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 1月31日(水)
■光陰矢のごとし、というが、実に時間の経過が早い。今年もすでに1ヶ月が経過した。驚き呆れるほどの早さである。
 脚本アーカイブズの件で北千住に。文化庁の支援を受けているので、年度末の報告書を作成することになっており、本日はその「編集会議」。集まった原稿は極めて中味の濃いものである。

■電車に乗る際、駅の売店でしばしばタブロイド版の夕刊紙、「日刊現代」を買う。1ページ目は時の政権に対する厳しい批判が必ず載る。例の「女は産む機械」発言の柳沢厚生労働大臣は「辞任不可避」という大型の活字が踊っていた。これだけ数々のスキャンダルが政権早期に噴出する政権も珍しい。まさに末期症状である。
 ここは日刊現代の主張しているように、総辞職か解散総選挙でも実施したほうがいい。

■スキャンダル情報が瞬時に世界に伝わる時代である。この有様ははっきりいって醜いし、世界から嘲笑の目で見られるのではないか。経済面でも日興コーディアル証券の粉飾疑惑は1320億円にのぼるという。しかも責任者の前社長は安倍首相と同郷で家族ぐるみの付き合いだという。

■日々のニュースを賑わせるのは、「あるある」捏造問題やバラバラ殺人等々、眉をひそめることばかり。日本社会が末期症状を呈しているのではないか、と思いたくなる。
 まだ回復可能の段階であるので、政治も経済も一度「ガラガラポン」をして、敗戦直後のように「やり直し」「出直し」をしたほうがいい。ほめられる要素がひとつもない世のリーダー層を見て育つ若者の心に、このままだと大変悪い影響をおよぼすに違いない。

■この国を言葉の本当の意味で「美しい国」にしようと思うなら、国のリーダー層がまず身辺をきれいにしてもらいたいものだ。日銀総裁、しかり。身ぎれいにできない人間は即刻引退をすべきだろう。政治家はダーティが当たり前という「世間常識」をあらためることから、日本の文化やモラルの再生があると思うのだが。
 水清くして魚すまず、というが、汚すぎてメタンガスがぶくぶくの泥沼には、魚どころかアメーバも住めなくなる。
by katorishu | 2007-01-31 23:18
 1月30日(火)
■大井町のブックオフで高杉良と清水一行という「経済小説」のベテラン作家の本をそれぞれ2冊、ほかに経済や流通関連の本を含め計7冊買った。いずれも100円と思っていたら、100円のコーナーとそうでないコーナーの境目が曖昧で4冊は定価の半額であった。閉店間際のレジで値段をいわれて気がつき、「どうしますか」といわれ、仕事に必要なので買った。それでも新刊本で買ったら4,5000円もするものが半額にも満たない。

■仕事で本などを大量に買ったりするので安価なのはありがたいが、書き手としてはあまり歓迎できない。言葉は悪いがブックオフは出版社に「寄生して」業績を拡大しているのである。「読まれてこそ本」であり、図書館などで自分の本が何度も借り出され、少々汚れているのを見るのは嬉しいことではあるが、その結果、出版社の利益が減り、書き手にまわってくる原稿料や印税も減る……というのは「生活者」としてはありがたくない。

■日本映画のビデををひところ図書館で無料で借りて見ることができたが、監督協会からクレームがつき、今では見られなくなっているということだ。お達しが行き渡らないようで、今でも図書館によっては日本映画のビデオやDVDを見ることができるが。
 インターネットが普及し、情報が簡単にコピーされたり、ダウンロードされるようになって、「著作権」の侵害が飛躍的に多くなった。

■以前は「著作権」という概念が薄く、創作者への還元など微々たるものであったが、近年、日本ではかなりの程度「著作権」の権利が定着した。去年、釜山の東アジアドラマ作家会議に参加したとき聞いたのだが、中国では相変わらず映画やテレビドラマの「海賊版」が横行しており、たとえば中国で見ることの出来る「韓流ドラマ」の9割は「海賊版」ないし不法コピーの作品であると韓国の関係者から聞いた。

■東南アジアなどでも著作権に違反した作品が多量に出回っている。中国は世界貿易機関にはいったのだし、著作権の面できちっとして欲しいものだ。その点、アメリカはさすがに著作権がしっかりしており、ディズニーの作品やキャラクターなど「著作権が過剰」といえるほどである。インターネット時代となり、著作権ビジネスも巨額な利潤を生み出すようになり、投資家などがこの分野はカネになるとして虎視眈々と狙っているので、ますます著作権関連は発展するだろう。現場でもっとも汗を流して苦吟している作り手に還元される方向で処理されるといいのだが。
 著作権の保護がしっかりなされているか、いないかで、その国の「文化水準」がわかるというものである。

