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4月29日(土)
■連休の始まりとのことだが、もう何十年となく「毎日が日曜日」あるいは「毎日が仕事」といえる生活を送ってきたので、「連続して休み」という実感はない。テレビを見たり、人にあったり、本を読んだり、ぼんやりものを考えたり、そのへんをぶらぶら歩くのも広い意味の「情報収集」であり、仕事の一環である。最近は書いたものがなかなか「形」にならないので、他からは「仕事をしていない」ように見えるかもしれないが、ホテルにカンヅメになったりして脚本を書いていたころと、「仕事」に費やす時間や労力は、それほど少なくなっていない。ただ、社会への「露出度」となると、5分の1にも満たないのではないか。当然、収入にも敏感に反映し、幸か不幸か「質素」で「節度ある」生活を余儀なくされる。

■今日は、朝まで本を読んでいたので、起床は16時、すぐ暗くなってしまう。インテリジェンスに興味を持っているので、元NHKアメリカ総局長の手島龍一氏の話題の作品『ウルトラ・ダラー』(新潮社)を読了した。北朝鮮の偽ドルつくりの海外での背景を、アメリカのシークレット・サービスの職員の目で追った「ノンフィクション・ノベル」というふれこみだった。手島氏が佐藤優氏との対談で本の概要に触れていたので、品川駅構内の本屋で買って、期待して読んだのだが。
 昨日の「道草日誌」に「面白い」と書いてしまったが、酔っぱらっていい加減に読み始めたときの雑感であり、読了したあとは違う印象だ。昨日の記述は否定したい。(そのまま残しておきますが)。

■「小説」にしたため、恐らくは小説を初めて書くに違いない手島氏の小説書きとしての「文章力」に、やや問題ありと感じた。これはぼくの推測だが、素材が一冊の本になるほど集まらないので、小説ということにし、通俗ロマン小説の男女の関わりなどを加えたのではないのか。
 加えた部分があまりに「紋切り型」「通俗的」で、辟易した。後半以降、北朝鮮の工作員がパリの運河を舞台にウクライナの巡航ミサイルを受け取ろうとする際の緊迫したやりとりは面白かったが。男女関係の描写になると、やたらと衣料と食べ物のブランド関連の描写が多い。

■ノンフィクションで一冊にするには素材が少ないので、小説仕立てにして、あとは「推測」で補うことは、よくあることである。そのため「ノンフィクション・ノベル」という形にすることもある。
 ぼくも以前、あるノンフィクションを書いた際、素材が少なすぎるので「小説仕立て」にするしかないと思ったことがある。その後、なんとか参考資料等で補強してまとめたが、ピントが合わないものになってしまった。ノンフィクションの場合、素材が少ないというのは致命的だ。対象が過去の人物で資料等も限られていると、ますます難しい。
 現代物なら、さらに時間をかけて素材を集めることも可能かもしれないが、時間や費用の関係で、そうもいかないことがある。

■『ウルトラ・ダラー』はベストセラーとのことだが、やはりいわゆる「ベストセラー」は「ベストセラー」であると思った。手島氏は、取材力や人脈がいろいろとあるであろうし、こういう薄められた作ではなく、足で歩いて集めた資料をもとにした骨太のノンフィクションで書いて欲しいものだ。
 アメリカが泥沼のようなイラク戦争にかかわっている間に、東アジアでの存在感が薄れ、中国が台頭し、東アジアの軍事バランスが大きく崩れている、と過日、手島氏はテレビ朝日の『サンデー・プロジェクト』で指摘していた。それはそれで説得力があった。

■手島氏はアメリカのペンタゴンやCIAなどに知り合いも多いと思われるし、書きにくいかもしれないが、元アメリカ特派員らしく、「事実」にもとずく「調査報道」で東アジア情勢の問題点を浮き上がらせて欲しいものだ。小説仕立てで書くことに、意味を認めないわけではないが、フレデリック・フォーサイスの一連の国際情報小説のレベルに達していない。
 もっとも、ぼく自身、以前『Jの影』(角川書店)と『ロシアンダイヤモンド』(徳間書店)の2編の『国際情報小説』のジャンルに入る作品を書いているが、今読むと汗顔の至りである。「小説」を書くのはそれほど難しくないが「佳い小説」「読者を引き込み最後まで一気に読ませてしまう小説」を書くのはじつにむずかしい。ひとの作についてあれこれいうのは、簡単なのだが
by katorishu | 2006-04-29 22:58

大事な活字文化

4月28日(金)
■月に一度の日本放送作家協会の理事会。六本木警察の裏手に事務局があり、そこの「教室兼会議室」で行われる。200メートルほど先に例の六本木ヒルズがあるのだが、一度も行ったことがない。行く気もしない。
 昨日は堀江貴文氏が保釈になり、それをテレビメディアがヘリまでとばして大騒ぎしたそうだが、その影で政権党は「共謀罪」の成立に向けて着々と手を打っている。言論の自由にとって、極めて重大な問題を含む悪法だが、多くの国民はあまり関心がないようだ。
 この法律の危うさについて、民主党のホームページで触れている。
http://www.dpj.or.jp/news/200604/20060427_03kyoubou.html

