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 12月30日(土)
■この時期にやることといったら、部屋の掃除と年賀状書きである。ノンフィクションと小説と脚本の「3本立て興業」をしているもので、本や資料等が居間にまであふれかえり、「足の踏み場もない」といった状態です。そのため掃除も大変です。掃除をしていて、こんな資料があったかと嬉しい発見をすることもありますが。

■ところで、年賀状である。2,30通だす程度なら雑作もないのだが、多くなると宛名を書くだけでも大変である。最近はパソコンで印字する人が多いようだが、ぼくは宛名だけでも手書きにしたい。書きながら、この人は元気だろうかとか、最近活躍しているなとか、芝居を見にいかなくてはとか、10年前あんな毒づいていたなとか、病気かなとか……いろいろ思いがふくらむ。中身もすべて手書きにしたいのだが、さすがにその余裕はない。

■本当は一週間ほどかけてすこしづつ書けばいいのだろうが、一挙に書くとなると10時間ほど使うことになる。以前は400通ほどだしていたが、すこしづつ減らして今は200通前後か。それでも年賀状だけで「つながっている」人もいるし、一年に一度のことだからと、なるべく出そうと心がける。以前は版画を彫ったり、すべて手書きにしたりもしていた。

■パソコンを使うようになって、手書きが少なくなり書けなくなっている漢字が増えている。そのため年賀状はかっこうの手書きのトレーニングになる。来年からはもっと早くから、すこしづつ書くようにしたい。(そういう余裕があればだが)

■イラクのフセイン元大統領が死刑を執行された。死刑判決のあと、こんなにも早く処刑するとは、よほどアメリカも焦っているのだろう。フセインのやったことは言語道断であるにしても、ではブッシュ政権のイラク戦争はどうなのか。大量破壊兵器などもなかったし、結局、一部軍需産業を潤しただけである。イラクはすでに内戦状態だし、命を亡くした人は救われない。ソ連のアフガニスタン侵攻と同じ図式になってきたようだ。

■この戦争でアメリカの国力は必ず落ちます。財政的にもきついし、アメリカ国内でも批判が強くなっている。最近亡くなったフォード元大統領はブッシュ政権のイラク戦争を批判し、軍事攻撃ではなく徹底した査察をつづけることで問題解決をすべきだった、自分が大統領であったら必ずそうしていたと語っている。

■ところでブッシュの戦争にいち早く賛同をしめした小泉政権の責任はどうなるのか。国内でも「小泉改革」の欠点が強く出始めている。いざなぎ景気を超える景気……とメディアは伝えているが、おおかたの国民には「景気が良い」などという実感はないだろう。各種保険がひきあげられ低利も続く。要するに国民から吸い上げられたカネが、一部の組織や人に集まるシステムを作ったということである。アメリカ帰りの、日本をアメリカにしたくて仕方のない学者らの理論によって。

■その結果、一握りの層が「過剰に儲かる」社会をつくってしまった。企業はこれまで経営者や従業員さらには社会のものであったのだが、「株主のもの」という風潮が定着しつつある。税制ひとつとっても「株主」にきわめて有利で、富が一握りの層に急激に移行しつつある。一握りの金持ちと多くの貧しい人――という社会はきわめて不安定で、モラルも低下する。低下したモラルを維持するため、どうしても「強権」にたよらざるを得ない。多くの人にとって「住みにくい」社会である。

■日本はこれまで中間層、中流意識をもつ人が圧倒的多数で、それがモラルをささえ勤勉で文化水準も高い社会をつくってきた。教育にまで「競争原理」をもちこみ、なんでもかんでも「競争、競争」というシステムにしたら、日本の良さは消滅する。旧中間層が音立てて崩れていく姿に、「亡国」の文字が重さなって見えてくる。

■さて、明日は大晦日。浅草の某所で年越しの忘年会を予定している。帰宅して「朝まで生テレビ」を見て、仮眠して、今年は川崎大師にでも初詣にいこうかなどと考えている。すべては体調頼みであるが。

