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 10月30日(月)
■本日発売の「週間朝日」におやっと思われる特集が載っていた。『金正日の「精神分析」』と『第2回核実験は年内に、そして軍が暴発し開戦へ』という特集である。これまでこの種の特集を掲載するのは出版社系の「週間文春」や「週間新潮」「週間現代」などであったのだが、新聞社系の週刊誌がここまで踏み込んだ報道をするのは珍しい。

■前者は、韓国の情報機関が入手した極秘調査文書の中味で、報告書が作成されたのは1999年5月であるという。驚くべき内容である。詳しいことは週刊誌を読んでいただきたいが、例えば金正日は自分の悪い学業成績を消し去るため、自分が卒業した南山高級中学を破壊してしまったという。孤独で映画に没頭し、なんと「007」映画が現実と錯覚しているとの証言も。さらに恐怖による政治スタイルは「ナチスのコピー」であり、ヒトラーと違うところは「世界征服の野望がない」こと。女性については父の金日成と同じく慰みものとみている……云々。

■こういう金総書記の精神分析をすると、思考障害ではないが、相当な水準のパラノイアの性格構造をもっているという。週間朝日の次号でも触れるそうだが、なるほどと思わせる。21世紀の今、まだこういう人間が独裁権力を振るう国家が東アジアに存在するのである。
 後者の特集では、北朝鮮が国際的な孤立化を深めるなか、軍が暴発し、開戦になる危険を指摘している。すでに金正日は軍の支配下にあり、軍部も食糧難でこの冬をこせない。そのため暴発する可能性が強いとのこと。北朝鮮政府が強硬路線を貫く背景には、そうしないと軍の不満をおさえきれず金総書記暗殺すら起こりかねない事情があるのだという。北朝鮮は経済危機を回避するため開放路線で成功した中国の意見をいれ、一部改革開放政策をとりいれたのだが、この過程で軍の流通利権を撤廃した。そのため軍の不満が高まり危険水域に近づいているのだという。

■すでに北は日韓にミサイルを撃ち込む体勢にあり、日本国内には「ふくろう部隊」という破壊工作などの特殊工作を担う人間が潜伏している、といった公安幹部の説明も載っている。出版社系の週刊誌でなく朝日新聞発行の週刊誌が掲載しているところが、興味をひく。今号では、中国のチベットでの弾圧政策の記事も載せている。右系の論断から『朝日は媚中』であるとして、中国に甘い……といわれてきたなか、週間朝日の今週号の特集は注目に値する。それだけ北の「現実的脅威」が迫っていることの証左であるのかもしれない。

■いずれにしても、金総書記独裁体制の崩壊は近い。本日の報道ステーションによると、北朝鮮内の反体制運動について触れていた。毎月、反体制運動関係者が処刑されているというが、食糧難から餓死の恐怖をかかえた国民の不満のエネルギーはたまりにたまっていると見るべきだろう。
 北朝鮮の幹部は、現在の「鎖国状態」でとりあえず「食べられる人間」が生き残り、「成分の悪い」何百万の人間は餓死してもかまわない……と思っているようだ。こういうとんでもない政権には一日も早く退陣してもらいたいものだ。
 ただ、どういう形で政権が崩壊するか。予断を許さない。ルーマニアのチャウシェスク政権のような倒れ方をしてくれればいいのだが、北朝鮮と東欧とは違う。相当の混乱は、日本人も覚悟しておくべきだろう。

■金政権は外部からの「脅威」をあおることによって維持されており、従って外部からの脅威をなくす――具体的にはアメリカが「政権保証」をすれば、内部を引き締める要になっている「体勢転覆の危機」がなくなるので金体勢は内部から崩壊する……という意見がある。その方法で崩壊すればいいのだが……。

