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4月29日(火)
■硫化水素による自殺がふえている。インターネット上で、硫化水素を発生させ死ねる方法が具体的にイラスト入りで紹介されているが、その影響が大きい。試みにインターネット上を検索してみると、具体的に出ていた。材料はトイレの洗剤など簡単に手にはいるものである。

■「こうやったら死ねます」とイラストいりで、懇切丁寧にネット上に書き込んであるが、一体どのような人物がやっているのだろう。それなりの知識がありそうなので、化学や薬学を専攻した学生か、あるいはもっと年配の人間なのか。

■本気で自殺をしようと思えば、いくらでも方法はあるが、「流行」というのは怖い。新種の方法があれば「やってみるか」という人間も現れる。「生き甲斐」を失っている人が相当数いるようなので、今後も硫化水素で自殺を試みる人が続くに違いない。

■社会全体を「刹那主義」「ニヒリズム」の空気がおおっている証拠であり、これはいろいろな意味で危険な兆候である。ニヒリズムとは要するに、人間、いや地球などどうなってもいいということで、この世に存在するものに「価値」などないということだ。広辞苑をひくとみっつほど解説があるが、そのひとつは「伝統的な既成の秩序や価値を否定し、生存は無意味だとする態度」である。

■確かに、よくよく考えれば、そういう考えに行き着くこともわからなくもないが、なんの因果かたまたまこの世に生を受けたのである。「なにかの僥倖」だと考え、これを積極的に否定することもないと思うのだが。

■病気や経済面で追いつめられ、生きるのが苦しくて、はやく苦から逃れるため、自ら死を選ぶ人の気持ちは、わからなくもない。ぼく自身は自殺を本気で考えたことは一度もない。それなりに「苦労」や「苦悩」も多いが、多分「死んだ方が楽」という窮状に追いつめられたことがないからなのだろう。もっとも「窮状」にあっても、それをどこかで愉しんでいる人も稀にはいる。

■自らの命を絶つという選択は、ニヒリズムの「ささやかな実行」といっていいだろう。当人にとって命を絶つことは、この世の一切を「消す」こととに値するのだから。
 ところで、相変わらず自殺者の数が減らない。世界でも日本の「自殺率」は上位にランクされると記憶している。これはかなり「不幸な社会」「不幸な時代」というべきだろう。自殺を考えている人には「どうせ死ぬんだから、急ぐことはない」という俗耳にはいりやすい言葉を、送るしかない。

■それにしても、ウエブ上で懇切丁寧に自殺の方法を教示しているとは、かなり異様である。「多くの人に感動を与えること」に生き甲斐を見いだしているぼくのような職業の人間には、おぞましくも、醜悪で、理解に苦しむ。妙な社会になったものである。 
by katorishu | 2008-04-29 21:07
 4月27日(日)
■ゴールデンウイークの連休にはいった。ある意味で「毎日が日曜日」をずっと続けているので、実感はない。勤めているときも、ゴールデンウイークをちゃんと休んだ記憶がない。勤めながらすこしでも時間をとって書いていたので、年中無休といってよかった。
 本日、チャンイーモウウ監督の「王妃の紋章」でも見ようと思っていた。「ヒーロー」「ラバーズ」ともに見たが、それまでのチャンイーモウウ監督の作品とはガラッとかわって、CGを活用した華麗な映像だった。内容には不満があったが、楽しめた。

■疲れたときは、とにかく「楽しめる」作がいいと思ったので、見ようと思ったのだが、家に帰る用事ができたので、やめた。テレビをつけると、福田政権初の国政選挙となった衆院山口2区補欠選挙で、早くも民主党候補に当確がうたれた。
 やはり「後期高齢者医療制度」等々、「弱い者」(そうでない老人も多いが)に負担を押しつける制度を発足させたことが響いたのだろう。

■ただ、この制度を強行採決で導入したのは小泉政権(もしかして安倍政権であったかどうか)である。現在、問題なっていることの多くは、小泉郵政選挙で自民党が大量得票をとったことが元になっている。そのあとの安倍政権ともども強硬採決の連続で強引に導入した法案も数多い。
 その「尻ぬぐい」をしているのが、福田政権といえないこともない。