■2006年にこのブログを記すのも、これが最後となります。お読みいただきありがとうございます。意外なところで意外な人が読んでいるので驚きました。
 いろいろと「配慮」が生まれ、ちょっと書きにくいなアと思うことも多々あります。その点が匿名のブログとは決定的に違うところです。
 07年度はさらに社会批評を盛り込んだコラムと文化コラムの側面を強めたいと思っています。(毎日だときついのですが)
 それでは、皆さま、よいお年を!
by katorishu | 2006-12-31 01:26
12月29(金)
■今年もあとわずか。毎度、年の暮れに感じることだが、正月を弾む気分で迎えるといったことが絶えてなくなった。木造の住居に住み、大人の半分ほどが着物姿で、かしこまって食事をしていたころ、ぼくの子供のころのことだが、当時は大人も子供も、それこそ「もういくつ寝るとお正月」という歌を実感として感じていた。
 田舎はまだ違うのかもしれないが、多くの人がコンクリートの塊の中に住むようになって「民俗としての正月」はほぼ消滅した、とぼくは思っている。今ある「正月」は「クリスマス」などと同様、メディアや商魂がつくりだした「ショーガツ」である。

■お節料理をコンビニで売っているなど、その典型である。すべてが「商品化」されてゆく。餅も機械でついた「mochi」で、いつまでたっても黴びがはえない。黴びも住めない「もちまがい」が、スーパーなどにならぶ。とはいっても、時間の流れを区切る意味で、しばし「改まった気分」になるのは悪いことではないが。

■東京が急速な変貌をとげたのは、東京オリンピックのころからだった。古いものが取り壊され新しいビルが林立する。みんな豊かになったと喜んでいたが、ぼくは生来の天の邪鬼から、なんだか街がコンクリートの砂漠になってしまうような気もしていた。(そのくせ、高度成長の分け前にあずかり、「豊かな」アメリカ式生活の一端を享受していたのだが)。

■今、心の中まで砂漠化している人が多くなったという気がする。文明の歯車を逆回転させることは出来ないので、この傾向はすすむ。日本だけではなく、世界で人間の心の砂漠化が進んでいるようだ。さらに可視できる世界の「砂漠化」が現実に進もうとしている。

■国際政治のアナリスト、田中字氏が最新発行のメルマガで、「半年以内にアメリカとイランの戦争が勃発する可能性が強まっている」と海外の新聞、雑誌の分析から導きだしている。アメリカの空母をはじめ実戦部隊のイラン周辺への配備も進んでおり、アメリカ政府高官も戦争の可能性に触れているという。恐ろしいことである。
 もしアメリカ・イラン戦争がはじまれば、中東は大戦争になり、石油資源は大打撃をうけ、石油の大量消費によってささえられている文明は崩れ落ちる。
 田中氏の分析が外れることを祈りたいのだが……。
 危機はすぐそこまで来ている。ただ、今は目に見えないだけである。見ようとしない人に、ものは見えてこない。
by katorishu | 2006-12-30 00:56

仕事納めの日だが

 12月28日(木)
■仕事納めの日だというが、自由業者には関係ない。大晦日も元旦もパソコンに向かってなんらかの原稿を書くつもりだ。
 品川駅の港南口にいった。この界隈はインテリジェントビルがそそりたち「ビジネス街」であると思っていたのだが、1,2階には商店街がはいっている。「インターシティ」という名のビルというより「人口都市」といった趣だ。 
 港南口には何度か降りているが、このビルとは対照的な旧来の商店街のほうにしかいかなかったので、はじめて足を運んだことになる。

■執筆作業に格好の珈琲店が何軒かあり、ときどきは自宅から歩いて訪れてみようと思った。徒歩で20数分かかりそうだが、いい運動になる。
 新年早々発売の雑誌『論座』(朝日新聞発行)が自宅に届いていた。「日韓脚本家が語るテレビドラマの危機と再生」という座談会が載っており、ぼくが司会をしており、コラムも載せています。小林よしのり氏と編集長の対談や安倍首相語録ほか面白そうな記事が並んでおり、「論座」も「売る」という姿勢を見せているな、と思ったことでした。ぜひ、お読みください。5日、発売のようです。
by katorishu | 2006-12-29 01:02
 12月27日(水)
■今年も終わりに近づいたが、政治も社会も週刊誌に格好なネタを提供することばかりが続く。「お坊ちゃん内閣」安倍政権は発足早々にしてスキャンダルまみれである。発足間もなく週刊誌などが「スキャンダル内閣」だと書いていたが現実のことになってしまった。本間税制会長の辞任につづいて、佐田行革担当相の政治資金規正法違反の金銭疑惑がでてきた。架空の事務所に7000万円を振り込んだとのことだが、このカネは「裏社会」に流れたという噂もある。