■理事会のあと、脚本アーカイブズの委員の会合。終わって、久しぶりに六本木の居酒屋で委員諸氏と飲む。熱い議論になった。なにごとかをやろうとする場合、最大のネックになるのが、カネである。貧乏団体なので、カネがなく、どのようにして資金を捻出するかに、問題は収斂していく。ない知恵を絞って、最初の関門を突破したいものだが。

■帰って小一時間仮眠をしたあと「朝まで生テレビ」を見る。本日のテーマは「テレビに明日はあるか」。それなりに興味深く見たが、パネリストが多すぎ、どうも議論が煮詰まっていかない。毎度のことだが、視聴率をとるために「面白く見せる」ことが優先されるのだろう。5,6人で徹底的に議論したら、問題をもっと深く掘り下げることができるのだが。

■今年になってから、ケーブルテレビに加入したおかげで、何百チャンネルものテレビを選択して見られるようになった。比較的よく見ているのは、アメリカのドキュメンタリー番組の「ディスカバリー」チャンネルと、BBC、CNN、それに朝日ニュースターである。いずれも日本の地上波テレビとは一線を画した内容で、問題を掘り下げている。とくにBBCは中東やアフリカなどの報道が多く、参考になる。日本語の通訳がはいることもあるが、多くは英語であり、キャスターのしゃべりなどについていけないことも多いが、だいたいの内容はわかる。

■世界を多角的にとらえるには、異なった角度からものを見ることが大事である。その点、BBCは面白い。「テレビ文化」というものがあるとすれば、質を高めるには、多チャンネル化しかないかもしれない。ただ、問題を深く掘り下げるメディアは、やはり活字である。総合雑誌や単行本を読まず、情報を地上波のテレビとインターネットだけで得ている人が多いようだが、そんな「安易」な手段では得られものもタカがしれている。

■テレビ局の報道関係者も、最近はインターネットで情報をとることが多いようだ。足をつかい汗を流して得られた情報にこそ「価値」がある。
 新聞記者なども、インターネットで情報を得て、紋切り型の記事を書く人が増えているという。この傾向は大いに、問題である。
 活字をよく読む層と読まない層の「情報格差」は、ますます広がっていくのではないかと思う。

■世界のテレビ視聴の調査で、テレビを見る時間が一番長いのは、日本人であるという。理由のひとつとして、「朝生」のパネリストの一人は、「日本のテレビは面白いから」と分析していた。
たしかに、「面白く」「心地よく」見せることにテレビ関係者は腐心している。しかし、「面白さ」は、麻薬的な側面をもつ。面白さ、心地よさは、人に思考を深める働きをさせない。CMがその典型で、意識の深部に感覚的に働きかけ、特にものを深く考えない人を「その気」にさせてしまう。怖いことである。
 元NHKの記者の手島氏の著書「ウルトラダラー」を読み始めたが、面白い。北朝鮮の偽札問題の核心にせまるもので、「小説」という形をとっているが、事実に依拠しているとのこと。外務省の「休職職員」の佐藤優氏が、絶賛していたので、読み始めたのだが、はやり時間をかけ、足をつかって得た情報だけのことはあるかと思う。
by katorishu | 2006-04-29 05:34

共謀罪を強行採決か

 4月27日(木)
■共謀罪が28日にも強行裁決されるかもしれないという。平成の治安維持法といってもいい悪法だと思う。公明党もよくこんなとんでもない法律に賛成したものだ。権力の蜜を一度すってしまうと、そこから離れるのが怖いのかどうか。困った政党である。野党には阻止にむけて全力を傾注して欲しいものだ。

■なぜ、今突然、こんな法律がでてきたのか。背後に隠れた意図があるのだと思う。 中国と台湾がいずれ軍事衝突する可能性があり、そのときに備えて、一種の「国家総動員体制」をつくろうという意図があるのかもしれない。そのほか資源や食糧の獲得をめぐって世界的に大乱になる可能性も絶無とは思えず、そんなときに備えて決めてしまったのか。あるいは、旧内務省の系譜をひく警察庁が、統制色を強める意図で出してきたのか。
 いずれにしても、法務省、ないし警察庁の官僚が小泉首相に入れ知恵して提出した法案であろう。背後にはアメリカのブッシュ政権の関与があるのかもしれない。

■ホリエモンが3億円を払って釈放された。今後、裁判の場で彼がどう反逆にでるか、見ものである。彼は「小泉的なるもの」が生み出した化け物の一種かもしれない。テレビで見るかぎり、拘置所で暮らしたことで化け物から人間にもどってきたという印象をうけた。簡素で質素な生活の賜ではないかと思う。

