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6月29日(金)
■渋谷で映画『キサラギ』を見た。ネット上の紹介サイト、シネマトゥデイによると、次のような内容だ。
「自殺したアイドルの1周忌に集まった5人の男が、彼女の死の真相について壮絶な推理バトルを展開する密室会話劇。『ALWAYS 三丁目の夕日』で日本アカデミー賞を受賞した古沢良太の巧みな脚本を、『シムソンズ』の佐藤祐市監督が、コミカルかつスリリングに演出。小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、ドランクドラゴンの塚地武雅、香川照之という人気、実力を兼ね備えた5人が繰り広げるハイテンションな会話劇から目が離せない」

■脚本が巧みでまあ楽しめた映画だが、何かが決定的に足りない。今の時代を象徴しているのかもしれない。愚直でも洗練されていなくともいいが、胸にずしりとこたえるものが欲しい。
 場所柄若い観客が多く、大いに楽しんでいたようだが、この類の映画ばかりになっていく傾向を危惧する。 今という時代を鋭くえぐる作品が少なすぎる。

■若い人が創った映画でも例えば『ゆれる』などとは基本的に違う。『ゆれる』にも『キサラギ』にも香川照之が出ていたが、『ゆれる』の演技の足下にもおよばない。
 映画を製作する母体の問題でもある。とにかく「数字」さえとれれば、それで「勝ち」ともし思っていたら、大変な勘違いである。
by katorishu | 2007-06-30 00:23 | 映画演劇
  6月28日(木)
■過剰なサービスというものがある。喫茶店に長い時間いることが多いが、夏になると閉口する。クーラーが効きすぎるのである。昼間の暑い時間に温度設定をしたまま夕方になってもそのままにしているのだろう。とにかく寒い。暑ければ暑いほど、寒い。防寒具をもっていかないと風邪をひいてしまいそうで、ブラックジョークのようだ。

■電車に乗っても車内がすいていると、クーラーがきつい。本日電車で移動していて寒さには腹立たしくさえあった。満員電車や昼間の暑い時間の設定のままなのかどうか。熱い戸外を歩いてきて、クーラーのよく効いた電車に乗ったりすれば、そのときは快感を覚えるかもしれない。しかし、20分、30分乗っていると、体が冷え切ってしまう。エネルギーの過剰消費にもつながるし、なんとかならないものか。

■遅い夕食後、近所の24時間営業のマクドナルドに久しぶりに足を運んでみた。ぼくはハンバーガーはほとんど食べないので、空間を借用させてもらう。2時間近く原稿書きをしたが、その間、母娘と思われる人がはいってきた。二人とも大きなバッグをもっており、長袖を着ている。飲み物は頼まず一番安いと思われるスティックを頼んでいた。会話をほとんどせず、すぐ二人とも目を閉じた。

■寝場所としてマクドナルドにやってきたのだとすぐにわかった。娘さんは色白で美形であったが、顔色は悪かった。本日一日だけではなく、長い間、こういう暮らしをしているのだろうか。以前、常連であった70歳前後と見られる男女のカップルズは最近見かけなくなった。常連であったオバサンの姿も見ない。疲れている様子であったから、あるいは病気で倒れてしまったのか。あるいはマクドナルドに払うお金がなくなってしまったのか。

■「マック難民」といわれる人たちである。一方、ずっと勉強を続ける若者やパソコンに向かっているサラリーマン風の人もいる。たまたま終電車に乗り遅れて、ここで一夜を過ごす人もいる。彼らのことはどうでもいいが、マクドナルドを「泊まりの場」と見なすか、そうせざるを得ない人たちの存在が気になる。深夜営業のマクドナルドに足を運ばなければ、気づかないことで、自宅で快適な眠りのできる人には無縁の世界かもしれないが。
 
■いまだ世界第二といわれる「経済大国」日本の影の一部である。座ると会話もせず、目を閉じて眠り始めた親子。人間がよさそうで「自己主張」もあまりしなさそうな「善人」のようで、それが顔にも態度にも出ていた。どんな事情や背景があるのかわからないが、こういう人が増えている事実は頭の片隅に置いておいたほうがいい。

