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8月30日(水)
■昼間は喉が痛い程度なのだが、夜眠ろうとすると激しく咳き込んだりして、よく眠れなかった。昼近くようやく眠れたと思ったところ、電話で起こされた。電話をかけるほうは、正常な状態でかけるが、受けるほうは必ずしも正常ではない。携帯は仕事部屋に置いてあるので、寝ている間だは基本的に出なくてすむが、普通電話はリビングにも子機が置いてあるので、容赦なくかかってくる。もっとも、最近、用件のある人のほとんどは携帯にかかってくるか、メールであるが。電話帳から氏名表示をはずしてもらったので、お墓や金のセールスなどの電話はほとんどなくなった。せっかく寝付いたとき、セールスの電話で起こされるほど不愉快なことはない。

■昼間起きて夜眠ればいいのだが、長年の習慣で体がそうなっていかない。作家・脚本家家業の最大の利点は時間を基本的に24時間自由に使えることである。もっとも、「売れっ子」作家やテレビメディアなどによくでる人は、こういう気ままは許されないのだろうが。気ままは、しばしば「無収入」に通じることで、悩ましいことである。
 現在、マニラで悠々自適の生活をしているS氏は、ぼくが文筆業を初めて間もなく「自由業って不自由業なんだよね」といっていた。S氏は50歳で会社勤めをやめマニラにいき、以後、ずっと彼の地で一人暮らしを続けている。土地付きの家が150万円くらいで建つと話していた。S氏は50歳で会社をすっぱりやめた悠々自適の生活をするため、こつこつと貯金をしてきた。

■入ってくれば入ったなりに使ってしまう、金銭感覚のゆるいぼくなどと、その点が違う。
ひところ、作家の開高健氏がエッセーで「体を通過するお金は多ければ多いほどよい」といった意味のことを書いていて、なるほどと思ったことを覚えている。若い柔な脳はそういう「煽動」にのりやすい。従って入った金は貯めずに右から左に流してしまう。それが「文士だ」と先輩諸氏からいわれつづけ、「文士」の範疇からこぼれているのに、いまだに、そんな言葉の呪縛にとらわれているところがある。若い時期、傾倒した作家が「無頼派」であったことが、影響しているのかもしれない。表面そういう風には見えずむしろ「慎重居士」と思うムキもあるようですが、どこか「無頼」あるいは「アナーキー」なものに憧れるものがいまだにあるのです。

■ところで、S氏の住むマニラ市の一角は、ヨーロッパ系の外国人が多く住む地区だそうである。S氏は「生活の知恵」として、他の多くの外国人移住者のように、現地人と離れた水準の生活はせず、現地人並みの食べ物を食べ、現地人並みの衣服を着ることを心がけている。現地人から「日本の金持ち」と思われたら、市場でも料金をふっかけられるし、身の危険度も増す。海外に住んでいる友人、知人もいるので、時間と金があったらいってみたいのだが、幸か不幸かいずれもあまりないので、東京周辺をうろちょろする生活が続いている。もっとも、良い悪いは別にして、東京ほど「面白い都会」は、そうはない。人が多く、密集しているというのは、それだけでも面白い。数のうちには、面白い人も魅力のある人もいる。その何百倍、何千倍もの「つまらない」「紋切り型思考」しか出来ない人間もいるのだが。

■本日、東京が2016年のオリンピックの日本の開催地の候補として決まったそうだ。これから世界の都市との競争があるので、どうなるかわからないが、もし東京開催となると、どういう大会になるのか。10年後の世界はちょっと想像もできない。
 世界の未来について考えるとき、どうもぼくは悲観的に考えてしまう。果たして10年後、オリンピックを出来るような「平和」な時代が続いているかどうか。

■寝床で咳の発作に悩まされるまま寝たり起きたりしつつ『敗因と衝く・軍閥専横の実相』(田中隆吉・中公文庫)を半分近く読んだ。以前、一度読んだはずだが、ほとんど忘れている。再読して、面白さに時間の経過を忘れた。田中隆吉は陸軍省の兵努局長をつとめ、東條英機と対立した人物で、東京裁判のとき検察側証人(アメリカ側)としてたち、帝国陸軍の暗部を法廷で暴露した人物として知られる。映画『東京裁判』を見た人は、太鼓腹の田中隆吉の相貌が記憶にのこっていることと思う。
 当時、新聞は「怪物」「モンスター」と書いた。帝国軍人でありながらアメリカ占領軍の側にたって証言したことで、旧軍人からは「裏切り者」の汚名を着せられた。
 軍の中枢にいた人物の書いたものだけに、迫力がある。貴重な書である。本書をアメリカ占領軍は目にとめ、それがきっかけで裁判で証人にひっぱりだしたとのことだ。「昭和の軍閥」の跳梁跋扈する様が鮮やかに活写されている。とくに東條と彼の部下の武藤章 軍務局長への批判は厳しい。日本の政治、社会を牛耳った「軍閥」の姿が生き生きと活写されている。後半を読むと、本日一日仕事にならないのだが……。
by katorishu | 2006-08-31 01:03
 8月29日(火)
■高校生が30万円で友人に自分の母親殺害を依頼し、母親は死んだ。こんな類の青少年による、ブレーキがきれてしまったとしか思えない犯罪が多発している。終戦直後の昭和20年代に比べると犯罪数もずっと少なく、年々犯罪件数は減っていると指摘する学者もいるが、子が親を殺すとか、殺す理由もないのに小動物を殺すような気分で簡単に殺人を犯してしまう青少年が増えている。