■例えばテレビドラマを例にとると、日本の現状では再放送になった場合、脚本家に支払われる脚本料は数千円から1万円程度である。これが「局制作」の作品をキー局が流すと、制作時の脚本料の2分の1が支払われる。(以前はそうであった。現状については未確認)同じドラマでも下請けの制作会社と局制作では、再放送で受け取る金額が2桁も違うのである。(ぼくの場合、なぜか局制作の作品の再放送はごく稀で、ときどき再放送される「昔のドラマ」は下請けの制作会社制作のドラマばかり。かくて「実入り」が少なく、おかげで「清貧」の生活が出来ているのだが)

■ところで、何事もカネがなくては動かない時代、映像産業にいろいろな資金が流れ込むのは結構なことだが、「ビジネスになる」作品ばかりが氾濫し、利潤をあげられそうにない佳品が排除されるとしたら、これも歓迎すべきことではない。受け手、消費者の問題でもある。「みんなが見る」作品や「話題作」を見るのも結構だが、「みんなが見ていない」作品を見るほうが、個性的であるし、いかにも「自分らしい」感性を養えると思うのだが。

■本も同様である。ベストセラーばかりを読んでいたら、思考も感性も「金太郎飴」になってしまう。「話題作」「ベストセラー」などと遠いところで仕事をしている「売れない作家」の「犬の遠吠え」と思われてしまうかもしれないが、「地味な作」「地味な本」には案外、深い感動や感銘が宿っているものです。
 それを独自に「発見すること」の楽しさ、喜びもあると思うのです。話題作、ベストセラーには「発見の喜び」がありません。
by katorishu | 2007-01-31 02:55
 1月29日(月)
■「あるある大事典」の捏造事件は底なしの様相を呈してきた。本日発売の「週間朝日」がほかの回の新たな捏造問題を特集しており、他の番組での捏造やそれに準じる「誇大」などが今後表面化する可能性も出てきた。
「健康」にかかわることを厳密な科学的な検証なしで「お笑いエンターテインメント」として取り上げる傾向に問題があるということだろう。「情報バラエティ」として芸人などが「おもしろおかしく」伝えれれば、何でも許されるという風潮が土壌にあった。

■以前、レタスが睡眠に有益という番組が放送されたが、それも捏造であったという。ぼくはその番組を見ていないが、知人から「レタスを食べるとよく眠れる」と聞いて、唯一の持病である「不眠症」をかかえる身として、普段あまり食べないレタスを試みに食べてみたが、まったく効果はなかった。そのときは、店からレタスがなくなるといったことはなかったと記憶する。たまたまカミサンが買っていたレタスを、キャベツ代わりに食べただけのことであったが。

■週間朝日はゴルフ雑誌にいた編集者が編集長になってから、急に面白くなったという気がする。やはり組織は常に「外部の血」をいれたほうが活性化することの具体例だろう。
 いずれにしても、これを機会に、「眉唾の情報」を垂れ流す「情報バラエティ」番組が減ってドラマ枠などが増えることを、脚本家としては期待したいのだが。「安くつくって、なにがなんでも数字をあげる」風潮が根付いている現在、それは「ないものねだり」となるのかもしれない。

■夕方、NHKの「オーディオドラマ懇親会」に途中から出席した。423オーディションルームでFMシアター「ドイツ人が描く『或阿呆の一生』」を聴いた。北ドイツ放送とNHKの合作ドラマで、芥川龍之介の短編を素材に、ドイツ人の脚本家、演出家、出演者がつくりあげた「異色の作品」である。今回は日本向けに日本人の役者が出演し、ドイツ語も残しつつ微妙な構成を施していた。すでに放送した作品なので、聴いた人がいるかもしれない。

■ぼくはもちろん初めて聴く作品であり、実験的な試みとして大変興味深かった。襖の音がページをめくる音の役割をはたしたり、「音」の面白さが横溢している作品だった。ドラマ的な感動というと、もうひとつという印象であったが、試みは買える。
 旧知のラジオドラマ制作のOBの姿もあり、久々に歓談。オーディションルームが満杯の盛況であった。普通の「オーディション」の際はこんなに多くの人が集まることは珍しいとのことである。オーディオドラマは「放送界の良心」といってもいいだろう。アメリカの意向を受けた前総務大臣の竹中平蔵氏が中心になって作成した「改革案」の中にはFM放送をなくすという項目があった。彼ら「拝金教徒」には、「ゼニにならないラジオドラマ」など「なんのメリットもない」ので真っ先に切り捨てるということなのだろう。