■午前2時前に自宅にもどり今村昌平監督の、ドキュメントともフィクションともいえない作品『人間蒸発』を2時間20分ほどにわたってCS放送で見た。拙作『今村昌平伝説』で記したので詳しく触れないが、「うーん」という溜息が出そうな作品だった。予定していたような「素材」「材料」が集まらないドキュメントほど、始末におえないものはない。フィクションとノンフィクションについて、あらためていろいろ考えさせてくれる「奇作」である。
by katorishu | 2007-06-29 04:59

CIAが機密文書公表

 6月27日(水)
■アメリカのCIAの60年代、70年代の非合法活動に関する機密文書が公開された。CIAがマフィアを使ってカストロ議長の暗殺を企てたことなど、謀略活動の一端が公式に裏付けられた。カストロ暗殺のためにマフィアに15万ドルを払う約束もあったようだ。暗殺は失敗に終わったが、なるほどそういうこともやっていたのか、と思った。
 ワシントンポスト紙によると、このドキュメントは「ファミリー・ジュエル」と呼ばれているとのこと。

■CIAはベトナム戦争に反対の運動をしていたアメリカ人の電話盗聴も不法にやっていた。そのほかコンゴの大統領であったルムンバ暗殺計画についてのレポートもある。
 一方、アメリカのすごいところは、一定の期間が過ぎると、「国家の恥部」ともいえることでも、公開するということだ。機密文書などもふくめて文書化して保存することが、将来「歴史」を編纂する上で大事――という思想が根底にあるからなのだろう。

■ただ「9.11」以降、国民への監視も強化され巧妙になっており、言論の自由も相当程度制限されている。なにしろ、あのチャップリンを「共産主義シンパ」として閉め出してしまった歴史をもつ。元を正せば、彼の地に住み続けていたインディアンを力で追い出し、殺戮してつくりあげた国家なのである。 極めて攻撃的で暴力的な面があるかと思うと、一方で政府を痛烈に非難するマイケルムーア監督にアカデミー賞を与えたりする多様性も持っている。

■ハリウッドの「大作映画」にはあまり感心しないが、素晴らしい作品も数々つくる。面白いといえば面白い国ではある。ただ、自分たちの価値観こそ「正義」であり「絶対的に正しい」という姿勢は改めて欲しいものだ。

■一方、日本の情報機関のひとつ、公安調査庁の問題である。この機関の元長官が代表をつとめる投資会社に、朝鮮総連が本部ビルを売却するという「架空取引」が最近暴露された。なにか隠れた意図があるのか、あるいはお粗末な金儲け話が発覚しただけであったのか。この問題、背後にうさんくさいものがあるようだ。某大物議員が動いたのでは……などということも取り沙汰されている。

■「参議院選挙が近づくにつれ、週刊誌などでライバル議員やライバル政党のスキャンダル暴露合戦が活発化している。中には根も葉もないものがあるかもしれないが、「火のないところに煙は立たず」である。大いにスキャンダルや不正をあばきだす作業をやってもらいたいものだ。日本はアメリカほど情報公開が進んでいないので、ジャーナリズムや内部告発による「暴露」によってしか事実が表に現れない。事実は判断の材料として重要である。事実が一部か、あるいは加工され間違ったものであると、判断を間違う。ジャーナリズムは事実をえぐり出すことに情熱を注いでもらいたいものだ。
by katorishu | 2007-06-28 01:56
 6月26日(火)
■仕事の必要もあって『カサブランカ』を見た。ハンフリー・ボガード主演の1942年製作のハリウッド映画で、第二次大戦中のフランス領カサブランカを舞台に展開する恋愛ものプラス、男同士の友情物語である。ナチスドイツの占領下にあり、一歩間違えば命にかかわる緊張感のもとに展開する。モノクロ画面のコントラストもよく、ボガード経営の「アメリカン・カフェ」で歌われる「時の過ぎゆくままに」の歌が効いている。

■過去何度か見ている作品だが、今回DVDで見て、あらたな感銘をうけた。構成、台詞、役者の演技等々、映画の手本ともいうべき名作である。ハンフリー・ボガードがまさに「男の手本」ともいうべき人物をクールに演じている。感嘆し、嘆息した。恰好いい、というより恰好良すぎる。
 この人物の根底にあるのは「優しさ」である。逆境や苦境に陥った人間に、どれだけ優しくなれるか。「優しさ」の表現の形は人それぞれに違っていいのだが、今の日本社会にはどうも「優しさ」が欠けている。