■このブログで何度か紹介した『脳内汚染』(岡田尊司著)の指摘している通りのことが頻発しているのである。テレビさらにはゲーム、パソコン、携帯などに過度に浸っている結果、多くの子供の脳がおかしくなっていることと関連していると考えるべきだろう。
 ゲーム等を一日3時間以上、毎日やりつづけると、脳がおかしくなることは、科学的に証明されているそうだ。コカイン、覚醒剤でも、使用しはじめた初期においては、害よりもむしろいいことばかりが起こるように感じられる。ところが、長期間、継続するうち、行動も性格も別人のように変わっていく。「その点は、有害なゲームやビデオも同じである」と岡田氏は強調する。

■人間の脳は本来、ブラッド・ブレイン・バリアー(血液・脳関門)という仕組みによって、有害な物質から特別に守られている。この仕組みのおかげで、たとえ有害な物質が体内に入っても脳は被害を受けない。ところが、向精神薬や麻薬、麻酔薬といった特殊な物質は、このバリヤーを超えて脳に達する。

■岡田氏によれば、テレビゲーム機などの「情報刺激」は、視神経や聴神経、知覚神経を解して瞬時に脳に到達してしまう。ここが怖いところである。
「テレビ・ゲームをすることも覚醒剤を注射することと同じようにドーパミンのリリースを引き起こす。情報刺激は、物質的な刺激と同様、脳の中では、結局同じ神経伝達物資の濃度上昇という生化学的信号に交換される。情報処理システムである脳にとって、入力が物質的な刺激であろうが、感覚的な情報刺激であろうが、結局同じなのである。情報という感覚的な刺激が溢れた、この世界においては、物質以上に情報が、脳にとってははるかに有害で危険な脅威となるのである」(『脳内汚染』)

■つまりゲーム機などの「情報刺激」は脳にとっては、麻薬や覚醒剤と同じと思っていいようだ。麻薬や覚醒剤は厳しくとりしまられているが、同じよう脳に有害な刺激をあたえるゲーム機などは、日々コマーシャルなどで喧伝され推奨されている。現代社会に生きる人間は、麻薬や覚醒剤が政府公認、企業推奨のもとの社会に生きているようなものである。
 いくら、モラルがどうの教育がどうのといってみても、犯罪は増えこそすれ減ることはない。肝腎の脳が汚染されてしまっているのだから。「臭い臭いは元から絶たねばダメ」などというCMがあったが、元が腐っていては、どう取り繕おうと、改善されることはない。

■この怖さ、恐ろしさに、政治家も教育者もマスコミも、ほとんど気づいていない。岡田氏の書を、もっと多くの人に読んでもらいたいものだ。パソコンが一般に急速に普及してから、たかだか10年である。携帯や高性能のゲーム機の普及も似たようなもの。脳にとってはまことに悪い「空気」が社会をおおってしまった。特に悪い影響は、喫煙などと同様、長い時間をかけてやってくる。情報汚染の状況に20年、30年と汚染されつづけた脳がどうなっていくか。生まれたときから、この「汚染」にひたされている子供への影響はもっと多大だろう。多くの国民に自覚されたときは、もう決定的に遅いのである。脳の汚染をなくすのは、溝を掃除するように簡単にはいかないのである。
 テレビの長時間視聴やゲーム機を連日、長時間つづけることの「害」は覚醒剤などの害に劣らないのだということを、教育の現場でも指導していかないといけないのだが。
 なにしろ、ゲーム機メーカー等は、儲かっており、メディアの有力「スポンサー」になっているので、阻止にまわるだろう。大手の家電メーカーもからんでいるし、多分、「危険ではない」という屁理屈をこねてくるに違いない。
 安倍晋三氏の本などより、『脳内汚染』がベストセラーになってくれればいいのだが。
危機がほんとうに目の前に見えるようにならないと、危機を危機として自覚しない人が多すぎるような気がします。『脳内汚染』には貴重な情報がぎっしるつまっているので、これをお読みになった方、ぜひ、本屋で買って読んでみてください。瞠目すべき内容です。

■前日にひきつづき六本木に。朝方、ひどい咳がでて、小児喘息をやったときを思い出した。咳止めドロップなども買ってなめ、なんとか回復し、午後2時からの日本放送作家協会の理事会に出席する。クリニックにいく時間はとれなかった。
 理事会では、20数人の同業者と意見交換ができるので、必ず出席するよう心がけている。いろいろと実りある話題、問題点などが議論された。
 終わって事務局の近くの喫茶店で、何人かと雑談するのも恒例となっている。ペパーミント・ティを飲みつつ談笑。ぼくと同じテーブルに座った諸氏は、5人とも全員女性の脚本家・構成作家たち。「井戸端会議的な」話題から、料理、教育の話、テレビの現況などについて、さまざまな意見交換をした。40代、50代でそれなりのキャリアのある人たちなので、自然、現状に対して厳しい意見が続出。

