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  7月31日(木)
■港区立みなと図書館にいく途中、未舗装の土の道を歩いた。東京に住んでいると、じかに土を踏むことがじつに少ない。芝増上寺の山門と港区役所の間にある細長い空間で、第一京浜にそって100メートルほどつづく並木道、というより公園に近い。

■江戸時代、「松原」とよばれており、大きな松林があったとのこと。一部復元され、松のほかクヌギや橡と思われる大きな木が植わっており、暑い日射しをさえぎってくれる。ベンチがいくつかおいてあり、恰好の休み場所だ。江戸時代の番所跡のようだ。
考えてみれば、今年になって土の道をふんで歩いたという記憶がない。どこもかしこも舗装されており、庭などもないので、一層、土と無縁の生活になる。

■都会にも、こういう土の道がもっとあって欲しいものだ。雨の降った日などぬかるみになるかもしれないが、足が直に自然と触れあうことは、そんな不便さとは関わりなく必要なのではないか。世界の大都市の中でも東京はこの種の公園や空き地がもっともすくない。日本が「高度経済成長」をつづけていた時代、財政にも余裕があったのだし、こういう面にお金を使わなくてはいけなかったのに。

■年金を浪費して豪奢なホテルやリゾート施設をつくったことに象徴されるような、無駄遣いが、多すぎる。こういう浪費を推進させた当時の厚生省の幹部達は、その後も「優雅な」天下り人生を謳歌して、責任などいっさいとっていない。いわゆる官僚ではないが、公務員である教師についての任官汚職も、最近大分県で発覚したが、これなど氷山の一角だろう。

■週刊文春によると、地方の教師は今や「高給取り」の象徴のようである。一般の勤め人の倍の給料をもらい、よほどのことがない限りクビにならないので、あまり仕事のない地方はで、ぜがひでも「なりたい」職業なのだという。そこに「利権」が派生する。

■もう30年以上も前の話だが、ある人の夫人が東京都の教師を志望していた。それを聞いたあるマスコミ関係者が、その地区出身の議員のところに挨拶にいけば、すぐ決まるから行くように、と強調していた。「挨拶の手みやげをもって」というようなことを話していたと、と記憶する。

■そんなことがあるのかな、と半信半疑であったが、あるようですね。これでは賄賂が「文化」や「慣習」になっている中国を笑えない。一部の悪い奴がいるというのではなく、そういう「悪」を育てる土壌があるということである。できれば「おこぼれ」ちょうだいをしたいという国民が少なからずいるかぎり、この種の「悪」はなくならない。そもそも当事者は悪いことだと思っていないのだから。
by katorishu | 2008-07-31 23:23 | 社会問題
 7月30日(水)
■近くのフードマーケットで買った野菜ジュースが悪かったのか、下痢をした。このジュースを飲んだ後、腹痛に襲われたので、おそらくこの野菜ジュース(伊藤園)が原因だと思うが、残りを保存せず捨ててしまったので、因果関係はわからない。

■それほど猛烈な下痢ではないので、消化不良かなと思ったりもする。ただ、このジュースを飲んだあと2回連続で下痢をしたことは事実で、因果関係がないともいえない。電車をおりてトイレにかけこむ程度ですんだのでよかったが。

■食の安全を強く意識すると、なにも食べるものがなくなってしまう。開き直って、なんでも食べるしかないのだが、量は少なめにするよう心がけている。この1ヶ月ほどで2キロ増えたので要注意。
 本日、連続演劇講座の1日分だけ授業をうけもった。4時間ほど、拙作の短編の朗読とドラマの1シーンの台詞。台詞の奧に「間接照明」で案外多くの「情報」がつまっているものであることを解説した。それと映像のマジック。映像の根底に言語があるのだということ、等々、持論を展開するうち、時間切れになってしまった。

