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東京裁判の本質

 7月30日(日)
■東京地方もそろそろ梅雨明けのようだ。今年の梅雨は長く、また集中豪雨など「異常」という形容詞がつく梅雨であったが、今年の夏も異例の暑さに見舞われるのではないか。
 気象だけでなく、今年の夏は政治面でもいろいろと問題が出てきそうだ。そのひとつが靖国問題である。8月15日が近づくと、小泉首相の靖国参拝問題がクローズアップされるに違いない。次期総理は安倍晋三官房長官で100パーセント決まりのようだが、安倍氏は基本的に小泉政権を踏襲するようで、靖国問題についても小泉首相に近いスタンスをとっている。天皇発言のメモが出されたなか、安倍氏はじめ政府関係者がどういう行動をとるか、注視したい。

■この問題でしばしばA級戦犯という言葉が出るが、このもとになった「東京裁判」つまり「極東国際軍事裁判」について、現在、どれほどの国民が知っているだろうか。戦後日本の形を決めた重大な裁判だが、一口でいえば、勝利者のアメリカが敗者の日本を一方的に裁いた裁判であり、復讐裁判といっても過言ではない。
 「平和への罪」「人道への罪」という罪名をつけながら、アメリカが日本に落とした二個の原爆やソ連のシベリア抑留などにはまったく触れていない。これこそ「人道にもとる罪」であるはずだが。

■この裁判に関係したアメリカ人の中でも、マッカーサー元帥はじめいろいろな人が、その後、この裁判は「公正」ではなく、ああいう形で絞首刑にしたことを後悔していると発言している。極めて歪んだ裁判であったことは間違いない。裁判の終了時、日本はアメリカ占領軍の統治下にあり、言論統制されており、東京裁判関連について新聞雑誌が論評を加えることはおろか、裁判に触れる記事もプレスコードにひっかかった。
 そのため、当時の国民はこの裁判の本質を知らなかった。とにかく日本のやったことはすべて悪い。だから正しい国のアメリカが指導して、正しい国をつくってやるから、おとなしく言うことを聞け、という姿勢だった。そんな中で、戦後の「空気」がつくられていった。

■そもそも「言論の自由」や「民主主義」をうたうアメリカが、日本で組織的に言論統制を実施していたのである。これらをうたった憲法を日本に制定させながら、一方で検閲を組織的に行っていた。こういうことを知らない日本人が圧倒的に多い。
 仕事の必要があって、ぼくはこの裁判関係の本や資料を少なからず読んだが、冷静に判断して11人の判事の中で唯一「日本無罪論」を展開したインド人のパール判事の判決が、歴史の真実をついていると思う。パール判事はただひとり、裁判そのものが国際法に照らして違法であり、「共同謀議」など成立せず、従って日本が裁かれることの不当性を論証した。
 注意しなければいけないことだが、パール判事は日本はこの裁判では「無罪」であるといっているのであって、昭和前期の日本国家が中国大陸等で行ったことが「正しい」などとはいっていない。あくまで国際法学者の立場から法的に見て間違っていると冷静に指摘しているのである。
 
■いずれにしても、東京裁判の結果を日本は受け入れ、サンフランシスコ講和条約を結び、「独立」をはたした。そんな経緯もあり、この裁判の歴史的な意味について様々な見方がある。複雑な問題をはらんでいて、そう簡単に白黒をつけられるものではない。ただ、東京裁判そのものについては、その当否を再検証すべき時にきている。この裁判について学ぶことは、そのまま昭和の日本がなぜあの戦争に突っ込んでいってしまったのか、その経緯や理由等について学ぶことである。

■膨大な量のパール判決書や東條元首相の弁護人を務めた清瀬一郎の「秘録東京裁判」やその他、諸々の関連図書を読みこんでいると、溜息で出る。そうして、当時の欧米列強の植民地政策、有色人種蔑視政策に思いがいってしまう。阿片戦争あたりに遡って歴史を検証していかないと、戦前の日本がなぜああいう政策をとったかわからないと思う。

■以前、『山河燃ゆ』の脚本を書いたとき、関連資料をそれなりに読み込んでいたのだが、すでに記憶が薄れていることも多いし、今読むとまた別の感慨を抱く。東京裁判の焦点は戦前の日本の指導者が世界制覇の野望を抱き侵略戦争の「共同謀議」をしたとして、その罪を裁くのが柱となっている。よくナチスドイツと日本の軍国主義を同一視する人がいるが、両国が戦争に至る過程も動機もかなり違う。従ってニュールンベルグ裁判と東京裁判では意味も違う。同じ「ファシズム」と決めつける見方からは「歴史の真実」は見えてこない。

■ナチスドイツについては「共同謀議」で裁くことができても、日本については無理がある、とあらためて思う。裁判でキーナン検事等は1928年より1945年まで被告らは「共同謀議」をしたと決めつけているが、この間、何度も内閣はかわっているのである。さらに互いに一度も顔を合わせていない人もおり、戦争への姿勢もさまざまで、十把一絡げに「共同謀議」とすることはできない。
 パール判事の長文の「無罪判決」は極めて論理的で、説得力があるので、もっと多くの人に読んでもらいたいものだ。