■じっさい、日々のニュースで報じられるのは、暗く陰惨でまったく「美しくない」光景ばかりである。「優しさの欠如」が原因のひとつではないかと思っている。優しさは何も相手のいいなりになることではない。時に厳しく、ノーをいうべきときにはノーをいうが、いざというときには身をなげうってもという勇気が支えている。

■現代の社会を「異常」と見るか「正常」と見るかで、見えてくる風景がちがってくる。地球の自然環境が危機的状況になっていることひとつとっても、「異常」というべきだろう。戦後の日本社会、特に都会が失ってしまったものは、「自然」である。これだけの人間が住んでいるのに、「絶望的に」少ない。
 田舎があり、そこに田畑をもち、食べ物の相当部分を自給自足している人が、ひどく羨ましく思えるときがある。

■だったら、田舎に引っ越せばいいという声も聞こえるが、悲しいことに都会の生活しかしたことがないので、今更田舎暮らしもできない。「田舎は都会の人が思っているようにのどかではなく、厳しい」という声はよく聞く。
 その通りだと思う。それを承知の上で、一度田舎に住んでみたいと思うことがある。リゾート地などに別荘をもち、ときどき車などで出向くのでは意味がない。その土地に住み地元の人と交流しつつ時を過ごす。「引退」したら、そういう生活をしてもいい、と思うことがあるが、幸か不幸か、「死ぬまで現役」が信条なので、そんなマネは出来ない。

■「人間観察」の場としては大都会東京は面白いといえばいえる。数が多いということは大変なことである。外国人も数多く移り住み、いろいろな問題が派生しており、至るところに「ドラマ」がある。それはそれとして、よくこれだけ緻密で精巧な人口空間を築き上げたもの、と感心することもある。

■ところで、最近、マスコミでもほとんど触れないが、東海大地震は来るのか来ないのか。仮に今の東京に阪神淡路大震災規模の地震が起きたとしたら、東京は壊滅する。マンションの多くは「耐震偽装」の建物と大して変わらない構造のはずで、地面が大揺れすれば、どれほどの死傷者が出るか想像もつかない。来て欲しくないが、いずれ来る。おそらく、それによって日本は大きく変わるだろう。良く変わるか悪く変わるかわからないが。天災は忘れたころにやってくる。ナマズではないので、第六感も働かないが、本日自宅近辺のインテリジェントビルの谷間を歩いていて、ふっと思った。ハイチのコトワザにこういうのがある。「太陽は西に姿を消すが、不幸は姿を消すことはない」
by katorishu | 2007-06-27 03:03 | 映画演劇
 6月25日(月)
■テレビ朝日のTVタックルが年金問題をとりあげていた。途中から見たのだが、まっとうな議論を展開していて割と面白かった。
 それにしても、社会保険庁はじめ役人たちのでたらめには驚き唖然とするばかりだ。大竹まこと氏が政府の肩をもつ大村議員にかみついていた。大竹氏の庶民感覚はまっとうである。
 過日、大竹まこと氏にインタビューをした。近々、日本放送作家協会の公式ホームページの「放送人インタビュー」に載ります。ぜひお読みください。

■それにしても年金問題は底なし沼である。本来、国民の公僕として戦後日本の官僚システムはスタートしたはずである。ただ、戦後の数々の改革の中で戦前のシステムを継続したものがあった。その典型が中央集権的官僚システムである。天皇制を維持することにともない「天皇の官僚」であった官僚のシステムはそのまま維持された。内務省は解体され自治省や郵政省や警察庁などいくつかにわかれたが、「精神」は生き残ったというべきだろう。

■戦前からの伝統を引き継ぐ官僚システムの弊害が以前からいわれてきたが、ここへきて腐臭に蓋を出来ないほど顕在化してきた。国民もこうまでコケにされて怒らなかったら、マゾとしか思えない。国交省や農水省なども、点検していけば税の無駄遣いがいろいろと出てくるに違いない。

■戦後レジームからの脱却と首相はいっているが、こういう官僚無責任システムからの脱却こそまず手をつけるべきではないのか。
 どうも政権与党はまだ国民の怒りの強さを実感していない。公明党の坂口厚生労働大臣は「100年安心年金」などと国会で語ったが、現状では実現不可能である。この際だから、何兆円も海外にODAで出しているカネを削減して、年金に振り向けるくらいの大手術をしないと、国民の不信感はぬぐえないだろう。