■佐田氏の実父は佐田建設の経営者で、「土木建築」関係の人物である。そのため、そんな黒い噂が出ているのだが、佐田氏は辞任に追い込また。一方、来年度の国家予算が明らかになりつつあるが、これも問題である。「定率減税の廃止」が盛り込まれたものだが、これは実質的にサラリーマンに対する増税であり、日刊現代によればこれによって国民は1兆1000億円の負担増になる。一方で企業向けには減価償却制度を見直すなどして4000円億円規模の手厚い減税が行われ、さらに雇用保険料の引き下げもするとのこと。

■一言でいえば法人優先で、働く人軽視である。起業の利益が増えれば、賃金もふえ、結果として国民が豊になるという論理だが、この論理はどこかで聞いたことがある。
 お隣の中国では、毛沢東によりメチャクチャになった社会や経済を建て直すため、「改革開放派」のトウショウヘイ総書記が、「先富論」を展開していた。「一部の者が先に富めば、牽引力となって、貧乏な人にもその富がまわり、全体として豊になる」という論理で、これは現在の日本の政府がいっている政策とうり二つである、

■「先富論」のおかげで中国はどうなったか。富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっているのである。格差の極端なひろがりは現代中国最大の問題であり、今後中国が崩壊するとすれば極端の格差と環境問題が原因となる、と中国通の人たちが一様にいうことである。
「富める者」の大半は現行のシステムをうまく利用し、うまく立ち回った人である。彼らはちょっと富めばさらに富もうとする方向にしか目のいかない人たちで、だからこそ「富めた」のである。

■自分たちだけが富むのでは申し訳ないので、ほかの人に富をまわそう……などという考えは表面上はともかく本音ではもっていない。(松下幸之助などにはそんな理想があったのですが)
 経営者たちは、そんな「きれいごと」を考えていたら「競争」から脱落すると思っている。田中康夫元長野県知事がコラムで書いているが、「情報機器関係で有名な長野県に本社を置く企業は、今世紀初頭に連結決算で1兆3000億円台を達成する一方で、赤字決算を選択した結果として、3年間に亘って法人事業税の支払い額が0円、法人県民税の支払額が年80万円」であるという。

■企業が富み国民が貧しくなる格差社会がますます進むというものである。儲かった企業が税を払うことは社会への貢献となり、世のため人のためになるのだが、そんな気持ちはさらさらないようだ。
 西武電鉄の総帥のからんだ諸々の事業でもそうであったが、システムを利用して悪知恵を働かせ、なんとか税金を払わないよう知恵を絞る。

■やはり、システムがおかしいのである。システムをつくりだすのは「政治」である。その政治を運営する政治家や官僚が腐りきり、汚職が「文化・伝統」と化している中国と、今の日本はあまりかわらなくなっている。中国では、それが長い「伝統」であったので、それなりに機能しているのかもしれないが、日本は物物物、カネカネカネの中国やアメリカとは違う文化伝統をもっている国のはず。

■格差が極端に開いた社会は歴史的に見て崩壊の憂き目にあう。歴史書を読めば一目瞭然の「定理」といってもよい。なのに、権力者たちは書物を読むヒマもないのか、その気がそもそもない坊ちゃん世襲議員が多いのかどうか。安倍政権は「ブレーンがよくない」とはよく耳にすることである。ブレーンにも世襲議員やそれに類する人たちが多く、彼らは「現実」を知らないし「現実」が見えない。