■靖国問題について、参拝に賛成、反対をとなえる国会議員のうち、パール判決の全文を読み通した人が何人いるだろうか。東京裁判の本質をこれほど鋭くついている本は他にない。ただ、長文であり、法律用語も多様されており、簡単に読みこなせる本ではないが。
 今の時点から見て、公正な視点にたった関係書の出版が待たれる。(某社で出す予定と聞いているが、ぼく自身、時間があれば「法律に素人の観点」から検証してみたいものだ)
誤解のないよう願いたいのですが、ぼくはパール判決を歴史の経過や国際法から見て正しいと位置づけているだけです。統帥権による軍部独走政策など昭和前期の日本政府や軍部のとった政策を、評価する気にはなれません。それ以上に欧米列強がとってきたアジアに対する政策に強い嫌悪を覚えます。今似たようなことを、ブッシュ政権が中東諸国に対して行っている。歴史は繰り返すといいいますが、どうも愚行の体験ばかりを繰り返すようです。
by katorishu | 2006-07-31 04:00

隅田川の花火

 7月29日(土)
■今これを書いているのは、30日の午後3時ずぎ。昨日、29日、隅田川の花火を初めから終わりまで見た。両国の花火ともいわれる江戸時代から伝統ある花火を、ちゃんと見るのは初めてだった。浅草の隅田川ぞいにいくつか高層建物があるが、その18階にある知り合いのデザイン事務所のベランダから見た。斜め前方の隅田川に浮かべた平たい船のようなところから打ち上げられていた。計1時間ほどであったが、十分堪能した。

■子供もふくめ30人近く集まったのではないか。浴衣を着ている人もいた。当然、ビールやワインなどの酒類を飲みながらの見物。18階の高さから見える東京の町は、ほんとに「人工的」で緑が極端に少ない。わずかに眼下の隅田川の流れが「自然」を感じさせてくれる。 
 ビルの明かりで全体が明るいので、花火の効果も相当程度薄れるに違いない。江戸時代とまでいかなくとも、昭和30年代であったら、夜は今よりずっと暗かったはずなので、花火のきれいさも際だったに違いない。昭和20年代、近くの河原で行われた花火大会の記憶がある。今よりずっと単純な花火であったはずだが、爆発音とともに夜空にパッと咲く花の火の何と鮮やかであったことか。ヤブ蚊などにさされながらの見物で、みんな虫除けのうちわをもっていた。

■主催者発表によると、この日の花火大会には90万人が集まり、2万発が打ち上げられたという。第一会場と第二会場にわけられていることも初めて知った。18階のデザイン事務所からは、隣のビルの影になって上流の第一会場の花火はまったく見えなかった。目の下はアサヒビールの金色の泡のモニュメントがあるビル。
 新潟他の地方からの花火師たちが、それぞれ競って華麗な花火を打ち上げていることもわかった。上空にはヘリコプターが10機近く飛んでいた。テレビ東京が生中継の特番を放送していたようで、そのための取材ヘリが半分をしめていたのかもしれない。

■次々と破裂音とともに打ち上がる花火を見ながら、レバノンとイスラエルの砲撃のシーンがだぶってしまった。BBCなどのテレビニュースで、イスラエル軍機の空襲で燃え上がるレバノン南部の都市が甦ってくる。
 目の前で次々と打ちあがる花火が砲弾であったら……とどうしても連想の翼をひろげてしまう。

■終わってカミサンと久しぶりに浅草寺界隈をぶらぶら歩く。若い人、それも浴衣姿の人が目立った。欧米系の外国人も目についた。浅草の日本旅館が彼等、欧米系旅行者の「宿泊所」になっていることの影響か。飲屋街はどこも満員だった。路地に簡易なテーブルをおいて、昔の縁台で飲み食いするような「お祭り気分」が漂っていて、これはこれで結構な風景だと思った。
 そんな店の一軒にはいり、ビールなどを飲んだ。つい飲み過ぎて、翌日(本日)フツカヨイ。
 15時から行われる某氏の出版パーティに出る予定であったが、体調不良につき欠席。アルコールに強い人には理解できないかもしれないが、ちょっと大目に飲むと、翌日は夕方近くまで半病人状態になる。おかげで、「不義理」が重なってしまうが……ご寛恕のほどを。
by katorishu | 2006-07-30 16:32
 7月28日(金)
■レバノンにある国連施設にイスラエル軍が空爆し、国連の停戦要員4人が死亡した。これをめぐって国連安保理でイスラエル非難決議を採択しようとしたところ、アメリカが拒否権をちらつかせ、結局、イスラエル非難の項目を削った声明の採択となった。
 中東情勢は戦後一貫して不安定だが、その原因はイスラエルの存在である。

■あの場所に、アメリカが主導してイスラエルを建国したことが、そもそもの間違いのもとであったのではないか。アメリカ国内にユダヤ人の国家を建設していたら、何の問題もなかったのに。ナチスドイツに痛めつけられ、国をもたない流浪の民としてユダヤ民族がなめた苦しみはよくわかる。しかし、最近のユダヤ人の行動には首をかしげたくなる。
 ユダヤ人はアメリカに500万人ほど住んでいるそうだが、アメリカのメディアや政治を相当程度支配しているといっていい。ハリウッド映画もユダヤ系に席巻されているし、ブッシュ政権を支えているネオコンも、ユダヤ系の人が多い。