■そのあと、懇親パーティが行われた。ラジオドラマ番組の関係者の他、脚本家、作曲家、音響技術者等々、全員がラジオドラマに多大の興味をもっている人たちで、今の放送界(テレビ界)では、「例外的存在」である。逆に「創る」ということに「純な気持ち」を宿している人が多く、地味ながら気持ちの良い懇親パーティだった。
 オーディオドラマは海外でも高く評価され、昨年、数々の賞を受賞したとのこと。パーティの費用はそれら賞の賞金をあてており、「受信料からは出していません」と案内状にしるされてあり、微苦笑した。

■同業の仲間たちと意見や情報交換をしたりするうち、貴重なヒントを得たりする。同業の仲倉氏より、「今度、この監督(故人)についての本を書くといい。傑作をいくつもつくっているのに、本格的にあつかった本がない。関係者を紹介しますよ」と貴重なアドバイスもいただいた。仲倉氏は拙作『今村昌平伝説』が出たとき、ある雑誌に好意的な書評をかいてくれた。某監督の作品はほとんどDVD化されており、見ることができる。すこし時間をかけて調べてみようという気になった。

■去年ドラマ部長になった木田氏とも久々に歓談。26年ほど前、白系ロシア人のプロ野球選手、スタルヒンのことを調べるため一人で旭川にいった。旭川生まれのスタルヒンについてのローカル番組をつくった若手ディレクターがいる、といわれて紹介されたのが木田氏だった。翌年、彼は東京のドラマ部に異動になった。それ以来のつきあいで、「お互い長いね」などと話したことだった。

■独特の投法で人気のあったスタルヒンについては、その後、娘さんが確か「白球に夢をのせて」というタイトルで本をだしたので、ぼくは書くに至らなかったが。我ながらいろんなところへ気軽に飛んでいってネタを仕入れたりしてきたのだな、と改めて思ったことだった。多くは「空振り」で自前の取材費等はムダになってしまうが、得るものも多い。
by katorishu | 2007-01-30 01:14
1月28日(日)
■柳沢厚生労働大臣が松江市で開かれた自民党県議の集会で「15から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」などと述べたという。
 女性を子供を産む「機械」になぞられたことで世論の怒りにあい、柳沢大臣はすぐ打ち消したとのことだが、オッサン大臣の「本音」が思わず口に出てしまったということだろう。例え話としているが、飲み屋などでのザレゴトならともかく、古めかしい価値観が根底になければ公の席で出てくるものではない。

■昔は「子無きは去る」などという言葉もあって、結婚して子供が生まれないと離縁されるようなことも「社会慣習」としてあった。当時はまさに女は「子供を産み増やすこと」が最大の存在価値であった。それと同じ感覚である。産みたくても産めない女性や、不幸にして妊娠しても産む「環境(経済環境他)」にない場合もある。女を「子を産む機械」になぞられるのは、国民を「国を守るための駒」になぞらえる「軍国主義」時代の感覚と重なり合う。

■こういうセンスの人間を国の指導者にいただいているのである。発言は瞬時に世界をかけめぐる。それが「日本の国益」にとってマイナスになることにリーダーとして想像力が及ばないのだろうか。安倍政権にまた「スキャンダル」のタネが増えたということで、政権に対する支持率が更に低下するだろう。まるで、安倍首相の足を引っ張るためにこそ発言しているかのようだ。別の意図があって、そうしたことも考えられなくもないが。

■昨日放送されたテレビドラマ『まだそんなに老けてはいない』(テレビ朝日)をDVD録画で見た。山田太一脚本で深町幸男演出、中村雅俊、余貴美子、岸辺一徳、原田美枝子らが出演。近頃珍しい典型的な「ホームドラマ」で、「団塊の世代」にあたる人達の琴線に触れる要素に満ちた内容。ぼくには極めて面白かった。山田脚本にありがちな「お説教調」の長台詞がなく、説得力があった。
以前は、こういう「大人のドラマ」がいろいろとあったのだが、最近はほとんど制作されない。それだけに一層、新鮮な印象を抱いた。願わくば「数字」もとって欲しいものである。
 若い世代は「まだるっこい」と思うのかどうか。感想など聞いてみたいものだ。