■恐らく、福田首相は人間的に善い人で、人情家なのだろう。したたかなヤンキー精神と非情さの持ち主、小泉元首相とはまるでちがう。友人としてなら、福田首相タイプとつきあいたいものだが、一国の政治を司る人間となると、とくに激動の時代、人がよいでは、すまない。

■民主党の小沢党首のぐらつきも、この選挙結果でなくなるのではないか。小沢民主党が政権をとったとして、世の中が急によくなるはずもないが、何かが少しは変わる。本日の「サンデー毎日」の選挙予想では、仮に5月に総選挙を実施するとして、自民党は100議席以上減らすものの、与野党逆転はない、とのことであるが、さてどうなるのか。

■表面おだやかに見えるが、日本はほんとうに崖っぷちに立っている。中国、ロシア、ブラジルなどが急激に力をつけてきているし、アメリカもこれらの国に目がいっている。
 いつまでも、「アメリカの家来」の役割を演じていると、日本は世界から取り残される。独自外交を今こそ本気でやらなければいけない、と思うのだが、対露外交などなんら成果をあげていないようだ。対露外交で重要な役割を演じるはずの佐藤優氏と鈴木宗男氏を、切り捨てたことのマイナスは、今後も響くにちがいない。
by katorishu | 2008-04-27 20:43
 4月26日(土)
■オリンピックに政治をもちこむな、などという人がいるが、ナチスドイツが主催したベルリン・オリンピック以来、オリンピックは「国威発揚」の場であり、政治的、経済的イベントそのものになっている。新聞の一面に長野での聖火リレーで「騒然」という大文字がのっており、テレビもトップニュースで報じたようだ。「野次馬」としては面白いが、聖火リレーなど、意味があるのかな、と思う。

■クーベルタン男爵の提唱ではじめた初期のころのオリンピックには、聖火リレーなどというものはなかった。これが行われるようになったのも、ベルリン・オリンピックからであったと記憶している。オリンピックが一種の「代理戦争」のようになっているのである。競技で純粋に人間の限界にいどむ選手たちの姿は「美しい」が、その周囲にむらがる人たちは、あまり美しくない。

■チベット問題で対応を誤った中国は、北京オリンピックを「無事」挙行できるかどうか、わからなくなった。オリンピックを「開かれた国・中国」を世界にアピールするイベントにすれば、長い目で見て中国は「得」をするのに、どうも逆のことをやっている。外国人の入国ビザにも制限を加えているという報道があった。これでは「言論統制国家」を世界にアピールすることになってしまう。

■人類の繁栄の底には、人一倍激しい「闘争本能」があり、これを緩めることはなかなかむずかしいようで、だからこそ、いつになっても戦争や闘争が絶えない。人類に備わっている過剰なエネルギー、とくに闘争本能を、殺し合いではない場で「消費させ」、闘争本能を昇華させようというのが、スポーツの重要な役割である。

■その意味で、スポーツは闘争本能過剰な人間とって、極めて効果的な「装置」で、大いに意味があると思うのだが。北京オリンピックがこけたら、恐らく中国バブルもはじけ、日本やアメリカの経済に大変な衝撃波が襲うにちがいない。そうなったら、もう世界大恐慌そのもので、大変な事態になる。

■情報統制されている中国国民が「暴走」しはじめると、どうなるかわからない。一方、日本の多くの国民は関心が薄いようだが、ブッシュ政権がイランを先制攻撃するという噂も流れている。取り返しのつかないほどの経済失政をカバーするために、「大国」のとる政策は大体パターンがあって、最上位にランクされているのが「戦争」である。

■日本の未来も大変だが、世界の未来も、かなり危うい。大変な時代にさしかったものだ、と改めて思う。こういう時こそ、指導者には強いリーダーシップが必要なのだが、経済ひとつとっても「大恐慌寸前」という危ない事態なのに、なんら有効な手だてをこうじない。イエスともノーともいわず、とにかく「様子見」をするというのも、日本式知恵のひとつかもしれないが。