■なによりユダヤ系がマスメディアを抑えて、自分たちに都合の悪い情報を制御しているのは、いただけない。言論の自由がアメリカを象徴するものの柱であるはずだが、最近のアメリカのマスコミはユダヤ系に牛耳られ、言論の自由などどこへいってしまったかと思えるほどだ。
 国際金融資本の分野でもユダヤ系が圧倒的な力をもち、世界経済を左右しているといってよい。一方で国際経済の分野で華僑の力も大きく、今後ユダヤ系と華僑系が世界経済を牛耳っていくことになりそうだ。政治的にはアメリカ対中国。それにロシアが加わり、人口の上では最多のムスリムが加わり、この先、ますます混沌とした情勢になりそうだ。

■そんななかで、日本はどうしたらいいのか。ハンチントンの書いた「文明の衝突」では、日本はいずれ中国にすりよっていくと予言している。長いもの(強いもの)にまかれる、というのが日本人の民族性なので、今後、そうなる可能性は捨てきれない。中国に言論の自由などの変化を求めたいが、一党独裁体制はまだしばらく続くのだろう。「独裁」のタガがはずれたとき、あの国はひとつにまとまっていけるのだろうか。
 2007年の北京オリンピックと2010年の上海万博まではなんとか今の体制でやっていくのだろうが、それ以降、どうなるか。

■脚本アーカイブズの件で、新橋にある日本テレビに。情報アーカイブの担当者にあい、話をきく。そのあと、銀座に出て映画でも見ようかと思ったが、睡眠不足なのでやめにした。このところ、ずっと睡眠時間は5時間前後である。8時間満足に眠れたらどんなにいいことか。辛いことだが、継続して眠ることがむずかしい。で、相変わらず、時差ボケ状態が続く。脳をフル回転させてものを書くのが生業の人間として、仕事に相当程度さしつかえるが、「持病」なので仕方がない。不眠症に無縁の人には理解しにくいことだろう。
by katorishu | 2006-07-28 23:28

森あるか『長男の結婚』

 7月27日(木)
■アメリカ産牛肉の輸入が再開されるという。アメリカ追従政策をとる小泉政権の「最後の置きみやげ」なのだろう。危険性があるなか、アメリカの圧力に屈したといってよい。ぼくは肉類はあまり食べないので、影響は比較的少ないが、それでもインスタント食品などに巧妙にまぎれこむ可能性が強い。
 もっとも日本産の牛肉も安全という面から見ると問題なしとはいえないようで、むしろアメリカ産のほうが安全だという人もいる。

■食の安全は国民すべてがかかわることなので、金儲け優先の自由競争にゆだねてはいけない部分があるはずである。しかし、一部業者の損得勘定から、政府や官僚も重大なことを簡単にやってしまう。
 以前このブログで紹介したが「地球暗化」の問題も、じつは食糧問題以上に深刻だ。車や飛行機の排気ガスが大きく影響しているようで、今の状態のままエネルギー消費をつづけると数十年後には、地上の温度がもっとも高いところで10度上がる可能性があるという。アイスランドなどの凍りもとけ、海面があがり、沿岸にある都市の相当部分が水没する。専門家は警告を発しているのだが、多くの国民に伝わっていかない。

■マスコミは自動車会社は家電業界などを大スポンサーとしているので、この問題を正面切ってなかなかとりあげない。
「地球暗化」が国民に広く知られたら、恐らく車の売り上げが何割かさがってしまうだろう。低公害車などを開発しているものの、これだけの車が地上にあふれていたのでは少々、燃費効率のよい車を開発をしても、環境悪化をふせげるものではない。

■国連などでも最重要課題として取り組まなければいけないのだが、エネルギーを大量消費している先進国は、自国の「経済発展」の首をしめることになるので、触れようとしない。その間にも悪化は進み、取り返しのつかない所までいってしまうのではないか。
 人類がやがて直面する最大の危機としてこの問題をとらえ、資料集めをしたりセミナーなどに出席して研究を深めたい。

■日刊現代によると、例の「村上ファンド」疑惑は福井総裁だけの話ではなく、村上ファンドに群がって荒稼ぎした連中は政、官、財に100人近くいるとみられているという。第2の「リクルート事件」となる可能性もある。「政官財ぐるみのインサイダー」とみていいだろう。日刊現代によると、「政権周辺にインナーサークルが形成されています。オリックスの宮内義彦会長が規制緩和を訴え、その規制緩和に村上世彰やホリエモンが便乗。日銀の福井総裁がゼロ金利でマネーゲームを下支えする構図です。全員が人脈図でつながっている。もともと福井総裁と村上世彰は接点がなかったが、宮内会長がつないでいます。しかも、皆がウマみを享受する関係です」(経済ジャーナリスト・松崎隆司氏)とのことだ。マスコミは総力をあげて、この問題の闇をえぐり出してほしいものだ。