■次の輿論調査で、安倍政権支持率はさらにさがると予想される。それにしても、女性の支持率が高いとは……。政治家は芸能人などと違うのに一種の「人気投票」になり、それが選挙に反映され、政治が動いていく。「見た目」のスマートさや「家柄」などで判断すると大変なことになる、ということに気づかないのか知識がないのか。ブランドものや流行に敏感なのは結構だが、世の深部で進行している事態にも敏感になってほしい。せめて週間現代、週間ポスト、週間文春、週間新潮ぐらいを読んでいたら、「支持」の姿勢もかわるはず。その類の週刊誌は「オジサン」の読むものだと考えているとしたら……ま、そう思っているのでしょうね。自分の周囲1メートルしか見ていない人には、「船」の向こうに見え隠れする「氷山」が見えない。
by katorishu | 2006-12-28 00:52
 12月26日(火)
■脚本アーカイブズのボランティア作業、本年、最終日。激しい雨のなか北千住までいく。朝から夜半になっても激しい雨が続く。この季節としては異例の雨である。よくある気象なのか、それとも最近の「異常の気象」の一環なのか。報道によると、梅雨の時期の一ヶ月分に相当する雨が一日で降る可能性もあるそうだ。
 夕方、三田で取材の仕事をしたカミサンとあい、夕食。傘をささずに行ける食べ物屋はどこも満員で、結局、傘をさして第一京浜街道の向こうまで歩く。カミサンは本日マラソンランナーの谷川真理に取材したとか。

■「公的」には本日でぼくの作業は終わり。ただ、年明けに渡す原稿執筆や自発的に書いている原稿執筆などで相変わらず「貧乏暇なし」状態が続く。師走らしい雰囲気はほとんど感じられない。 
 昨日、ビデオで小津安二郎の無声映画「浮草物語」を見た。昔の映画は単純な構図であったと改めて思った。画面と画面の間に台詞の文字画面映るが、それが進行のリズムを著しく損なっている。活動弁士は思い入れたっぷりの新派悲劇調で、これはこれで楽しめた。
 唯、全体として小津監督らしい冴えがみられなかった。後年の小津作品の萌芽を見ることはできる。「巨匠」でも当初はこの程度であったのかと、逆に凡才としては安心する。

■蓮池薫氏が06年に日本に工作員としてもどってきたという週間現代の記事について、マスコミは無視しているようだ。この件について2ちゃんねるを見たところ、週間現代を批判中傷する書きこみのオンパレード。特定の人物か組織が集中的に書き込んでいるのか、どうか。蓮池氏は事実無根なら、名誉毀損で週間現代を訴えるといいと思うのだが。
by katorishu | 2006-12-27 01:47
 12月25日(月)
■またまた週刊誌が(?)マークつきだが、「大スクープ」をだした。本日発売の「週間現代」が、北朝鮮に拉致された蓮池薫氏が1986年3月に北の工作員として日本に密航し、ある日本人を北朝鮮に連れていこうとしたと報じている。その日本人、横井邦彦氏が最近、そのときの模様を具体的に暴露した。じつはこのニュースは横井氏のブログで以前から流れており、ぼくも読んだが、そのときは「ほんとうかなア」という思いもあった。

■なぜ今まで横井氏が黙っていたのかも気になった。本日、週間現代が報じたが、よほど確証があったからだろう。「蓮池氏」だという工作員は左翼運動をやっていた横山氏に対し、北にきて100人いる日本人のリーダーになって革命運動をやってほしいと説得したという。
 これに対し、蓮池氏は本日、事実無根だとして週間現代の発売元の講談社に抗議の文書を送った。
 週間現代によれば、記者と横山氏は新潟の蓮池氏宅にいったが、夫人がでて蓮池氏本人は「留守」だとして会おうとしなかったという。手紙を置いてきたが、その後、蓮池氏から返事はなかったという。もし事実無根なら横井氏と対決し、強く抗議をし、名誉毀損で訴えるべきだろう。

■いまのところ、真偽のほどはわからないが、外務省関係者や朝鮮総連の関係者も、とくに強く否定しなかったという。もしこれが事実であったとすると、政治への影響も強くでてくるにちがいない。横山氏によれば、蓮池氏は自分は鵜飼の鵜のようなもので、北に妻子がいるのでこういうことをしなければならないという意味のことをいったという。このとき周囲には3人ほどの「監視役」がいたということだ。「秘密」を知った以上、横山氏を拉致するしかないと蓮池氏はいったとのことで、それに対し横山氏は参議院選挙に立候補することを表明しているので、もし自分が失踪したら警察は黙っていないといった。すると、蓮池氏は監視役と相談し、そのまま去っていったということだ。

■情報機関ならやりそうなことで、《事実とすれば》のカッコつきだが、大胆といえば大胆な行動である。金総書記の息子が密かに偽名をつかって日本を訪れていたことなどを考えると、突飛なことではない。
 横山氏という人物について、なにか隠された背景があるのかどうか。85年に「社会主義労働者党」を結成したとある。どこかうさんくさいものも感じるものの、注目すべき記事で、今後政界をゆるがす事態になる可能性もある。