■以前であったら、さらに酒場にでもいって侃々諤々議論をしたのだろうが、みんな御茶だけで帰る。(中には飲みにいった人がいるかもしれないが)。
 家で、午後7時前に夕食を食べるなど、年に数回しかないが、本日は、7時前に食べ、数時間仮眠した。睡眠に勝る「薬」はないですね。それと水。動物は体調が悪いと何も食べずに、ただじっとうずくまっている。自然治癒力が働くのである。
 医者も信用できない人が多いので、なるべくかからず、自然治癒力にまかせたい。それでダメなら「天命」と思って、吉村昭氏ではないが、静かにこの世から去っていく……。
by katorishu | 2006-08-29 23:49

映画『雨月物語』

8月28日(月)
■珍しく早朝、8時ごろ起床。5,6時間の睡眠だが、頭はすっきりしていた。ところが、声がかすれてうまく出てこない。咽頭癌で手術をした患者が発するようなかすれ声で、ようやく声が出る程度。こういうことも珍しい。本日は午前中、大事な用件があるのだが、これではあまりしゃべれない。民放連会長のところに脚本アーカイブズへの協力をお願いにあがった。ぼくは喉がこんな状態なので、他の委員が話し、もっぱら聞き役。脚本アーカイブズについて、お会いした全員が賛成で意義があるものと強調する。問題は資金である。それをどう捻出するか頭を悩ますところである。

■ついでに六本木ヒルズ界隈をちょっと歩いた。麻布十番あたりにいったのは20年ぶりぐらいであった。あのあたりも大きくかわった。昔は田舎びた雰囲気もあったのだが、今は東京でもっとも「洗練された」一角ということになっており、少々こぎれいになりすぎている。それが受ける時代なのだろう。神楽坂界隈とも違った独特の雰囲気はあったが。

■喉がこんな具合なので、電話を受けてもうまく話せない。こちらから電話をする用件があるのだが、やめにした。仕事もあまりはかどらない。資料読みもだめで、結局、映像をぼんやり見ることになる。
 BSで放送された溝口健二監督の『雨月物語』どは、しっかり眼を凝らして見た。江戸時代の作家、上田秋成の幻想味あふれる小説の映画化である。田中絹代、森雅之、京マチ子といった名女優の演技はさすがである。昭和28年の制作で、機材もとぼしい上に、お金もそうそうかけられなかったのだろう、今の映画技術から見ると、ダイナミックさが足りないと思った。ベネチア映画祭で外国映画監督賞を受賞した作品だが、ぼくは溝口作品のなかではあまりかえない。過去、ビデオでも見たが、画面の質が悪く暗いので、最後まで見通すのに骨が折れた。今回も同じ。大きなスクリーンで見たら、ちがった印象をもつのかもしれない。

■溝口作品なら、やはり芸道物や新派風の悲劇がいい。今年は溝口監督没後50周年ということで、「残菊物語」ほかの作品が連続してBSで放送される。時間があればいろいろと見てみたい。本日、0時50分より、溝口監督の『雪夫人絵図』がBSで放送される。船橋聖一の原作で、ぼくは30年ほど前にこの長編を読み、女性描写のうまさに舌を巻いたことを覚えている。文章もうまい。映画化されると、あの味が出るかどうか。船橋聖一は東京生まれで子供のころから、しばしば祖母に芝居を見につれていってもらったそうで、男女の機微等に詳しく、物語展開も巧みである。大変な元手がかかっているのである。東京都といっても八王子の田舎に生まれ育ったぼくなど、とてもかなわない。スタートの地点が違うという気がしたものだ。残念ながら。
by katorishu | 2006-08-29 00:15
 8月27日(日)
■喉の痛みがつづき、どうも精神の緊張が持続しない。西葛西の映画専門学校の「体験入学」の講師の約束があるので出かけた。2時間しゃべりっぱなしのためか、声がかれてしまった。喉の痛みで喉が弱くなっていたのだろう。
 こんな日は軽く読める読書に限る。往復の電車のなかで銭形平次捕物控の2編「遠眼鏡の殿様」と「妾の貞操」を読んだ。平次親分と手下の八の面貌がうかびあがるほど親しくなった。小説としての完成度は例えば藤沢周平などに比べると荒く、ご都合主義のところがあるが、大衆読み物として楽しめる。

■高田馬場にあった古風な味わいの喫茶店「あらえびす」は、確か銭形平次の作者の野村胡堂の経営していた店ではなかったか。クラシックやジャズのレコードが相当数あり、古雅な雰囲気の味わいのある店であったと記憶する。高田馬場駅と早稲田大学の中間あたりにあったのだが、まだあるのかどうか。ずっと前に閉鎖されたという話を聞いた気もする。
 ああいう落ち着いた古雅な味わいのある喫茶店は、東京でもほんとに希少価値になってしまった。荻窪の邪宗門や国立にある邪宗門などは、まだ健在であろうか。過日、神楽坂にいったおり、日曜で休みであったので前を通り過ぎるだけであったが、「パウパウ」は健在であった。ここも趣がある。近頃はやりの価格の安いコーヒー・チェーン店とは、まるで雰囲気が違い、「異空間」にはいった気分になれる。
 価格の安いコーヒー・チェーン店を日頃は愛用しており、これはこれでありがたいことだが、ああいう独特の雰囲気をもった喫茶店が街から消えていくことは寂しいことだ。