■早く総選挙をしないと、政治家は「有権者」の「票」のことばかり気にして、そのときでないと有効でなくなる適切な政策を打ち出せない。世論は尊重しなければならないが、現在の「世論」は多分にマスコミが「作った」要素が強い。長い目で見て「有効で適切な政策」は、時に「世論」とは違ったものであ。個人の関係でもそうだが、一時の「感情」にひきずられると、適切で有効な判断を誤る。

■バブル崩壊直後、不良債権問題の処理を先延ばしにして、「ソフトランディング」などという言葉でまやかしの政策をつづけた結果、日本人の「財産」がどれほど失われたか。そこから日本の権力者は教訓を学んでいないようだ。現代いわれている格差社会も、ワーキングプアなどの問題や教育の問題も、バブルを発生させてこれを急激に破裂させた政策の誤りに遠因がある。

■バブル経済の発生と崩壊のことは、繰り返し検証し、反省材料にしないとイケナイと思うのだが、当時の責任者は頬かむりをしたままで、政界で暗躍をしている人物もいる。
 とにかく、早く総選挙をして欲しいものだ。何の力もない国民が、すこしでも政治に関与できるのは、選挙のときだけであるのだから。

■と、こんなタワゴトをつづっていて、ふっとガスに鍋をかけていたことに気づいた。本日、家人は九州に取材でいっていていないので、一人で蕎麦をゆで、とろろ蕎麦を食べようと大鍋に水をいれて火をつけていたのだが、慌てて台所に行くと水がなくなりかけていた。これだけ記すだけでも30分ほどかかったということか。
 ま、読んでくださる人も相応にいらっしゃるようなので、思ったことをふっと綴ってしまう。推敲などほとんどしないので、あとで、ちょっと違うなと思ったりもするが、その日の思考というより気分の「軌跡」なので、そのままにしておく。

■それにしてもブログなどという、考えてみれば面妖なものがはやるようになったものだ。「私生活」を自ら公表しているようなものだから。もっとも、ここに記すことなど、一日に起こったこと、考えたことのごく一部であり、多くは記すことをはばかられることばかりなのだが。

■じつは今年にはいってから、公開しない「日記」を「心覚え」として、ほぼ毎日、携帯パソコンで記している。こちらは、率直かつ大胆に「私生活」や人物評なども記している。自分しか分からないパスワードをいれないと読むことはできない。携帯パソコンはインターネットにつながらないようにしているので、内容が流出することもない。「墓場までの秘密」とするしかない事も記している。携帯パソコンが壊れたら、それで消えていけばいいとも思っている。
 ちょっとカッコよくいえば、「自分の生きた証」は作品として残ればいい。

■DVDで映画「蒲田行進曲」(つかこうへい原作脚本、深作欽二監督)を見た。仕事でちょっと必要があったことと、脳が疲れているので「気分回復」のために見たのだが、よく出来たあきさせないエンターテインメントで、つぼを心得た構成、台詞、芝居に、感嘆し敬服した。
 1982年の制作で、まだ若々しい風間杜夫と平田満、そして松坂慶子の3人が実にいい芝居をしている。そして、つかこうへいの、たたみかける小気味のいい台詞。

■風間杜夫には以前、インタビューをしたことがあるが、「好漢」という言葉があてはまる人だった。平田満とは飲み会で何度か話したことがあるが、実直で、誠実な人柄がにじみ出てくる人だ。二人とも「良い役者」にありがちなことだが、はにかみ屋である。そういう人が、アクの強い芝居に挑むからいいのである。。二人は「つかこうへい劇団の常連であったし、この作は記憶に強く残る作品であったにちがいない。