■このところ、週刊誌が面白い。同誌には石原都知事の「新たな疑惑」も載っている。特捜が都知事をターゲットにしているということだ。
 週間現代はリニューアルをしたとのことで、表紙とグラビアに藤原紀香のヌードを登場させている。硬派の記事と同時にこういう写真を掲載するところが週刊誌の面白いところである。今後とも、社会の隠れて見えない暗部をえぐりだすことに情熱を注いでもらいたいものだ。こうも続々と政治や社会の暗部をつかれると、当局が法律の規制の網をかけてくる恐れもあるが。
by katorishu | 2006-12-26 01:54
 12月24日(日)
■クリスマスイブだが、キリスト教徒ではないぼくには関係がない。今年、ちょっと変わったなと思えるのは、街にクリスマス・ソングが以前ほどうるさく流れなくなったことだ。何年か前の年末はNHKの幼児番組がきっかけで流行った「団子三兄弟」の歌と山下達郎の「キミはもうこない」という歌詞のクリスマス曲が、どこにいっても流れていて少々辟易した。

■ぼくの行動範囲に、たまたまクリスマスソングが聞こえなかっただけのことかもしれないが。キリスト教徒でもないのに、「メリー・クリスマス」などといって喜んでいる姿は、あまり感心しない。非キリスト教徒がこれほど「クリスマス、クリスマス」という国は日本以外あまりないのではないか。韓国はキリスト教徒が多いので、わかるが、日本人の大部分は仏教徒なのである。なのに、お釈迦様の関連行事には目もくれない。
 底にあるのは商業主義である。お釈迦様関連では「ゼニにならない」のである。業者のPRにいとも簡単にのってしまう無節操な日本人。だからこそ、「奇蹟の」経済発展をとげたともいえないこともないが。

■アメリカの文化政策に見事のって、これだけアメリカ文化が流行った国で、キリスト教徒の比率が低いというのも不思議といえば不思議である。ぼくは、そのことでまだ日本は「救われる」と思っている一人だが。
 敗戦直後、小説の神様といわれた、あの志賀直哉が、日本の国語をフランス語にしたらいいと提言したりした。血迷って何をいうのかという感じだが、敗戦直後の日本の大人はそれほどうろたえていたのだろう。

■今また、敗戦直後にも似た空気が漂って、ひたすらアメリカのシステムに追従しようとする一群の人たちがいる。アメリカに留学したりした経済学者やビジネスマン、ジャーナリスト、政治家などに多い。彼らは社会的影響力をもつので、無垢な国民は「それが日本のためになり」「得だ」といわれると従ってしまう。

■ぼくも子供が幼稚園や小学校にいっているころは、家でクリスマス・パーティを開いたと記憶している。そうしないと「みんな同じ」という空気のなか、イジメにあう恐れもあり、妻の意向もあってそうしたのだと思うが。もっとも、当時、勤めと執筆活動などで、多忙をきわめ、家には寝に帰るだけであったから、そんな日でもない限り、子供との接触もなかった。

■1970年代ごろは、クリスマスというと喫茶店なども特別料金をとり、普段の倍の値段であった。バーなどにいくと、やたらとクリスマス・パーティ券を買わされた。酔ったときを見計らってホステスにたくみに誘導されると買ってしまう。パーティ件を買わされたものの、じっさいのパーティにいったことは一度もなかった。クリスマスには多くのサラリーマンは飲んで歌ってバカ騒ぎをし、翌日の新聞に写真入りで「恒例のバカ騒ぎ」として報道されたものである。
 高度成長がはじまった時期で、植木等の「サラリーマン無責任時代」の映画がはやっていた。それが「寅さん映画」にかわったころから、日本は住みにくくなっていったという気がする。「昔はすべてよかった」などというつもりはないが、アメリカの商業主義文化から、日本文化を守る術はないものかと改めて考えた日であった。
by katorishu | 2006-12-25 00:21
 12月23日(土)
■JALの大株主で、最近石原都知事親子への「2000万贈与」問題で渦中にある糸山英太郎氏が、テレビ東京の菅谷社長の記者会見を強く批判し、「テレビ東京はあなたのものではない、株主のものだ」とホームページに書いていた。糸山氏はテレビ東京の大株主でもあるらしく、経営陣に対していろいろ注文をつけていた。それに対し菅谷社長は記者会見で、中傷であるとした。