■森銑三の『明治人物閑話』を、昨日寝床で拾い読みした。じつに面白い。希代の博覧強記の文筆家、森銑三のことを知っている人は相当の読書家であるだろう。近世文芸研究や伝記ものを手がけ、森鴎外の研究家としても有数で、「森銑三著作集」は第23回読売文学賞を受賞した。もともとは図書館員であり、資料の渉猟には定評がある。大正15年に上野帝国図書館内文部省図書館講習所を卒業し、東京帝国大学史学編纂所に長く勤めつつ執筆研究活動を行ってきたひとだ。昭和60年、89歳で亡くなっている。

■森鴎外の無二の親友、井上道泰のところに森は毎週のように足を運び、資料等を見せてもらうと同時、いろいろ面白い話を聞かせてもらったそうで、そのときのことを回顧している。井上道泰は医学博士だが、眼科の町医者であり、一時、文部省の国定教科書の編纂委員もしていたとのこと。鴎外のことを、「鴎外」とは決して呼ばず「森くん」とか「林太郎くん」とか呼んだとのことだ。井上は鴎外の訳詩集「於母影」の訳者の一人でもある。
この作は鴎外の訳として巷に流布しているが、じつは井上道泰もいくつか訳しているそうである。
 森銑三の著書を読んでいると、広大で深い教養の土壌が感じられる。本当の「教養人」とはこういう人のことをいうのだろう。全12巻の「森銑三著作集」のうち何巻かを買ってもっているはずだが、どこかにまぎれこんでしまった。

■次に寝床で読もうとしている本は岡本綺堂著の『ランプの下にて』(岩波文庫)である。岡本綺堂は『半七捕物帖』や戯曲『修善寺物語』を書いた大衆小説家であり劇作家でもある。東京日日新聞の劇評記者をやっていた時代の、舞台と名優に関するエッセーである。
 最近の演劇評論家や映画評論家には太鼓持ちのように、ひたすら「ヨイショ」する人が多く、岡本綺堂のような骨のある評論をする人が少なすぎる。綺堂のエッセーからは明治時代の息吹が伝わってくる。

■昭和になって、日本は多くのものを失ってしまったことが、明治期に活躍した人の文章を読むとよくわかる。まだ江戸文化の精髄を保持していた人が生きていたからなのだろう。戦後、「団塊の世代」を中心に、教育の現場でも戦前のものはすべて悪いと教えられ刷り込まれてしまったことのマイナス面をあらためて実感する。
 もちろん、戦前には言論統制や軍部の強権など、悪い面も多々あったが、美点もそれに劣らずあった。アメリカ軍による占領時代に、「人間改造」されてしまった人が多すぎる。アメリカ軍による「日本国家改造計画」は歴史上、極めて稀な成功例であろう。
 アメリカはイラクでも同じことが出来ると思っていたのだろうが、アラブ人は日本人ほどナイーブでもお人好しでもない。ちなみに「ナイーブ」とは「世間知らずのバカ」ということである。日本では「あの人はナイーブだ」というと褒め言葉になっているが、欧米では、貶し言葉である。ナイーブな人間が多ければ多いほど、統治し管理する人は楽だろう。
by katorishu | 2006-08-28 00:05

お笑いハイスクール

 8月26日(土)
■北千住の駅前にある1010劇場での「お笑いハイスクール」の「開校イベント」に。日本放送作家協会主催なので、見物ではなく、手伝いに。昼の部は小沢昭一氏ほか、夜の部は永六輔氏ほかの芸人が出演。700人はいれる規模の劇場だが、昼夜ともに500人ほどの入りか。ぼくは慣れない受付などをやった。もっとも夜の部だけのお手伝いであったが。
 最後の永六輔氏の30分間の講演はきいた。皇室の入江侍従長や黒柳徹子氏などとの交流のエピソードをまじえて、笑わせながら語る話術はさすがだった。昼の部の小沢昭一氏の話も大変面白かったそうだ。このあと、毎土曜に「お笑い講座」が開催される。興味のある方は、日本放送作家協会のホームページでをクリックしてみてください。以下のURLです。http://www.hosakkyo.jp/index2.html

■電車の往復の際、たいてい本を読む。計1時間程度あるので、ぼくにとっては貴重な時間でもある。最近、鞄にいれているのは野村胡堂の銭形平次捕物控。文庫本でたまたま本棚の奥を見ていたら、二冊出てきたので、手頃な気分転換にと読み始めている。一編を30分程度で読めるので、電車の中で読むには手頃である。本日読んだのは「生き葬い」と「小便組貞女」。江戸の庶民風俗や、あの時代に生きる人たちの哀歓が素直に伝わってくる。

