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今村昌平監督、逝去

5月29日(火)
■今村昌平監督が逝去されたとの知らせを聞いた。『今村昌平伝説』を書いたこともあり、マスコミ等の接触を受け、夕方、テレビ朝日の「スーパーモーニング」のインタビューに応じた。
 今村昌平監督の作品の本質を簡単にいえば「基層社会」を舞台に「性」の問題にとことん取り組んだことである。この問題を徹底したリアリズムで描いた日本でも希有の映像作家といえるだろう。

■カンヌ映画祭で2度もグランプリを受賞した監督で、日本映画史に独自の存在を記す人である。ただ、例えば黒澤明監督や小津安二郎監督に比べると、社会的認知度が低いようだ。
 過日、映画専門学校の新入生に質問をして意外に思ったことがある。黒澤監督と小津監督については8,9割が知っていたが、今村昌平監督となると知っているという人が100人にうち10人にも満たなかったのである。まして今村作品を見た人は皆無。今村昌平監督を知らないで、よく「映画監督を目指します」などといえるなと思ったが、テレビで取り上げる率が低いのが原因なのだろう。

■今村監督は、基層社会、つまり日本の底辺層に視点をあて、人間を昆虫などと同じところにおいて描くという姿勢を一貫して貫いた。それで、美しくないし、おもしろみがないと思うのかどうか。もっと光を当ててしかるべき映像作家だろう。
 今村監督は東京の大塚の開業医の息子であり典型的な都会っ子であるが、東北の農村や沖縄などの「辺境」に興味をもったところが面白い。
 ところが、監督の下地に落語があることは案外知られていない。人間描写の随所にユーモアが漂っているのも、落語の下地があるからこそだと思う。夏目漱石も下地にあるのは落語と漢籍である。『我が輩は猫である』などなど、落語の世界に通じるものがある。
「落語が原点にありますね」と今村監督本人から直接ぼくは聞いた。

■さらに映画が成功するかしないかは、「シナリオにかかっている、7割はシナリオであり、役者が2割、監督など1割だ」と話していた。
 テレビドラマもそうだが、日本の映画界でも、必ずしもシナリオが重視されていない。シナリオ・ライターが、待遇面でも作品評価の面でも、冷遇されていると思う。
 作品の基礎の基礎であるシナリオ、脚本にもっと光をあて、時間的にも金銭的にも力をいれて作品をつくる方式になっていくといいのだが。

■今村監督は最後まで「新宿桜幻想」という作品をつくりたかったようだ。12歳の少年の目から描く遊郭の話である。戦時中と戦後の時期の新宿が舞台であると聞いていた。すでにシナリオは完成し、すぐにでもクランクインしたいようであったが。糖尿という持病と、金銭の問題でゴーとならなかった。それが今村監督にとって、最後まで心残りであったのではないか。

■「にっぽん昆虫記」や「復讐するは我にあり」「赤い殺意」等々、今村監督ならではの独自の映像世界は日本映画史に永遠に残っていくだろう。じっさい、今村監督に触発されて映画界にはったスタッフ数多く、映画関係者を多く育ててことでも、特筆される人だ。ご冥福を祈りたい。
by katorishu | 2006-05-31 01:43

細木数子氏と週刊誌 

 5月29日(月)
■生来、野次馬根性が旺盛なのか、「週刊誌」を読まない週はほとんどない。本日発売の「週刊現代」も、週刊誌ならではの記事がいくつかあり、散歩に出た際、コンビニで買い、コーヒー店で読んだ。今週号の目玉は「細木数子は暴力団最高幹部に私の原稿つぶしを依頼した」というノンフィクション作家、溝口敦氏の記事だろう。

■週刊現代に連載中の同氏のルポ「魔女の履歴書」で、細木数子氏の過去が徹底的にあばかれたことに対し、細木側が攻勢に出、週刊文春に溝口氏への反論インタビューを載せた。そこまではいいとして、溝口氏の記事によれば、細木氏は暴力団幹部を使って言論を封じ込めようとしたという。

■溝口氏は暴力団の元幹部と現役幹部とのくわしいやりとりを具体的に生々しく記している。細木氏は圧力をかければ溝口氏が筆をまげると思ったのだろうか。どうも逆効果になってしまったようだ。
 そういえば以前、暴力団の抗争などをしばしば特集記事であつかう某週刊誌の編集者が、細木氏とそのスジの人とのつながりについて話していた。本当であろうかと、その時は思ったのだが……。
 現在、細木氏はテレビで「高視聴率」をとる「貴重な存在」になっているようだが、テレビ局は週刊現代の記事を見て、どういう対応をするだろうか。少々、気になるところである。

■それにしても、暴力団の最高幹部を前にしても一歩もひかない溝口敦氏の覚悟のほどはすごい。氏は暴力団やエセ同和などにも果敢に切り込んでいく記事をしばしば書き、以前、暴力団関係者に刺されたこともある。
 2年前に出した『食肉の帝王』など、日本の暗部に肉薄したもので、文字通りからだを張った取材であったにちがいない。組織に所属しているマスコミの記者などマネのできないことで、フリーのライターの「鑑」ともいうべき人である。