■商才がある人だし、若者に夢や希望を与えたことは否定できない。法律違反を素直に認めて、生まれ変わって欲しいものだ。しかし、これはないものねだりというものかもしれない。
 それにしても「国策捜査」の印象をまぬがれない。逮捕の前後、検察の関係者がマスコミで、「こんなことが許される社会はよくない」と話していた。まっとうな意見だと思うが、一般論として検察や法務省などの役人が、へんに正義感ぶって、「悪をこらしめる」ことに情熱を注ぐことも危険である。

■自分たちだけが絶対的に正しいというのを「原理主義」という。原理主義的人間が権力をもつと怖い。彼等は自分が絶対的に正しいと思っているので、「正しい」という基準からはずれた人間を容赦なく取り締まったりする。

■共産主義はその典型例であった。昨日、朝日ニュースレターで、共産党の幹部でセクハラをしたことで糾弾された筆坂某氏が出演し、日本共産党の幹部を批判していた。新潮社で『共産党』というタイトルの新書をだし、売れているという。
 筆坂氏のいっていたことも、幹部の中に巣くっている「党の無謬性」の弊害である。自分たちは絶対的に正しいと公言しているので、仮に誤ったことをしても認めず、マイナスの要素をとにかく隠蔽する。共産党の劣勢には、そんな党の本質がこめられているという。
「共産党」という党名も変えたほうがいい。党内にも相当数、いるようだ。

■政治の流れは二大政党体制である。とにかく政権交代によって、ひとつの勢力が権力を持ち続ける弊害を打破して欲しい。
 共産や社民は、今後ともチェック機能として一定の役割を果たすと思うが、主流になることは太陽が西から昇るように奇蹟でも起こらない限りあり得ない。ぼくが日頃接する人間に共産党員がいないので、彼等が何を考えているかわからない。どうも、幹部連中は時代の流れを読めていないなと思えてしまう。批判勢力として社民党とともに、必要な組織だと思うので、もう少し時代に即応してかわっていってもらいたいものだ。
by katorishu | 2006-04-28 01:37
4月26日(水)
■耐震設計偽装事件で8人が逮捕された。「別件逮捕」の声があるが、与党議員の関与などに迫れるかどうか。
 それより、今日のニュースで驚いたのはアメリカ軍の高官がアジアでの再編費用として日本に3兆円を払うよういったということだ。発言の主はアメリカ国防総省のローレス副次官で「報道ステーション」の映像にでていたので、公的な発言なのだろう。

■すでに日本政府は米軍のグアム移転に関して7500億円を払う約束をした。これだって大変な額だが、3兆円払えとは。アメリカは、はやりおかしくなっている。
 アメリカ軍基地をおいて日本を守ってやっているのだから、これでも安いくらいだと思っているのだろう。「これは控えめな数字だ」と副次官はいったそうだ。
 3兆円は多くの国民が額に汗して働いた中から払った税金である。(中には額に汗せず、濡れ手に粟の人もいるようだが)

■「報道ステーション」では触れなかったが、イラク戦争でアメリカは膨大な赤字をかかえており、その穴埋めを日本にもとめようとしていることは容易に推定できる。アメリカの国民向けのアピールの意味もあるようだが、「血を流さない日本よ、アメリカ人が血を流しているのだから、せめてカネをだせ」といいたいのだろう。

■アメリカ人というのは、「自国中心主義」であり、パスポートなども持っていない国民が多いそうだ。貧乏国の者ども、アメリカはこい、といった「ジコチュウ」の人は案外多い。悪い意味の「田舎者」なのである。
 多民族、多文化の社会なのに、他のいろいろな価値観を認めない人が多いようだ。もちろん、コスモポリタンもいるが、ブッシュ政権を支持する南部の農村部あたりは、排他的な田舎者が多い。日本は3兆円を負担せよと主張する背景には、牛肉の輸入をなかなか再開しない日本人への苛立ちもあるのだろう。南部の農園経営者の中には単純なカウボーイの伝統を受け継いだ者も多く、イラク国民など、さしずめ「インディアン」に近い存在なのかもしれない。
 太平洋戦争の日本人も、彼等から見たら「イエロー・モンキー」だった。関係者には周知のことだが、アメリカのヒット映画『猿の惑星』は、じつは日本人がモデルであった。

■アメリカは世界世論に反してイラク攻撃に踏み切ったのである。そのツケをもってこられてはたまらない。少額納税者のぼくでも、怒る。イラク攻撃後、いち早く賛成を表明したのは小泉首相だが、「ヤクザのみかじめ料」に似たようなものではないか
 ぼくには、そんな小泉首相への支持率が5割近いというのが、不思議でならない。女性と若者の支持が依然として高いそうだが、彼等はちゃんとした情報を得たうえで、支持を表明しているのだろうか。どう見ても、最近の日本は「アメリカに隷属」している。ひょっとして強い者に進んで隷属するほうが好きだというのだろうか。そうであるとしたら、なにをかいわんやである。