■江戸も爛熟期にはいると、大名や大町人ばかりでなく学者僧侶にまで妾を蓄える者が続出した。一方、妾を志願する「美女の群」もあり、中には「非常な美人で、たった一眼で雇主をすっかり夢中にさせてしまい、何百両という巨額の支度金を取って妾奉公に出た上、鴛鴦(えんおう)の衾(ふすま・つまり布団)の中で、したたかに垂れ流すという、大変な芸当をやる女もあったのです」

■つまり今様にいえば愛人を志願してその家に住み着き、ベッドで寝小便をするということである。いくら美女でも主人はそんな女には愛想がつき追い出す。しかし、一度あたえた支度金は暇をやったからといって取り戻すわけにもいかない。それをいいことに、美女の群れの一部は次々と主人を変え、その度に寝小便をして追い出され、多額の支度金をせしめるのだという。
 この短編では、「したたかな小便組の女」と見られていた女が、じつは「貞女」であったことが明らかになり、犯人の男を平次親分が敢えて捕まえず、被害者の不良は仲間うちでの争いで殺された……ということにする。人情ものの典型である。昔、銭形平次はよく読んだはずだが、今読むとあらためて江戸風俗の一端を知ることができ、面白い。 

■最近、時代小説はずっと読んでいなかったので、これを機にすこしづつ読んでみようと思っている。買いためた時代小説の本は相当数あるのだが、ほとんどは未読なので、もったいない。さらに読みたい本、見たい映画・演劇、会って話をききたい人、等々があまりに多く、1日24時間ではまったく足りない。「貧乏暇なし」というのか、「悠々自適」とは無縁の生活なので、おかげさまで退屈な時間はほとんどない。活性ホルモンが分泌されるのだろうか、たまに睡眠薬をもらいにいく以外、病院にはほとんどいかない。少々の病気は自然治癒にまかせることにしている。保険料は一方的にとられっぱなしであるが。

■癌に冒された作家の吉村昭氏は延命治療を拒否し、自ら呼吸器につながる管をひきぬき、死を選んだとのこと。妻でやはり作家の津村節子氏が「お別れ会」で披露したそうである。あっぱれな死に方である。周囲を疲労困憊に追い込み、多大の迷惑をかけ、ただひたすら醜く生を伸ばすだけの人も多いが、吉村氏の終わり方には「士」のいさぎよさがある。「商人」ばかりが多くなり「士」が本当に少なくなった。
by katorishu | 2006-08-27 01:07

壊れていく子供の脳

 8月25日(金)
■『脳内汚染』(岡田尊司著)が、あまりに「面白すぎて」最後まで一気に読むのが惜しくなって、5分の4ほどでやめている。もちろん「ジョーク」で、一部の映像好き、ゲーム機好きの青少年の脳がここまで「壊れているか」と、実情を知って空恐ろしくなった。のめりこむ人にとって、テレビゲーム等は麻薬と同じであり、彼らの脳には麻薬中毒患者と似た症状が見られるそうです。

■岡田氏は医療少年院で実態に接し、データなどを基礎に論を展開しているので、説得力がある。「感性の時代」だとか「映像の時代」だとかいって国民を煽ってゼニ儲けに励む一部、企業の関係者は、この本など読んでいないでしょうね。
 今こそ、本を読むことが大事な時代はないと思います。
 本日は体調が悪く「夏風邪」なのか喉が痛い。根気が続かないので、仕事はやめにして読書とDVD鑑賞……に時間を使おうとしたが、これも続かない。

■恋愛ものの韓国ドラマを近くのレンタルビデオ店で借りて見たが、30分で制作できる内容を60分にのばしてつくっている印象だった。韓国の売れっ子の脚本家は毎週2本、60分の連続ドラマを書き続けると、過日、釜山にいったとき直接、当の脚本家氏から話を聞き、驚異的な筆力と思った。が、本日見たような「薄められた」ものなら、可能であると思った。韓国ドラマ通の人の話では、この類のものが「恋愛ドラマ」には結構多いそうだ。

■韓国のテレビドラマの主人公が、医師や青年実業家やテレビ関係者やアメリカ帰りの「横文字職業」の「カッコいい」人ではなく、普通の市民を主人公にしたとき、成熟の度が進むのだろう。
「引き延ばしドラマ」を大量生産していると、いずれ飽きられるのでは……と韓国ドラマのために敢えて苦言を呈したい。
 一般国民がその種の職業の人を無条件でカッコいいと思ってしまうんでしょうかね。こういう傾向に価値を置く人を称して東京、というよりぼくの周囲では「イナカモン」といいます。
by katorishu | 2006-08-26 00:12
 8月24日(木)
■「きっこの日記」というブログを御存知だろうか。自称「ヘアメイク」の「女性」の記すブログで、今年初めの時点で一日のアクセス数が10万を突破したという。その後、週刊誌で紹介されたこともあるので、今は20万を超えているのではないか。
 音楽やf1のほか、パチンコ、俳句などについて、独特のしゃべり口調の文体で記すほか、週に1,2回、政治や社会問題についても発言をする。執筆に4,5時間かかるのではないか。毎日欠かさず長文が記されており、取材をするとなると、とても片手間にできる作業ではない。