■日本という国の底には闇の部分がまだ多い。マスコミもあまり触れないアンタッチャブルな部分は日本経済の根っこに入り込んでおり、詳細は不透明である。
 溝口氏は一貫して文章を武器に、日本社会の暗部に光りをあて、事実を白日のもとにさらす仕事をしてきた。「文弱の徒」のぼくなどとてもマネの出来ない勇気のある人である。こういう果敢さや勇気をもった書き手が、2、30人いれば、不透明な部分も多い政官財の「癒着の構造」ももっと明らかになるのだが。

■ソ連崩壊後のロシアでマフィアがらみの取材をしたジャーナリストが30人ほど殺されている。崩壊後、5,6年ほどに限っても、それだけの数の死者が出ているのである。「ペンは剣より強し」という言葉があるが、歴史をひもとくと、ペンが剣によって封じ込まれてしまったケースが圧倒的に多い。
 1942年生まれだが、氏の果敢さは貴重なものだ。今後、溝口氏に体に物理的暴力が加えられないことを、せつに望みたい。

■週刊現代には毎号、ヌードのグラビアが掲載されており、それがブレーキとなって手の伸びない人がいるかもしれない。つまらない記事ばかりの週もあるが、今号は読みでがあると思うので、350円を出した買っても損にはならないと思う。
 映画の『ダ・ヴィンチコード』を痛烈に批判した宗教学者の島田裕巳氏のインタビューや、「世界中の欲望を支配する『グーグル』は夢か悪夢か」という記事も興味深かった。

■グーグルについては、ホットリンク社長の内山幸樹氏が書いている。グーグルは検索エンジンを開発したアメリカ企業だが、今や世界にある100億ページものホームページを一瞬で検索してしまうという。そののため、グーグルでは20万台ものコンピューターをフル稼働させているのだという。

■「リンク解析」という革新的な技術を開発したおかげで、今やグーグルは世界中の情報を整理し「支配する」ようになっているという。問題はこうした「情報支配」の技術をもった会社がアメリカの会社であることだ、と内山氏は指摘する。
 このままいくと、便利さの裏に、少数のアメリカ企業による「支配」の構図ができあがってしまうかもしれない。情報を管理支配する技術が悪用されると、悪夢のような「監視社会」になる恐れもある。便利さというのは、要注意である。便利さには、必ずどこかに「落とし穴」があると考えておいたほうがいい。
by katorishu | 2006-05-30 02:02

大王祭の神楽舞

 5月27日(日)
■携帯パソコンが、特に悪いところがないということで、ナショナルの修理センターから10数日ぶりにもどってきた。最近、脳の一部になってしまったようで、これがないと仕事に支障をきたす。これでは携帯メール依存症の人を批判できなくなるが。
 それにしても、画面がかすれて文字が見えなくなり、そのあとどうキーを操作しても画面が現れなかったのに、壊れていないとは。なにが原因であったのだろう。

■パソコンを受け取ったあと、カミサンと旧東海道を北品川のほうに散策。荏原神社の大王祭の最終日で、御輿などがでていた。運河沿いにある神社の境内や運河にそった道路には露店がざっと見て50軒ほど建ち並び、にぎわっていた。すぐ向こうに日航の本社ビルなどが見える一角だが、日本の伝統的な風情がのこっていて好感をもてた。こんな素朴な祭りが続いている限り、古い商店街も残り続けるにちがいない。

■コーヒー店で3時間ほど執筆したあと、夕方近く荏原神社に。境内の舞殿で伝統的な神楽をやっていた。神話にもとづいた物語性のあるもので、「天の矢返し」という演題であると神社関係者から聞いた。お囃子の演奏の技量も相当なもので、おかめの面をつけて踊るひとの手足の動きは、ただの素人ではないと思わせる。
 カラス天狗なども登場し、クライマックスなどもあり、演劇的なもので興味深かった。

■ただ、せっかくの伝統的で面白い神楽舞なのに、舞殿の前でじっと見ているひとは、われわれをのぞいてほとんどいないという状態だった。すぐ横の露店には人が群れており、焼きそばやビールを飲食させる店には沢山の人が入っているのに、ほとんどの人が無関心だった。
 若い人は立ち止まり携帯で写真を撮ると、夜店をのぞく程度の接触の仕方で通り過ぎていく。中高年も多くいるはずであったが、ほとんどは舞殿のほうにやってこない。昼間の部もあって、そのときは中高年の人たちは見ていたのかもしれないが。舞殿の周囲だけが閑散としていた。

■民俗資料としても貴重な神楽であると思うのだが、みんな飲み食いにいってしまうのですね。
 10代20代と思われる若者が半分以上をしめ、夜店はにぎわっていた。浴衣姿や法被姿もあり、アメリカ文化に慣れきった若者にもそれなりの刺激を与えているようであった。
 しかし、伝統文化に対するこの無関心さには驚いた。現代音楽や演劇と比べたら、単調そのものだが、めったに演じられない出し物なのだし、こういうところから「日本人」についてj考えるよすがになるものなのに。文化論になると本は売れませんと、何人かの編集者にいわれたことがあるが、うなずかざるを得ない。