■これ以上、経営に踏み込むと、提訴もありうる……と示唆したことで、糸山氏は激怒した。株主として言い分があるのだろうが、ぼくには「テレビ東京は株主のものだ」と言い切る言葉が気になった。「改革」と称してグローバリゼーション(アメリカ化)が日本に導入されて以来、竹中平蔵氏らが盛んに「会社は株主のもの」といいまくり、それが常識のようになりつつある。果たしてそれでいいのだろうか。株主優遇策がつづくと、最終的に日本はアメリカの経済属国になってしまう。(すでに軍事的にはそうなっているが)

■テレビ東京は国民に強い影響力をあたえるマスメディアであり、公共性をもった組織である。それを一握りの株主が「オレのもの」だとして自分の都合のよい経営を行えば、ブッシュ政権に追随した報道をするアメリカのフォックステレビのようになってしまう。社会に影響力をあたえる会社は「公共性」をもったものであり、株主の「いいなり」で動く組織になるべきではない。会社は、株主とともに従業員のものでもあり、国民のものでもあるという意識が、これまでの日本にはあった。アメリカ占領政策の強い影響をうけながらも日本の「特性」として機能してき、だからこそ、日本は高度成長をとげたのである。

■バブル経済の失速以後、自信を失った日本政府はアメリカ型の経済を日本に植え付ける政策を優先している。もちろん、アメリカの強い要請、圧力のもと、とられた政策だが、現在、この政策の歪みが国民のモラルの面にまで影響をおよぼしている。日本の大会社はこのところ相当の利益をあげているものの、利益の多くは「株主」にいってしまい、従業員や社会にはあまり還元されない。
 株で得たキャピタルゲインには10パーセントの税しかからないし、税制でも「金持ち優遇」策が続いている。

■国民のかなりの層が株をもつようになっており、株主優遇は結構と思っている人もいるようだが、日本の株の多くを所有しているのは「外資」である。株主優先はそのまま「外資優先」につながる。日本人が安い給料であくせく働いて得た利益が、自動的に「外資」にいくシステムが構築されつつある。
 
■アメリカ型競争原理が導入された結果、利益をあげて株主に配当を増やせ……というのが経営者への至上命令となった。金儲けのためなら、なんでもありという事態になっている。「数字市場主義、数字原理主義」の台頭である。その結果、非正規社員が増加し、社会の格差が極端にひろがった。日本の美質であった終身雇用も崩れ、多くの国民は非常に不安定な空気のなかで生きるようになっている。
 アメリカと日本は、歴史も伝統も文化も違うのに、しゃにむにアメリカ的な制度を日本にもちこもうとしている。それが「小泉改革」の本質である。この政策を推し進めた竹中平蔵氏らは、日本をアメリカ化させようとして政権の中枢にはいりこみ、アメリカ化に多大に貢献した。公務員宿舎問題で税制会長の辞任に追い込まれた本間氏は竹中氏の師匠である。竹中氏は途中で参議院議員を辞めたが、辞任の背後にきなくさい噂が漂う。政権交代にでもなれば、小泉改革の影の部分が表に出るはずである。

■「改革」で多くの日本人が幸福になり、将来にわたって幸福でありつづけるのなら問題はないのだが、彼らがやったことの結果はどうだろう。改革の名のもとに「日本の良さ」が雪崩をうって崩れていく。自殺者が3万人以上という状態がずっと続き、教育が崩壊し、少子化が一層強まり、犯罪が凶悪化し、将来への希望がもてない……等々、ロクでもない社会をつくってしまった。

■日本を外資のエサにする「株主優先政策」は多くの日本人の利益にならない。今のような政策が続くと、日本はさらに外資(主にアメリカ)の食い物にされ、植民地的隷属状態におかれてしまう。(すでにそうなっているが)。将来を考えるためには、過去の歴史から学ぶことも必要である。江戸時代の庶民の「知恵」には学ぶべきものが多い。
 身分制はいただけないが、江戸の文化はきわめて洗練され高度なものだった。そのことを、もう一度思い出す必要があると思うのだが。