■「団塊ジュニア」あたりを中心に、それ以上の年齢層と以下の年齢層の間に大きな「ジェネレーション・ギャップ」があるようだ。戦前の教育を受けた世代に育てられた世代と、戦後教育によって育てられた世代の価値観の違いが根底にある。後者はアメリカ占領軍の「アメリカ化」政策を強いバックボーンとして持っている。「戦前」は「悪」であり、「戦後」は「善」といった図式が長いこと続いてきたが、最近、ぼくは「どっちもどっち」という気分になっている。

■一口に「戦前」といっても、昭和7,8年ごろから昭和20年にかけての日本社会と、それ以前の大正時代から昭和初期にかけての時代では、かなりの違いがある。それを一口に「戦前」という枠でくくっては、「歴史の真実」が見えてこない。大正後期から昭和初期の新聞、雑誌等を仕事の関係で調べていて感じるのだが、特に都会ではかなり「自由さ」「アバウトさ」があったし、すべて暗黒に塗り込められたいたわけではない。
「昔の一般国民はマイカーもないし電話もないし、海外旅行にもいけないから、可哀想」などといえはしない。現代の「基準」「物差し」だけで価値判断をすると誤りを犯すことになる。
by katorishu | 2007-01-28 23:49
 1月27日(土)
■高田馬場でのシナリオ教室の講義。生徒は全員女性。目の輝きがあるのが、いいと思った。なにか目標をかかげて、そこに向かってひたむきに努力をする。そういう人が少なくなっているので、志をもって努力をしている人は貴重な存在でもある。

■終わって南アフリカの現実を描いた映画を 日比谷で見る予定であったが、時間がうまくあわず、やめにしてコーヒー店で執筆作業。本日の日比谷、銀座は人でにぎわっていた。場所柄から、比較的、富裕層の客が多いので、街は華やかな印象である。ただ、以前の銀座とちがって居酒屋でも「和民」や「天狗」等々どこにでもあるチェーン店が多くなった。表通りは「さすが銀座」と思わせる雰囲気を維持しているが、裏通りは、「長引く不況」の姿が色濃く影を落としている。

■昨日のテレビ朝日「朝まで生テレビ」を3分の1ほど見た。管理職ユニオンの設楽氏やエコノミストの森永氏などは、しごく全うな意見を吐いていたが、与党議員の発言には、「庶民感覚がまったくわかっていない」類の意見が多かった。格差があるのは、能力差や意欲の差があるので当然なのだが、格差の「開き過ぎ」が問題なのである。

■株主など一部富裕層重視の政策が相変わらず続いており、現政権が続く限り一層格差はひろがるだろう。どなたかが、「お金を右から左に流して、膨大な利益を得ている人があるという発言があったが、私の知っている証券関係者は、システムを構築するため額に汗して働いている等大変な努力をしている」と話していた。

■確かに金融(金儲け)のシステムを新しく構築する人は日々知恵を絞り、大変な労働をしているのだろう。問題は、そういう人たちが作り出した「システム」にのっかって、安易に金儲けをしている一群の「富裕層」の存在である。一定額以上のオカネ(数億円以上か)をもっている人は自分が知恵をしぼらなくても、金融専門家やコンサルタントにオカネの運用を丸投げすれば、自動的にかなりの利潤が転がりこむ。

■つまり一定額以上の資金をもっている人は黙っていても、資産が増えていく。そのシステムが問題なのである。特定の人にオカネが大量に流れこむということは、そのほかの人間の懐には流れないことである。日々奴隷に匹敵するくらいの労働をしなければ、生きていけない層が急増していることが問題なのである。最近は金融知識をあまり持たない「素人」が株の投資をするようになったが、プロの金融マンからみれば「これほどだましやすい」カモネギはいないそうだ。

■それにしても、いわゆる「リッチ」といわれる一握りの人たち。その中には「濡れ手に粟」の人もかなりいるようだ。この層が増えることは必然的にモラルの劣化に通じ、きわめて住みにくい社会になる。日本社会が混乱し、購買力が低下し、日本の社会・経済がうまく機能しなくなったら、元も子もなくなるのではないか。

