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<   2008年 08月 ( 28 )   > この月の画像一覧

  8月30日(土)
■総合雑誌の「月刊現代」が11月号で廃刊になるという。時流をついたなかなか面白い記事を掲載してきた雑誌だけに、残念というしかない。さきに「論座」が廃刊になった。読者層の「高齢化」が原因で、とにかく売れなくて赤字が累積するのだという。「高齢者層」は図書館などで読むけど買わないのでしょう。

■本日、雑誌「論座」の最終号が送られてきた。手にとって真っ先に編集後記を読んだ。編集者たちの無念の声が記されている。「このままでは終われない」という知り合いの編集者の言葉に大いに期待をしたい。評論家の宮崎哲也氏と「噂の真相」の副編集長だった川端幹人氏の戯文調の週刊誌時評「中吊り倶楽部」をはじめ面白い連載も多く、きわめて面白い雑誌であり、またいつの日か違う形であっても復刊してもらいたいものだ。

■「中吊り倶楽部」で宮崎哲也氏が「論座」休刊にふれている。先月号で反代々木系の評論家、吉本隆明氏と現役の共産党員の浅生氏の「ミスマッチ」な対談などをとりあげ、これが論座の持ち味なのだと次のように語っている。「多くの論壇誌が自らの立場に縛られて予定調和的な編集に終始している中で、この雑誌だけが破天荒というか、既存の枠組みにとらわれない誌面を作ってきた。朝日のメディアなのに読売のドン、ナベツネ氏を登場させたり、かと思うと、いきなり赤木智宏弘氏みたいな無名の若き論士に『丸山真男』をひっぱたきたい、を書かせたりね」この路線を続けていれば論壇をリードする可能性もあったと思う、と語っているが同感である。

■とにかく売れないということで廃刊、休刊になる雑誌があいつぐ。若者は携帯やパソコンなどで月に1万円を越える料金を払っており、なかなか雑誌などに手がまわらないのだろう。総合雑誌はハウツーものの記事ではなく、現代社会についていろいろと考えるよすがとなる情報や考え方を提供してくれるし、読んで面白いのだが。一定の長さの活字を読むということが、面倒で億劫になっている人も多くなっているようだ。

■携帯で入手できる細切れの情報もいいが、その道の研究者や専門家が、じっくり考えて執筆した論文などを「読む」ところから、深く考える習慣も身につくはずである。数日前に発表された文科省による小中学生の学力テスト結果によれば、秋田県など上位の成績を残した地区に共通して見られるのは、日々、短い時間でも活字を「読み」「書く」ことを義務化していることだという。一方、成績が下位の県では、そういうことがおろそかになっていたとのこと。読み書きソロバンといわれた慣習が、今こそ必要なときはない。義務教育では、それをしっかりやってくれていれば、あとはいい、といいたいくらいである。
by katorishu | 2008-08-31 00:41 | 文化一般
 8月29日(金)
■本日も東京地方は雷と稲妻が走った。昨日も深夜から朝方にかけ、大砲のような雷鳴がしばらくの間、とどろいた。昔の人であったら、「天が怒っている」と解釈したに違いない。そういう自然への畏敬の念を現代人は忘れてしまっている。

■自然を征服できるとして地上のほかの生き物の相当部分を絶滅に追い込んでしまった人類。とくに先進国の人々の罪は重いというべきだろう。便利さ快適さという美名のもとに地球環境を劣化させ、おおくの生き物を絶滅に追い込んだことのツケは必ず人間にかえってくる。そのツケを深刻に払わされるのは今生きている人間ではなく、これから誕生してくる未来の人間である。

■よく財政赤字のツケを子供たちに払わされるな、とエコノミストがのたまっているが、環境破壊がもたらすツケは、そんな生易しいものではない。その前に食糧危機が発生するであろうし、地獄図が展開する。すでに地下資源をめぐって「資源戦争」が勃発している。石油依存の文明をすこしづつでも転換していく必要があるだろう。
 首都を襲った雷鳴、稲妻を「天の怒り」ととらえる。そういう感覚を忘れてはいけないのだと思う。