■国民の「信頼」を国家が裏切ったことでは、終戦間際、満州で民間人を放置していち早く家族等を優先して引き上げた関東軍の指導者を彷彿させる。
 国民の怒りを次の選挙にぶつけることで、日本の劣化を食い止めないと大変なことになる。政府与党は次の参議院選挙で地滑り的な大敗北を喫するに違いない。社会保険庁の職員がボーナスを返還するなどという案が出ているが、そんな小手先の目くらましに国民はだまされないだろう。時々は政権交代があってこその「民主主義」である、と改めて思ったことだった。
by katorishu | 2007-06-26 00:56
 6月24日(日)
■昨日とはうってかわって一日中雨。梅雨なのだから、雨がふらないと今後の気象に悪い影響をあたえる。春夏秋冬、四季があり自然環境が豊か……というのが、日本の最大の美点である。地球上でこれだけ四季の豊かさがあり、海があり山があり、森林がある国は、そうそうあるものではない。

■大事にまもって次の世代に伝えていかなければいけないのだが、この数十年で日本の山河も様変わりしてしまったようだ。土建業者や族議員等々「政官財」の癒着の構造に、税金を落とすため、必要もないところにコンクリートの道路をつくったり、ダムをつくったり、河川をコンクリートで固めたりの「事業」が多すぎる。一部、災害対策として機能している所もあり、それは評価するとして、評価できない事業があまりにも多い。税金を「合法的にとる」システムが出来上がってしまっているのである。

■すでに海がおかしくなっていることは、漁業関係者が指摘しており、今後10年ほどで人類の運命が決するかもしれない。人類は動物の一種であり、豊かな自然環境なしには生きていけないのである。環境と調査して他の命をも大事にして生きる……この観点がないと、人は劣化し、社会も世界も劣化に向かう。

■科学文明を過信するあまり、特にアングロサクソンに代表される「先進国」は文明は自然を克服できるという思いこみにとらわれ、自然に対する畏敬の念を失ってしまった。先進国の文明に毒されていない「未開」や「後進国」の一部に、まだ自然への畏敬が残っているのだが、ここも押し寄せる近代文明の波に翻弄されつつある。

■環境保護というと、またぞろ「金銭の亡者」が「環境ビジネス」は儲かるとして、乗り出してくる気配だ。介護ビジネスと同様なことが起こらないことを願うのみである。
 ところで、10年がかりで書いた長編小説が、本日一応完成した。昭和25年の朝鮮戦争とその後に起きた「特需」や社会の変化を、少年の目から描いた大作(?)で、何度も試行錯誤をした作なので、愛着がある。いったんは1700枚くらいになり、一挙に縮めて600枚くらいにしたが、これだと中途半端になってしまう。

■さらに構成を変えたり文体もちょっといじり、1000枚強の作品になった。ただ、注文を受けて書いた作品ではない上、「大長編」であるし、「出版不況」が続く中、果たして出版してくれる版元があるかどうか。上下二巻本になるか、二段詰めの大部のものになる。「著名作家」や「新進作家」なら話は別なのだが、その範疇にはいらない「作家」の本はそう簡単に出版されないのが、現実である。
「売れない」「売れる見込みがない」という理由である。「売れない」と思われて、それでも出した本が「売れる」ことはあるのだが、版元は弱気になっている。

■過日、知り合いの某編集者に概要を話したところ、「面白そうですね。読ましてください」といってくれた。目下、彼が「頼みの綱」である。ただ、彼は「文芸担当」ではないので、どう解釈するか。「朝鮮戦争」「特需」「少年」というキーワードに興味をもってくれたものの、まだ関門がある。仮に彼が面白いので出したいと思っても、企画会議で通らなければ日の目を見ない。

■自分の書きたい(創りたい)素材やテーマを書きたい方法で書き(創り)、それが形になって多くの人に読んでもらったり見てもらったりできれば、理想なのだが。理想は現実の前に膝を屈しがちである。それでも屈せず、必ず共感してくれるはずの読者(観客)がいるはずと思って書く。おおかたの作家はそうしているはずである。