■昨日放送された「朝まで生テレビ」のはじめの一部を録画で見た。独立総合研究所の青山繁晴氏の発言に注目した。この放送がはじまる前、日本の主要官庁の事務次官二人と会って話をしていたが、そのとき二人の次官が口をそろえて「日本はアメリカの属国である」といっていたという。それどころか、昭和二七年のサンフランシスコ講話条約の締結で日本は形の上で独立国になったが、それから現在にいたるまで、アメリカの占領政策が続いている、と強調していたという。
 床屋談義ならともかく、日本の主要官庁のトップの事務次官が二人とも、そう話していたというのである。

■ぼくも以前からずっと、アメリカの占領政策は続いていると思っていたが、次官までがそういう発言をするとは。
 今後、日本はこのまま「アメリカの占領下」で植民地的な「平和」を維持していくべきかなのかどうか。現実問題としてアメリカとの同盟なしには日本の安全保障はなりたたず、経済もたちゆかなくなるだろうが。かといって、現在のような隷属状態をこのまま続けていっていいものなのか。改憲論議と結びつく問題でもあり、難しい選択を日本は迫られている。
by katorishu | 2006-05-29 01:09
 5月27日(土)
■本日も雨。今春の東京は雨降りの日が異様に多い。シナリオ塾の講義。
 昨日、久しぶりに飲み過ぎてフツカヨイ気味。体調は悪く、脳の働きも弱いと感じてしまう。
 昨日は月に一度開かれる放送作家協会の理事会。そのあと、渋谷で昔の「仕事仲間」であり「遊び仲間」であったNHKの解説委員のT氏や、O氏などと久しぶりに会って、ぼくとしては痛飲。
 丁度、NHKの人事異動の日であり、今のNHKがかかえている問題なども話題になった。それとは別に共通の友人のK氏が台湾、香港などで従事した「仕事」に関連したことが、ぼくには興味深かった。戦時中の蒋介石がらみの「機密事項」に触れることで、ノンフィクションの素材として面白そうなものだ。以前からO氏を通じて耳にしていたのだが、残念ながら関係者は詳しく話してくれそうにない。
  
■金曜なので居酒屋は2時間で「ラストオーダー」とのこと。ぼくは遅れていったので、1時間半ほどしかたっていない。みんな飲み足りないし話したりない。共通の友人のH氏の夫人が、新しく沖縄料理屋を開いたはずだとT氏。電話をいれると、まだ店は開いていなかったが、H氏が喜ぶから自宅にきてほしいとのこと。
 H氏はロシア関係のコンサルタント会社を経営していたが、3年ほど前、脳梗塞で倒れ、一時は寝たきりで体を動かすこともできなかった。

■お見舞いと激励のため行こうということになり、用賀の自宅までいった。ぼくは彼が倒れてからはじめて会うことになる。以前より劇的に回復しているとのことで、まだ数語しか言葉を発せないものの、こちらのいうことはかなりわかるようだった。歩くのがやっとという状態ながら、握手をした手に力があった。すぐに眠る時間となり、彼は夫人に支えられ寝室にいった。夫人は介護疲れが激しいようだった。夫人とは駅近くで飲んでもろもろ話そうということになった。

■夫人は沖縄出身であり、T氏が昔沖縄に記者として赴任していたこともあって、沖縄のことが話題の中心になった。夫人は以前、沖縄料理店を経営していたこともあり、社交的で酒もじつに強い。2時間強の間に、ビールを中ジョッキに7,8杯飲んだのではないか。
 ぼくらが知らない沖縄の「現実」についても、ずいぶん興味深い話を聞いた。夫人は今でも、自分を「日本人」とは思わない、「うちなんちゅう」つまり琉球人であると話していた。アメリカ軍基地の「現実」や戦時中の日本軍のやったこと等々、ときおり激して涙を流すことも。

■話を聞いていて、戦後の日本の繁栄が沖縄の犠牲のもとに成り立っているのだということを、痛感する。沖縄ではないが、宮古島についてT氏が面白い話をした。、テレビの国会中継を日本で一番よく見ている地域は宮古島であるという。はっきり理由はよくわからないが、事実としてそうなのだという。

■夫人の話では沖縄にたまに帰ると、時間の流れがまるでちがうという。ぼくも取材等で沖縄には2回いっているが、ここは「異国」だと思ったことを覚えている。
 文化の土台が日本本土とはまるでちがうし、ここは本来「独立国」であるはずである。H夫人は昭和28年の生まれだが、琉球語を話すことができる。ちょっとしゃべってもらったが、まったく内容はわからなかった。彼女は小学校時代、米軍によって頭からDDTをかけられたという。DDTを頭からかけられたのは、「本土」では昭和20年代初期の話である。それが沖縄では30年代後半も同じことが行われていた。
 沖縄の「本土復帰」は1972年である。佐藤栄作政権のころで、いろいろと「密約」のあったことが、今になってぽろぽろ出てきている。

■戦後、沖縄は長く米軍の統治下にあり米軍兵士は家族、軍属が多かった。そのため、沖縄の人は英語を話せるという「常識」があるが、じつは沖縄のほとんどの人は英語を話せないという。
 夫人は父親が米軍基地で働いていた関係で、高校生のころ、米軍基地内でアルバイトをしたことがあるそうだ。嘉手納基地などによく父親と一緒にいったりしていたのだが、その関連で米軍基地の内情もよく把握しているようだ。