■もともとは舞台作品だが、つか作品の中でも随一といっていいだろう。(それほど多くつか作品を見ているわけではないが)。 今の日本の映画(テレビ)で、この域に達しているエンターテインメント作品は皆無に近い。当時と比べ、今は「関係者」に「心意気」といったものが、どうも足りない。「数字」ばかり気にしていては、ダメですよ、ものを創る人間が。「官僚」じゃないのだから。
by katorishu | 2008-04-26 20:48 | 文化一般
 4月25日(金)
■午後、浅草橋の「子守唄協会」で打ち合わせのあと、乃木坂での川柳の集まりに出席。時実新子氏がはじめた「現代川柳」で、人生を詠み込むのが特徴である。いわゆるサラリーマ川柳のような諷刺とはちがう。また、俳句が描写に重点をおくのに対して、現代川柳は人間のドラマを描く。

■ひさびさに出席したので、現代川柳の勘がうまくはたらかず、あまり冴えたものができなかった。当然「特選」にひとつも選ばれなかった。長く川柳をやってきた人は、さすがにうまく、なるほどと思うものがあり、物書きとして参考になる。
 参加者のフリーライターの吉田一紀氏が「モハようございます」(オーム社刊)を出した。本日発売だという。「鉄道オタク」の本といっていいだろう。

■鉄道ファンが最近増えているという。ざまざまな雑情報がはいっていて面白そうだ。いただいたので、いずれ読んでみよう。終わって新橋まで主催者の昌善さんとよしきさんの二人とタクシーにのった。25日の金曜日とあって車はかなりこんでいたが、バブルのころとは比較にならない。

■バブルのころ、二人とも老舗デパートの宣伝部で働き盛りであり、「あのころは、よく飲んで、タクシーもよく乗ったよなア」と話していた。良くも悪くも、ああいう時代は二度とこないだろう。二人とも時代小説をよく読んでいて、佐伯泰英の時代小説は極めて面白いとのこと。「じつによくできた時代小説だ」と昌善さん。佐伯泰英の時代小説は一度も読んだことがないので、読んでみよう。

■電車内などで「火縄銃から黒船まで」を極めて興味深く読む。本と映画(ドラマ)、演劇、やっぱりこの三つが面白い。面白い作に接すると、血が騒ぐというのか、自分でも試みてみたくなる。現に試みつつあるのだが、「数字」が最優先される時代風潮の中、どうもぼくの試みたい素材や切り取り方は「数字」がとれそうにないと判断され、形にならないものが多い。

■「心ある」人は「面白い」といってくれるのだが、それが多数派にならないのである。心身の安定をたもつため、「世の中まちがっている」ということにして、間もなく始まるテレビ朝日の「朝まで生テレビ」を久々に見てみよう。今回は貧困と格差がテーマのようだ。
by katorishu | 2008-04-26 01:12 | 文化一般

脚本は文化の一級資料

 4月24日(木)
■天候不順がつづく。風は強いし、雨もよいの日。本郷の名曲喫茶「麦」に久々にいった。「雪に願うこと」などのシナリオを書いたシナリオ作家協会の加藤会長らと打ち合わせのためにはいったのだが、むかしながらの雰囲気を残していてホッとした。「本居宣長」や「河合栄次郎全集」「季刊三千里」などがずらっと壁際にならべてあった。こういう「知的雰囲気」の漂う喫茶店がほんとうに少なくなった。

■そのあと、東大の情報学還と脚本アーカイブズについての協議。3時間近く熱のこもった話し合いができたと思っている。まだまだクリアしなければならない難問が山積しており、溜息が出るほどだが。馬場教授の「脚本は間違いなく文化の一級資料です」という言葉には救われる。初めて協議に参加したシナリオ作家協会常務理事で「娘道成寺」を監督した高山由紀子氏は、終わるなり「とっても面白くて新鮮、刺激的でした」と目を輝かせていた。

■いろいろなことの基礎の基礎に「シナリオ」があり、それはとっても大事なことである、と一人でも多くの国民に知ってもらいたいものだ。最近、とくに日本で特徴的な現象だが、「脚本軽視」の傾向が目立つ。良いシナリオなしの良い映像作品はありえない。映像制作にたずさわるプロデューサーや役者は、ぜひこのことを肝に銘じて欲しい。