■基軸は小泉政権や創価学会、ホリエモンなどの「強者」を強く批判することに置いている。例のホリエモン事件では沖縄で「謎の死」をとげた野口氏の妻から「きっこ」氏に直接送られたメールを何度も掲載、さらに耐震設計偽装問題では、検査機関の責任者からのメールを掲載するなどした。警察や検察、国会関係にも「情報源」があるよで、内容からいって「ヘアメイク」の女性が書けるものではない。週間現代などにそのまま載ってもいいようなものも多く、かなりの取材力と分析力をもっている人だと推定できる。

■複数の筆者説もあるが、「きっこ」氏はきっぱりと否定している。このブログに数日前、タヒチ島在住の作家、板東真砂子氏の「猫殺し」に関するエッセーを痛烈に批判する一文が載った。彼女が日本経済新聞に猫を飼う人間として、避妊手術は生まれてすぐの子猫を殺すことと同じであり、自分は飼っている子猫が産んだ子猫を自宅となりの崖下に放り投げて殺している、と記した。これに対して「きっこ」氏は猛烈に怒り、板東真砂子氏を「鬼畜」「人格異常者」として徹底的に糾弾した。そのエッセーに対し読者から共鳴するメールが多数寄せられたようだ。

■「きっこ」氏はブログの頭に日経新聞の電話番号と担当者の名前、それにメールアドレスなどを記した。ただ、さりげなく記しただけで、「抗議しよう」など旧左翼の常套手段を使わないところが、手練れでもある。
 日経には若者から抗議の電話等が殺到するだろうなと思っていたら、本日8月24日の朝日新聞夕刊に『「子猫殺し」に波紋』という見出しの記事が載った。朝日によると日経には24日正午までに504件のメールと88件の電話が寄せられ、いずれも「不快だ」「理解に苦しむ」といった抗議であるという。

■これは予想されたことだが、朝日の記事で気になったのは「きっこの日記」が一行も触れられていないことだ。あれだけの抗議が殺到したのは、「きっこの日記」がとりあげたからであり、それが唯一の理由である。「アクセス数の多い」ブログの影響力もあわせて掲載しないと、真相は浮かんでこないのに、敢えて朝日は避けた。
 記者は「きっこの日記」のことを書いたのに、整理部段階で削ったのではないのか。「きっこの日記」の影響力を記すことで、このブログへのアクセス数が更に増え、とくの若い人に対して大変な影響力をもつことになるので、配慮したのかどうか。

■ブログには板東真砂子氏のエッセーの要旨も掲載されており、確かに過激な部分もある。一方、これを鬼畜として糾弾する「きっこ」氏も、それに数倍して過激であり、名誉毀損を起こされる可能性もある。匿名である利点もあり、一種ゲリラ的な手法で「権威」をもった人を撃つ。
「きっこ」氏の論理もうなずけるところが多いが、このブログが次第に若者等への影響力を強め、「彼女」に糾弾されたら、「作家生命」を失うようなことになったとしたら……「うーん」と思ってしまう。

■ここは「プロの物書き」として板東真砂子氏からの反論を期待したい。日経が「きっこの日記」の大量の読者に「配慮」するあまり、板東真砂子氏の反論を載せなかったりしたら、それこそ大問題である。日経の社長室では「原稿の内容は、筆者の自主性を尊重している」と説明しているとか。
 無名で匿名のブログの筆者が、直木賞受賞という看板を背負った作家を糾弾し、それが朝日新聞で5段にわたって掲載された。このことに、時代の流れを感じざるを得ない。

■本日、脚本アーカイブズで、脚本・台本のデジタル化の問題と可能性について専門業者から話を聞いた。デジタル化にはいろいろの問題があり、専門家もこれが「万能」と思った時期もあったが、逆にデジタル化はアーカイブズに馴染まず危険という流れができた。ところが、最近は、やはりデジタル化は重要で将来的な流れはこちらに……となっているようだ。技術発展にともない、試行錯誤を繰り返しているのが実情である。
 ボランティアで関わっているのだが、時代の新しい波は動きは、こんなところからも感じ取れ、有意義な時間を過ごせた。

■終わってITに詳しい2人の委員と、率直な意見交換。現在、マスメディアのあり方をめぐって激変が起こっているのだが、既存の大マスコミにいる人は案外、変化に鈍感である……等々、興味深い意見が続出した。
 いずれにせよ、メディアは「アナーキー」な方向に動いている。これに対して早晩、強い規制の網をかけないと、とんでもないことになる、という危惧も出ているようだ。
「言論の自由」とのかねあいでむずかしい問題だ。『脳内汚染』の問題ともからんでくることで、この一点をとっただけでも、時代はすでに容易ならざる段階にはいっている。
by katorishu | 2006-08-25 02:19
 8月23日(水)
■寝床は単に眠るための場所ではなく、半分程度、本を読む場所でもある。生来の不眠の「おかげ」でどれほど本が読めたかわからない。朝方にかけ寝床で恐ろしい本を3分の1程度読んだ。『脳内汚染』(文藝春秋・岡田尊司著)。岡田氏は1960年生まれで、脳病態生理学の研究者。京都大医学部卒で、現在、京都医療少年院に勤務している。精神臨床の舞台から、現代の青少年犯罪について極めて説得力ある論を展開している。