■近くの浜辺にサリンの貯蔵庫があることも、高校生の頃から知っていた。サリンと見られる貯蔵庫の前にはドクロのマークが記されていたとのこと。
 最近、夫人が気になるのは、沖縄は物価が安いということもあって、本土から移住してくる人が多いということだという。本土の人間が多数、移ってくることで、地価や物価が上昇し、現地の人たちの暮らしを直撃し、きわめて暮らしにくくなっている。その他、もろもろ、沖縄のことについて、夫人は熱く話した。日頃の「介護疲れ」が少しは解消できたかどうか。

■日頃、日本人は沖縄のことは意識の外にあるが、米軍の普天間移転問題等もふくめ、琉球人意識を深く宿す沖縄人のかかえている苦衷について、もうすこし関心をもつべきだと思ったことだった。
 帰宅したのは午前2時すぎ。久しぶりに深夜まで飲んでタクシーで帰宅したことになる。
 テレビでは「朝まで生テレビ」を放送しており、テーマは「日本はアメリカの属国か」。参加者が派手な「パフォーマンス」をくりひろげていた。ぼくは依然として、日本はアメリカの属国に近い状態だと思っている。「日米同盟」を論者は口にするが、対等の同盟とはとても思えない。対等の同盟にするには軍事的にも独立しなければ……したがって、改憲が絶対に必要だという論者と、あくまで護憲を主張する社民党、共産党関係者。
 双方とも「一理ある」と思える部分がある。同時に双方とも違うなと思える部分もあり、酔眼で見ているうち、そのまま眠ってしまった。
by katorishu | 2006-05-28 00:40

物事には裏がある

 5月25日(木)
■快晴の天気の日は気分も良い。西葛西の映画専門学校で3回連続講義の、本日が最終回。この4月に入学したばかりの1年生、100人あまりの生徒を相手に2回分の講義。監督志望、俳優志望、スタッフ志望等々、映画を職業にしたいと期待している若者の集団で、数人をのぞきみんな真剣そのものである。映画の仕組みや、映像のマジック、映像の裏にある言語の大切さなどについて、話す。どれほど伝わったかは、わからないが。熱心なことだけは確かである。
 90分の講義を15分の休憩をはさんで連続2回というのは肉体的にきついのだが、脳の衰えをふせぐには人前で長時間まとまった内容を話すことはいいようだ。講師料はごく安いものだが、若い世代に何かを伝えたいと思うと同時に自分の脳細胞の劣化をふせぐために、ときどき頼まれると出向いていく。

■過日、ちょっと触れた公明党の竹入元委員長を告訴した件。86年に「妻の指輪を買うために横領した」として公明党が告訴した件であるが、本日発売の「週刊新潮」がさっそくとりあげていた。20年たつと提訴する権利が失われてしまうので、告訴したとのことである。
 竹入氏は今年、80歳、日中国交回復に貢献したこともあって「勲一等旭日大勲章」を授与されている。「週刊新潮」によれば、池田大作名誉会長は自分には手もとどかない勲章を、竹入元委員長ががもらったことが「許し難い」ことなのだという。契機となったのは、竹入氏が回顧録で公明党は創価学会に従属していると書いたことで、名誉会長は裏切ったとして激怒したとのこと。

■週刊誌というのは、よくもまあ毎週、いろいろのスキャンダルネタを集めてくるものだ。中にはガセネタや誇張もありそうだが、大マスコミが書かないことを敢えて書く果敢さの中に案外、真実がひそんでいて、面白い。ぼくは毎週、3誌か4誌目を通している。買うのは2誌程度だが。

■本日の講義でも強調したが物事にはたいてい裏がある。光があれば影があり、影があれば光があるのと同様である。
 よく「美談」なるものがときどき報道されるが、時間がたつとメッキのはがれるものもがじつに多い。「善」だけの人間もいないように、「悪」だけの人間もいない、というのがぼくの基本認識である。
 一人の人間の中には天使の部分と悪魔の部分が同居しているのだと思う。たいていの人は悪魔の部分を理性や社会の規範、モラル等の抑制装置で抑えこんでいるのだが、たまにそのブレーキがきれて悪魔の部分がむきだしになってしまう人がいる。その類の人が犯罪者になるのだと思う。

■「創作」という作業は人間の心の深部に宿る悪魔的部分を昇華して「良い方向」にもっていく装置でもある。三島由紀夫がエッセーで、自分はもし作家になっていなかったら犯罪者になっていたかもしれないと記していた。本音であったと思う。
 逆にいえば心の深部に悪魔的な部分を強く宿している人のほうが、「創作」という作業では力を発揮するのかもしれない。人間はうまい装置をつくりだしたものである。この装置がなかったら、もっと犯罪は多発しており、ひょっとすると人類はここまで繁栄しなかったかもしれない。
by katorishu | 2006-05-26 00:51
5月24日(水)
■東京は昼頃まで比較的、良い天気であったのだが、夕方近くから雷をともなう激しい雨。季節の変わり目にはよく雷が鳴る。夏も間近だなと思った。
 子供のころはともかく、最近夏はありがたくない季節だ。そうでなくとも脳の働きが鈍っていることが多いのに、暑くなると一層、働きが鈍くなってしまう。脳を最大限つかって文章などを綴るのが仕事なので、これは困る。クーラーで冷やすと脳までが冷えて、まともに働かない。
 インドなど熱帯地方に住むひとが、あまり本など読んだり書いたりしないのも、わかるような気がします。