■ついでながら、現在、ケーブルテレビ等で放送されている「ファミリー劇場」のチャンネルで24年前のNHK大河ドラマ『山河燃ゆ』が放送されている。日米戦争と極東裁判を真っ正面からあつかった「異色」の作品で、ぼくも脚本を書いている。本日、日米戦開戦前夜の15回を見たが、なかなか面白く、「今日性」もあるドラマだと思った。
 島田陽子、大原麗子、多岐川由美……等々、みんな若く、きれいだった。三船敏郎も渋く、味のある芝居をしていた。 「ファミリー劇場」を視聴できる方は、ぜひ見てください。
 それにしても、あのころは、ドラマをきっちり創る素地があったなア、とあらためて思ったことだった。

■渋谷で「論座」の編集者と打ち合わせ。秋より俳優のインタビューを連載する。あるポイントに絞って、ぼくなりの見解でまとめるつもり。現代の日本の映画・演劇・テレビドラマ界を代表する「スター」たちの本音にどう迫れるか。このところ、映画演劇を見る機会が減っているので、ゴールデンウイークは意識して映画等を見ようかと思う。
by katorishu | 2006-04-27 01:46

飯田章さんの新著

 4月25日(火)
■昔の文学仲間の飯田章さんが初めての著書『迪子(みちこ)とその夫』を出版した。第17回群像新人賞の受賞作を中心に4編の中編が載っている。本日、脚本アーカイブズの件で、足立区の梅田図書館の倉庫を見学したあと、帰宅すると郵便受けに飯田さんからの著書が入っていた。
 飯田さんが新人賞を受賞されたのは1974年。以来30年を越える間に「群像」ほかの雑誌に30余りの中短編を発表している、とあとがきに記している。
 年に1編のペースであり、すでに数冊の本になる分量であるが、これまで単行本化されることはなかった。一度、芥川賞候補にもなった。その折り、本になるかと思ったが、出版社は「地味」なので売れないと思ったのかどうか、日の目を見なかった。

■飯田さんとは飯田さんが群像新人賞受賞直後に知り合い、いろいろと刺激を受けた。最近でこそあまり会わなくなったが、以前は『散文芸術』という同人誌を一緒に出している仲間でもあり、よく会って文学についての話をした。
 ぼくが勤めをやめ脚本のほうに軸足をうつし、職業的に文章を書くようになってから、いわゆる「純文学」から遠ざかってしまったこともあり、次第に会う回数が減っていった。

■飯田さんは(これまで本にならなかったのは)自分の力のなさであると謙遜しているが、文章がよく推敲されていて、「私小説風」の素材にユーモアの味付けをし、飯田さんらしい小説世界を切り取っている。『迪子とその夫』には飯田さんの「すべて」がこめられているという気がする。選者の作家、小島信夫氏は、
『「迪子とその夫」には全く恐れ入る。どうしたってこの人を賞からはずすわけには行くまい。世の中にはうまい人が、名前も知られずにいるものだ』
 と選評に記している。それが本の帯にもなっている。
 草場書房という横浜にある小さな出版社から出ている。文芸評論家の勝又浩氏の尽力で本になった、とあとがきに書かれている。定価は2000円。一人でも多くの人に読んでもらいたいものだ。ちなみに、草場書房の連絡先は……
 〒横浜市旭区鶴ヶ峰2-56-20-202 電話045-373-2118 
 読んで損はない内容です。まずは、飯田さん、出版、おめでとう。

■飯田さんの小説は「看護婦長」をしている「妻」と、生活力のあまりない「気弱で繊細」な「夫」を軸に展開する。実体験が根底にあるようだ。最近はやりの「あざとさ」とは無縁で、淡々とこの夫婦の物語を過不足のない文体で描いていく。いぶし銀の趣があり、読後、しみじみとした味わいを覚える作が多い。

■飯田さんが「群像」や「すばる」などに発表した小説の「読書会」などに、ぼくも顔を出し、「別の素材を書いたほうがいいのでは。実体験から離れた作品を……」といろいろと失礼なことも申し上げた。
 飯田さんはぼくの意見など聞き流し、愚直なまでに自身の体験にこだわった。旧来の「私小説」の暗さ、自虐はなく、ユーモアの味付けがあり、ほっとする内容だった。それが地味だとして売れないと出版社に判断されたのだろう。数冊は本になっていてもよいはずだった。
 飯田さんは、自分のよってたつ土壌を丹念に耕し、決して「他の品種」などを植えるといったことをしなかった。もちろん、1年に1作では、「筆で飯を食う」というわけにはいかない。その後、飯田さんは新人賞の下読みをやっていた。毎日毎日、新人の原稿を読んでおり、それでかなりの時間を費やしたはずだ。ワープロの出現で急に応募原稿が増え、同時に内容もかわっていったと、飯田さんから直接話を聞いたことがある。