■どうも、年内に波乱が生じる恐れが強い。厳冬期をむかえ、餓死するものが急増すれば、軍のなかの人間も動く。外への暴発も十分ありうることだ。とにかく、多くの国民が「食えない」というのは変化の最大要因である。
 しばらくは北朝鮮と隣国の動きから目を離せない。明るいニュースは内外ともに少なく、「厭な時代」が刻一刻と迫ってきているようだ。依然として「タイタニック号の上でポーカー・ゲームをやっている」状態は変わらない。霧の向こうにあるものには「目をつぶれば確かに見えない」のだが。
by katorishu | 2006-10-31 01:56
 10月29日(日)
■クリント・イーストウッド監督の最新作映画『父親たちの星条旗』を渋谷の渋谷ピカデリーで見た。太平洋戦争での激戦地のひとつ硫黄島でのアメリカ軍の戦いで、戦闘の勝利の証として国旗を島の山の上に立てた兵士たちの話だが、よくある「戦争美談」などではない。星条旗を立てた6人の兵士はアメリカ国内で「英雄」として賛美されるが、戦争の真実とは遠いものだった。戦争につきものの「英雄美談」の裏に隠された「事実」を、ドキュメンタリー・タッチで鋭く追求した問題作である。

■星条旗を打ち立てた「英雄たちの写真」は戦時国債をアメリカ国民に買わせるための手段に利用されていく。ショービジネスの手法を応用したキャンペーンであり、兵士たちは徹底的に利用されるのである。当然、マスコミがあおる。素朴な青年たちである兵士たちは戸惑い、苦悩する。戦時における「英雄行為」や「美談」は、日本の「爆弾三勇士」をはじめ、戦意高揚のために「作られた」ものである場合が多い。

■硫黄島でのアメリカ軍の勝利を象徴する「星条旗」も、「やらせ」に近いものだった。戦闘場面はリアルで強烈な印象を与える。戦争というもののもつ非人間性をクリント・イーストウッドは鋭く見つめながら、「銃後」で展開される人々の思惑などもえぐりだす。戦争と宣伝についての面妖な関係についても浮かび上がらせる。兵士の一人はいう。「彼らは祖国のために戦ったが、祖国のためにではなく戦友のために死んだのだ」「戦地でやったことで、誇れることは何一つなかった」などという言葉は重い。

■かといって、よくある紋切り型の「反戦映画」でもない。人種問題などもはさみつつ微妙なところをついた、よく出来た映画である。太平洋戦争で、アメリカが軍事費が枯渇し、かなり追いつめられていたことを、この映画であらためて知った。
 12月には、同じクリント・イーストウッド監督が硫黄島の戦いを日本側から描いた『硫黄島からの手紙』が日本で公開される。こちらは渡辺謙主演で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した同名のノンフィクションをもとにしている。

■同じテーマについて、敵味方の領国再度から2つの映画作品を作り上げたクリント・イーストウッド監督のエネルギーと才気は大変なものだ。音楽も担当している。1930年生まれだから76歳。その年で、これだけダイナミックで問題を鋭くえぐる作品をつくるのである。「定年になったら遊んで暮らす」などという人とは、人間のスケール、格が違う。同時に、こういう映画を作ることができるアメリカという国のすごさにも思いがいく。「ブッシュ政権のアメリカ」はアメリカの一面でしかない。懐の深い国であると、あらためて思ったことだった。
 多くの日本人、とりわけ昭和という時代についてあまりよく知らない若い世代の人にぜひ見てもらいたい映画である
by katorishu | 2006-10-30 02:12
10月28日(土)
■最近、町でよく太った人を見かける。この10年ほどで急増したという気がする。車社会と「便利さ追求社会」、それに食べ物の氾濫がもたらした「社会現象」である。
 内閣府が28日、発表した「体力・スポーツに関する世論調査」によると、「運動不足を感じる」人は67・6%(前回比1・4ポイント増)、自らを「肥満と感じる」人は43・4%(同2・8ポイント増)で、いずれも1991年にこの項目の調査を始めて以来、最高となったという。

■2人に1人が肥満と感じているとは驚きである。運動不足というより、食べ過ぎが大きな原因ではないかと思う。沖縄は以前から男女とも日本一の長寿県であったのだが、ひところから男子については長寿のトップの座からおちて、今は中くらいであるという。原因はアメリカ的な食事をとり酒類を多く飲むことなどから肥満が急増したことであるとのこと。