■タイでは、文筆一本の物書きは極めて少ないと、以前、現地タイの物書きから聞いたことがある。その人はバンコクの大学教授だった。日本に比べ人口が少ないということもあるが、読書の習慣があまり定着していないことが最大の理由だろう。
 タイの町で読書をしている人をほとんど見なかった。日本では最近すくなくなったとはいえ、電車の中や公園などで本を読んでいる人が目につく。

■シンガポールの図書館にいったことがあるが、図書館自体が日本などにくらべ少なかった。春夏秋冬と季節の変遷のある日本は、脳の活性化のためにも良い環境である。
 アジアでもっとも早く近代化をとげ、欧米列強と肩をならべるようになった最大の原動力は、、国民の多くがよく本を読んでいたことではないのか。創意工夫、物まね、意欲、勤勉さ等々、みんな脳の働きが作用している。
 「読み書きそろばん」という言葉があったが、これが教育の原点である。親や社会がしっかりしていれば、あとはほっといても、子は育つ。まともに育つということである。
 しかし、最近、どうも日本の「美徳」がこわれつつあるようだ。

■だから教育基本法を改正して「愛国心」を上から教え込もうとするのだろう。子は親の背中を見て育つ。社員は社長の背中を見て働く。国民は政治家等の指導層の背中を見て生きる。
 日本社会の危機の本質は、模範となるべき人のモラルの欠如だと思う。上から無理矢理「愛国心」をおしつけても、偏狭なナショナリズムを育てるだけだろう。
 まず政治家や企業の経営者、官僚などの指導層が襟をたださなければいけないのだが、国民の監視がないところで、指導的立場にある人間が、相変わらず談合やごまかし、贈収賄などを行っている。
 
■社会保険庁の不正がまた暴露されたが、暴露されないまま、国民の目に触れないところで、数々の不正が行われている……と思ってしまう。
 社会保険庁の長官は小泉政権の「官から民へ」のかけ声のもと、民間から登用された人で、いわば小泉改革の目玉であったはず。その長官が「成績」つまり「数字」をあげようとして現場を叱咤激励した。今回の徴収率の数字のごまかしの遠因は、長官の意向を官僚的なずる賢さで具現化したものである。

■効率一辺倒では、「責任者」や「指導層」はいい目を見るかもしれないが、「効率」のために切り捨てられる部分がでてくる。効率化のもとに切り捨てられる人は救われない。
 指導層、政治家や高級官僚、会社の経営層、文化的リーダー、こそ、「助け合い」「節度」をもつ必要があると思うのだが、その種の「美徳」をもった人は、悲しいことに「出世競争」などで「我欲」満々の人にどうも敗れる運命にあるようだ。

■かくて、相変わらず、欲望過多の人間が社会のリーダーになり、時代の価値観をつくりだす。以前は欲望過多の人は、例えば田中角栄元首相のように「わかりやすかった」のだが、最近は「わかりにくく」なっている。国民統治のシステムが洗練されてき、本音を隠すことにたけた人が多くなった結果だろう。本質は「欲望過多」なのだが一見「紳士的」「芸術愛好的」に見せるリーダー。これがくせ者である。
 
■そういえば田中角栄元首相は「芸術のゲの字」も語りませんでしたね。オペラはもちろん、音楽のコンサートや芝居、映画などを見にいったというニュースも聞いたことがない。カネと権力。それをむきだしにして、しかも愛嬌があった。
 ホリエモンやヒューザーの小嶋社長など、最近めずらしい「欲望むきだし」の人間が出てきたなと思っていたのだが、このタイプは捕まってしまうのですね。
 角栄氏も、角栄亡きあとの自民党の実力者で金塊をためこんでいた金丸信氏も、司直に捕まってしまった。それに比べ、以前、防衛施設庁の談合で捕まった官僚たちは、一見、紳士的で知的な印象さえあった。

■午後、文春で共著者と共に打ち合わせ。編集担当者の引き継ぎ。すでに原稿を渡してあるノンフィクションの出版は9月になるとのこと。 
 今朝、電話で起こされたので睡眠不足。今朝といっても午前11時に近かったのだが。睡眠不足のためか、眼精疲労が激しく、いったん帰宅して2時間ほど仮眠。午後の10時ごろ起きたので、当然、眠気はやってこない。本日も恐らく眠るのは普通の人が働きはじめる時間になる。
by katorishu | 2006-05-25 00:10
5月23日(火)
■東京は本日も梅雨を思わせる天気。このところ運動不足なので少なくとも1時間は歩こうかと思ったのだが、小雨が降り出したのでやめて、近くの行きつけのコーヒー店へ。
 携帯パソコンがないので、なにやら体の一部をもぎとられた気分だ。修理費として10万近くとられるのかなと、低額所得者としては憂鬱であったが、先方から電話があり、どこも悪くないという。しかし、画面がまったく出ないといったところ、ちゃんと出ますとのこと。点検だけなので3000円の料金になるのはありがたいが。
 どうもパソコンは気まぐれである。修理に出す前、いろいろ試みたのだが、画面の文字がネガフィルムのようになり、やがて白濁し、消えてしまった。その後、どう操作しても画面が現れなかった。
 バックアップをとっていないファイルもあり、恨めしく思っていたのだが、近頃珍しく「良い知らせ」であった。ソニーのバイオは最悪で、だからこそナショナルのレッツノートにかえた。携帯パソコンとしては一番堅固で軽量という評判であったので、これにしたのだが、さてもどってきたとき、うまく作動するかどうか。