■ところで、飯田さんが新人賞を受賞した年、3人の受賞者がでた。他の一人は高橋三千綱氏で、その後、芥川賞を受賞し、ベストセラーを何冊も出した。飯田さんを通して知り合い、公私にわたって長くつきあったが、最近は年賀状のやりとり程度になっている。以前は、三千綱氏は毎号のように文芸誌に書いていたのだが、漫画の原作を手がけるようになってから、文芸誌に書かなくなった。
 もう一人、受賞した新人作家については、名前を忘れたが、新鮮な文章で、ぼくは当時、才筆だと思った。なんのきっかけであったか忘れたが、NHKの食堂であい、雑談したことを覚えている。ぼくも「純文学」を書くつもりでいたし、「お互いに頑張りましょう」といった気がする。 
 彼の小説は確か「永遠に一日」であったかと思う。ぼくより数歳年下の好青年であったが、それから間もなくして朝日新聞の3面に彼の受賞作が「盗作」と大きく報じられた。あの作が「盗」であったとは……とぼくはショックを受けた。盗作といっても、文章の一部であったと記憶しているが、以後、彼の名前を見ることはない。その後、彼はどうしたであろうか。

■当時はまだ「文学」が強い力をもっており、作家が社会に対しても強い発言力をもっていた。テレビは今ほど影響力をもっていなかった。その後、ぼくがフリーになった80年ごろから、次第にテレビが強い影響力をもつようになり、今や政治までテレビに左右される時代になった。
 ぼく個人にとっては、飯田さんたちと「純文学論議」の出来た時代が一番面白かったと思っている。20代の後半から30代の半ばにかけてだった。「文運隆盛」の時代であった。飯田さんの本に接して、あのころの「熱い思い」を思い出した。
 あのころに比べれば、今の自分はすでに半分死んでいる。日本社会も半分、死んでいるという気がしてならない。
by katorishu | 2006-04-26 01:46
 4月24日(月)
■江戸川区の森下というところに初めていった。大学のサークルの先輩で映画評論家の松島氏とビールを飲みつつ歓談。カミサンも一緒。松島氏は毎日新聞学芸部で映画評を担当していた。何年も前に定年退職して文筆に専念している。

■いかにも下町といった雰囲気の大衆酒場には、職人風の客が多くきていた。安くてうまい、というのはありがたい。大学時代の学生運動の話など話は弾んだ。ぼくは学生運動とは無縁であったが、松島氏は安保闘争のころ大学生であった関係で、セクト間の争いを実体験しているし、全学連が国会を包囲し、東大の女学生のカンバ美智子さんが死亡した6,15事件のときも国会周辺のデモ隊の中にいたそうだ。

■マスコミでは千葉補選で民主党の26歳の新人候補が、自民党の「エリート」を破ったことでもちきり。「勝ち組」対「負け組」の対比が鮮やかにでた選挙で、庶民の欲求不満が選挙結果に表れたのだと思う。一党独裁に近い政治状況に風穴があいたことは、慶賀すべきことだろう。

■これで面妖な法律「共謀罪」などが廃案になればいい。野党の反転攻勢に期待したい。とにかく「強いものがますます強く」「富めるものがますます富む」という社会は不安定になるし、好ましくない。この流れにクサビを打ち込むために、野党に頑張って欲しいものだ。

■総合雑誌の『論座』に、ラテンアメリカに続々と反米政権が誕生しているとの、元ペルー大使館一等書記官の報告が載っていた。ラテンアメリカや南米に共通することとして、社会格差の拡大により「経済のグローバル化」の恩恵に浴する階層と、恩恵から切り離されて逆に地盤沈下してゆく階層の差が大きくあらわれているそうだ。沈下したのは、貿易の自由化によって破綻した製造業の中小企業や独立自営農民、安定雇用を失った給与労働者階層であり、彼等が中間階層から貧困層に陥ることで貧困層が増大した。
 その結果、庶民の不満が反米政権の誕生を促した。

■世界規模で、とくに庶民レベルで反米気運が高まっている。元一等書記官とはベルーの日本大使館人質事件で人質となった小倉英敬氏で、報告の最後でこう結論づけている。
『重要なことは、これら反「自由主義」を掲げる諸政権の政策結果を評価する場合、「経済優先」の立場から経済的パフォーマンスだけに焦点を絞って論じることは無意味であるという点である。そうではなく、社会的弱者をいかに救済するか、富の再分配をできるだけ平等にする社会を目指すにはどのような選択肢がありうるのか、という問題意識を視野に入れて論じるべきだろう』

■まったく、その通りである。アメリカが早く一国覇権主義の立場を捨てて、弱肉強食のグローバリゼーションを他国へ押しつける政策を撤回しないと、やがてアメリカ自体が衰亡にむかっていくだろう。人間の価値観はもっと多様であるべきだし、文化の多様性を互いに尊重しあうとこにこそ、「共生」が成り立つ。もちろん人権問題で抑圧されている民族をほったらかしにしていいわけはないが、力づくで政体を変更することは、イラクの例で見るように成功しない。