■そうなったら、富裕層は日本から逃げ出しどこぞのリゾート地等で暮らそうなどと考えているのだろうか。西武系の某オーナーのように、税法のからくりをいろいろと駆使して、なんとか税金を払わないようにしたり、政治にとりいって自己の利潤を確保しようとする人がいる。「自分さえよければ」「自社の会社が利潤をあげさえすれば」「自分の株の値があがりさえすれば」――等々、「他への迷惑」や「脱法すれすれ」のところで、小賢しく利潤を追求する「拝金教徒の勝ち組」ともいうべき人たち。
 現行のシステムを最大限利用して利益をあげ「(物的に)豊かな暮らし」をしている人(その家族、取り巻き)に、言葉の本当の意味で「愛国心を欠いた」人が多いような気がしてならない。もちろん、ボランティアやいろいろの社会貢献に力をいれている人もいますが、キリスト教の博愛精神が根付いていないところに「拝金教」が根付いてしまっているもので、弊害が出ているのです。日本文化に拝金教は似合わない。
by katorishu | 2007-01-28 03:33
 1月26日(金)
■民主党の角田参議院議員副議長が結局、辞任するそうだ。2500万円の裏帳簿問題や外国の団体である朝鮮総連から献金を受けたり(本人は否定しているが)の「不祥事」で、民主党の党内からも辞めるべきと言う声がでていたのだが、本人は辞めないと言い張っていた。結局、辞めざるを得ないところまで追いつめられて、しぶしぶ辞める。政治家としてどんな「功績」があった人か知らないが、往生際の悪い人という印象しかもてない。

■自民党の「不祥事」が頻発しているおり、今こそ野党第一党の民主党の「違い」を際だたせることが出来る「チャンス」なのに、このイサギの悪さ。世間の風を読めない証拠でもある。野党といっても参議院の副議長職というのはよほど「おいしい」地位であったのだろう。政治家の戦術、戦略から考えても、ダメな人といわなければならない。政治家は一般に「権益に醜くしがみつく」人が多い。我執の塊のような人も多い。それだけに野党として「違いを鮮明に」だすには、「いさぎよさ」とか「清廉潔白」「強気をくじき弱気を助ける」といった、昔から日本人一般が好きな人物像を「自己演出」しなければいけないのに。

■人間誰でも光があれば影もあるものである。牧師や僧ではないのだから、政治家に「清さ」ばかりを求めても仕方がない。「水清くして魚すまず」という諺もある。少々の「汚れ」を演じてもいいから、結果として「世のため」「人のため」になればいいのである。
 金銭的に廉潔そのもので自らも「清い」生活を送っている権力者が、国や民族を誤る方向にもっていき多くの人々を逆境に陥れることは歴史上、多々ある。ヒトラーなども、独裁者にしては「清い」ほうであったのではないか。

■「理想主義」に走る「清い」政治家もまた危険である。 理想主義の人間は政治家ならずとも、いろいろなところにいるが、そういうタイプの人に共通しているのは「観念的」で、「現実」を知らないということである。学者などに多いが、この類の人間が何かの間違いや、たまさかの僥倖で「権力」を握ってしまうと、多大の迷惑を周囲にまきちらすことになる。「人情」とか「惻隠の情」とか、「思いやり」とか、昔から普通の日本人がもっていた「世間常識」をもっている人が、政治家としては最低限必要な資質である。

■残念なことに、アメリカ的経営方式やアメリカ的文化が世間を牛耳るようになってから、そういう「世間常識」を持った人がリーダー層からはずされていくようになった。そもそも、そんな人情家ではリーダーになれない。リーダーに準じる人にもなれないようだ。
 今は数字至上主義にもとづく「拝金教」が跳梁跋扈する時代である。この価値観から少しでもはずれた人間は主流からはずされていく。

■幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の多くが、当時の日本の庶民について記しているが、みんな一様に「日本人は素晴らしい」とか「謙虚」で「温かく」「素直で」「穏やか」で「文化水準も高い」――等々、お世辞でなく本気で褒め称えている。

■そんな「日本人」はすでに絶滅品種になりつつあるようだ。「美しい日本」などと権力者が上からいくら掛け声をかけても、言葉の本当の意味で「美しく」なるはずがない。
「美しい」などという言葉を発している権力者と、そのまわりに巣くっている「おこぼれちょうだい」組が「美しくない」のだから。「機会の平等を」などと叫んでいる「世襲議員」――というのも、ブラックジョークでしかない。
by katorishu | 2007-01-27 01:47
 1月25日(木)
■耐震偽装問題でイーホームズの藤田社長が早くから「アパホテル」の建物の「耐震偽装」を指摘していたが、ようやく国交省が認めた。そのためマスコミが一斉に報じた。田村水落設計の検査をしたことがあるので、藤田社長は以前から気づいていたという。藤田社長はアパグループが建設販売しているマンションについても耐震偽装であると早くから指摘していた。