■過日、以下のニュースを目にして、一瞬ジョークかと思ってしまった。
『公明党、竹入元委員長に550万円の損害賠償求め提訴』というもので、
『公明党は19日、竹入義勝・元委員長が党の資金を着服して妻に指輪を購入したとして、竹入氏に550万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
 訴えによると、竹入氏は委員長在任中の1986年7月、党の資金から500万円を出金させ、東京・日本橋の百貨店で妻の指輪を購入した。
 竹入氏は67年2月から86年12月まで委員長を務めたが、98年の回顧録で「公明党は創価学会に従属していた」などと表明したため、公明党や創価学会から激しく批判されている。竹入氏は19日、「指摘された事実について記憶はない」と語った』
 (2006年5月19日20時18分 読売新聞)

■20年以上も前の委員長のことである。どうして今になって告訴までするのか。ぼくは聖教新聞や公明新聞をほとんど読んだことがないが、竹入元委員長が以前、朝日新聞に「回顧録」を書いたとき、このふたつの新聞が猛烈は竹入非難キャンペーンを展開したという。
 ひところは、日中国交回復の功労者として大いにもちあげていたのに、すこしでも批判的なことをいうと、掌を返すように徹底的にたたく。その延長上にあるのだろうが、この執拗さは異様に思える。恐らく、何か表に出ないものが背後にある、と考えるしかない。

■ぼくの知り合いに創価学会員が何人かいるが、ひとりひとりは「良い人」である。もっとも彼等と宗教がらみの話をしたことはないが。どうせムダと思っているのか、選挙で投票を依頼されたこともない。
 大学の後輩には外務省をへて参議院議員になった人もいる。彼とは何度か会って話をする機会もあった。彼も「良い人」である。創価大学の教員にも何人か知り合いがいる。いずれも偏狭、狭量の人ではない。もっとも彼等は創価学会員ではないが。

■公明党は今や与党になって「小泉政権」を補完する役割をになっており、ときどきブレーキ役も果たしているようだが、言論の自由に抵触することに関しては、もっと敏感になるべきではないのか。
 今国会で可決される可能性のある「共謀罪」。戦前、弾圧された歴史をもつ創価学会など、真っ先に反対を表明するべきなのに、学会に支えられた公明党が賛成している。不思議なことである。
 恐らく自民党議員の中にも、この法律に疑念を抱いている人はいると思う。が、「独裁的な権力」をもつ政権が了承しているので何もいえないのだろう。原案を作成したのは法務省で、警察庁の官僚も当然からんでいるにちがいない。それと警視庁内で刑事部とライバル関係にある公安部門の後押しもあるのだろうが、面妖で危ない法律である。
 こんな法律に、なぜ公明党が反対しないのか、不思議である。

■この党、および背後で支えている学会を真っ向から批判すると、「嵐のような」匿名のメールや電話類がやってくることがあるらしい。
 一般論だが、熱心な「教徒」には原理主義的な面がつきもので、自分たちこそが「絶対的に善であり正しい」という思いこみがある。とくに組織のリーダーに対しては、無批判にとにかく「信じ」「あがめ奉る」のである。
 ぼくは神ならぬ人間が「絶対的に正しい」などとはとても思えない。そのため原理主義的組織にはずっと距離をおいてきたし、今も距離をおいている。
「竹入告訴」の文字を見て、新たに彼が何かを「やらかした」のかと思ったら、20年以上の私事にかかわることで……。驚いてしまった。何かの間違いかジョークであることを望みたい。
by katorishu | 2006-05-24 00:49
 5月22日(月)
■本日発売の「週刊現代」が「調査報道スクープ」として「小沢一郎の隠し資産を暴く」というタイトルの特集をトップ記事として載せている。記事によると、小沢氏には6億円を超える隠し資産があり、その入手方法は「師匠」の田中角栄元首相とそっくりで「猿まね」であるという。

■ほとんどが「不動産転がし」により得たものであるとし、どうも小沢氏の政治資金管理団体が所有しているようだ。小沢氏の側近中の側近であった元参議院議員の平野貞夫氏も「小沢氏がなぜ不動産屋のようなマネをするのか理解に苦しみますね」といっている。
 政治家の政治団体の資産に対しては国税当局もタブー視して実態調査をしないのだという。