■敗戦後の日本での「成功」がブッシュ政権の政策立案者の頭にあるようだが、これは希有の例である。日本が抵抗する意欲もなくすほど徹底的にたたきのめされたという背景があってこそ、成功したのである。ブッシュ政権を支えるネオコンの諸氏には、どうも「人の情け」が感じられない。「情」の欠けた人間が指導者になると、ろくなことはない。ナチスドイツのヒトラーで実証ずみのはずなのに、権力者にのしあがる人には「情」など邪魔なのだろうか。逆にそんな「情」があると、組織の頂点や権力の頂点にのぼっていけないのだろうか。独裁者で「情」をもった人は、歴史上皆無である。庶民レベルでも最近「情」をもった人が減ってきているような気がする。由々しい事態である。
by katorishu | 2006-04-25 04:02

対米従属派、衰退の兆し

4月23日(日)
■千葉県の衆議院補欠選挙で、民主党候補が僅差で勝った。さらに米軍移転でもめている岩国市長選や沖縄市長選でも反自公民候補が勝った。去年秋の小泉対米従属路線の「大勝利」にともなうおごりに対し、選挙民のコモンセンスが示されたというべきだろう。

■グローバリゼーションの導入をはじめ、ここ10年ほどの政府の対米従属路線には眉をしかめたくなることが多かった。アメリカの民主主義には学ぶべき点がいろいろとあるが、だからといって「日本の良さ」まで捨てて、アメリカのいいなりになることもない。経済面ひとつとっても、グローバリゼーションの結果、どれほどの富が日本からアメリカに流れたか。正確な数値はわからないが、天文学的数字になるにちがいない。

■多額の税金を注ぎこんで立ち直った旧長期信用銀行がアメリカ資本に買いたたかれたことなど、その一例であり、都心の不動産なども外資に買いあさられた。バブル期、日本の不動産会社などがニューヨークやハワイなどの不動産を買いあさったことに対する「復讐」の意味もこめられているのだと思う。アメリカは以前から次々と日本に要求をつきつけてきたが、小泉政権以前は、なんとかぬらくらと対応し、要求のすべてを受け入れるわけではなかった。
 なにしろアメリカの軍事基地がある日本である。占領政策の延長線上に今があるので、むげに断ることもできない。冷戦構造という枠組みもあって、曖昧な態度でかわせたのだが、ブッシュ・小泉政権になってから、「偏米」になってしまった。これはまずいのでは……という良識をもった人が、増えているのだと思う。それが選挙結果にあらわれたと思いたい。

■社民党、共産党の訴えている政策にも一部見るべき点もあるが、現実問題としてこの二つの少数政党が政権をとる可能性はほとんどゼロである。共産党など「共産」という文字をかかげている限り、じり貧になっていくに違いない。
 ここは、とにかく民主党に頑張ってもらい、政権交代をしてほしいものだ。民主党は「第二自民党」であり、仮に政権交代しても日本の政治はかわらないという意見があるが、ぼくはそうは思わない。
 政治は「人」がやることである。既得権益にしがみつき、錆び付いてしまっている人が交代するだけでも、大きな変化であり、そこから何かがかわる。悪く変わる可能性があるかもしれないが、すでに相当悪くなってしまっているのである。土壌に新しく鋤をいれることで、新しい芽がでる可能性がある。今回の選挙結果に一応の評価をあたえたい。

■渋谷で「放送人インタビュー」の件で、テレビ番組制作会社の稲塚氏にあい、2時間ほど話を聞く。稲塚氏はテレビ番組制作会社の嚆矢となったテレビマンユニオンの公募の2期生で、ここで制作の修行をしたあと、独立しタキオンという制作会社をつくった。会社は順調に発展し、ひところは100人を超える中堅の制作会社になったが、「やらせ」問題が発覚、その責任をとって稲塚氏は代表をしりぞいた。
 その後、社名をかえるなどしてテレビ番組の制作をつづけたが、例の銀行の「貸しはがし」「貸し渋り」などの影響をもろにうけ、数年前、12億の負債をかかえ倒産してしまった。

■個人保証をしていたので、氏は私財もすべて失い、自己破産をした。その後、小さな制作会社をつくり、細々と制作をつづけている。今年は文化庁の支援を受けてドキュメンタリー映画『二重被爆』を制作した。数人の社員だが、頑張って欲しいものだ。
 氏の「放送人インタビュー」はゴールデンウイーク後に、日本放送作家協会のホームページに載ります。
by katorishu | 2006-04-24 01:41