■どこの居酒屋にはいっても、食堂、レストランの類でも、とにかく肉類、それも揚げたものが多く、根菜、野菜類はほんのわずかである。スーパーの食材売り場でも唐揚げなど高カロリーの食べ物が圧倒的に多い。若い人を中心にそんな食べ物への嗜好に傾斜しているようだ。ハンバーガーショップはにぎわっているし、今後、肥満はさらに増え、成人病も急増し、どこを見ても病人だらけ――といった光景が生まれるに違いない。

■テレビのコマーシャルばかりでなく番組でも、飲食料関連がじつに多い。朝から晩まで毎日、こうも「食欲」を刺激されつづけたら、よほど意志堅固な人でない限り、誘惑に負けてしまうかもしれない。アルコールのテレビコマーシャルが日本のように氾濫している国も、ほかにない。アメリカではアルコール類のテレビコマーシャルは、タバコのコマーシャルなどとともに禁止か制限されているはずだ。

■日本だけが、無原則に多くの人々の本能をあおりにあおって、それで企業が儲けている。社会や国民の多くの役に立つことなら結構なのだが、食欲を異常にあおるのは、性欲を異常にあおることと同じである。最近、ケーブルテレビで動物ものの海外番組をよく見るが、動物にとって「食欲」と「性欲」は基本的な本能で、等価であり、種族保存の本能から、このふたつの欲望の充足のため命をすりへらす。
 ところで人間も動物の一種であり、哺乳類のメカニズムから自由になれない。人とチンパンジーの遺伝子の99,9パーセントは同じであるという。

■チンパンジーも含め、ほかのあらゆる動物は「足るを知っている」が、唯一、人間だけが足るを知らず、どん欲に欲望を過剰に満たそうとする。そうして欲望のより強い「勝ち組」が自分たちの都合のよい仕組みをつくり、法律という名のもとに、自分たちの欲望をより多く満たすことを「正しい」として、世間に広める。
 江戸時代、多くの日本人は貧しかったが、足るを知っていた。理想的なリサイクル社会でもあった。もちろん身分制度など欠点もいろいろとあったが、江戸から真摯に学ぶべきものがあるのではないか。

■自慢するわけではないが、ぼくは現在、20歳のころの体重をまったくかわらない。体質もあるのだろうが、なるべく「昔の日本人」が食べていたものを食べるようにしている。欧米人が食べるような肉類は、基本的に食べないことにしている。そうして「腹八分目」。その結果なのだろう、たまに睡眠薬をもらいに近くのクリニックにいく以外、「病気知らず」で、健康保険は支払い超過である。(自慢になってしまいますね)

■知り合いに太った人がいるが、中高年になると、ほとんどの肥満者はなんらかの病気をかかえ、食事のたびに薬などを飲んでいる。食通が糖尿病になり、食べたいもの、飲みたいものを飲めなくなったら、本末転倒で、笑い話である。
 同じ本能でも性欲にブレーキをかけないと指弾されるが、食欲にはブレーキをかけなくても指弾されない。ぼくにいわせれば、おかしなことである。人口過剰で、天然資源の枯渇がいわれている社会である。食欲と性欲という2大本能にブレーキをかけることが「美徳」というシステムをつくりださないと、自分で自分の首をしめることになりますよ。
by katorishu | 2006-10-29 01:46
10月27日(金)
■放送作家協会の理事会のあと、真向かいのレストランにいったところ、ちょっとしたトラブルがあった。ビルの室外のコーナーでお茶を飲んだのだが、パソコンなどをいれたバッグの置き場所がないので、コンクリートの床においた。しばし、歓談していてトイレに立とうとして、驚いた。床に水が流れていてバッグがびっしょりぬれている。

■慌ててバッグをとりあげたが、中まで水が染みいっている。パソコンは水にきわめて弱い。やられたかなと思った。同時に店の人に知らせた。テーブルの脇に置いてあった2メートルを超す鉢植えに店員が水をまいたのはいいのだが、過剰にまいた結果、水があふれて床が水びたしになったのである。店長が出てきて応対したが、「わざと水をひっかけたのではないから」と責任はないとの話しぶり。もしパソコンが壊れてしまったら、店に責任があるのではないか。押し問答の末、パソコンがどうなっているか調べることにした。