■対人関係が苦手で、コミュニケーション力が劣化している若者が多くなっている今、打開策として「シナリオを書くこと」を国語教育のなかに位置づけたいというのが、ぼくの密かな願望である。このことを話すと、ほとんどの方が同感してくれる。
 協議が終わって、ちょっとめまいがした。船の上にいるようであったが、40秒ほどでおさまった。危険な兆候なのか、単なる疲れなのか、どうか。まだ「やりたいこと」「やりのこしていること」があまりにも多いので、くたばるワケにはいかない。
by katorishu | 2008-04-25 00:20 | 文化一般
 4月24日(木)
■このところ、連日ひとと会って飲食したりするので、疲労気味。仕事の上でそれりに「重要」な人がらみなので、はずせない。普通のサラリーマンとくに営業関係の仕事をしている人なら当たり前のことかもしれないが、そのうえ資料をしらべたり、読み、そして書く作業があるので、脳の疲労の度合いも強くなる。

■昨日は、月に一回の放送作家協会の理事会。いつもより遅いはじまりであったので、途中で辞して新宿へ。「映画」の実現のためテレビ関係者もまじえて打ち合わせ。微妙な段階にさしかかっている。少ない資金の場合はいいとして、多額の資金でつくった場合、どうしてもテレビメディアをからませないと配給網の確保や資金集めなどでも、障碍がでてくる可能性がある。

■映画は「文化」の側面と「ビジネス」の側面があるので、そのかねあいをどうするか。出来上がった作品の「著作権」をどこがもつかも重大な問題である。普通の作品なら脚本家は「内容」のことだけ考えていればいいのだが。

■本日は東大大学院との協議等々。当分、「ない知恵」を絞る日々が続くので、脳をフル回転させなければならない。社会といろいろな形で深く関わることは、心身ともに活性化するし、キライではない。最終的には世のため人のためになるはずで、それが精神的な支えである。
 ゴールデンウイークが近いが、行楽の予定など一切なし。ぼくの場合「仕事」をしているときが一番楽しいし、充実している。ただし、気にいっている「仕事」に限るが。
 
by katorishu | 2008-04-24 10:16 | 個人的な問題
 
 4月22日(火)
■早寝早起きを心がけてきたため比較的体調も良好であったが、先週あたりから朝方まで起きている生活にもどってしまった。当然、脳の働きはもちろん、体調もかんばしくない。フリーランスの生活を30年も続けているので、24時間の時間管理をする人は、自分である。自由で勝手気ままで、悪くはないのだが、なにか興味をひかれるものや作品があると、つい時間の観念を忘れてのめりこんでしまう。当然の結果として生活のリズムは狂う。

■静岡の伊東市に住む方が、連載中の「妖花」に関連することで、「えっ」と思われるような情報をもたらしてくださったので、伺いたいのだが……どうも、時間の都合がつかない。
 渋谷でラジオドラマの打ち合わせ。自分でいうのもアレだが、かなり面白くなるはず。その前に、大学時代の友人で、現在、某大手新聞社幹部のK氏と電話で話す。時間が一挙にもどってお互い「地位」などに関係なく「オレ・オマエ」の「呼び捨て」で話せるところが、いい。もっとも、もっか最大の懸案事項の映画企画への側面援助を頼んだので、丁寧な言葉で話したが。会えば20歳のころの気分になれるところが、同級生の良さである。

■本日、山手線の浜松町駅のプラットホームにある「小便小僧」の像をカメラで撮影。駅とその周辺を舞台にした短編をしばらく中断しているので、そろそろ復活したいもの。JRの駅が全国に2000ほどあるが、そのすべてを舞台に書きたいと思ってから、早くも10数年がすぎてしまった。「持ち時間」がどんどん少なくなっているので、ここらで踏ん張って、初志を貫徹したいと思うのだが。誓う(いう)は易く実行するは難し、である。
by katorishu | 2008-04-23 00:21 | 個人的な問題
 4月21日(月)
■本日の報道ステーションが世界的な食糧危機を特集していた。エジプトではパンをもとめて争う人々の間で何人もの死者がでている。南米ハイチでは食をもとめる人々が暴徒と化し、5人が死んだという。そのほか、食料をもとめての争いが世界規模でひろがっているという。食は命の元なので、窮状にある人々は真剣であり、それだけに深刻である。