山本周五郎の小説

 4月22日(土)
■高田馬場でシナリオ塾の講義。受講者は男性ばかり。最近、この種の「学校」の受講者の数が減っているという。特に減っているのが「主婦」であると、過日も別のシナリオ学校の関係者から聞いた。その人は「旦那の収入が減って、節約する必要があるので、こういうところに来る余裕がなくなっているのでは」と話していた。
 本日、生徒にその話をしたところ、「主婦の人はパソコンで株のデイトレードかなにかをしているんじゃないですか」とのこと。どちらが真実をついているのかわからない。ほかのカルチャーセンターなどではどうなのか。

■いずれにしても、「景気がよくない」ことが、社会のいろいろなところに波紋を広げているようだ。最近、ぼくの接する人の大半は「景気が良いなどと実感できない」人なので、政府のいう「景気が回復した」という見解がわからない。
 もっとも、ぼくの知り合いにもごく一部には、株の取引などで相当儲けている人もいるようだ。あまり、そういう人とはつきあいたくないので、疎遠になっているが。
 やっぱり、額に汗して働く……これが人の生きる原点でありたい。昔、作家の山本周五郎はタクシーなどにもほとんど乗らず、もっぱら移動手段として歩くかバスを利用したという。
 バスの中には庶民の生活があり、小説のタネもいろいろと転がっている。自動車に乗ったりするのは、バカですよ、といった意味のエッセイを書いていたと記憶している。
 そんな地味な努力のはてに山本周五郎の小説が成り立っているのである。

■一事が万事、そうなのだろう。いかにも一本筋を通した大衆作家らしい。
 山本周五郎の作品は、ひところ若い人にもよく読まれていたようだが、今の若い人にも読まれているのだろうか。大衆作家のなかでは、文章に凛としたものがあり、ぼくの好きな作家のひとりである。今でも時々短編を読んだりする。
 ごく普通の庶民が日常的に山本周五郎を読んでいた時代があった。昔はよかった、というつもりはないが、山本周五郎をよく読まれていた時代には、節度といったものがあったという気がする。

■時間のある方に、ぜひ山本周五郎を読むことをお薦めします。人間の生き方について、発見があります。それよりなにより面白い。藤澤周平もいいが、山本周五郎ならではの温もりがあり、読み終わったあと、心が浄化されることが多い。
 本日は寝床で「町奉行日記」を読もうと思う。うまく眠れたらお慰みです。
by katorishu | 2006-04-23 01:09

共謀罪の面妖さ

 4月21日(金)
■共謀罪などという面妖な法案が、国会で成立してしまうかもしれない。ボーダレス化の中、いろいろと国際的な犯罪も多発し、対策を考えるのはいい。しかし、具体的に何が犯罪なのか明記されずに曖昧な概念のもと適用される法律は、御免こうむりたい。
 取り締まる側の「拡大解釈」が一番怖い。戦前の治安維持法などその最たるもので、特高が怪しいと個人的に判断しただけで、しょっぴけた。

■共謀するといって、なにを共謀したら罪になるのか。「反社会的」なものと法案には記されているようだが、何をもって「反社会的」であるのか。曖昧である。
 官制談合など、反社会的の最たるものだし、子供の思考力を低下させるテレビ番組を集中的に流すのも「反社会的」といえないこともない。人によって解釈がわかれたりして具体性のないことは、法律には馴染まない。無理に法律にしてしまうと、ロクな事はない。

■すでに「個人保護法」なども実施にうつされたが、弊害が出ている。病院に知り合いが入院していて、見舞おうとしても「個人情報保護の点からお答えできない」といわれる。同窓会名簿などに、住所等も記入されない。それでは名簿の意味がなくなってしまう。「個人情報保護」は大事なことだが、個人にとって必要な情報が手にはいらなくなる。そうして肝心の情報を、一部の人間(大抵は公務員)に管理されてしまうのである。すでに本末転倒のことも起こっており、警察の事件捜査にも影響がでているそうだ。

■新しい法律をつくるには慎重でなければいけない。緊急性のあるものは別だが。 
 共謀罪なる法案のことを、多くの国民は知らなかったのではないか。どこか国民の耳目の届かないところでまとめられ、一気に国会を通過させてしまうのは、良くない。とくに言論の自由に抵触する恐れのあるものは、議論を煮詰めないと。
 与党から提出された法案は、当初の意図とちがって、拡大解釈され、恣意的に適用される恐れがまだ残っているようだ。こんな面妖な法律は、野党が頑張って成立を阻止して欲しいものだ。

■本日は16時起床。ダメですね、遅く起きると、すぐ暗くなってしまう。途中、電話で起こされたのだが、寝不足で頭が働かないので、また眠った。
 ところで、本日も中学生が殺された。最近、子供の殺人事件が妙に多いという気がする。それと、生活保護を断って餓死した事件。なにやら時代を象徴しているようだ。
 弱者にしわ寄せのくる社会になっている証拠である。政治は弱者保護を心がけなければ、ダメだと思う。強者の専横にまかせていては弱肉強食になってしまう。
 足柄山の金太郎は「強きをくじき、弱きを助ける」で大衆のヒーローであったが、今は学校でこんな伝説、民話を教えないのだろうか。