■梅雨があけたと思ったが、まだらしい。夏空とは無縁の湿った日であった。もっとも午後起きだしたので、午前中は晴れたいたのかもしれないが。
 ぼくを小説の「師」(の一人?)と思っている森あるかさんが『長男の結婚』という本を出した。自費出版を大々的にやってい文芸社が一般から公募した小説で、2081編から選ばれた大賞受賞作である。以前、彼女からメールで受賞したとの連絡を受けた。
 文芸社は問題をかかえている出版社と聞いている。自費出版をした人が何人も訴えを起こしているケースを、ジャンジャンというウエブ新聞で読んだことがある。

■それとは別に、森さんの受賞を素直に喜びたい。7、8年前であったろうか、昔の文学仲間がはじめた「丹沢文学」という同人雑誌に、森さんは「保険セールスレディ」という長編を発表した。雑誌の合評界にぼくもアドバイザー役で顔を出し、彼女の作品をほめた記憶がある。軽妙な筆致で独特のユーモアが漂っていた。しかし「純文学」を標榜している古いタイプの文学老年の多い中、彼女の作はかなりけなされていた。

■ぼくは、「同人」の中でプロになれるとしたら彼女だろうなと思っていた。その後、彼女はスペインを舞台のオバサンのパック旅行の題材を小説に書き、文庫書き下ろしで日の目を見た。4年前であった。その後も彼女はインターネット上でずっと書き続けていた。小説ではないが、彼女の記した「ペンヨンジュン協奏曲」という文章は面白かった。韓国ドラマ、とくにペンヨンジュンにはまったオバサンの熱狂的なのめりこみを、彼女自身の実体験としてユーモラスにつづったものだった。
 知り合いの韓国放送作家の関係者に読んでもらったところ、面白く韓国での出版も……という話も出たと聞いている。
 文章にリズムがあり、エンターメント向きの才能をもっている。これを契機に、さらにオバサンを主人公にした面白い作品を書いてもらいたいものだ。
by katorishu | 2006-07-28 00:32
 7月26日(水)
■どうやら梅雨が明けるようだ。暑くなるのも嫌だが、梅雨にくらべればましというものである。逆に考えれば、鬱陶しい季節があるからこそ、秋の爽やかさが身にしみて感じられるのかもしれない。昔の人は楽あれば苦あり、苦あれば楽あり、といった。山あり谷ありも同じことで、苦しい時をへたあとにこそ、至上の喜びもあるのだろう。

■久しぶりに中国映画『胡同(フートン)』を見た。渋谷の文化村の映画館で。あの建物は「ハイクラス向け」に作られたのかどうか、あまりお金に不自由しない層を対象にした催しものが多い。店内のパーラーなどもゆったりとした空間があるかわりに高めに設定されている。中でコーヒーを飲んだが800円ほどだった。ドトールなどでは180円でコーヒーが飲める時代、高いというべきだろう。ぼくは下町の雑多な雰囲気が好きだが、たまにはこういう空気にひたるのも悪くない。

■背後に東京随一の高級邸宅街の松濤があるので、小金持ちらしい中年婦人の姿が目立った。パーラーで2時間ほど仕事をして映画館に。例によってカミサンと一緒。フートンとは北京に古くからある路地のことである。ここに住むある一家の「父と子」の姿を北京オリンピックに向けて大きく変貌する時代のうねりの中に浮き彫りにする。
 画家である父親は文革のとき、密告にあい6年もの間、強制労働をさせられる。ようやく帰宅をゆるされ北京のフートンの一角にある昔ながらの古い家に帰ると、すでに小学生になった息子がいる。息子は幼いとき父がいなくなったので、このとき初めて父と「出会った」ようなものだった。

■父は強制労働先で右手の指を折られ、画家としてやっていくことができなくなっている。父は息子に期待をかけ、息子を画家にしようと決意。いたずら好き遊び好きの息子を徹底的に鍛え画家の修業をさせる。
 そんな父に当然、息子は反発する。1976年と、1987年、そして1999年の三つの時期に焦点を絞って、父と息子の葛藤をたんたんと描いていく。母や息子の恋人、それに同じフートンに住む、父が強制労働にいくきっかけをつくった男の人生などを点綴しながら、切れそうで切れない家族の絆を描いていく。

■ハリウッド映画やハリウッド映画の影響を強く受けた韓国映画ともちがう、いかにも中国映画らしい作品で、素直に感動できた。
 沿岸都市部に限ってだが、中国も変わったな、とあらためて思う。特に文革などを知らない若者の変化は激しく、彼等は日本の若者らとあまり変わらない生活意識をもっているようだ。
 彼等が人口の大部分を占めるようになったとき、世界はどう変貌しているのか。映画を見ながら、そんなことまで考えた。
 同時に、古い情緒ある町並みがブルドーザーで壊されていく風景を見ると、こういう方向にすべてが流れていってしまっていいのかな、とも思った。
by katorishu | 2006-07-27 01:38