■少人数の受講者だが、みんな真剣で目が輝いている。ただ、プロには、いくら熱心でも、そう簡単になれるものではない。スポーツなども同じだが、プロとアマの間には、それなりの距離がある。もっとも、テレビはプロとアマの境界を曖昧にしてしまったが。
 テレビの功罪がいわれるが、最近はどうも「罪」のほうが多いという気がする。
by katorishu | 2008-07-31 01:06 | 個人的な問題
7月29日(火)
■午後、某出版社で「映画原作本」の打ち合わせ。旧知の社長と編集長が出席。映画とはべつに「小説として独立した作品」にしなければ意味がないということで意見が一致。素材はじつに面白く、本格的な小説に誰もしていないので、出版社としても大変興味をもったようだ。素材を提供したので、後日、先方が素材を読んだあとで、あらためて会いましょう、できれば軽く飲食しながら、ということで了解。

■夕方、比較的若い女性たちのなかで男一人という「近頃まれな」飲み会を渋谷で予定していたのだが、彼女たちが仕事の関係でむずかしくなったので、延期。かわりといってはアレなのだが、同じく飲み会に参加する予定だったカミサンと映画「百万円と苦虫女」を見た。蒼井優主演でタナダユキ脚本・監督作品。久しぶりに心が洗われる作品で感嘆した。ルームシェアをすることになった相手が、主人公の鈴子(蒼井優)の拾って飼っていた子猫を捨てて殺してしまった。それに腹をたてた鈴子は相手の荷物を捨ててしまう。そのため刑事事件として罰金刑を言い渡され、家にも居づらくなる。

■傷ついた鈴子は家族と離れ、海の家や寒村の桃園、さらに郊外の街で働きながら、独立するためにとにかく100万円をためようと思う。秀才だがいじめられっ子の小六の弟への手紙という形で物語が展開する。
 蒼井優のもっている魅力をこれ以上ないくらいに巧みに引き出す脚本と演出の力に感嘆した。タナダユキは「さくらん」の脚本を書いたほか、「赤い文化住宅の初子」を監督した人だという。恐らく30代の女性と思われるが、大変才能のある人だ。

■映画界には確実に新しい才能が育ってきている。昨今のテレビドラマによくある、過剰な演技、過剰な音楽、テンポばかりを気にした演出とは対極にある作品である。じっくりリアリズムで描いていくのもいい。きめ細かいところに注意がじつによく行き届いており、「間の芝居」をよく知っている監督だと思った。とにかく、じわっと感動が伝わってくる。
 
■恐らく、口コミでこの作の良さがひろがっているのだろう、観客も多かった。蒼井優はこの種の映画でこそ魅力を発揮できる。魅力を維持発展させるためにも、テレビにはあまり出ないよう願いたいものだ。テレビの常連にならなければ、彼女は「大女優」になるかもしれない。が、テレビの情報バラエティなどにレギュラー出演するようになったら、すぐに色あせてしまうだろう。

■「百万円と苦虫女」は単館上映のようで、あまり多くの映画館で上映していないようだが、今年度の秀作のひとつである。オーバーアクションばかりのテレビドラマや映画が失ってしまったものが、ここにある。このブログを読まれた方はぜひ見て欲しい。日本映画も捨てたものではないと、あらためて実感するはずである。
by katorishu | 2008-07-29 23:52 | 映画演劇
 7月28日(月)
■近畿や北陸で豪雨被害があいつぐ。毎年「記録的な雨」を記録しているが、今年もまた記録的なと形容される雨がふった。まだ台風シーズンでもないのに、これである。周期的にくりかえす自然の営みとしての豪雨なのか、それとも人間による二酸化炭素の過剰な排出が原因なのか。

■天変地異の現れと考えたほうがいいのかもしれない。昔の人は、この類の「自然現象」を天の怒り神の怒りと考えた。自然を征服できると考えるようになった現代人は傲慢な考えを捨て、素直に「天の怒り」ととらえ、資源の過剰な消費を反省したほうがいい。

