮かびあがらせる。
 リアリズム演劇だと、「よくある話」になるが、ここにカッパの群れを配し、この世とあの世を自在に行き来させ、その中に死んだ志保も登場させるなどの複雑な構成にし、狭い劇空間を大きく見せていた。

 若者に人気の小劇場では、「よくある仕掛け」なのかもしれないが、このところリアリズム芝居ばかり見ているぼくには新鮮に思え、なかなか面白かった。この種の芝居は一歩間違えると、作り手たちの「自己満足」に終わり、観客は白けることが多く、現にその種の舞台を何本か見てきた。始まり直後、その類の舞台かと思ったが、土屋良太扮する青森なまりのタクシー運転手が登場するあたりから一気に引き込まれた。
 土屋良太は40半ばと思われるが、じつにいい味を出していた。この人はカッパのボス役も演じており、エンターテインメント役者として極めて優秀。
 さゆり役の菅川裕子の歯切れのいい台詞、対照的に「旧来の役者」の演技を漂わす聡と良子夫婦を演じる藤本浩二、杉嶋美智子、そして聡の失踪した兄役兼カッパ役の草野徹や志保役の松坂わかこ等、6人しか登場しないのだが、カッパと人間を交互に演じたりするので、10人ほどの登場者と感じられた。6人が6人とも、それぞれ危なげない、テンポのあるやりとりで、見る者にとって心地よい空間を創り出していた。これは、とっても大事なことだ。
 音楽の使い方もよく、中村演出は悪くないと感じた。
 
 テンポがよく、リズムのあることが「心地よさ」の理由なのだろう。ユニークな舞台装置の中、過去と現在、この世とあの世、人間世界とカッパ世界を自在に交差させ、しかも混乱がない。内容自体は「他愛ない」ともいえる単純なもので、「深さ」という点では、やや物足りなさを覚えたものの、エンターテインメント作品として十分に楽しめた。貴重なお金と時間を使って見て「損をした」という気分にさせないのは、プロの作り手がまず心がけることだ。
 そのレベルをスタッフ、出演者とも見事クリアーしていた。

 惜しむらくは、ラストだ。共働きで子なしの聡夫婦が駅から二人してタクシーで帰る途中、カッパが現れ、死んだ志保と思われる女性運転手のもと、「天国」と思われる、あの世に昇天のドライブをしていくところで幕となるのだが、やや尻切れトンボの印象だった。
 土屋良太扮するカッパのボスが演歌のメロディに乗って登場するところなど、赤テントの唐十郎が舞台に登場するときのように、大衆演劇の骨法にのっとって派手やかで颯爽とした趣がある。それに類した華やかで、あでやかな終わりであったら、なお良かったのにと思った。

 終わって演出の中村和彦と立ち話をしたが、彼は「若い人向きの演出にした」と話していた。
 若い人といっても、出演者のほとんどは30代半ばから40代にかけてなのだが、今の時代、その世代は「若い人」の部類に入る。
 ともあれ、テレビだけ見ていたのではわからない、新しい息吹、胎動といったものを感じ取ることができた。一種の「義理」もあって中高年の役者が出る芝居を見に行きがちであったが、今年は「若い人」の芝居も見てみようという意欲をかきたててくれた舞台であった。

 今のテレビ関係者はこういう舞台を見ているのかどうか。
「(最近のテレビ関係者は)不勉強だね」という声をよく聞く。もっとも、本日の芝居も、テレビ画面という小さな枠に固定してしまったら、つまらないものになってしまうであろうが。
 やはり、「ライブ」の良さである。聴覚と視覚だけのテレビ、インターネットに対して、人間の5感で感じ取れる「ナロウキャスティング」の狭い空間での表現。昔の「寄席」である。今後、この分野が一層重要になるだろう。「お金」にはほとんど結びつかないかもしれないが、この分野にチャレンジする人たちにエールを送りたい。そうして、金銭的にもむくわれるようになって欲しいものだ。そのためには、とにかく多くの人が実際に公演に足を運ぶことだ。
 「時間」と「お金」に余裕があるといわれている「団塊の世代」の方々、家でくだくだとテレビ等を見ることをやめて、ぜひ、こういう空間にもっと足を運んでください。
by katorishu | 2006-01-22 04:41
1月20日(金)
 午後2時起床。また夜型にもどってしまった。熱はさがったが鼻声でやや頭痛もする。 新聞を開いても、テレビのニュースを見ても、ライブドアと耐震設計偽造問題ばかり。心弾むニュースが少なすぎる。嫉妬、羨望、侮蔑、差別……そんな感情を豊富にもっている人間ばかりになったという気がする。