■本日は、時実新子氏の川柳、横浜ゼミ句会に参加した。「はぐれ刑事」のシナリオを書いていた同業の杉山氏等が主催している句会で、月一回、横浜文学館で開かれる。カミサンがよく出席していたが、今回は忘年会もかねるので、ぼくも参加した。1月の浅草川柳会との合同句会以来の出席である。
 「兼第」は「寝る」「粘る」「狙う」「値札」「音色」の5つで、これはあらかじめ2句つくっていく。当日あたえられた題は「席題」といって、「のれん」「望む」「ノート」「残る」「のぼる」の5つ。このほか「猫」の題を「互選句」として前もって送ってあった。
 ぼくの句は3句が採用されただけ。これは「川柳大学」の雑誌に載る。

■句会には江戸川柳のながれをくむ浅草川柳会のひとも数人参加していた。時実川柳は「現代川柳」で同じ川柳といっても、かなり違う。ぼくは川柳というと、江戸川柳しか読んでこなかったので、戸惑う部分もあった。時実川柳はいわゆるサラリーマン川柳とも違って、当人の日常の心情、感懐などが中心になる。浅草川柳からきたベテラン氏は、時実川柳は恋愛ものが多いと話していた。
 
■終わって元町の中華街で忘年会。祝日で好天ということもあって、中華街賑わっていた。独特のネオンや匂い、行き交う中国語などで、ちょっとした「異国」に足を踏み入れた気分になる。渋谷から直通で中華街に電車が通じて以来、お客の数が増えているそうで、活気がある。よい気晴らしになった。何人もの方が『北京の檻』を読んでくれていて、「大変面白かった」「勉強になった」「大変だったでしょう、あれだけ書くのは」といってくれた。著者として大いに励みになる。読まれなければ本は存在しないも同然である。こういう人と接すると、次作への意欲が増す。
by katorishu | 2006-12-24 03:12
12月22日(金)
■この秋、北千住に東京芸大音楽学部の音楽環境創造科が新たに誕生した。地元に密着して、音楽表現を通じて新たな文化を創造していこうとするユニークな学科である。そこのK助教授に脚本アーカイブズの委員として接触。K助教授はフランスに留学し、文化的イベントをたちあげる術をまなんだとのことで、いろいろ建設的な提言を頂戴した。この国の政治家は芸術や文化に無理解な人が多く、それでいて「文化大国」などとのたまっている。箱物つくりに邁進するのではなく、「中味」を充実させることこそ長期的に見れば日本の「国益」になるのだということを知ってもらいたいものだ。

■校舎の並びにユニークな喫茶店がある。コヤガーデンという店で、ライブやフラメンコの実演を時折やっているという。江戸時代から千住に住んでいる一家が経営している店だ。以前は陶器屋をやっていたとのことで、コーヒーカップも多彩で凝っている。それほど広い店ではないが、落ち着ける。北千住には喫茶店が少ないと思っていたが、店主の話ではいろいろとあるそうだ。

■文化的に辺境といわれていた足立区は今大きくかわろうとしている。都内一の「貧困地域」などともいわれているが、案外、こういうところから新しい文化が生まれるのかもしれない。新しい文化は「辺境」から育つものである。先入観を廃して一度、北千住の街を歩いてみてください。いろいろな発見があります。

■帰路、銀座で89歳になる著名なイラストレーター、早川良雄氏の個展にいったカミサンと会い、鰯料理を売り物の歌舞伎座近くの店にいった。予想していたことだが、かつての味は失われていた。ブランドの名前だけが先行し、濃い味付けしかわからない味覚の人たちが、通う。繊細で微妙な味がわからない人が多くなった。私見では化学調味料の味の素がこの傾向を助長したのだと思う。今や中華料理は味の素多用料理に堕してしまった。味の素がはいっている食べ物でないと「うまい」と思わない人の大量生産は、この国の中央集権的画一化政策と見事照応している。