■原油高を原因に、これでは漁業をつづけられないとして漁師たちがストを行った。政府は選挙を前に批判をかわす意図もあるのだろう、原油の値上がりぶんの9割を補填することに決めた。なんやかんやで700億円の支出だという。
 以前、牛肉の問題で政府が補填した際、それを悪用して不当に税金を懐にしたヤカラがいたが、今回はそんなことがないよう期待したいものだ。

■北京オリンピックが近づいているのに、いまひとつ盛り上がらない。ニュースで伝えられるのは、中国当局の厳しい取締や外国人をできるだけ排除しようとする姿勢である。
 懸念されるのは、北京オリンピック後に起こると予想される中国経済のバブル崩壊である。もしそういう事態になったら、食はもちろん生産の多くを中国に依存する日本経済への影響は深刻になる。

■アメリカのサブプライムローンの破綻による悪影響も、いまだ終わらず、不景気風が吹き荒れているというのに、中国からも破綻の津波が寄せてきたら、どういう事態になるのか。財政当局の果断な措置を期待したいものだが、財務省当局のとらえからはどうも甘いといった声が、週刊誌などに頻出している。

■週刊誌にはガセネタも多いが、新聞やテレビが伝えない深層をえぐっているものもある。
本日は週刊現代を買った。ジャニーズ事務所の「嵐」のリーダーの「大麻吸引疑惑」を報じていた。「嵐」はジャニーズのSMAPをしのぐ人気なのだというが、このスキャンダルに、テレビ界がどう対応するか、見ものである。芸能界のタブーに果敢に切り込むのも、週刊誌ならではのことである。

■そのほか、政財官の「不祥事」にふれた記事が満載で、寝る前に読むものとしては恰好の素材である。ニューズウイークは「大恐慌の足音」という大変深刻な事態を特集している。今の世の中を知るために、週刊誌はかっこうのメディアである、と改めて思う。
by katorishu | 2008-07-29 00:16 | 文化一般

 7月27日(日)
■暑い日がつづく。大分では本日39度を記録したという。東京は33度ほどか。仕事部屋のクーラーが壊れているので、もっぱら扇風機。これでも十分すごせる。が、「街が書斎」なので、午前午後と歩いていけるコーヒー店3軒で、計6時間以上滞在。長居客だが、比較的すいている時間をねらってはいり、頻繁に行くので、「上客」でもあるはず。

■常連客も多く、杖を傍らにおいていつも本を読んでいる70前後とみられる人がいる。総じて一人できて長居する客は老年に多い。ありあまる時間をどう埋めたらいいのか、迷っている人もいるのだろう。欧米などでは「常識」だが、時間と経済的に余裕のある人は、ボランティア活動をもっとやって欲しいものだ。

■やっているひとは黙ってやっているのだが、どうも金と時間のある「恵まれた老人」は遊ぶことばかり考えている人が多い、という気がする。それと株取引などで、さらに金をふやそうと腐心している人も案外多い。死んで墓場にもっていくことなど出来ないのに。次の世代を育てることに腐心して欲しいものだ。

■金も時間もない人が、結構「助け合い」の精神を発揮し、社会に役立つボランティア活動をしている。若い時期、貧乏で働きづくめであったから、定年後は遊びたいという気持ちはわからなくもないが、遊びばかりで時間を埋めても楽しくないのではないか。

■リクリエーションとういうが、リ(再び)クリエート(創造する)するからこそ、リクリエーションの意味があるのである。仕事でもボランティアでもいいが、世のため人のために汗を流し、疲れを癒すために間に「遊ぶ」。そのほうが楽しいはずだ。毎度毎度、ご馳走を食べていたら、ご馳走がご馳走でなくなるのと同じで、毎日遊んでいたら、遊びの愉しさなどあじわうべくもない。

■暇も金もあって毎日遊んでいる老人を見る若者は、10人のうち9人は反感をもつにちがいない。今後、介護などを中心に人手不足は相当深刻になるにちがいない。健康で暇も金もある老人たちが、週に2日でも3日でもいいから、介護の作業に参加できるシステムをつくる必要がある。