■パソコンに詳しいBさんは、もし水がしみていたらスイッチをいれたとたんにショートしてハードディスクがだめになるという。過日はデルの製品でさんざんな目にあっているし、またも――と思った。しかし、壊れているかどうか、確かめないと、店に対して文句もいえない。祈るような気分でパソコンのスイッチをいれた。幸い作動した。
 バッグのなかの書類が水にぬれ少ししなっとなったほか、とくに「実害」もなかったので、そのまま帰宅したが、バッグがかわいたところ、ぬれた部分がシミになっていた。鉢植えの土を経由した水なので、泥水となってそれがシミとなったのだろう。

■ま、この程度なら――と改めて店に文句をいわないことにしたが、最近お客への配慮に欠ける店員が多い。この店は六本木にあり、外見上はきわめて「清潔そう」で、しゃれた店だ。それはいいのだが、鉢植えに過剰の水を注げば床が水浸しになる――ということに気づかないのだろうか。それが客の持ち物をぬらすことになることなど、配慮の他なのだろう。過剰な水を鉢植えに注いだ店員は、あるいはアルバイトなのかもしれない。

■外見上の「きれいさ」「清潔さ」を競う前に、もっと大事なことに関心を注いでもらいたいと思ったことだった。
 それにしても、パソコンの脆弱性には困ったものだ。ソニーのバイオ製品も、外見上は良さそうだが、故障の多いことで知られている。Bさんのパソコンもつい最近、壊れてしまったという。以前、バイオの携帯パソコンを買ったところ、一ヶ月もたたずにクラッシュ。一年以内なので保証され、新しいのにかえてくれた。が、それも2年ほどでハードディスクが故障。修理代に7万円とられた。これで機能すればいいのだが、数ヶ月でまた故障。怒って捨ててしまった。

■ソニーに文句をいえばよかったと思ったが、仕事に追われ余分なことに神経をとられたくなかったので、そのままにしてしまったが。その後、ソニーは減益になったとか。世界のソニーといわれた企業なのに、落ちたものである。以後、ソニー製品は買わないことにしている。
 ソニーのパソコンに限らず家電製品全般について感じられることだが、昔の機能が少ない製品のほうが故障しないし長持ちする。テレビでも以前の製品は10年、15年もった。が、最近の液晶テレビなどは5年ももたないものが多いという。「メーカーは数年で壊れる製品をわざと作っているのではないか。壊れれば新製品を買うことになるので」などと仲間と話したことだった。
by katorishu | 2006-10-28 01:58
 10月26日(木)
■2006年度の「報道の自由度ランキング」で日本は168カ国中、51位だという。パリに本部をおく「国境なき記者団(本部・パリ)」が24日発表したもので、最高位はフィンランド、ついでアイルランド、アイスランド、オランダと続き、最低は北朝鮮だった。毎日新聞ウエブ版によると、日本は「ナショナリズムの隆盛が目立つ」との理由で前年より14位下がって51位となった。一方、アメリカは「テロとの戦いを巡りブッシュ政権と司法、メディアの関係が悪化した」として53位とのこと。

■先進国に限れば日本は最下位に近い。多くの日本人は日本は「自由で、開かれた社会」と思っているようだが、実質はかなり閉鎖的で窮屈な社会である。会社や組織の中で、思ったこと感じたこと、思想信条宗教などについて比較的自由に発言できるところが、どれほどあるだろうか。なんとなくそろって「自主規制」しているうち、「不自由」を「不自由」と感じなくなってしまう。「檻」のなかで生まれ育った動物は、べつに不自由さを感じていない。それが「世界だ」と感じているに違いない。
 マスコミから日々流されるニュースのことを、客観性があるなどといっているが、ほとんどのニュースや情報は、ある価値観、ある線に沿って加工されたものが多く、必ずしも「真実」を伝えていない。真実など神のみぞ知るといわれれば、それまでかもしれないが。

■相変わらず談合等が絶えないし、選挙の世襲候補が当選したりする日本。中国など「汚職」や「官僚の口利き」が「文化」となっている国よりましかもしれないが、あまり褒められない光景が至るところに露出している。
 類型的な思考をする人も多いし、総じて付和雷同である。報道の自由度がもっとあり、例えば世論に強大な影響力をあたえるテレビが、それぞれ個性ある情報やメッセージを送れば、受け手の意識もだいぶ変わってくるのだろうが、送り手の情報が「金太郎飴」なので、受け手もコンビニの商品のように「金太郎飴」になってしまう。
「記者クラブ制度」も報道の自由度からいったら問題である。先進国でこういう制度があるのは日本だけである。今回の調査がどれほど正確かわからないが、一応の目安にはなる。