■さて、この「労作」どうなりますか。ぼくとしては、これこそ出したかった作なので、カミサマにでも祈りたい気分だ。目がしょぼしょぼになったが、久しぶりに「達成感」を味わった。
 ところで、他の原稿、大幅に遅れているものもあり、恐縮しております。鋭意進めておりますので、もしこれを読んでいるかもしれない「関係者」の方、悪しからずご了解ください。
by katorishu | 2007-06-25 01:08 | 文化一般
 6月23日(土)
■朝日ニュースターの「ニュースにだまされるな」が面白い。日本の新聞の社説などを中心にとりあげ、数人の専門家によって、それがいかに的はずれであるかを酷評する番組である。地上波テレビとちがってたっぷり時間をつかって問題を掘り下げるので、「ニュース」の裏にあるものが見えてくる。
 G7で安倍首相が環境対策を提案したことが、マスコミでは好意的に取り上げられているが、これは見当違いも甚だしいとのことだ。

■安倍首相は、メルケル独首相が提案した温暖化対策を「骨抜き」する形で提案したにすぎないようだ。環境の劣化はじつに深刻である。学者の提案や警告について、ブッシュ政権はじめ「成長神話」や「市場原理主義」にとらわれた政治家、経済人は、なんとか焦点ぼかしをしている。そちらを真剣に考えると、「数字」をあげることが出来なくなってしまう。そのため、とにかく「数字」のほうを優先してしまうのである。
 こんな政策を続けていると、深刻な事態がさらに深刻になり、取り返しのつかないことになる。そういうことを、あまりマスコミは伝えない。

■今世紀末までに数メートル海面が上昇する可能性もある、と専門家は指摘する。これが人間にとっていかに深刻なことか、慄然とする。ところが、今年のG7会議で環境問題での合意ができなかった。ブッシュ政権に最大の責任がある。これに追随する安倍政権も「美しい星」などという抽象的は表現でアピールしたが、専門家によれば、どの年を基準に具体的にいつまで二酸化炭素を半減させるのか、まったく記されていないもので、めくらましでしかないという。

■ヨーロッパはすでに対米追随政策からの脱出をはかっている。しかし、日本のマスメディアはこの本質を的確に報じていない。本質を鋭くえぐるのではなく、お茶を濁す記事が氾濫している。日経新聞など、この問題では曖昧な表現に終始している。日経新聞を読むビジネスマンは多く、罪つくりなことにさらに罪つくりを重ねることになる。

■日本は世界の潮流から取り残されていることを、もっと知ったほうがいい。アメリカのブッシュ政権はすでに世界の流れからはずれつつある。これが大前提である。
 イラク戦争でも世界の流れは「ブッシュ離れ」である。なのに、現政権は未だにブッシュ政策追随である。日本のテレビと新聞だけ見ていたのでは、こういう流れがわからない。インターネットで娯楽サイトを見てまわるのもいいが、時には外国の新聞なども読んだ方がいい。中学高校の6年間、英語を習えば、新聞の概略は読めるはずなのだが。

■自動翻訳も発達しているし、ニューズウイークなどの日本語版もある。総合雑誌や週刊誌なども読めば、「内向きの情報」漬けから解放される。
 賢くならないと、情報を独占したり権力をもっている人間にいいようにされてしまう。おかしいことや不正に対して、ダメという言葉を発する国民が多数派にならないと、民主主義は定着しない。宗教教団が実質的に政治に進出している現実もきわめて問題である。何十年後、今の日本を回顧すると、きわめて「異常な時代であった」と位置づけられるだろう。

■カナダからきた学者(名前は失念)が語っていた。「(政府は)戦後奇蹟の成長をとげた日本の強みであった公的部門をどんどんゴミ箱に捨てている。驚きますね」
 その通りである。成立の過程はどうであれ現行憲法も戦後日本を支えてきた重要な柱である。そのほか、「共に分け合う」「独り占めしない」「人情味」といって日本の伝統的な美点も、「小泉改革」とやらが根こそぎぶちこわしてしまった。竹中某元大臣など、日本のアメリカ化をひたすら進めた人は、アメリカからオカネをもらっているのではと疑いたくなる。欲張り人間、独り占め人間をこれ以上跳梁跋扈させないための政策が今ほど必要なときはない。
by katorishu | 2007-06-24 00:13
 6月22(金)
■「成果主義」あるいは「数字至上主義」という「魔物」が日本を徘徊し、社会の劣化を促進している。7年前からコロッケに偽物をまぜて売っていたミートホープという業者や、介護ビジネスで問題を起こしたコムスンなど、「数字」をあげればなんでもいいといった風潮の典型例である。おそらく上記の2社は「氷山の一角」で、似たようなことをやっている会社や組織は相当数あるに違いない。