■「鬼退治」の桃太郎の話は教えるのだろうか。
 桃太郎の話は、どうも少数民族や辺地の異人を征伐した権力者の記憶の名残であるような気がする。伝説や民話には残酷なものがあるが、そこには何千年、何万年も前の文字のない時代からひき続く「口承文芸」の尾てい骨が残っている。あらゆる民族には固有の伝説、民話、さらには神話があり、今に生きる人の心の基層部分を形作っている。われわれは無意識のうちにも、先祖の「心の部分」も引き継いでいる、と考えるべきだろう。
 何気なく使っている言葉にも、その言語を使用する人間たちの、古い文化、伝統が案外色濃く残っているので、その言語を使用している社会で育てば固有の文化、伝統に自然に染まってしまう。そこに「民族性」が生まれる。
 韓半島に住む人は、いかにもそれらしいし、中国大陸に住む人は、いかにも……という風に。

■自由に発想し、自由に語っているようでも、先祖から連綿と続く習慣や伝習、思考法、感じ方などに、規定されている部分が、案外多い。日本語なら日本語自体に欧米語とは違うロジックがこめられている。60年前の敗戦で、日本人の思考法、生活習慣は劇的に変わったといわれるが、変わらない部分も多いようだ。日本語を基本言語としている限り、幸か不幸か「日本人的なるもの」から逃れることはできない。
 ものを考えるのは言語であり、日本人ならほとんどの人が日本語で考えている。日本語のボキャブラリーが貧しく、言語駆使能力が退化すれば、その分、思考力も退化すると考えていいかと思う。思考力強化のためにも、日本語の読み書き能力を向上させたいものである。
by katorishu | 2006-04-22 01:34

すすむ和風への傾斜

 4月20日(木)
■天王洲アイルというところがある。自宅から徒歩10分ほどのところにあるので、たまに足を運ぶ。IT企業等が集中し都内でも「先進地域」のひとつである。あのJALの本社も近くにある。
 ここの商店街には洒落たレストランや高級品を売る店が入っている。ある部分を切り取ったら「ここがニューヨーク」といってもいいような場所だ。
 本日、カミサンと散歩の延長で足を運んだが、土日はともかく、平日の商店街は閑散としている。これで、よくやっていけるなと思っていたところ、高級雑貨を売る店が閉店セールスをやっていた。他の店も軒並み、バーゲンセールで2割引き3割引の名札が目についていた。

■「景気は回復した」と政府はいっているが、果たしてそうなのか、とこんな「先進地域」の商店街を見て思ってしまう。
 一方で繁盛しているのが、「安くてうまい店」である。「さくら水産」というチェーン店が出来ていて、以前、新宿の店に一度入ったことがあるが、なんでも海産物問屋が経営しているとかで、新鮮な魚介類を安価で提供してくれる。本日、夕食がわりに入ったが、洒落た洋風の店が閑古鳥がないているなか、盛況だった。
 飲み屋業界で最近目立つのは「和風」の店が多くなったことだ。和風を売り物にしている店はほとんどが繁盛している。

■これをどうとらえたらいいのか。過度なアメリカ化、欧米化への反作用として和風への回帰が起こっているのか。そういえば、若者の間に「右」の傾向に賛同する層が増えている。
 国粋主義、民族主義が胚胎している証拠なのか。この傾向の行き着く先が、まだぼくには見えないので、なんともいえないが、「和」への傾斜が庶民レベルで無意識的にも進んでいることは、注目すべき現象である。

■例の竹島周辺での日本の測量調査をめぐって日韓が緊張していたが、海上保安庁の測量船と韓国警備艦が衝突する「不測の事態」は、どうやら避けられたようだ。
 日本の外務省も、外交交渉での解決を目ざし、とりあえず測量はやめている。
 仮に武力衝突にでも至ったら、一気に東アジア情勢は緊迫化する。ここはとにかく話し合いで解決して欲しいものだ。交通事故死や自殺などで、いろいろなところで血が流れているのだし、これ以上、無益な血は流れないで欲しい。

■面子を立てることも大事なことだろうが、時にお互い面子を捨てることも大事なのではないか。面子とは中国語であり、面目や面体を保つことである。面子をたてたり、たてられたり、捨てたりしながら、人でも国でも、関係を調整していくのだと思う。以前から、ドラマとは人と人との「関係」を描くことだといっているが、「生きる」というのも「他者とどういう関係を保つか」に収斂されるように思う。最近、他者との関係を保つことが下手になっている人が多いという気がする。
 対人コミュニュケーション能力の退化である。人間の脳の特性のひとつである、この能力の向上を、もっと学校教育で教育は力を注ぐべきだろう。
 残念ながら、教師のほうに対人コミュニュケーション能力の減退している人が多いようだ。憂うべきことである。
by katorishu | 2006-04-21 01:55