■北千住の脚本アーカイブズ久々の「当番」。11時より18時まで準備室につめる。そのあと、秋葉原のコーヒー店で執筆作業。資料読みその他もしなければならず、時間がまったく足らない。睡眠時間を削ることでしか時間を生み出せない。やりたいこと、見たいこと、顔をだしたいイベント、会って話をしたい人などが、数多くありすぎるのである。おかげで「退屈」とは無縁の生活を送っており、病気などしていられない。それにしても、毎度のことながら時間の経過が早すぎる。

■作家の小島信夫が91歳でなくなった。マスコミは相変わらず「芥川賞作家」というレッテルをつけている。すでに40数年前のことで、その後、小島氏は地味ながら大作、問題作を着実に書いている。小島信夫を知っている読者も、今やあまりいないのでしょうね。『アメリカンスクール』や『小銃』『吃音学院』等々、初期の短編はよく読みました。長編は『抱擁家族』を読んだが、30年ほど前などで内容は忘れてしまった。アメリカ帰りの江藤淳がこれをサカナに長編評論を書いていて、それも面白かった。

■その後、小島信夫は延々と長い小説を文芸誌に連載していたが、こちらにはつきあえなかった。そういえば文芸誌を最近、まったく手に取っていない。比較的「読者家」の部類にはいると思っている自分でもこの程度なのだから、他は推して知るべしなのでしょう。売り上げも少ないのでしょうね。総合雑誌の売り上げも少ないようだが、こちらは比較的よく読んでいる。最近毎月必ず読むのは『現代』と『論座』ですが、面白い論文がありますよ。前宣伝になりますが『論座』の来年4月号から『妖花』というタイトルの長編ノンフィクションを連載する予定です。(予定ばかりいろいろいれて、こなせるのかどうか、それは別問題)。これは力をいれて書くつもりです。乞うご期待。
by katorishu | 2006-10-27 00:25
 10月25日(水)
■都内での話だが、山手線などの電車に乗っていて「××駅で人が線路内にはいったため遅れています」というアナウンスがじつに多い。本日も駅でそんなアナウンスがあった。前回、電車に乗ったときもそうだった。婉曲な表現を使っているものの、ほとんどは飛び込み自殺である。(中には酔って落ちたりする人もいるが)。昔から飛び込み自殺はあったが、最近ほど多くはなかった。飛び込み件数を警視庁などで調べたわけではなく、あくまでぼく自身の実感だが、ここ数年、増加傾向にあるようだ。

■特に今年は「人が線路内に入ったため」電車が遅延するケースが多い。翌日の新聞などで「飛び込み自殺」と報道される。最近はあまりに頻繁に起こるので、よほど長い時間の遅れがでない限り、マスコミでも報道しないのかもしれない。
 来年、自殺者数が発表されるが、3万人を超えることは間違いなさそうだ。

■本日、東京は雲ひとつない快晴の秋空だった。普通、こんな天気の日は、身も心も弾むものだが、こんな日に限って自殺したくなるのかもしれない。そういえば、雨の日に電車に飛び込み自殺をしたケースを耳にしたことはない。快晴の日に多いという気がする。
 自殺をする人は、他人が幸せに見えるときこそ、かえって落ち込むのかもしれない。自殺の原因は多様で、一人の自殺についても理由はひとつではなく、いろいろな要素が重なっているはず。その中に、経済的苦境が原因で自殺に至るケースも多いのではないか。

■ところで、小中学校の生徒の自殺について、文部科学省の発表した数と警察庁の発表した数に倍ほどの開きがあるという。警察庁の発表のほうが多いのである。
 悪い噂が流れるのを防ぐため、学校側では自殺を病死などとするケースもあるのだと思う。精神的に生来、過剰に過敏で、普通に生きることがむずかしい人が一定数おり、その中で自殺を選ぶ人もいるだろう。不治の病に苦しみ、苦しみから逃れるため死を選ぶ人もいる。一方で、経済的に追いつめられたり、自らが命を絶つことで保険金などで周囲を救うケースもある。心身共に正常な人間が、苦しみの果てに死を選ぶケースが、バブル崩壊後の日本社会では増加している。死はどんな死でも痛ましいが、壮健な人が経済的に追いつめられて死を選ぶケースは、ことさら痛ましい。このケースについては、圧倒的に男性が多いということも特徴的である。
 