■藤田社長はこの件で総理官邸に直接足を運び、安倍首相に「直訴」しようとした。この模様をホームビデオで撮影していた人がいて、今でも「ユーチューブ」などで見ることができる。マスコミ等が報じない情報を、「一市民」がビデオで撮影し、ノーカットで世界に向けて発信したのである。インターネットの普及がなければあり得ないことである。彼は著書もだしたので、行政も見て見ぬふりができなくなったのだろう。

■ぼくも以前、シナハンでいった金沢で一度、アパグループのホテルに泊まったことがある。宿泊代はプロデューサーが払ったのでいくらであったか知らないが、「安手のホテル」という印象であった。女社長がテレビのCMに直接出たことから、有名になったホテルである。本日初めて知ったのだが、アパグループの後援会長が森喜朗元首相であるという。さらにアパグループの代表(女社長の夫)は安倍首相の後援会「安晋会」の副会長であるという。道理で指導官庁の腰が重かったわけである。

■耐震偽装問題に関しては、恐らく多くの建築関係者がからんでいる可能性もあり、一説にはあまりに多くありすぎ、すべてを公表するとパニックなるので、政府も国土庁も曖昧なままにしているとか。怖いことである。
 バブル時期に建設されたマンションの相当部分にこの類のマンション類があるようだ。当時の公共工事もひどいもので、そこでアルバイトをしていた某劇団員から以前こんな話を聞いた。
「現場はかなり無茶苦茶でしたよ。トラックで砂利や木材なんかを運んできても、おろさないでそのまま走り去るなんてことがよく行われたましたね。もちろん、書類ではそこにおろしたことになっているんです」
 当然の結果として手抜き工事が行われることになった。

■日本人の美徳であった「職人気質」が息の根をとめられたのは、バブル時期であったと思う。バブルに踊った親たちの背中を見て育った子供が、今や社会の中堅になろうとしている。一度、途絶してしまった「伝統」を復活させるには、大変な時間がかかる。この先、日本社会は一層のモラルの低下に悩むことになるに違いない。

■本日発売の週間新潮によれば、例の「あるある大事典」に深くからんでいる某大物構成作家や有力プロデューサーは、番組で取り上げる商品の関係企業に前もって情報を流していた疑いが濃いという。従って、某大手スーパーでは放送前から納豆が「ブーム」になるのを見越して大量に仕入れていたとか。問題が発覚する前に「売り抜けた」可能性が強い。

■情報を提供するかわりに何らかの「見返り」を期待するのは「業界の常識」である。テレビ電波は公共のもので、国から許認可権を得ているのである。薄給で劣悪な状況で働く下請け孫請けの制作会社の社員の上で、果実をむさぼっている一部の「既得権益者」。「情報バラエティ」番組が増え、テレビが商売に強い影響力をもつようになって「癒着」が多くなったという気がする。この種の番組は「長いコマーシャル」といってもよいくらいだ。

■どんな分野、どんな業種でも似たようなものだが、権力構造が固定すると腐敗するものである。仮にぼくが権力をもった位置についたとして(100パーセントありえないが)、清廉であり続けられる自信はない。
 ときどきガラガラポンをして、権力構造を変えることが必要なのである。ここは民主党に頑張ってもらって参議院選では与野党逆転して、たまりにたまった腐臭を吹き飛ばしてもらいたいものだが、民主党にしても角田参議院議員が朝鮮総連などから献金をもらっていると報じられたり、金銭面でかなり怪しくなってきた。即刻角田議員は参議院副議長を辞任すべきなのだが、本人は辞めないといっているそうだ。こんな調子では民主にも期待薄である。かといって、他は……いやはや、である。
 かくて汚濁にまみれたまま「タイタニック・日本丸」は破滅に向かってカジを切ることもなく進み、船上では「紳士淑女」を気取ったイナカモンが謡ったり踊ったりポーカーゲームをしたりしている。
by katorishu | 2007-01-26 03:26

健康の秘訣は納豆

 1月24日(水)
■例の「あるある大事典」の放送後、水戸市の納豆製造業者の「だるま食品」では1日3万パックの注文があったのが、30万パックに急増したという。そのため10人のアルバイトを雇って大量生産をはじめた。ところが捏造が発覚した結果、大量の在庫をかかえてしまったという。

■普段あまり納豆を食べない西日本からの注文が増えたそうだ。ぼくなど関東土着の人間にとって納豆はご飯や味噌汁とともに朝食にはつきものの食べ物だった。
 肉や油類が嫌いな「偏食子供」であったのに、なんとか育ったのは納豆のおかげである。今と違って昭和20年代の食料難の時代である。極端な偏食は生命の維持にも支障をきたす。物心ついたころから納豆がしばしば朝食にで、これは好きであったので、命がつながったと思っている。当時は毎朝、納豆売りが「ナット、ナットー」といって自転車で売りにきたものだった。