梅雨が終わらない

 7月25日(火)
■梅雨がなかなか終わらない。「記録的」という形容が毎年のように使われる。やはり地球の環境がおかしくなっていることの具体的な現れと考えるべきだろう。
 人類の消費する膨大なエネルギーが、気象に影響を与えているのだと思う。便利さ、快適さばかりを追及する文明の先行きには、「環境」問題ひとつとっても、明るい要素がない。

■以前、食生態学者の西丸震也が『食べ過ぎて滅びる文明』という本をだし、一読してなるほどと思った。人間の飽食は、動物の一種である人間を脆弱にし、結局は滅亡に向かう原因になる、というのが骨子になっていた。動物は飢えには強いが、飽食には弱く出来ているとのことだった。西丸震也は『40歳寿命説』という本も書き、これはベストセラーになった。ぼくも読み、なるほどと思った。20数年前であったと記憶している。現在のところ「40歳寿命」という西丸の仮説はあたっていないようだ。しかし、『食べ過ぎて』という言葉を象徴的にとらえ「天然エネルギーを使い過ぎて」ということであったら、残念ながら当たるのではないか。
 毎年のように続く「異常気象」から、そんなことを思ってしまう。

■日経の広告局の社員がインサーダー取り引きで逮捕された。3000万ほど稼いだとのことだが、愚かな人である。30歳を超えたばかりの若者だが、カネカネカネの価値観に首までつかってしまったのだろう。本人はゲーム感覚でやった、と話しているそうだ。ただ、彼の場合、本人が直接株取り引きをしなくとも、親族や友人に情報を流して、その人間が株投資をしたら事件は発覚しなかったのではないか。逆に考えると、インサイダー取り引きか、それに近い取り引きをやっている人は相当数いるということである。

■マスコミ関係者には一般的に「内部情報」がはいりやすい。日経の社員は例外中の例外ではなく、情報を知る立場にある人が直接手をそめていないしても、関係者にさりげなく情報を流すことで、その人が利得を得る……というケースもあると考えたほうがいい。
 こういう事件が起こるたびに思うのだが、額に汗をせずパソコンのキーボードをたたいたりするだけで、何千万、何億もの大金を稼ぐシステムが果たして良いシステムなのだろか。

■以前の日本の社会では「欲張り」は軽蔑こそされ決して尊敬されなかった。ところが今は欲張りが大手をふるい、テレビなどでも人気を得ている。「カネを儲けてどこが悪いの」と開き直る「勝ち組」と称される人たち。この人たちのような生き方が尊敬され、多くの若者がそちらを目指すようになると、必然的に地道に働く人間が愚かしい……ということになる。バブル期、不動産投資等をして「頭で稼がない人はバカ」とテレビで公言していた経済評論家もいた。竹中大臣などが「IT革命」と言い出したころから、またぞろバブルのころと似た風潮が頭をもたげたようだ。

■こういう風潮が主流になると、モラルは荒廃しロクなことにならない、と予言したい。昔の人は先人の経験から、そういう風潮がモラルの荒廃を生じる……と肌で感じていたのだろう。
 長い時間をかけて醸成してきたものの中には、人生の知恵がこめられている。もちろん、不合理で、納得できないこともいろいろあり、そういうものとは決別すべきだが、今や捨ててはいけないモラルまで失われようとしている。政治がそちらの方向に拍車をかけているのが現状である。

■久しぶりに品川図書館にいった。ノンフィクションの再校をあらためて読む。読み返す度にミスや改めたほうがいい部分を発見する。夏目漱石の「満韓の文明」から一部引用したが、漱石の文章中、文法的にヘンな箇所がひとつあり、校閲者が指摘していたので、それを調べる意味があった。原文にあたってみると、ぼくが書き写してものでよかった。今の感覚から見ると、ヘンだと思っていても、あの漱石先生の書いたものである、これはこれでいいのでは……と思った。ついでに漱石全集をちょっと拾い読みしたが、文に味があり、あらためて漱石の作品を読んでみたい気になった。漱石の長編小説はほぼもっているのだが、長編は3,4編しか読んでいない。もったいないことである。

■図書館にはいついっても見る顔がある。恐らく毎日足を運び、長時間過ごしているのだろう。恐らくは年金生活者なのか、雑誌に目を通したりビデオをよく見ている60半ばと思われる女性。さらに50代前半と思われる携帯パソコンといつもにらめっこしている男性。この人は図書館が閉館となる20時以降は近くの広いコーヒー店に場を移し、閉店の23時ごろまで座っている。あるいは文筆業なのか、どうか。ひどく孤独な様子で、人と口を聞くこともない。いつも険しい表情をしており、一瞬、失業者かな思ってしまう。もっとも、一部の「売れっ子」を除き、ぼくも含めた大方の文筆業は「半分失業者」のようなものであるが。
by katorishu | 2006-07-26 01:51

「物書き」という仕事

 7月24日(月)
■ドキュメンタリー番組の企画の件で、某制作会社代表氏と話し合い。氏は某テレビ局で制作局長などを勤め、一緒に番組作りで汗を流した「戦友」といってもいい人だが、最近のテレビ界についても意見交換した。「ちょっと低俗化がひどすぎる」という点で悲しいことに意見が一致した。「素人が多すぎるのです。スタッフもタレントも」と某氏。文化とは世代をこえてバトンタッチしていきながら磨かれていくものだが、どうもこの20年ほどでバトンタッチがうまくいっていないようだ。