■食料危機はある意味で「人災」である。小麦や大豆の価格はこの3年間で3倍も高騰した。背後にはバイオ燃料と投機マネーがある。世界最大の米輸出国のタイ米も価格が急上昇しているという。ベトナムで先月米の輸出を禁止した。これも東南アジア諸国の米不足と高騰をもたらし、庶民は深刻な事態におちいっている。

■食料の「囲い込み」が生産国ではじまっているのである。自国優先の政治がからむ。つまり「食料ナショナリズム」が世界に蔓延しているのである。食料の自給率が4割しかない日本は、農業政策を根本的に改める必要があるだろう。生産性の低い食料は輸入すればいい、という政策は破綻している。

■投機マネーなどは食料危機をあおり、結局は価格の高騰で膨大な儲けをだす。こういう野獣のような投機にたいして、防御策を講じることこそが、「国の安全保障」の柱である。
 米だけは国内でまかなえる数少ない食物である。日本国民が米を少なくとも今の倍食べるようになれば自給率も回復する。和食好きのぼくなど、心からそう思う。肉類やパンばかり食べている自称「愛国者」を、ぼくはまったく信用しない。
   
by katorishu | 2008-04-21 22:46
 4月20日(日)
■21日発売の週刊現代に――「石原慎太郎銀行」に捜査の手-9月に都知事辞任も――という記事が載るようだ。金融に素人の「作家・都知事」が銀行をつくるということ自体、当初から懸念されていた。設立前、石原都知事から相談を受けた大前研一氏が過日、週刊誌に「内情」を暴露していた。

■多分、それも捜査を動かす一因となったにちがいない。大前氏は自分の言うことに耳を傾けていたら、こんなことにはならなかったと書いていた。捜査の進展次第では、石原都知事逮捕ということも、あり得ないことではないそうだ。鍵をにぎっているのは、都議会で強い力をもち警視庁にも相応の影響力をもつ、公明党だろう。

■銀行から見放された中小零細を救おうとする趣旨は決して悪いことではない。だからこそ、新銀行の誕生に期待を寄せていた人も多かったはず。
 今後、どういう展開になるかわからないが、「石原銀行」をたたくことによって、中小零細など相手にせず担保のない事業所など「ゴミ」のようにしか思っていない銀行の悪辣な商売から、目をそらせてはいけないのだと思う。バブル期からその崩壊にかけて、銀行にてひどい目にあった人も多いはず。

■銀行によって結果的に「死」を選ばざるを得なかった人も相当数いるはずである。そのくせ、銀行は多額の税金を特別に注ぎ込まれて延命したのである。当然のことながら、その税金は国民が払ったものである。貸しはがしなどで、良品をつくり経営もそれほどひどくなかったのに、倒産に追い込まれた中小零細も多い。当然、自殺者も多い。

■石原都知事も「愛国者」を名乗るのなら、、この際、「防御」の姿勢にまわるのではなく、「公人」としての「説明責任」をきちんと果たし、他の銀行の「非」をも白日のもとにするため努力すべきだろう。ひところのロシア経済は3割から4割がマフィアに牛耳られていた。いまも、かなりの程度、マフィアやプーチン政権で復活した秘密警察がらみの人間によって牛耳られている可能性が強いが、日本も一皮めくれば、暴力団やそれに準じる組織等のからむどす黒いものが渦巻いているといっていいだろう。恐らく「石原銀行」にも妖しい勢力が巣くっているはず。