■文化の豊かさとは多様性であるはずだが、画一化へ画一化へと傾斜していく。テレビもこの傾向を助長した。21世紀の日本が目指すべきは、「物物物の文化」にサヨナラをして文化・芸術面で「すごい」と思われる国である。大量生産、大量消費のアメリカ文化を世界に浸透させたら環境は悪化の一途をたどり、早晩、地上は人間が住めなくなってしまう。
 芸大の音楽環境創造科の目指していることにつながるが、「環境との調和」こそ21世紀の重要課題である。自然を征服し常に敵を作ってこれと戦うことに存在意義を見いだす「キリスト・ユダヤ」の「一神教原理主義」に距離をおくことが、日本の生きる道であると思うのだが。
by katorishu | 2006-12-23 01:25
 12月21日(木)
■北朝鮮の核問題を話し合う6ヶ国会議が4日目をむかえるが、日本にとってはかばかしい進展はないようだ。過日、日中をしばしば往復している中国・朝鮮情報に詳しい研究者から直接聞いたことだが、金総書記は核実験後の「経済封鎖」などにまったくめげずに元気そのものであるという。なんという週刊誌であったか、金総書記が糖尿病で50メートル歩くと椅子に座り込む状態と報じていたが、実情は違うという。北朝鮮と国境を接する中国東北部の朝鮮族居住地区の人から聞いた、とその人は話していた。

■駅でたまたま買った夕刊フジによれば、金総書記は新たな核実験を示唆したとのことだ。拉致問題は完全に無視されており、日本の対北朝鮮外交は失敗であったことが明らかになりつつある。この問題で中国に目が向いているが、ポイントを握っているのは案外、ロシアではないのか。
 そもそも金日成を「抗日運動の英雄」としてでっちあげ、北の独裁者に仕立てあげたのはソ連のスターリンであるし、プーチンは旧ソ連の尾てい骨をひきずっている。

■対ロ外交は鈴木宗男氏や外務省のロシア通の佐藤優氏の逮捕以降、あまり機能していない。とくにロシアとの強いパイプをもっていた佐藤氏を逮捕して、外交から排除してしまったことが、今になって悪く響いている。マスコミも当時、この二人を悪の権化のようにたたいた。
 鈴木氏は清濁併せのむ政治家で、たたけばほこりが出る人のようであったが、彼の逮捕と抱き合わせで、外務省の策略もあってついでに佐藤氏を逮捕した。このことが対ロ外交にもたらしたマイナス面は大変なものだ、とロシア情勢に詳しい知人のジャーナリストなどは一様にいう。

■このままたいした成果もなく、6カ国会議が終われば、強引に核兵器をもってしまったほうが勝ちだという価値観を世界に植え付けてしまう。最大の核超大国アメリカが、積極的に軍縮を提唱するか自ら核兵器の削減へ向けて努力する、とでも宣言するくらいの大胆な政策変更をしないと、事態の好転はのぞめないのではないか。「好転」とは北朝鮮に核兵器を廃棄させることである。さらに、その他の国が核兵器の削減に向かって努力をはじめることである。でも、そうはならないでしょうね。我欲、強欲の権化がリーダーの国ばかりなので。

■少子高齢化が予想を超えて進み2050年には65歳以上の「老人」は4割をしめる、と昨夜、政府の関係機関が発表した。今のままの政策がつづけば、この割合はさらに増え5割が「老人」ということになるだろう。これはかなり恐ろしい数字である。
 年をとっても健康で働ける老人が多ければいいが、恐らく寝たきりで介護を必要とする人が厖大な数にのぼるだろう。そんな老人たちを若い世代が支えられるはずもなく、年を取ったら早く死ぬことが「国家への最大の貢献」などという事態になりかねない。
 社会のシステムを根本的に変えていかなければ、この問題を解決できない。

■そのためには、アメリカ主導のグローバリゼーションから距離を置くことです。アメリカと日本は、歴史も伝統も国民性も違う。自然を力で制服するという欧米型の牧畜民の「キリスト・ユダヤ原理主義」から一定の距離をおき、自然と調和して生きるリサイクル社会を構築するしか日本の明日はない。そう思うのですが、商業主義にあおられて、すっかり欧米型のライフスタイルが身につき、それこそが「幸せの形」だと思っている人が今や過半数を占めている。
 従って、日本がこの路線を変えることはむずかしいでしょうね。テレビの番組などもそうですが、今の日本をおおっているのは悪しき「ポピュリズム(大衆迎合主義)」なのですから。ポピュリズムにおいては常に悪貨が良貨を駆逐するものです。
 一人一人は賢明な選択をしているようでも、マスとなると「空気」に流され悪しき選択をしてしまい勝ち。
 歴史的にみて、文明は大衆化されたとき衰亡に向かうそうです。
by katorishu | 2006-12-22 00:57