■「とにかく本を読まない人が多する」という点でも意見が一致した。新聞さえ読まずに、情報のほとんどはインターネットからという人が多くなっている。インターネットは確かに便利で手っ取り早いが、それだけに頼っていてはダメである。 
 例えば調べ物をする際、新聞の縮刷版などを見ると、目的の記事以外にさまざまな「発見」がある。隣の記事に時代を象徴するような事件や現象が並んでいたり、広告宣伝なども時代を映していて興味深い。対象の記事の内容は、そんな「時代相」の中で起きたことなのである。周辺の記事は広告はプラスアルファであるが、これが意外に大事なのである。

■インターネットで調べると、プラスアルファの部分が削り落とされてしまう。新聞記事だと、記事の大きい小さいで価値を計ることもできる。諸々雑多な出来事の中で起きたことの「意味」が大事なのだが、インターネットではそれがわからない。アナログ情報を軽視するところからは、豊かな文化は生まれない。

■本を読む人が別に偉い人でもなんでもないのだが、よく本を読む人と読まない人は、10分ほど話していてすぐわかる。話さなくても、顔を見ればわかる。例外もあるが、よく本を読む人は比較的思考が深い。読まない人はどうしても紋切り型の発想になる。それが顔にでるのである。脳で思考するとき言語で考えている。言語を豊にするには、読書はふさわしい。つまり読書をしないと思考はなかなか深まらない。
 読書では抽象的な言葉から意味を読み取りイメージを喚起しなければならない。それが脳を鍛えるのである。鍛えた脳の持ち主は、肉体を鍛えたスポーツマンと同じで、外見上からもすぐわかる。

■自由業をすでに26年もやってきているが、自由業の最大の特徴は「自由に時間を使える」ことと「収入が一定していない」ということだろうか。
 カミサンも文筆業で自由業である。二人ともそのときの気分で仕事をしたり、しなかったりするので、規則的な生活とはほど遠いものになる。
 本日も、夜の1時近くになってから、運動不足なので散歩に行こうかということになり、5分ほど歩いた運河の近くにあるファミレスにいき、ビールを飲みながら3時間ほど仕事。運河の向こうは問題山積のJALの本社ビルで、霧に煙っていた。運動にならなかったが、気分転換にはなった。

■社会を右から見たり左から見たり、さらに上から、下から、斜から見たりして、批判や同情や嫌悪をこめたりして妄想をふくらませたりしながら「作品」に定着する。視点をズラスことで見えてくるものがある。どうも「まっとうな」生活をしていては、このズレが生まれない。昔の「無頼派」作家は、あえてハチャメチャな生活をして世間のモラルからはずれる生活をすることによって、自分を窮地に追いつめ、そこに開きなおった。開き直った地点から社会を見ることによって「視点・視角」を獲得し、独自の発見をしていったのだろう。ハチャメチャな生活に対する世間の批判、非難、あるいは憧れ等々が、また彼等の書きものの糧になっていたにちがいない。

■ぼくは小心で、社会から大きく外れるだけの「勇気」がないので、とても無頼派にはなれないが、考えてみれば物書きというのも妙な職業である。物事の裏の裏、さらにそのまた裏を見ようとすることが習性になっている。誰であったか「善人」は作家になれない、どこかに「意地悪」な目をもっていないと、といっていた。
 別の人は「作家なんてノイローゼ患者みたいなもんだ。いつも、ああでもない、こうでもないとイジイジ考えて、優柔不断」といっていた。その通りである。例外はもちろんいるが、知り合いの物書きを見ても8割方そうである。もって生まれたものと、幼児期体験がもたらしているのだろうか。自意識過剰で、優越感と同時に劣等感を人一倍強くもっているのも、特徴である。
 厭な性格だと思うが、仕方がない。何の因果か、そういう巡り合わせなのである。そろそろ、新聞の朝刊が届くころである。このところ、朝刊を読んでから眠ることが多い。体には悪いのだが、「気分」を先行させると、どうしてもこうなってしまう。
by katorishu | 2006-07-25 04:30
7月23日(日)
■九州地方は記録的豪雨とか。地球環境がおかしくなっていることの具体的現れである。他の要因があるのかもしれないが、人類の天然資源の過剰消費が大きな原因ではないかと思っている。科学者ではないのでデータを示すことはできないが、肌で日頃感じていることである。

■本日、カミサンと運動不足なので20分ほど歩いて大井町駅近くまで行く。例によってコーヒー店を2軒まわり計5時間ほど仕事。資料読みに時間を費やす。仕事の必要があって、東京裁判で、11人の判事のうちタダ一人、「日本無罪」を主張したインド人弁護士のパル判事の「パル判決書」という部厚い本を読んでいる。文庫本で上下二巻で計1600ページを超えるもので、内容が濃く、一気に読み通せるものではない。