■このシステムづくりを、待遇や共済年金などで「特権層」になってしまった公務員にまかせっきりにしてはいけない。日本を実質的に牛耳っている官僚組織に、選挙で選ばれた政治家がどう切り込めるか。切り込める覇気と知恵と熱意をもった政治家を選べるか選べないかで、将来の日本が地獄となるかどうかが決まってくるだろう。
by katorishu | 2008-07-27 20:19 | 社会問題
 7月26日(土)
■一昨日、下北沢の「楽園」で、鈴木一功一人語り「友情・ある半チョッパリとの45年」を見た。評論家の西部邁氏の自伝的な原作「友情」をもとに一功氏がみずから脚色したもので、すでに何度か公演している。見たのは初演のとき以来2回目。

■西部氏の札幌南高時代のヤクザな友人との「友情」が素材で、現実にあったエピソードにもとずいている。半ちょっぱりとは日韓の混血児のことで、「ヤクザな友人」は在日朝鮮人と日本人の女郎との間に生まれた。戦後、父は樺太で日本軍に協力した朝鮮人として銃殺され、母の手で戦後の混乱時代を極貧のなかで育てられた。母が病死し、海野は人生の辛酸をなめて成長した。語るも涙、聞くの涙の物語を生きた人物で、血が熱くなるタイプ。

■周囲の励ましで札幌の有名進学校に進学し、当時から不良っぽかった西部氏と親しくなる。一功氏は前半で「西部」を演じ後半で「海野」を熱く演じる。後半のヤクザな海野の演技は一功氏の特性を十分発揮する。なかなか「見せる」演技であったと思う。

■この日、原作者の西部氏が見にきていた。これまで一度も見たことはなく、じつはこの日も見るのを随分ためらい、隣の東北沢でおり、そのまま帰ってしまおうかと何度も思ったと、最後に舞台にたって照れくさそうに話していた。

■自分の生きてきた人生なので、他人が演ずるとやはり違和感があるのだろう。感想をきかれ「ちがう」といって苦笑していた。なるほど、こういう男と青春時代をすごしたのか、と西部氏の「原風景」と思われるものがかいま見える舞台であったと思う。原作を読みたくなった。舞台では表現できなかった、エピソードが恐らく数多くつまっているに違いない。

■終わって、近くの居酒屋で西部氏を囲み、関係者10数人が軽く飲食しながら歓談。「保守派の論客」といわれる西部氏だが、いわゆる「右翼」や「保守」とはちがう。人間などろくでもない存在であるという思いが根底にある点など、意見が一致する。アナーキストの趣きもあり、議論好きで、場をまきこんでいく迫力がある。

■その場にいた比較的若い芝居関係者は「心情左翼」と自らを語っており、西部氏とは思想的に距離があるのだが、面白い話し合いになった。飲むほどに饒舌になった西部氏はこれから新宿のぼくがよくいく店に行こうといったが、恐らく午前3時4時まで飲むと予想される。何人かが同行したようだが、ぼくはそんなエネルギーはないので、失礼した。西部氏の韜晦的な語りをもっと聞き、いろいろと質問もしたかったのだが。
by katorishu | 2008-07-26 19:02 | 映画演劇
 7月23日(水)
■炎暑の日がつづく。暑いよりどちらかといえば寒いほうが頭はよく働く。早朝起きて20分ほど歩いて、午前7時からやっているコーヒー店で仕事。午後の2時より4時まで小平市の市民講座で話す。ドラマの感動をどう仕掛けるかがテーマだが、半分以上が「テレビの裏側」の話になってしまった。活字にはしにくいことも、話した。

■テレビはいま大きな曲がり角にきており、どうかわっていくか、じつは関係者もよくわからない。テレビを変えるのは結局は視聴者であることを、具体例をもって解説した。暑い中、熱心な受講者たちで、こちらの話に力もはいる。男性は定年退職者と見られる人が多く、女性のほうは比較的「若いと思われる主婦」が多かった。
 大変参考になって、テレビやドラマの味方がかわるかもしれない、といった意見も多く、遠くまで足を運んで話した甲斐があった。