■小沢氏は田中角栄のように、政治力を維持させるためいずれ金力が必要になると考えて、このような「資産形成」策をとったのかどうか。
 興味深かったのは小沢氏を告発する記事を掲載したのが「週刊現代」であるということだ。以前、「週刊現代」は小沢氏に好意的な記事が多かったと記憶している。漫画の「票田のトラクター」の脚本を書いた人(名前は忘れました、こちらは筆名)がよく「週刊現代」上で小沢氏にインタビューをしており、小沢氏の言い分をそのまま掲載することが多かった。

■同じ週刊誌が今回は、千葉補選で勝利し勢いにのりはじめた小沢氏を、政治手法まで角栄の猿マネだとして相当厳しくたたいている。週刊誌も編集長がかわると論調がかわることがあるが、今回の記事は、まるで掌をかえしたようだ。特筆すべきもので、背後になにあがったのか……と思ってしまう。
 まさか自民党やあるいは小泉首相とつながる国税庁あたりからの「ヒント」があって調査報道をしたのではないと思いたいが。

■自公民を追い上げ次の選挙で政権交代を訴える小沢氏に水をかけたことだけは確かである。本日、小沢氏は久々に経団連を訪問し挨拶をした。経団連のメンバーも注目したようで、現会長の奥田トヨタ会長など「自民党のときより(聴衆が)多い」と話していた。
 筆者は長谷川学という人でジャーナリストの肩書きがある。小沢サイドがどう反論するか、あるいは無視するか注目したい。

■同じ「週刊現代」にはテレビで大人気の占い師、「細木数子の『魔女の履歴書』」というルポの三回目を載せている。彼女の「成功」の核となっているのは「色と欲」の二本立てであるとし、次々と細木氏が隠したい過去をあばいている。筆者は暴力団などのルポで定評のある溝口敦氏である。さらに将棋界を食い物にしているとして米長邦雄将棋界会長を糾弾する「怒りの告発」第3弾なる記事ものっている。
 読むべき本や資料が山とあるのだが、世の中、なかかな面白い話題が尽きず、ついこの類の記事に野次馬よろしくつきあってしまう。

■「浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と希代の盗人、石川五右衛門は釜ゆでにあう前、辞世の句をよんだが、まこと、浜の真砂は尽きるとも世にスキャンダルのタネは尽きまじ、である。外野席から見ていると面白いのだが……。
by katorishu | 2006-05-23 01:25

監視国家の怖さ

 5月21日(日)
■すでに消滅したが「ドイツ民主共和国」という国があった。ナチスドイツ消滅後、ドイツはアメリカ、フランス、イギリスなどの占領軍が統治する西ドイツと、ソ連の統治する東ドイツに分断された。ソ連の支配下に置かれたのが「ドイツ民主共和国」つまり東ドイツである。
 その後、ベルリンの壁なるものがソ連の命令で築かれたが、1989年、まだしばらく続くと思われた壁は崩壊した。ついで「革命の総本山」のソ連帝国も崩壊した。

■「ドイツ民主共和国」俗に「東ドイツ」を支えていたのは、シュタージュという秘密警察である。秘密警察というと独裁国家につきものだが、東ドイツのシュタージュの徹底ぶりは、主人のソ連のKGBも顔負けである。
 ヒトラーの第三帝国には国民の2000人に一人にゲシュタポがいた。スターリン時代のソ連には5800人に一人のKGBがいた。一方、東ドイツでは63人に一人の割合でシュタージュないしこれに協力する密告者がいたという。隣人が密告しあうことが日常化しており、一説には国民の6人に一人がなんらかの形でシュタージュの手先であったという。

■仕事の関連で資料を読んでいるのだが、これが「民主共和国」を国の名前に冠していた国かと、驚き、あきれ、怒りを覚える。
 現在シュタージュに匹敵する秘密警察を擁しているのは北朝鮮だろう。ここも「民主人民共和国」を国の名に冠している。偽善もいいところである。中国も公安組織が全土を網の目のようにおおっている。シュタージュほどでないにしても、ソ連のKGBを真似た組織であり、言論封殺機関といっていいだろう。
 本日読んだ本のなかに「良心にさいなまれることのない変質者は軍の司令官や政治家として抜群に力を発揮する」(『監視国家』アナ・ファンダー著)という言葉があった。

■シュタージュの指導者の内務大臣のことを直接指しているのだろうが、ヒトラー、毛沢東などのことがすぐ思い浮かぶ。
 公安や秘密警察が力を発揮する国家には絶対してはいけない、と改めて思ったことだった。言論の自由のあるところに独裁は成立しない。
 従って言論の自由をすこしでも制限しようとする権力者の動きには過敏になる必要がある。その芽が見えただけで、すぐにつぶさないと、育ってくる場合がある。
 今の日本で芽が少しずつ伸びてきているような気がする。要注意である。
 警察国家は典型的な官僚統制国家である。官僚のひとりひとりは、善良な人が多いのだが、官僚は制度に忠実な人間である。いったん法律などの制度ができてしまうと、善意にもとずき熱心に、意欲的に「体制にたてつく人」や「その可能性のある人」を排除する。真面目な官僚ほどそうする。

■官僚統制に賛意を示す人がネットの掲示板などにあふれているが、これが多数派になっていくとしたら、怖い。匿名なのでどんな人が書き込んでいるのかわからないが、思慮が浅く、人間への優しさを欠いた欲求不満分子なのだろう、と推定するしかないが。
 ごく一部の人間であると思いたい。