■世の中には数字などで計れない価値がたくさんあるのに、この10年ほど、とにかく「数字」が出なければ価値がないといわんばかりの風潮が社会全体に蔓延している。
 本来、弱肉強食の自由競争になじまない分野でも、どんどん民営化し、数字による「成果」を短期間に出させる。それが出来ない組織は「滅びよ」といわんばかり。
 小泉政権以降、政府が積極的に主導してこういう価値観を根付かせてしまった。

■アメリカ式価値観を無批判に受け入れた結果である。アメリカに留学し「アメリカこそ世界の普遍的な価値」と信じ込んだ学者や官僚、ジャーナリストなどが、日本のアメリカ化を推し進めた。この10年間で、社会の芯の部分や土壌が壊され劣化がすすんでしまったという気がする。日本には日本固有の文化や伝統があるのに、相変わらずの欧米コンプレックスに染まった人が、とくに指導層に多い。

■ここへきて「市場原理主義」「数字至上主義」の弊害が噴出している。なのに、なおもこの路線を突っ走り、日本のアメリカ化を進めようとする指導者たち。国民は内閣支持率の低下という「意志表示」を示した。政府は支持率の低下という「数字」にあわてて、参議院選挙の投票日を強引に先延ばしにしてしまった。そのため、選挙を進めてきた組織や人が大迷惑を受けている。のばしたことによって税金もそれだけ多く使われる。

■少子高齢化を迎えたのに、今の日本に有効な対策はないといってよい。地球環境の悪化も深刻である。一酸化炭素を大量に輩出しているアメリカや中国が、ほとんど有効な対策をこうじていない。日本はこれら環境悪化を促進している大国に厳しく意見をいわなければいけないのに、実質的にはこの2国の「環境劣化政策」に加担している。「数字」至上主義の「魔物」に感染している指導者は有効な対策をうたない。「魔物」が人類の未来にとって、どれほど危険かを察知していないので、パフォーマンスはするものの、有効な対策を打つ考えもないのである。

■ぼくの周辺にいる友人、知人の多くは数字至上主義とは別の生き方をしている人が多いので、流れから排除されがちで、自然貧乏になっていく。それではいけないと数字至上主義を貫こうとする人もいるが、たとえ数字をあげたとしても、すこしも「幸せ」に見えない。個人の努力や才能の問題ではなく、社会をおおっている「成果主義」というシステムの問題でもある。今年あたりを価値観転換の分水嶺にしないと、危険な事態になる、と予言しておこう。
 時間があったら「地球の壊れ方」という近未来小説を書いてみたい。そのための資料集めも少しずつしているのだが、集めれば集めるほど空恐ろしくなる。

■本日は月に一度の放送作家協会の理事会。そのあと、産学協同の可能性をさぐるため大学関係者と協議。夜、コーヒー店で原稿書きをしていると、急に睡魔に襲われ深く眠ってしまった。能楽師が講師の勉強会に行く予定であったが、時間の都合がつかなかった。毎度感じることだが、時間の経過が早すぎる。驚き、あきれ、やがて、呆然となる。
by katorishu | 2007-06-23 00:40
6月21日(木)
■図書館で雑誌「新潮45」の中の「衝撃スクープ」とサブタイトルされた「松岡農水相の封印された闇」という記事を読んだ。一橋文哉という筆名の人が書いている。一橋氏はジャーナリストという肩書きで、これまでも三億円事件やグリコ事件などを書いてきた。複数の人間がチームを組んで取材し書いているようだが、他ではなかなか伺いしれない「闇の世界」をよく調べている。

■松岡大臣の「死」の原因は、光熱水費問題や緑資源機構の汚職などではなく、もっと奥深い問題がからんでいるとして、ある秘密レポートを紹介する。「これは米大統領が政治や外交で的確に判断する材料としてCIAが各国の政治・経済や軍事情報について調査した報告書の一部で、超一級の極秘資料だよ」(政府関係者)とのこと。英文で日本語訳もついているらしい。