■それとは別に小平駅周辺、これといった店が乏しいなと感じた。あれこれ大衆的な店から高級店までいろいろそろっている場所に住んでいるので、それが当たり前になっているのかもしれない。都心部に比べて格段に緑が多いが、ぼくのように「街が書斎」派には少々暮らしにくい、と思ったことだった。

■このところ仕事の関係で一日の半分ぐらいを「中世、および中世末期」の文献資料にあたって読み込んだりしているので、現実の世の動きに距離ができてしまう。ひとつの作品にこれだけのエネルギーを注ぎ込んだことはない。原作、脚本を書く予定だが、じつはまだ具体的にGOサインが出ていない。しかし、どういう事態になろうが、ある形をつけるつもりである。関係者の熱意と迫力を期待したいもの。
 
■ホームページを1年半近く更新していなかった。パソコンのハードディスクがクラッシュしてかなりの情報が失われてから、更新の意欲が減退していた。ホームページにアップしていた情報も一部消えてしまった。
 が、ホームページを見て連絡をしてきたりする仕事先もある。もうとっくにやめている「早稲田大学講師」などというものが載っていたりするので、まずいと思って本日、うろ覚えのやり方で更新した。

■じつはこのパソコン、冷却ファンが妙なうなりをあげるようになった。買い換えたほうがいいかなと思いつつ、設定に時間と手間がかかりそうなので、そのまま使っている。熱くなりそうになったら切ることにしている。文書を書くのはインターネットにつないでない携帯パソコンでやることにしている。
 それにしても、パソコン機器、モデルチェインジが早すぎる。技術がどんどん進歩するが、人はその分、ちっとも幸せになっていない。人間の「幸福度」という物差しが、いまほど必要なときはない。
by katorishu | 2008-07-23 21:52
 7月22(火)
■大崎で9月に出る本の打ち合わせ。ノンフィクションの改稿にも一段落ついたし、一昨日見た映画がいまひとつであったので、口直しに娯楽作品でも見ようと渋谷にでてシネタワーで「インディージョーンズ」の最新作を見た。スピルバーグ監督のこのアクション娯楽大作シリーズをじつは一度も見ていなかった。

■よくできた映画であるという説があるので、この目で確かめよと思って見たのだが。映像とアクションは素晴らしいが、内容は、いやはやである。荒唐無稽はいいのだが、とにかくアクションとご都合主義の連続で、よくこれが「人気」をたもってきたもの、と逆に観客のほうを疑ってしまう。

■ヤンキーの単純さもいいが、あまりに人間が描かれなさすぎである。この類の映画が面白いという感性の持ち主が増殖しつつあるのだろうか。これを面白いと思う人が多数派だとすると、ぼくなどますます「異邦人」と感じてしまう。

■出だしの原爆実験場と後半とがつながらないし、とにかくアクションを見せるだけ。相当の資金をかけているのだろう。もちろんハリウッド映画にも胸をうつ作はあるが。
 この類の作品はよほど暇な時間がない限り見たくない。
 これでは、口直しに今週もう1作見なくては――と思ったりした。
by katorishu | 2008-07-22 21:50 | 映画演劇
 7月21日(月)
■昨日、脳の疲れを癒すため、渋谷の文化村の映画館でフランス映画「ぼくの大切なともだち」を見た。『仕立て屋の恋』や『髪結いの亭主』など繊細な人間の心理を描くパトリス・ルコント監督作品なので期待して見た。

■「笑える」要素をもった作品ということで見たのだが、やや期待はずれ。「人生の半ばを過ぎた2人の男が、偶然の出会いをきっかけに、不器用ながらも友情を育んでいくハートウォーミング・ストーリー」ということで、確かにそのジャンルの作なのだが、最後にクイズ・ミリオネアのテレビ番組に異常にシャイな若い方の男がでて、100万ユーロを獲得する……という展開は、予定調和で先が読めてしまい、かえってはぐらかされた。