■東京裁判が勝者により一方的な裁判であることは、周知の通りである。パル判決は、右翼系統の人の「日本は悪くなかったんだ」という主張に利用されているが、パル氏の趣旨はそうではない。日本が昭和初期に行ったことは、悪いと認めた上で、法的にあの裁判は間違っている、と緻密な論理で論駁している。つまりあの東京裁判は公正ではなく、そこで裁かれる日本は法律的に「無罪」といっているのである。決して日本は悪くなかったとはいっていない。

■「世界の敵日本」という空気が醸成された当時、「日本無罪論」を主張することには相当の勇気がいったことだと思う。まだ下巻の最後の一部を読んでいない状態であるが、パル判事の熱い思いが伝わってきて感動した。
 戦後日本が「東京裁判史観」に強い影響を受けてきたことは否定できない。しかし、勝者の身勝手さが漂う理不尽な裁判であることは明らかであう。特に文官であった広田元首相を絞首刑にしたことなど、強い憤りを覚える。

■同時に日本人がみずからの手で「あの戦争」の責任者について追究してこなかったことは大いに問題である。一部軍閥の強攻策にひかれ、さらに大手新聞や日本放送協会の煽動的な報道も、その責を咎められるべきである。
 それを曖昧にして、とにかく経済的繁栄ばかりを追究してきた「戦後日本」。戦後史はそろそろ書き換えられるべき時にきている。

■大井町で夕食をとりがてら喜界島の焼酎を飲んだりし、よろよろ帰宅してテレビをつけると、NHK特集で「ワーキング・プア、働いても働いても豊かにならない社会」という番組を放送していた。日本の貧困層の実態を浮き彫りし、NHKならではのいい番組だった。小泉改革とやらの、いい加減さがすけて見える。「格差社会を云々するのは嫉妬である」といった意味のことを小泉首相は国会で述べたが、とんでもないことである。

■強いものが稼ぐことのどこが悪い、という意見があるが、人より2倍3倍働いて、知恵を働かして、2倍3倍、さらには5,6倍くらいのお金を得ることは了解できる。しかし、何十倍、何百倍の利得を得ることには異論がある。その類の「リッチ層」はシステムをうまく利用して稼いだだけのことである。しかもオリックスの会長や村上ファンド、さらには日銀総裁に見られるように、システムを作る側の人々がシステムを利用して膨大な利得を得ていた。
 中国の「先富論」ではないが、一部の人が先頭を切って富むことで、その恩恵が下の層の及ぶ……という論理を展開する人がいるが、儲け仕事に走り、黄金に目がくらんだ連中に、それは期待できない。儲けること自体が生きる目的になってしまっているのだから。
 長い目で見たら、あの類の連中が跳梁跋扈することは、日本民族のためにならない。なぜなら、彼等、極端な富裕層の出現のしわ寄せで「中間層」がどんどん薄くなっているのだから。
by katorishu | 2006-07-24 00:03
7月22(土)
■西葛西の映画学校にいく。来年度の新入生向けの「体験学習」を頼まれた。が、やってきたのは在校生のみ5人。監督志望2人、脚本家志望1人、配給宣伝志望2人。映画の基礎になるシナリオがいかに大事か、さらに言語がいかに大事なものであるかを力説。映像表現の質をあげるには、言語駆使能力を向上させ、思考を鍛えるのが基礎の基礎である、といろいろなところで話している持論を2時間にわたって話した。

■昨日、テレビ朝日の報道ステーションで社会保険庁のでたらめぶりを特集していた。なんと13もの年金手帳をもっている人がいるという。信じられないことだが、65歳以上の国民で、誰のものか不明の年金手帳が2500万もあるという。支払っているのに、不払いになっている人も相当数あるらしい。いかにいい加減な仕事をしていたかに慄然とする。税金の無駄遣いもいいところである。加入者数がもっとも多い国民年金でのでたらめである。

■一方で、グリーンピアなど多額の年金で建てた無用の長物の建物がある。これにむらがったゼネコン、天下りした社会保険庁職員らは、なんらかの形で責任をとってもらいたいものだ。すでに現行制度の年金は破綻している。
 公務員の年金がもっとも優遇されているのも納得しがたいことである。組織等の守られていない「一般国民」とくに中企業経営者や不安定な雇用者らが、国民年金という低額支給年金にはいっているが、月に4,5万円の支給である。これではとても老後の生活を維持できない。預貯金をもっている人も長びく不景気や銀行の低金利などで相当程度目減りしているに違いない。

■これでインフレにでもなったら、さらに弱者にシワヨセがくる。財政赤字を解消する最もてっとり早い方法はインフレを起こすことである。ハイパーインフレは財務省や政府とも望んでいないだろうが、消費税など大幅値上げかインフレによってしか、財政赤字は解消されない。それほど国の負債は天文学的数字にふくらんでいる。