■このレポートで「注意すべき人物」として「MATUOKA」の名前があがっている。松岡大臣の「自殺」について、不可解な出来事が二つあった。ひつとは現場にかけつけたSPが首つり状態のまま20分も放置しておいたこと。もうひとつは小泉前首相の主席秘書官の飯島勲氏のとった「異常行動」である。飯島氏は松岡氏が病院にかつぎこまれたわずか3分後に黒塗りのハイヤーでかけつけている。遺書の一通は松岡氏宛であった。

■死の直前、松岡氏は熊本にもどった。マスコミ発表では阿蘇市にもどり継母にあい墓参りをしたというが、その「事実」はないらしいとのこと。
 背後で「永田町の暗闘劇」が繰り広げられていたようだ。皇太子が臨席したダービーの会場に、松岡氏が出席する件で東宮側が官邸に意味深長な問い合わせをし、それに対し官邸は松岡氏に暗に「出世するな」と伝えたらしい。「端的にいえば『病気になれ』ってことだ」とのことだ。

■詳しくはこの記事を読んでいただくとして、衝撃的なのは、松岡氏を農水相に強力に推したのは小泉・飯島ラインということになっているが、「実際は米国政府、いやブッシュ大統領の意向を受け、シーファー駐日大使が飯島秘書官を通じて猛烈に説得したらしい」ということである。一橋氏によれば政府関係者が証言しているという。

■背景にはアメリカ産牛肉を日本に早く輸入させようというブッシュ政権の思惑があった。松岡氏はそもそも農産物輸入の自由化に反対論者であったのだが、ブッシュ大統領の意向をうけ意見を変えた。自費でアジア諸国を飛び回っていたとマスコミで報じられたが「実際は小泉・飯島ラインを通じて、米国の秘密資金や情報がふんだんに提供されていた、と報告書に書いてある」(政府関係者)という。

■考えてみれば、かつて自民党にアメリカのCIA資金が投入されていた。(一方社会党はソ連共産党から資金援助を受けていた)そんな経緯を考えると、さもありなんという気がする。この記事を読むと、あらためて日本の中枢はアメリカ政府の意向の中で動いており、日本がアメリカの植民地であることを実感する。
 松岡氏は畜産業界、とくに「ハンナン」や「フジチク」などとの癒着関係が取りざたされたが、こういう事件についてもアメリカは詳細なレポートを作成しており、松岡氏の「弱み」をも握っていたという。

■「米国政府は松岡氏の挫折を見越して、彼の性格を考え、日頃から莫大な資金を提供し、アゴアシ付きの旅行に行かせ、時には女性の接待まで用意したんだ。しかも、米国は穀物メジャーを通じて『ハンナン』などの食肉マフィアや暴力団に資金を提供し、松岡氏を借金と女でがんじがらめにしている。もはや、松岡氏は本人の意志に拘わらず米国の言いなりになるしかなかった」(政府関係者)。

■松岡氏の自殺の背景にはこういう「謀略」が渦巻いていた。記事は松岡氏が自殺をはかった日の午前中の出来事としてこう記す。「その食肉マフィアを通じて米国筋から米国産牛肉の輸入条件緩和督促の電話を受けた松岡氏は、自ら農水相の座を降りた」
「降りた」ということは「自殺した」ということである。松岡氏は闇の勢力とも深いつきあいがあり、カネと女の問題で追いつめられ、政権からも見放されつつあり、孤絶感を深めていたようだ。

■テレビや新聞だけに接していては、世の中の流れの本質が見えてこない。裏の裏では、別の事態が進行していることも多いようだ。政治・経済に限らず巨額のカネが動くところには絶えず謀略が渦巻いている。多くは水面下の取引などで闇に葬り去られるが、今回は松岡氏の自殺によって真相の一端が表に出つつある。
 この問題の闇は深い。日本の政治・経済の中枢の闇も深く深刻である。一橋氏の記事は次号に続く。
by katorishu | 2007-06-22 00:19
 
 6月20日(水)
■ロシアのプーチン政権を批判して殺害されたロシアの女性ジャーナリストの「取材手帳」が単行本になった。それを翻訳した『ロシアン・ダイアリー』が、友人の田中和夫NHK元モスクワ特派員から送られてきた。田中氏が解説を書いているが、彼女の非業の死を「ロシアの悲劇」と記している。チェチェン紛争に対するプーチンの力の政策に批判的な記事を書いたことで、当局ないしこれに追随する連中にねらわれ殺されたようだ。
 大部の本なので簡単には読めないが、そのうち必ず読むつもり。