■ルコント監督ならではの冴えがあまり感じられなかった、とぼくは思う。映画館は日曜日のラストの回は1000円ということで、比較的若い層が多く、珍しく満席に近かったが。小劇場などで、ワケもなく笑う観客がいるが、その類の笑いが多く聞こえた。

■ハリウッド映画の、展開が早く感動をこれでもかと盛り上げる手法とはちがって、しみじみとした人生を描くことに力点を置いており、そこにフランス映画の存在理由があるのだが、前半の描写はいかにも退屈で、ストーリーを前に進める力が弱すぎる。ハリウッド映画の構造分析などを、次にだす本の中で試みており、こちらがハリウッド映画的思考にはまっているのかもしれないが。

■この映画、フランスで450万人の観客動員をしたというし、製作費も安かったにちがいなく、興行的には大成功なのだろう。2006年のフランスでの興行成績1位であるとのことだが、フランス人の感覚とどうもちがうな、と思ってしまう。深みがないというのが最大のマイナス点。『哀しみの乾くまで』のような佳品になかなかお目にかかれない。

■東京は30度をこえる日が10日連続つづいているという。本日も原稿の推敲でほとんどの時間がつぶれた。今年は2冊の本を刊行予定。あと1冊なんとか形にしたいと思っているのだが、なかなかこちらの希望と版元の希望が一致しない。
by katorishu | 2008-07-22 01:06 | 映画演劇
 7月19日(土)
■蒲田で開かれた「アプリコ・アマチュア音楽祭」にカミサンといく。今日から3日間、大田区の区民ホール・アプリコで行われる。催しのひとつの「大田フィルハーモニー管弦楽団」の演奏を聴きにいったのである。

■指揮の守谷弘氏からお誘いをうけていた。過日、伊東市に取材でうかがった方である。守谷氏の父君のことで、改稿中のノンフィクション「妖花」にとって貴重な証言を得た。歌手の初代コロンビア・ローズさんが直接の「証言者」で、まだ半信半疑のところがあるが、本に彩りをそえることになるだろう。

■大田フィルハーモニー管弦楽団は大田区を拠点にするアマチュアオーケストラで、プロの守谷氏らが指導にあたっている。本日の演奏はアマチュアとも思えない巧みな演奏であったと思う。月に数回の練習で、よくここまでもってこられたものと感心した。
 

■演目はモーツアルトの交響曲40番ほか。特色は蒲田行進曲をもとに守谷さんが作曲した「KAMATAシンフォニー」で、本日初演だという。松竹蒲田の発祥の地でもあるし、ふさわしい演目であったと思う。考えてみれば、クラシックのコンサートには、プロアマをとわず、ここ数年一度も足を運んでいない。

■知り合いの劇団の公演に足を運ぶのが精一杯で、なかなか聴きにいく機会はなかったが、ときには生の迫力ある演奏もいいものだ、と思った。演奏とは関係ないが、区民ホール・アプリコは、この種のホールでは相当贅沢なつくりで、維持費にずいぶんお金がかかるだろうな、などと思ってしまう。

■終わって珈琲店で数時間仕事をしたあと、これも久々に回転寿司にはいった。クラシックのコンサートのあと、回転寿司ではそぐわないかもしれないが、ふっと思いついてはいった。意外にもネタが新鮮で、原油高で漁師がストをしているのに、よくこの値段で――と思った。年配の寿司職人の手つきを見ていると、回転寿司の前は普通の寿司屋をやっていた人のようだ。恐らく、以前の寿司屋では高い値段をつけないとやっていけず、窮余の策として回転寿司屋をはじめたのだろう。

■JR蒲田から京急蒲田駅まで10分ほど歩いたが、飲食店の多い町だ。そして気になるのは、どの店も平均して客が少ないことだ。同じ大田区といっても田園調布などと違って蒲田地区は「庶民の町」なので、高級店はあまり見あたらない。物価高のなかでの景気低迷が、こういう庶民的な町ほど響いているのかなと思ってしまう。
by katorishu | 2008-07-20 02:34 | 映画演劇