■午後から、北千住で脚本アーカイブズの会議。終わって北千住の繁華街でアーカイブズの委員諸氏と軽く飲食。帰路、電車の中で本を読みながら眠ってしまった。眠っていても、ものを盗まれたりすることはない。深夜に町を歩いても、強盗などにあうことも、ぼくに限っては過去に一度もない。置き引きやスリにもあったこともない。犯罪が多くなったとはいえ、まだまだ日本の治安は世界的にみて良好というべきだろう。
 これは日本が世界に誇って良いことである。現在の日本について不満をいえばきりがないが、治安の良さは美点のひとつである。そうして日本語の豊かな表現力。このふたつだけでもこれ以上低下しないで欲しいのだが、残念ながら年々、悪くなっていっている。
by katorishu | 2006-10-26 00:05
 10月24日(火)
■富山県の県立高岡南高校で、3年生の生徒百数10人が世界史の科目を履修していないので、このままでは卒業できない、といったニュースがあった。学校の授業を受験向きにシフトし、受験科目だけ生徒に履修させるという姑息な手段を学校側がとった結果らしい。
 今の時代こそ、世界のいろいろな国の歴史や国際関係についての基礎的情報が重要なときはないのに、愚かしいことだ。「受験」ということで大事なことがないがしろにされていく。
 教育現場の混迷を象徴する出来事である。目の前の「利益」を追うことに大半のエネルギーをさき、大局を見たり長い時間でものや人を見ない風潮の延長にあるといってよいだろう。

■「学歴社会」もまだ強固に残っているようだ。「学力」と「学歴」は必ずしも比例しないのに、「歴」ばかりが先行する。卒業後何十年たっても「××大卒」を誇示する人がいるが、これも愚かしい。×大卒で、××省の「エリート官僚」、あるいは旧財閥系の××物産、××テレビ局……等々、その名をいえば「いいところにお勤めですね」といった言葉が返ってくる組織に、単にいる(いた)だけでは、どうということもない。(給料がよく、少々の贅沢はできるかもしれないが)

■座り心地の良い「地位」に安住し、ゴルフや接待等で明け暮れて勉強をしなければ、どんな優秀な人間でも、15年くらいで駄目になる。人間関係術だけは巧妙になるかもしれないが。それも仲間うちだけで、世界には通用しない。

■とくに「歴史」についての基礎的知識を欠いている人が指導層にも多い。歴史についての知識が乏しいから、もちろん哲学もないし、文化もない。要するに「教養」がなさすぎる。(ぼくがあるといっているわけではありません。ないから、未だに研鑽をつもうと努力はしていますが、気分は未だに一介の書生です)

■もちろん、知識欲旺盛で文化・芸術面の素養も豊かで、さらに情のある人もリーダー層にいないこともないが、きわめて少ない。教養のない人間は、テレビ等で見るとすぐわかる。知性や心映えは顔にでるものである。声にもでる。芸能面を除外していっているのだが、世襲の坊ちゃん顔か、出世欲・名誉欲のかたまりの成り上がりか、金儲けのうまい下品な顔――。それでテレビにでる人の7,8割をしめてしまう。

■以前のテレビには博覧強記で好奇心旺盛な山本嘉次郎監督や、独特の話芸で人間通の徳川無声のような通人が出ていたのですが、最近はそういう通人、粋な人は見ませんね。なによりもユーモアがありました。今のテレビはギャグばかりだ、と先月関西でお会いした作家の藤本義一さんが話していました。「テレビは終わったね」といわれた藤本氏の言葉が強く記憶に残っています。
by katorishu | 2006-10-25 01:07
10月23日(月)
■東京は一日中、雨。「干天に慈雨」という言葉もあるが、雨の日はどうも気持ちが弾まない。芝のパークサイドクリニックで定期健康診断。血液検査や尿検査の結果を見なければわからないが、目下のところ、どこも悪いところはないようだ。依然として健康保険の「支払い超過」が続くが、病気で苦しんでいる人の役に立っていることだし、これはこれで結構なことだ。