 戦前の昭和初期に似ているという人もいる。これで憲法が改正されると日本は一気に軍国主義に……と懸念する人がいるが、ぼくはそうはならないと思っている。時代状況が違うし、インターネット等の普及で言論統制も戦前のようにガチガチにすることは、もはや不可能であり、平和慣れというか平和ボケというか、そんな安逸な生活に慣れてしまった日本人が「軍国主義」に賛意を示すとは思えない。一部支配層が旗をふっても、ついていくはずもない。

 その点は、ぼくはあまり心配していないのだが、最も心配するのは無気力と他人への無関心がひろがっていることだ。テレビ等のメディアでとりあげる「人気者」やごく一部の友人、知人には関心をしめすが、その他の人間は現象等には、おそろしく無関心で、知識も情報もない。
 さらに顕著なのが、他人の不幸を喜ぶ傾向。嫉妬、羨望、蔑視、差別等々のマイナスの感情が豊饒になって社会のモラルが低下することが、もっとも懸念される。

 社会は人と人とが微力な力をもちあい、助け合って成り立っているのである。
 それが忘れられている。
 「ジコチュウ」のホリエモンには同情もわかないが、一方、ホリエモンを利用するだけ利用して金儲けをし、劣勢と見るや掌を返すようにたたくマスメディアには、嫌悪さえ覚える。テレビ東京の社長がホリエモンに対して感情的に人格をおとしめるようなことを公にしたとか、今朝のテレビが報じていた。(寝る前に見たテレビです)。

 テレビ東京の番組にホリエモンはしばしば登場し、視聴率稼ぎに貢献させていたのである。その長たるものは、酒場の戯言ならともかく記者会見の場などでいうべき言葉ではない。彼等支配層、エスタブリッシュメントの品位のなさ、モラルのなさには、驚きあきれることが多い。
 そういう類の人間が多分「出世競争」を勝ち抜いていくのだろう。ぼくの身近に知っているメディア関係者はもう少し謙虚で品位のある人が多いのだが。
 
by katorishu | 2006-01-21 00:51
 1月19日(木)
■13時半、自民党本部にいく。脚本家アーカイブスの件で一種の「陳情」である。放送作家協会の市川理事長はじめ計6人の委員。脚本家アーカイブスについては国会で超党派で賛意を得ているのだが、活動を裏付ける資金があまりに貧弱で、委員各氏のボランティアに頼るしかない状況だ。
 これでは長続きしないので、担当官庁に働きかけて欲しいとの希望を出したのである。
 自民党本部に行くなどもちろん初めてである。思っていたより質素な内部だった。明日から国会が開会するので、人の出入りは激しく警備も厳しかった。
 今後どういう展開になるかわからないが、「文化財」の一つとして脚本・台本を位置づけ保存していくことに、異論を示す日人はむしろ少数派である。いい方向で結実することを期待したい。

■ニュースは相変わらず、耐震強度偽装問題とライブドア問題である。
 いずれも「拝金主義」が生んだ現象だ。ヒューザーにせよライブドアにせよ「勝ち組」の典型である。そこが違法行為ないしそれに近いことをやっていたという事実の意味は重い。「小泉改革」がもたらした典型例である。
 ホリエモンについて、小泉首相は「君のような若者が政治に入ってくるのは素晴らしいよ」とベタボメし、武部幹事長は「堀江君は将来の日本を背負っていくリーダーになる」とヨイショしていたのである。
 その不明を恥じるべきだろう。
 捜査当局は徹底解明し、「稼ぐが勝ち」の風潮に水をかけてもらいたいものだ。
 