■買った納豆を丼にいれ芥子と醤油をいれて箸でかきまわすのが、子供のころの朝の「仕事」であった。小学校の同級生に納豆を製造している家の子供がいた。彼のことをみんな「ナットー」と呼んでいた。納豆は生活に密着していたので、例えば野球をやっていてバッターボックスで「粘る」と、「今朝納豆食ってきたな」などといったものだ。

■ひと頃、あまり食べなくなっていたが、この10年ほどは週のうち3,4日は食べことにしている。いろいろ手を加えたりしないで、芥子と醤油をいれてかき回してご飯に乗せて食べるのである。タレが甘すぎるのが難だが、ぼくがほとんど医者にもかからず健康でいられるのは納豆と玄米食のおかげと思っている。
 注目をあびた納豆が、こんなくだらないことで忌避されないことを願うばかりだ。

■あの不祥事で関西テレビの事後処置が「甘い」と今も抗議の電話等が関西テレビやフジテレビに9000件も寄せられているという。あの番組の制作を請け負った日本テレワークのはいっているフジテレビ別館は、これまた問題をかかえている日本航空本社ビルと運河をはさんだ隣にある。ぼくの住む所と同じ町内なので、近くを通る度に、いやでもあの番組のことを思いだしてしまう。この不祥事を生かして、誇張した情報やいい加減な情報を垂れ流す「情報バラエティ」番組が減るといいのだが。
 要は「見なければいい」のだが、テレビ視聴と選挙の投票に関しては、日本国民の「多数派」を構成する人たちのセンスについていけない。

■政治といえば、民主党のテレビ・コマーシャルを見たが、センスのなさに唖然とする。知る人ぞ知るであるが、自民党のコマーシャルは電通が担当し、民主党のコマーシャルは博報堂が担当している。博報堂の担当者は何を考えているのか。小沢一郎氏と菅直人氏と鳩山由紀夫氏の3人が難破船のような上で頑張ろうと手をつきだすコマーシャルであったと記憶する。なんとなく暗いし、夢がないのである。ムードで動く無党派層を取り込んだり、若い層をとりこむには、CGなどを使って「見せる(魅せる)」ものをつくり、清心さを強く打ち出さなければ。
 あんなオッサン臭いコマーシャルではむしろ逆効果である。小沢一郎氏が自ら指図してつくったのだろか。意表をついて宮崎駿ばりの斬新なアニメなどで作ったほうがよかった。それと歌である。メローディアスな歌や曲は古来より大衆を酔わす働きがある。

■博報堂の某部長から直接「あのコマーシャルは感心しませんね」と聞いた。政治とはある意味で「大衆煽動」である。その点、ナチスの戦術から学んだと思われる小泉前首相のメディア戦略は巧みであった。民主党が政権を本気で取るつもりなら、ナチスの戦略から大衆操作法を学ぶくらいのしたたかさ、柔軟さを発揮しなければダメだと思ったことだった。
by katorishu | 2007-01-25 02:28
1月23日(火)
■地球環境の悪化が静かに進んでおり、早く効果的な手を打たないと、「ポイント・オブ・ノーリターン」を過ぎてしまい、人類は取り返しのつかない事態になる。
 温暖化への危機感から、C02を削減しようと97年、京都議定書が採択された。C02を最も多く排出しているのは車である。そのため、「車社会」アメリカが結局、この議定書から抜けてしまい、環境の悪化が進んでいる。大国アメリカのエゴイズムでしかない。

■最近、元アメリカ大統領のゴア氏が温暖化への危機感を強く感じて世界に危機を訴える運動を開始している。ゴア氏はブッシュ大統領と大統領選挙を戦い僅差で破れた人である。もし、あのときブッシュ氏ではなくゴア氏が大統領に当選していたら、世界情勢はかなり違ったものになっていたに違いない。

■環境問題の危機を訴えた映画『不都合な真実』が近く公開されるなど、一部で環境問題を懸念する動きはあるが、いまだに「便利さ」「快適さ」に慣れてしまった人達は、化石燃料を大量消費する生活を続けている。ポイント・オブ・ノーリターンを過ぎてしまったら、取り返しのつかない事態になり、悪化をふせぐために、GDPの20パーセントほどの負担になると、元環境庁長官で97年の京都議定書の議長をしていた大木氏が、CS放送の朝日ニュースレターで話していた。