■しかし、払った健康保険が税金などと同様、適切に使われているかどうかについては、疑念も残る。奈良県で8日しか働かないのに5年間、正規の給料をもらいつづけていた男がいたが、その「背景」などについて「なるほど」と思われる情報を知った。裏取りができないので、具体的に記すことはできない。

■参議院の補欠選挙で自民党が2選挙区で勝利。それは「民意」だからいいとして、またも「世襲候補」が当選である。親父が亡くなったからと「弔い合戦」であるとして息子が出ると、当選することが多い。政治の世襲を許している選挙民がこうも多いと、この国はまだ封建時代の尾てい骨を引きずっていると思い、慨嘆する。

■渋谷の喫茶店で、役者、歌手等と4時間にわたり、懇談。あるイベントについて、実現可能であるか、知恵を出し合った。行動力のありそうなS氏が加わったので、少し前進するかもしれない。何事かをするにはオカネが必要で、毎度のことながらこれが最大の関門である。これさえクリアできれば、事は進むのだが。

■今のところカネを中心にして回転するシステムが「ベターである」ということになっており、それを「資本主義」「自由主義」とよんでいるが、このシステムの弊害も社会の随所に出てきている。ひところ「人類の理想」といわれた共産主義もソ連などでの「実験」でとんでもないシステムであることが具体例で証明されてしまった。
 かといって封建政治、貴族政治が多くの国民にとっていいわけがない。カネ以外の尺度で回転するシステムが考えられないものか――。

■あればとっくに試みているのでしょうね。しかし、こうも「カネがものをいう社会」になると、カネのないぼくなど深く考えてしまう。今や、日本社会は一定以上の資産をもった人たちが支配する「カネ貴族社会」に急速に傾いている。カネがなくては何にも出来ない社会とは「カネがあればなんでも出来る社会」でもある。カネは道理やモラルなどもけちらせて進むブルドーザーのようなもので、日本社会の美点を次々と破壊していく
by katorishu | 2006-10-24 03:06
 10月22(日)
■久々に「2ちゃんねる」をのぞいてみた。さまざまな書き込みがあり、誹謗中傷が多いが、なかには「おや」と思わせる卓見もある。
 ただ、ここに書き込まれた情報には実にいい加減なものが多い。耐震偽装問題に関する件の書き込みにこんなのがあった。公務員の給料は決して高くない、その証拠に「大企業の平均収入」よりずっと低いというのである。

■その書き込み氏によると「大企業の平均年収は1000万円で、大企業の従業員はサラリーマンの40パーセントをしめている」という。
 なにを根拠にこういうでたらめの数字をだしているのかわからない。日本の労働者の圧倒的多数は中小企業に勤めている。大企業の従業員、それも正社員は1割にも満たない。この書き込み氏は「国家公務員」ないし「地方公務員」か、その家族なのかもしれない。比較する数字がでたらめなので、「公務員は優遇されていない」という「自己弁護」の結論を出したいのだろうが、現実から恐ろしくかけはなれている。
 奈良市で5年間、8度しか出勤しない職員にずっと正規の給料を払い続けていたなど、税金で支えられている人たちのデタラメぶりが目立つ。日本国民の圧倒的多数をしめる中小零細企業関係者なら、一部の有能で意欲ある公務員をのぞいて、一般に公務員およびこれに準ずる組織に所属する人たちが、仕事の割に優遇されすぎていると考えている。これが世の中の「常識」というものである。

■ウエブ上には、この種のいい加減でデタラメな情報があふれている。「情報はネット上からとるし、新聞や雑誌は必要ない」などという人もいるが、社会の仕組みをあまり知らない青少年が例えば引用したような「いい加減な情報」を見て、そうだと思いこんでしまったりすることは、よくあるのではないか。
 最近は新聞記者もネット上の情報だけで記事を書くこともあると聞いている。掲示板について、ひところ「便所の落書き」などといわれた。便所の落書きなら、読む人も少ないし、そこに記された情報をそのまま信じる人は少ないかもしれないが、インターネット上だと、そのまま信じてしまう人が結構多い。記者は足を使って記事を書いて欲しいものだ。