■小さな政府を訴えて登場した小泉政権は、5年間で財政赤字を増やしてしまった。
 社会保険庁のでたらめぶりは、なにもこの庁独自のことではない。ほかの省庁や行政機関も大同小異ではないのか。 
 国家公務員も地方公務員も戦後は「天皇の官吏」から「公僕」つまり国民に奉仕する存在に生まれ変わったはずなのに、それはタテマエであった。デフレ傾向のなか、公務員の給料は実質的にあがりつづけてきたといってよい。教師などの給料は最近減額されているらしいが、それでも退職金は手厚い年金などもふくめてた「生涯賃金」では国民の平均所得をはるかに大幅に上回っている。すくなくとも、大企業等の平均ではなく、中小零細企業もふくめた労働者の平均程度にすべきだろう。

■あわせて、意欲と創意にあふれた有能が公務員と、遅れず休まず働かずの凡庸な公務員とで、給与面でも差をつける必要があるだろう。平均給与を低くしたら優秀な人が公務員にならないという意見があるが、そんなことはない。民間には、低い報酬で立派な働きをしている人がいくらでもいる。無能な公務員はやめてもらって、民間から新たに募集すれば、いくらでも有能な人間を補充できる。

■小泉首相が先ずやるべき「改革」であったが、これをまったくやっていない。一部、「政商」のような人物と、これにまつわる層に利益をもたらし、日本の伝統文化を破壊したすることに寄与した政権、とぼくは評したい。既得権益の一部を確かに破壊したが、破壊すべきところを破壊せず、破壊してはいけないことまで破壊してしまった。次の政権もこのまま小泉路線を踏襲するのだろうか。
 まだ破壊の中途なので、引き返すことが出来るのだが、このままどうしようもないところまでいってしまう可能性が強い。そうなれば、逆に政権交代の芽が出てくるのだが。田中康夫氏と元自民党代議士の一騎打ちとなって長野県の県知事選挙が注目される。田中氏が勝てば、来年の参議院選挙で与野党が逆転する可能性がぐっと強くなる。
by katorishu | 2006-07-23 01:04
 7月21日(金)
■14時より六本木で放送作家協会の定例の理事会。議論する内容が盛りだくさんで「濃い」時間であったと思う。今後予定されているイベントについて共通する問題は、オカネである。どんなに良いこと、理想的なことでも、先立つものがなければ「絵に描いた餅」になってしまう。

■終わって、事務局向かいレストランで御茶を飲みつつ、何人かと歓談。構成作家の某氏が話していたが、現在、構成作家の仕事が減っているそうだ。経費節減の余波で、これまで外部の構成作家に頼んでいたものを、担当のディレクターやアシスタントがまとめてしまうのだという。とにかく「効率化」がテレビ局をも席捲しつつあるようだ。
 フリーの放送作家はその影響をもろに受けることになる。世の中全体に、組織にまもられない「弱い立場」のものにシワヨセがいっているという気がしてならない。
 それで番組の質が向上し、面白ければいいのだが、逆である。われわれも、戦略的にこの事態に対していけなかればいけないのだろう。

■ところで、日本放送作家協会のホームページに、「放送人インタビュー」というコーナーがある。すでに5回目だが、いずれもぼくが話をききアシスタントの人とともに原稿にまとめている。番組制作の裏面や放送の問題点などを浮き彫りにしてあるので、ぜひ読んでいただきたい。「日本放送作家協会」で検索してアクセスしてみてください。

■このブログ、青文字で下線をつけて他のホームページに飛べる機能がないか、やり方が不明なので、検索してからアクセスしてくださいとお願いする次第です。
 エキサイト・ブログだが、他のプロバイダーに比べあまり機能的ではないと感じている。
容量無制限で有料のブログであるが。

■夕方から渋谷で映画を見ようと思ったが、睡眠不足なので、途中で眠ってしまう恐れがあったので、やめた。帰路の途中、大門駅でおり、コーヒー店でおり、執筆作業をはじめたが、やはり睡魔に襲われ2時間ほどいたうち、1時間ほどは半分眠っていた。
 仕事の必要があって、韓国ドラマ関係の本を5冊買う。ムックが大半だが、今でもこの類の本が出ているのですね。完全に日本社会に定着しているようだ。

■KBSの番組も有料だが登録をすれば日本で見ることができる。文化の面ではボーダレス化は確実に進みつつある。政治の面では、関係国はお互い意地をはり、つっぱっているようだが。文化と経済面で、お互い相手なしでは存在できないようになれば、政治もそれにひきずられていくのではないか。
 庶民レベルの文化交流が、今こそ大事なときはない。その際、インターネットが強い役割を果たすに違いない。マイナス面があるにしても、時代はこちらに流れている。文化の独自性は残すべきだが、国境の壁は低いほうがいいようだ。北朝鮮も国境の壁が低かったら、あんな独裁政権が永続きするはずがない。統制国家ほど壁を高くする。

■数日前、このブログに書いたが、どうも地球環境は悪化の一途をたどっているようだ。最近頻発する大雨や土砂崩れは、異常である。記録的という言葉が毎年、おなじみになってしまった。イギリスは逆に90年ぶりの熱波が続いているという。適度にということがなく、雨のふるところには極端の多く振り、降らないところには極端に降らない。
 早く人類、とくに文明国が「便利さ」一辺倒のシステムをあらためないと、取り返しのつかない事態になる。
by katorishu | 2006-07-21 23:34