■今後「発展途上国」である、中国、インド、ロシア、ブラジルなどで「車社会」が「先進国」並みに進めば、大変な事態になる。アメリカでも州知事クラスは危機感をいだき、ブッシュ大統領も近く政策の変更についての何らかの発表をすることになるという。
 環境がこれ以上悪化して南極の氷が溶ければ、海面が上昇し、世界の大都市の多くが海面下になる。とんでもない事態である。未来について想像力を発揮する人にとって『不都合な真実』は必見の映画のようだ。

■夕方、渋谷で「428会」の勉強会。今回の報告は「ワールド」や「パルコ」などの初期の広告に深くかかわった、旧知の元広告会社経営者の西原氏。FM放送初期の広告についての裏話もふくめ、西原氏の「人生航路」についても雑談風にすすんだ。大手広告会社の某氏がテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などの資料を見せてくれたが、大変興味深い内容だった。

■テレビといえば関西テレビの「あるある大事典」は打ち切りになったという。下請け、孫請けに安い予算で制作を丸投げしたシステムと、氾濫するお手軽な「情報番組」が原因である。今のような番組を流していると、数年のうちに地上波テレビは「構造不況業種」に陥る可能性が強い。昨日のNHK特集であつかったアメリカの検索会社グーグルの発展は、すさまじいもので、情報分野に一種の「革命」をもたらすだろう。それが人類にとっていいことなのか、どうか、未知数であるが……。
by katorishu | 2007-01-24 07:32
 1月22日(月)
■月曜日は週間現代か週間ポストを買うことが習慣になっている。本日も午後、散歩と執筆をかね、近くの商店街にいったついでに週間ポストを買った。
「徹底追及」として「『拝金内閣』大炎上」なる特集があった。
 佐田大臣のスキャンダルで後任の行革担当の大臣に就任した渡辺喜美氏が選挙資金の名目で集めた7000万余りを自己の資産としていたという。選挙で使った資金が浮いたので自分の資産に計上したとのことだが、無税なのである。

■選挙資金の場合、所得税や住民税などいっさいかからない税法になっているが、それを「悪用」して個人の資産を気づくとはセコイといわれても仕方がない。
 同誌には、久間防衛庁長官が「疑惑のゼネコン集金団体」をあわてて閉鎖したとの金銭疑惑のほか、安倍首相の「後援会ファミリー」が入信する謎の「新興宗教」教祖を直撃という記事も載っている。安倍首相の地元、下関では大規模公共事業を「安倍献金」の「信者」が独占しているという。

■写真で見る「坊ちゃん顔」に似合わず、もともと安倍氏には金銭疑惑がついてまわっており、週刊誌などで再三報じられている。例の耐震偽装の「ヒューザーの小嶋社長」との関係をはじめ、「豚肉偽装業者」との関係も取りざたされている。「昭和の妖怪」といわれた祖父の岸信介元首相の血をひくので、とくに不思議ではないが、政権発足まもない時期にこれだけ金銭疑惑や不祥事にまみれた内閣も珍しい。

■政権交代が行われないことの弊害が一気に吹き出したという印象である。民主党にかわったとしても大した政策の違いはなく、同じという意見がある。確かに劇的に政策がかわるはずもなく、劇的に変わったりしたら社会のいろいろなところで大混乱が起きる。
 ただ、少なくとも政権交代がときどき起きることで、さまざまな癒着の膿を出すことはできる。政権交代すれば長く権力についていた与党のスキャンダルがいろいろと表面化するに違いない。政治は「きれいごと」でいかないのはわかる。しかしそれをいいことに一定の「既得権益層」が税金を巧みに利用し、それを世襲や談合などで維持していくシステムを作り上げてしまった。家族等の関係者も含めると、「既得権益層」は国民の3割はいるのではないか。これだけの層があると、そう簡単には崩れない。ここは「無党派層」に期待するしかない。

■宮崎知事選でそのまんま東氏が当選した。新聞報道では無党派層が決め手になったようだ。彼に政治家としてどれほどのポリシーがあり実行力があるのかわからないが、願わくば東京都知事になったタレントの青島幸男や大阪府知事になった横山ノックのような愚は犯して欲しくないものだ。
 これが弾みになって、参議院選挙でも大きな変化が起きると、日本の未来に少しは希望がもてるのだが。さて、どうなりますか。あまり期待をしないで日本の行く末を見守りたいものです。
 本日も外の「仕事場(複数のコーヒー店)」で5時間ほど仕事。大した成果もあがらずに一日が終わってしまう。毎度感じることだが、時間の経過が早すぎる。
by katorishu | 2007-01-23 03:01