■ところで、ウエブ上の情報である。
 社会全般についての知識が豊で判断力のそなわっている「大人」であったら、嘘と真実、事実の違いを感じ取ることもできるのだが、浅く狭い知識しかもたない人のことが懸念される。「偏った意見」なら嘘と見抜くことも容易だが、数字をともなった情報は、なるほど、そうか、と信じがちである。
 明らかに間違った数字をふくんだガセ情報、不正確な情報がネット上にあふれ、何十万何百万もの人がそれに影響をうけ、「世論」が形成されていくとすると、怖い。
 テレビや新聞などのマスメディアについて、これをどう読み取るか。そのまま一方的に信じ込むのではなく、批判的に読み取る(見取る)ことを「メディアリテラシー」といい、大学などでは専門講座もできつつある。

■アメリカなどではメディアリテラシーを小中学校の教育の現場で教えているということだが、日本でその種の教育を学校現場でやっているところはすくない。この20年ほど、マスメディア、とくにテレビの影響力は強大である。最近はこれにネットが加わった。ネット上に流れる情報も膨大で、真実・事実ももちろんあるが、ガセ情報、不正確な情報もそれ以上に多い。そして、上記のようないい加減な情報を事実と思いこむ人も多いのではないか。テレビなどのマスメディアばかりでなく、ネット上の情報を批判的に読み解く教育が、今こそ必要なときはない。

■情報がシャワーのように降ってきて、それをモロにあびる時代である。膨大な情報が幼い脳に、どんな悪影響を及ぼし、ガセ情報によってどんな「世論」が作りだされるか。研究者はすでにこの問題に取り組んでいるはずだが、結果を知りたいものだ。
 個人が自由に情報を発信できるのは結構なことだが、マイナス面にも目をやる必要がある。光あれば必ず影があるように、便利さの裏側には必ずマイナス面があるのである。「2ちゃんねる」を久々にのぞいて見て、あらためて感じたことだった
by katorishu | 2006-10-22 22:14

相変わらずの東アジア

 10月21日(土)
■北朝鮮の地下核実験について、北京の韓国大使館幹部から金総書記が「追加的な核実験計画はない」と語ったとの情報が伝えられたという。一方、ライス米国務長官は唐家セン国務委員(前外相)との20日の会談について「唐国務委員は私に、金正日(キムジョンイル)総書記が核実験について謝罪したとか二度と実験をしないといった話はしなかった」と語ったとのこと。

■どちらが本当なのか。国際的な圧力に屈して金政権が核開発をやめればいいのだが、それは早晩、政権の崩壊を意味するので、金総書記としてはできないことだろう。まだまだ東アジア情勢はどうなるかわからない。アメリカはすでにイラク戦争での失敗を認めたようで、どう撤兵するかを考えているだろう。「イラク戦争は間違いだった」と早く認めてほうがいいのに、メンツがあってそれができないうちに、どんどん泥沼にはまっていく。

■イラン問題もあり、ブッシュ政権は相当苦慮している。その点を見越して金政権がどんな手をうってくるか。
 「制裁」でもっとも苦しむのは「普通の国民」である。かといって制裁をしなければ、金体制は継続される。金体制のもとでは多くの国民が幸せになれるはずもない。すでに経済は壊滅状態で、強権でかろうじて治安を維持しているようだ。中国は開放政策を促しているようだが、そのような改革・解放政策をとれば、海外の情報が流れ込み金体制は早晩ひっくりかえる。そのことを独裁政権はよくわかっているのだろう。最後の手段として核実験をもちだした。ここで金政権が延命したら、やっぱり核が必要という論議が日本でもわきあがってくるにちがいない。

■困った事態である。平和裡に独裁者を排除する方法はないものか。
恐らくアメリカは水面下で、金総書記排除の「秘策」を練っているに違いない。そのうち「アッと驚く」ようなニュースがもたらされる、とぼくは思っている。確たる根拠があるわけはなく山勘ではあるが。
by katorishu | 2006-10-22 00:20