 日本の取り柄は「物作り」である。額に汗して働く職人を評価し、この方面に若者が意欲的に進んでいくようにならなければ、決してよくならない。
 過日、浅草で会った80歳を越えてなお現役の職人たちこそ、日本の宝であると思う。60過ぎたら遊んで暮らそうと思っている人たちに、ぼくはまったく共感を覚えない。生涯現役で黙々と自己の道に精進する職人からは、多くの刺激を受ける。彼等こそ、たまさかこの世に生を受けた甲斐があるといっていいかと思う。
by katorishu | 2006-01-19 23:39
 1月18日(火)
■今月はじめて品川図書館にいき、4時間ほど執筆、資料集め。パソコン使用可のテーブルには常連が何人かいた。60代半ばと思われる女性はパソコンを使用しないのだが、よくテーブルになにやら資料をもってきて、メモに書き付けている。何を書いているのかわからないが、とにかく落ち着かない。ひとつのことを20分と続けてやっていられないようだ。
 ときどき、アとかウとか声をだしてニヤッとしたり、席を立ったり座ったり。そうして最後はビデオ視聴のコーナーにいき、半分眠りながら閉館時まで見ている。
 ほかにも、「時間つぶし」でやってきている常連の老人と見受けられる人が多い。本を読んでいる格好をしているのだが、大抵居眠りしておりページはいつも同じ。
 若い人は少ない。図書館は今や「老人の遊び場」として「有効活用」されているようだ。 
 
■ライブドアが手入れを受けたのに続き、粉飾決算の疑い濃厚であり、上場廃止の可能性があるとニュースで報じていた。
 早く成長する木は早く枯れるものだが、ライブドアの急成長は異常であったし、どこかに無理があったのだろう。これで「拝金競争」にすこしでもブレーキがかかるといいのだが。
 錬金術がもてはやされるようになり、家庭の主婦なども株や不動産投機に走ったのは「バブル経済」あたりからだ。「団塊の世代」が主導したと見られるが、当時の「拝金教」の空気を青少年期、少女期に存分に吸って育ったのが「団塊ジュニア」である。無意識のうちにも、そんな価値観が血肉になってしまっている。彼等は数も多く、社会に一定の影響力をもつようになっている。
 ホリエモンはその中の典型的な人物といっていいだろう。
 とにかく、「金」と「食欲」「性欲」である。この3大欲をより多く満たした物が「成功者」で「勝ち組」というわけなのだろう。

 ぼくは株などもったことがないし、まったくの無縁の人間なので、書面上(パソコン上)の取引で、巨額の金額を手にするという行為に、どうもなじめない。
 「既得権益」にどっぷりつかっている層を、つき崩す役割をホリエモンに代表されるIT関係者に期待することもあったのだが、結局は、自らが新しい「既得権益層」になりたいだけのこと。
 中国の毛沢東が苛斂誅求の旧支配層の「特権階級」を暴力的に壊滅させ「プロレタリア独裁」を打ち立てたが、なんのことはない、自らが「特権階級」になっただけのことだ。
 清朝の官僚が共産党員にかわっただけで、これはソ連でも同じである。
 暴力的に奪われるか「合法的に」奪われるかは別にして、いつの世も、支配層、権力者は、その他大勢の庶民から「果実」をとりあげ、「生かさぬよう、殺さぬよう」、おだてたり、すかしたりしながら、自分たちの「欲望」を満たしていく。
 そのための装置として「国家」なるものを作り出した。
 とにかく膨大になってしまった人類である。国家というタガでもないと、アナーキーになってしまうので、「必要悪」ともいえるが、このことだけは銘記しておいたほうがいい。
 権力は常に腐敗する。

■最近、ブログをよく見るが、ほとんど毎回目を通すものの一つに「きっこの日記」がある。
 女性のスタイリストと称しているが、仕入れている情報からして、週刊誌に関連した人物ではないのか。ぼくは筆者を「男」と見ている。どこかに、「きっこの日記」は「週刊現代」あたりから情報を得ているのでは……という書き込みがあったが。
 なかなか面白いので、お暇な方は、以下のURLを。
  http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

■ほかのブログで読んだのだが、ライブドアへの手入れで、喜んだのはフジ・サンケイグループだそうで、翌日の産経新聞は3面ほどを使ってこの問題を大々的にとりあげていたという。
 ブログ氏は、それを笑って、産経新聞の過去の「お家騒動」と日本放送を一種の持ち株会社にして支配した鹿内家のやり方を紹介し、さらに鹿内家にクーデターを起こして支配権を握ったフジサンケイ現経営陣のことに触れていた。
 金力、権力争いに、ついぞ無縁のぼくなどには、「ミニミニ三国志」を読むような気分で、続きを期待したいところだ。
 正直なところ、この国の未来には、あまり期待していないので、どっちへころんでもいいのだが、「言論の自由」だけは最低限守りたいものだ。
 ブログなども含めて、色々な人が色々な意見を開陳し、それで権力から抑圧を受けない限り、時間はかかるにしても、「悪」はいずれ是正される。その程度には日本人は賢いはずだし、そんな日本人を信じたい。
by katorishu | 2006-01-19 03:41