■土木建築や廃棄物処理等々、莫大な「公費」が使われるところには、「有力」政治家とならんで妖しい人々が相変わらず跳梁跋扈しているようだ。
 一方で例の防衛省の汚職問題が、その後、国民の関心の埒外になっている。疑惑が解明されたわけではなく、その後、どうなっているのだろう。「忘れやすい国民」といわれるが、そう簡単に忘れてしまっては困る。税金が不公正に費消されることに、国民はもっと怒りの声をあげ、不正は許さないという姿勢を強く示さないと、ほとぼりが醒めたころ、またぞろ税金という蜜にたかって「(不公正に)わたくしのもの」にしようとする手合いが、うごめくことになる。

■少子高齢化のなか、税金が言葉の本当の意味で「国民のために」使われ、一部の「既得権益層」を利するようなことがなくなるという「条件」がつけば、消費税の値上げ等もやむを得ないと思う。払った者のために使われる可能性が弱いから、みんな値上げに反対するのである。
 スエーデンなどの北欧では消費税が高いが、日本と違って税金の使い方が公正で透明であり、国民の大半が「払った分」が「しっかりした福祉政策」によって自分たちにもどってくると思っているとのことだ。汚職なども微々たるものだという。
 一方、今の日本で税金が公正に使われていると考えている国民は、どれほどいるのだろう。恐らく10%にも満たないのではないか。こういう事態をこそ「亡国」という。
by katorishu | 2008-04-21 02:34
 4月19日(土)
■映画「ノーカントリー」を見た。冒頭から、非情な射殺シーンがあり、その後の展開も意表をつくもので、一言でいえば「すごい映画」である。圧倒された。ハリウッドの典型的なハッピーエンドで終わる映画の文法を大きく逸脱している。コーエン兄弟の作品には以前から注目しているが、80回アカデミー賞を受賞したこの作は、最後まで緊張の連続だった。楽しい映画ではなく、結末も「え、これで終わり」という思いが残るものの、いろいろと考えさせるものを含んでいる。

■映画ならではの傑作である。1980年のアメリカ、メキシコ国境付近で起こった麻薬取引にまつわる殺人事件を老保安官が追う物語だが、主役は特異な個性を発揮するスペイン人俳優、バビエル・バルデム演じる「殺人鬼」シガーと、ジョシュ・ブローリンが演じるベトナム戦争帰りのモスである。麻薬取引の現場で数人の関係者が殺される。たまたま狩りにきて目撃したモスは、現場にあった大金を自分のものとする。彼を「非情な殺人鬼」シガーが追いつめていく。
 ハリウッド映画の常道にはずれ、犯人は最後まで捕まらない。

■最初から最後まで情け容赦のない殺戮場面が描かれるが、根底にはギリシャ悲劇に通じる悲愴美がある。保安官やくのトミー・リー・ジョーンズもいい味をだしていた。トミーはテキサス州生まれで油田で働いたあと、ハーバード大学に入学、優等で卒業した。卒業後は演劇活動に打ち込んだとのことで。年輪の深みを感じさせる味な演技を見せていた。

■アメリカ社会にはいろいろと問題があるにしても、映画はすごい。コーエン兄弟がこういう「アンチモラル」の映画をつくり、それに権威のあるアカデミー賞をあたえてしまうのである。「敬語が使われていた時代には、こういうこと(陰惨な事件)は起こらなかった」と保安官の発する台詞は重い。「人は誰かから奪おうとすると、何かを大きく失う」といった台詞が随所にはさみこまれ、単なるサスペンスを超えた作品に仕上がっている。

■こういう映画を見ると、執筆作業が停まってしまう。書く上で非常に参考になったが。
 体調が悪く、家で仕事をする気が起こらず、カミサンと一緒に衝動的に電車に乗った。上野で降りて、東京都美術館で知人の夫人が出展している新世紀美術展を見たあと、寝不足で疲れていたが、気になっていた「ノーカントリー」を見たのである。
 目下、企画が進行中の「大作映画」への意欲がわく。(まだ正式にGOとなっていなのだが)
by katorishu | 2008-04-20 00:51 | 映画演劇