■過激なことを書き込んでいる人の素顔は、案外気弱で、人前で自説を主張する度量も勇気も持ち合わせていないのではないか。ぼくはこれまで、専門学校や大学で20前後の若者に接してきたが、雑談の折にでもそんな過激な言辞をろうする人に出会ったことがない。
 人の前ではおとなしい彼等のうちの何人かが、匿名だと牙をむくような暴力的な発言をするのだろうか。それとも、もっと壮年、中高年が書き込んでいるのかどうか。
 一度、彼等の素顔が見たいものである。ああいう形で憂さ晴らしをする社会というのも、うとましいことである。
by katorishu | 2006-05-22 01:27
 5月20日(土)
■本日東京は午後3時ごろまで久しぶりの快晴だった。が、夕方近く雨雲におおわれた。気象庁によると、東京の今月7~18日の日照時間は計15.8時間で、平年の23%にとどまり、ほとんど日差しがない状態であったという。
 悪天候が続けば、このまま梅雨入りとなる可能性もあるとのこと。夏の異様な暑さも予想される。このところ日本は熱帯地方の天気に似てきているので、気になることである。

■BBCのニュースを見ていたら、中国で現在、揚子江の中流域に建設中の世界最大規模の多目的ダム、三峡ダムのことを伝えていた。堤防がほぼ完成し、17日、外国メディアに公開されたのである。堤防は全長2309メートル、高さは185メートルで、2009年に完成の予定だという。経済発展する中国のエネルギー需要をになうダムだとされているが、問題はこのダムが自然破壊を引き起こしていることである。

■ウエブ版、朝日新聞によれば、建設に伴ってこれまでに計約113万人の住民が移転を迫られ、水質汚染や希少生物の減少など生態環境への悪影響や土砂の堆積も心配されている。ダム本体には耐震構造が施されているが、水位が上昇した上流域では小規模な地震が頻発しており、沿岸部の土砂崩れ対策なども始まっているという。
 便利さ快適さばかりをもとめると、裏返しの復讐を、自然から受けるということの典型例である。だからといって、物質文明の果実を存分に味わっている日本人が、中国人に対して環境破壊につながるから経済発展を抑制せよなどとはいえはしない。
 財界などは中国経済の発展に便乗して、もちつもたれつの関係にあり、自然破壊に手をかしているともいえる。いずれ自然から手痛いしぺがえしを受けるに違いない。しっぺがえしを受けるのは、必ずしも豊かでない一般の国民であるというのが、なんともやりきれない。

■最近、朝日ニュースレターをケーブルテレビで見ることが多い。対談やデベート番組をじっくり見せるところが特徴である。本日、図書館とコーヒー店で5時間ほど時間をつぶし帰宅してテレビをつけると、自民党の加藤紘一氏と動物行動学者の長谷川真理子氏の対談を放送していた。
 興味深かったのは、長谷川氏が日本では幼児殺しはもちろん、殺人事件も年々減り続けていると指摘していたことだ。テレビなどで連日凶悪な幼児殺しや殺人事件を報道しているので、凶悪事件が増えているのかと思ったら事実はその逆であるという。
「常識」といわれているものが事実や真実でないことは、とくに珍しいことではないが、殺人事件についても、そうであったとは。

■長谷川氏によれば、日本の20代前半は世界でも稀にみる「穏和で平和」な世代であるという。世界的にどこの国でも殺人事件を犯す率は20代前半が群を抜いて高く、グラフに描くと山なりになるとのことであるが、日本だけが例外で、この世代の殺人率はほかの世代と同じであるという。

■このことをどう解釈するべきか。長谷川氏は「良い社会になった証拠」と話していたが、ぼくは日本民族が衰退に向かう端的な表れではないかと思う。20代前半といえば性的なエネルギーが頂点に達する時期である。つまり生命力が活発になりエネルギーが過剰にあふれかえる。だからこそ人類は繁栄を維持してきたのだと思うのだが。
 他の動物の発情期を見てもわかるように、性的エネルギーは個と個の争いの源である。雄同士が雌をもとめてぶつかりあうことは自然界では普通のことで、そんな生命力のぶつかりあいが、殺人事件の端緒になるケースが多いのだと思う。

■治安が安定していることも原因であろうが、ぼくはこの年代の殺人率が他の国に比較して例外的に低いのは、動物としての生命力の枯渇ではないのかと思ってしまう。ハングリー精神の喪失は、生命力の低下に通じる。
 もっとも、青年層の殺人率が比較の上で高く、しかもすべての世代で率が低下するのなら結構なことなのだが。
 殺人にまでは至らなくとも、他の犯罪の発生頻度やイジメなどはどうなっているのか。一方で、警察の検挙率が極端に落ちている。一般の犯罪は増えていて、殺人だけが減っているのかどうか。独断と偏見でいわせていただけば、犯罪者を逮捕することが使命の警察官のエネルギーもまた低下しているのではないのか。
 動物行動学者の長谷川氏にこのへんのことも聞きたいものである。
by katorishu | 2006-05-20 23:54