■以前から子供の脳がこわれている、とはよくいわれることだが、岡田氏によると、当初はテレビ中毒、ゲーム中毒、さらにネット中毒などで、日本やアメリカだけではなく全世界的に若者の脳が「サイコパス化」しているという。本来動物としてもっている抑止力がこわれかけており、極めて危険な水域に近づいているとのこと。

■岡田氏は、テレビ等の映像メディアに一定時間以上、日々接している子供は、短絡的、攻撃的になり、さまざまな障害が生まれているとと警告する。
 アメリカでの研究で、人が8歳のとき毎日どのくらい長くテレビを視聴していたかによって、20年後のその人の性格や行動までが規定される。テレビを長時間見ていた人は、粗暴で短絡的になり、攻撃的で、動物が本来もっている「禁止のプログラム」が壊れている割合も高いとのこと。

■人間は伝統的にタブーをつくりだし、それが脳のプログラムに組み込まれている。最大のタブーは殺人であり、このプログラムがあるため、人は殺したいほど憎んだとしても現実に殺人行為に走らない。脳の自然の働きとして、「禁止のプログラム」が働くのである。野生動物はしばしば同種同士で戦うが殺すまでに至らないが、これも同様の禁止のプログラムのおかげである。
 ところが、近年、映像メディアが反乱し、テレビやゲーム、さらにはパソコンなどに過剰に接触する人が増えている。ある程度脳が出来上がった成人は比較的、害がすくないが、まだ未熟な脳の子供や青少年が問題である。
 幼いころテレビ等に過剰に接すると、このプログラムが脳内で解除されてしまい、そこから青少年の殺人事件などが多発するのだと岡田氏は論を展開している。殺人に至らなくとも、イジメやレイプなどの犯罪があるが、そういう脳の持ち主が犯す確立が高いようだ。

■特にビデオゲーム等、面白いものが問題である。面白くなればなるほど、そこにはまる率が高くなり、それだけ脳にとって危険な状態になる。青少年の暴力犯罪や問題行動と、テレビを長時間見る子供や、ゲームにのめりこむ子供とは、強い相関関係にあることがデータで裏付けられているそうだ。
 現実の軍事にも、脳の禁止プログラムの解除は応用されており、殺人について何も感じない多くの兵士を作りだしているという。恐ろしいことだ。

■テレビ関係者は公言できないことだろうが、現在隆盛のシミュレーション・ゲームは、ある意味で、麻薬をあたえるのと同じくらい脳にとってマイナス要素があり、極めて危険であるらしい。大手電機会社などもふくめて、ゲーム器械メーカーやソフト制作会社等は隆盛で相当額の儲けをだしているが、現状のまま放置してよいのか、と著者は警告している。

■現在、コカインは麻薬として禁止されているが、ひところ欧米ではコカインは頭を爽快にさせる効果がある、とむしろ奨励されており、決して「麻薬」ではなかった。ところが、中毒性があり、やがて数々の害悪が顕著になったので、禁止された。戦後間もなく日本で「ヒロポン」がはやった。早くいえば覚醒剤だが、これも当初は眠らなくても頭がすっきりすると奨励された。やがて副作用や中毒症状が顕著になり禁止された。
 ゲーム機類、とくに軍事ゲームや殺人ゲームの類も、極めて面白く、のめりこむように様々の仕掛けが凝らされているのだが、じつはこの「面白すぎる」という点が「幼い」脳にとっては害になるのだという。テレビゲーム類もいずれコカインなどと同様、脳に害があるとして問題視されるようになるだろう。

■もっかの所、営利企業の「金儲けの元」なので、研究者の声も封殺されているようだが、岡田氏のこの本を読むと、現在社会をとりまく「快適で」「便利で」「面白い」環境は、特に若い脳にとって致命的であることが、一目瞭然である。
 早急になんらかの公的規制を加えないと、大変なことになる。それほど、子供や青少年の脳にとって、現在隆盛の映像メディアは危険であり、日々「害悪」を垂れ流している。ほとんどの人が異常さと、異常さとして気づかず、またわかっていない。そのことが問題の深刻さを逆に物語っている。
『脳内汚染』は、子をもつ親にとって必読ともいうべき「警世の書」である。ぜひご一読をすすめたい。
 なお、脳内汚染については、大変重大な問題なので、本書や関連書の内容を引用しつつ時折触れていきたい。
by katorishu | 2006-08-24 01:11

映画『サユリ』

 8月22日(火)
■ハリウッド映画『サユリ』を見る。日本の芸者を主人公にしたもので、中国の人気女優、チャンツィ主演。さらにコンリーや日本から渡辺謙や桃井かおり、工藤由貴などが出演しており、公開前、前評判は高かった。しかし、出来上がった映画について、あまりかんばしい評判を聞かなかった。それでも映画館で見ようと思っていたのだが、見逃していた。本日見たのはDVD。最初から暗い出だしで、画面も暗く、ウエットでかなり陰々滅々の作品である。