■秘密警察出身のプーチン大統領が誕生してからロシアは経済停滞から脱出し、好景気にわき、大金持ちが輩出している。一方で、言論は統制され、政府に批判的なテレビは経営者がクビにされ、新聞にも圧力が加わり、「真実」を伝えられなくなっている。独裁国に典型的なことだが、国民の間の貧富の格差が極端にひろがっている。
 ロシアは近年、石油資源など豊富な天然資源をもとに軍事力を強化し、「ロシア帝国」というより「ソ連帝国」の復活をめざしているようだ。日本人の意識にはあまりのらないロシアだが、「プーチン帝国」がこのまま続き強大化することは懸念される。

■中国もそうだが「言論の自由」のない国はじつに困ったものだ。権力は時間がたつと必ずといっていいほど腐敗する。しかし、言論の自由があればいずれ腐敗・不正があばかれ、権力者は権力の座からおりざるを得なくなる。ところが、言論を封殺されてしまうと、多くの国民に不正が目にはいらないので、腐敗は長期間持続する。
 これも独裁者のしばしばやる常套手段だが、マスコミをつかったプロパガンダや戦時中の「大本営発表」のようなことやって国民の目から事実や真実を隠す。さらに秘密警察組織を使って国民を監視下におこうとする。

■インターネット時代になってマスコミの統制も効果を発揮しにくくなったが、それもインターネットが自由に利用できる環境があってこそである。中国ではアメリカのグーグルに圧力を加えた結果、グーグルは「経済」を優先し、中国政府と妥協をし、政府に不利な検索が出来ないようにしてしまった。たとえば「天安門事件」といった単語を検索しようとしても、否定的なサイトはひっかからない。文化大革命なども、ひっかからないし、マスコミも報じない。とにかく「金儲け」至上主義が跋扈しているようだ。その点では、今の日本と変わらない。

■ところでロシアでは大マスコミの経営者はほとんどプーチン賛成派でしめられてしまっている。ソ連崩壊後、マスコミは始めて「自由」を謳歌し、自己主張を果敢にし、政府や社会への批判的な論陣をはったりしていたのだが、プーチン政権の登場以降、言論は相当程度制限されてしまったようだ。
 日本でもマスコミでは「自主規制」がかなり行われているが、週刊誌などはゲリラ的に情報を流せるし、インターネットでは政府や権力者を批判する情報もまだ自由に流すことができる。これも、いつまで続くか保証の限りではないが。
 言論の自由を制限しようとする動きは、芽にうちにつんでおかないと大変なことになる。

■渋谷で仕事の打ち合わせ。ぼくの書いたプロットが面白いとのことで、この企画は99パーセント通ると思うとK氏。時間の余裕があれば原作小説も同時に執筆する予定。
 昼間30度を超えると思われる暑さだった。渋谷図書館に借りた本を返しがてら足を運んだものの、本日休刊日。一瞬げんなりした。駅近くの喫茶店で仕事をし、夕方、カミサンと待ち合わせをし道玄坂付近を歩いていて『プレステージ』という映画が面白そうなので「夫婦割引」で気まぐれに入った。

■19世紀末のアメリカを舞台にした二人のライバル手品師の物語。楽しめるエンターテインメントかと期待したのだが、ご都合主義に満ちており、構成もよくなく、幻滅。人間の入れ替わりの魔術の種が双子であったなど、ミステリーの悪い見本のようなものである。アケデミー賞に二部門でノミネートされた作品だというが、駄作。時間の無駄遣いでしかなかった。
「ハリウッド映画の大作」といった作品にはロクなものがない。かえって「B級映画」のほうに面白い作がある。帰宅してアニマルプラネットでベンガルトラのドキュメントを見つつこれを記す。トラが生きるのも大変だが、トラの餌食になる鹿も大変である。人間社会も、一応のルールはあるものの、こういう「弱肉強食」の世界から脱却できていない。考えてみれば、自然界のルールをもっとも破って好き放題をしているのは人類という動物である。
by katorishu | 2007-06-21 00:38