■貧しさ故に本人がいやがるのに花柳界に売られていく少女の悲しみはわかるが、嫉妬、悪意、裏切り、イジメ……等々が、これでもかこれでもかと描かれる。花柳界には、もっと別の一面もあったはずで、暗さのなかの華やかさ、明るさなども描かないと、「暗さ」が際だってこない。原作は一人の芸者の実体験だが、こんな暗い話ばかりが延々と続いているとは、とても思えない。脚色に際して、大きく変えたと思われる。
 主人公が笑いどころか一度も微笑さえ浮かべることはない。人はどんな悲しみの底にあるときでも、思わず浮かべる笑みもあるし、彼女をとりまく女将にしても、いつもあんなにきーきーしているだけではないはず。
 ひところ、映画で旧日本軍を描くと、「悪の権化」のような兵士ばかりがでてくるが、多くはもっと多彩さをもった人間である。別の角度から見れば「優しい」」人が、大変なイジメをしたりするのである。この映画のトーンは暗く、湿っており、「花柳界」イコール「悪」という概念でとらえている。失敗の原因はこのへんにありそうだ。

■BBCとの合作ドラマやアメリカのテレビ局などとの合作に、多少ともかかわったことがあるので、以下はぼくの実感だが、欧米の制作関係者は、日本、それも伝統文化をあつかう場合、独特の思いこみがあるような気がしてならない。
 哲学風の台詞を織り込むこともよくする。庶民を描くのだから、落語的な台詞などをいれることで、人の世の営みの、おかしさが浮かび、厚みを増すのだが、外国人が日本を描くと、どうしてもパターンの描写になってしまう。日本側から対等の立場で脚本家が参加すれば、もうすこしリアリティがあり、面白いものになったのではないか。
 ハリウッドで以前、制作された『将軍』のようなひどい作品ではなかったが、もうすこし華を描いてほしかった。明るさあってこそ、暗さも際だつはずである。異文化を描くことはむずかしいものだが、国際級のスターを使いながら「もったいない」と感じてしまった。
by katorishu | 2006-08-23 02:02
8月21日(月)
■最近、ケーブルテレビのヒストリー・チャンネルをよく見るが、見るたびに暗澹たる気分にさせられる。アメリカが作った「戦記」もので、本日、アメリカがマスタードガスによる日本攻撃計画を相当程度進めていたことを知った。「戦争を早く終わらせるため」の作戦だというが、この計画が実施に移されると、700万から900万人の死者がでると見込まれていた。

■25の主要都市がすでに候補にあがり、そこをマスタードガスなどの化学兵器で攻撃するというもので、着々と準備を進めていた。現在、国際法で禁止されている毒ガスである。沖縄戦での日本軍の抵抗が予想を超えたものであり、このまま「本土決戦」に突入すると米軍にも多大の被害が出るので、日本の抵抗力をくじくための措置であったという。
 毒ガスのかわりに二個の原爆を落としたのだが、毒ガスであったら、さらに広範に被害がでて、ぼくなど今生存できていたかどうかわからない。負けるべき戦争をはじめた旧日本軍の指導者は責められるべきだが、「戦争を早く終わらせるため」というアメリカの身勝手さも責められるべきことだ。

■いずれにしても戦争は悲惨という一語に尽きる。沖縄戦での米軍士官の証言として、日本軍捕虜は訊問のあと、その場で後頭部をピストルで撃ち射殺したり、喉をナイフでえぐって「処分」したという。相当数にのぼるらしい。東京裁判で問われた捕虜虐待の最たるので、ジュネーブ条約違反である。アメリカ軍も日本軍に劣らず残虐なことをしていたという事実は忘れないほうがいい。
 それが戦争というもので、勝ったほうが正義などと、とてもいえはしない。

■大量破壊兵器をつくりだし、「総力戦」という戦争のひな形をつくりだしたのは「欧米列強」である。彼らが武力による植民地獲得に積極的に乗り出したことが、そもそもの端緒である。日本軍部が悪かったというだけでは、問題の解決にならない。現に、日本軍が壊滅したのに、相変わらず戦争は続いている。現代の戦争の主役はアメリカであり、ほとんどの戦争にアメリカがからんでいる。しかし、アメリカ国民の多くは自分たちは「正義」であると思いこんでいる。強者の思いこみは恐い。

■本日、下北沢の駅前劇場で劇団立見席の舞台を見る。湯布院でアマチュア劇団を主宰している岩男淳一郎氏の作・演出『あばずれ女の子守唄』。8年ほど前、渋谷のジャンジャンでの公演を見ているが、それ以来だ。毎年、東京で2日ほど公演を行っており、その度に案内をもらっていたが、ずっと見ていなかった。今回見て、格段に進歩していると思った。岩男氏はつかこうへい劇団の初期のころ俳優として所属していたという。
 つか流の舞台で、とにかくパワフルで、テンポがいい。今回の主演のヤンヤンの小気味よい台詞まわしが印象に残った。欲をいえばきりはないが、アマチュアをここまで牽引してきた岩男氏にエールを送りたい。
by katorishu | 2006-08-22 03:46