■しかし、現況を嘆いていてばかりもいられない。しばし「現実」から時には目をそらしてフィクションの世界に遊ぶ余裕をもちたいもの。時間のないときに限って見たい映画があいついで上映される。「コッポラの胡蝶の夢」「「ラストゲーム・最後の早慶戦」「わが教え子ヒトラー」等々。
 作り手の熱意、訴えたいという気持ちが伝わってくる作品が、最近すくないので、期待している。前宣伝と違う作品も多いので、見たあとでないと、なんともいえないが。
by katorishu | 2008-08-29 21:50 | 社会問題
 8月28日(木)
■梅雨を思わせる天気がつづく。今年はもっと暑い日がつづき、残暑も厳しいと予想していたのだが、はずれた。9月になってから残暑がくるのかもしれないが。
 雨降りの日は気持ちが高揚しない。月末締め切りの原稿があるのだが、なかなか進まない。気分転換になればと図書館で借りてきたDVD、黒澤明監督「用心棒」を見た。

■この映画、シナリオは読んでいるのだが、じつは映像を見ていなかった。三船敏郎の格好の良さと、映像美というものに堪能した。ただ、内容は「生きる」などの作品のようにいまひとつ胸に迫ってこない。スピルバーグが黒沢作品に影響されたといわれるが、「用心棒」にもっとも影響されているのでは、と思える。

■戦闘場面はいずれも黒沢美学にのっとった「様式美」で切り取られており、これだけでも楽しめ、110分が無駄にならなかった。時代劇はモノクロ映画のほうが迫力があるなと、あらためて思った。カラーに比べ抽象度が高いのである。役者も、テレビのバラエティにでている人と違って、じつに存在感のある面つきの人が多い。「豊か」になって、役者も個性をなくした、とこういう古い映画を見ると実感する。1961年の製作である。

■舞台や落語等々、案内状をいただくのだが、なかなかいけない。そういえば川柳の集まりにも、しばらくいっていない。それにしても、皆さん、よく頑張っているなアと感心する。自己表現はそのまま生き甲斐に通じるのだろう。「この道ひとすじにやってきたし、今更ほかの道にいけない」と述懐していたベテランの役者もいるが。人と生まれてきて、その人にしかない「個性」を発揮して、存在を認められたい。そんな思いが強いのだろう。一種の業であるのかもしれない。
by katorishu | 2008-08-29 01:25 | 映画演劇
 8月27日(水)
■アフガンで現地の農業生産や医療などで活動している「ペシャワール会」のメンバーが、タリバンらしいグループに拉致され、死体となって発見された。一時は釈放されたとのニュースも流れたのだが、誤報であり、もっとも悲しい姿となって発見された。こういう事件に接すると言葉もない。

■殺された伊藤氏は「現地の人を助ける」のではなく「現地の人ともに汗を流す」とよくいっていたとのことで、現地の人間になりきって、農業生産をあげることに生き甲斐を見いだし、がんばっていた。自己中心で自分だけがよければよい、という風潮が支配的な現在、伊藤氏のような存在は大変貴重であり、それだけに彼のような有為の人間を殺害した人やグループを許せない。

■ペシャワール会の中村哲代表は、これによってプロジェクトがとまることはない、と語っていたが、こういうNGOの活動には本当に頭がさがる。国民栄誉賞などは、こういう人にこそさしあげるべきである。ペシャワール会は会費と寄付だけで運営しており、政府から援助をうけていない。それがまた、現地での信用獲得にもなっており、ペシャワール会の人間は攻撃するな、とタリバン関係者にも伝わっているはずとのことであった。それが、悲しい事態になってしまった。

■アフガン情勢は最近、一段と悪化し、アメリカもすでに力ではおさえきれなくなっているようだ。遠因は1980年のソ連によるアフガン侵攻だが、9,11後のアメリカの軍事介入も、治安の悪化を加速しただけだった。現在、解決とはほど遠い情勢になっている。では、どういう解決法があるのか。わからない。有効な解決法があれば、とっくに関係当事国がやっている。

■アフガンの現政府の「腐敗」が指摘されており隣国パキスタン情勢もきわめて不安定になっている。さらにグルジアをめぐるロシアの圧力も強化され、中東から中央アジアにかけて、きな臭いものがたちこめはじめた。新たな「冷戦」が始まったという説もあり、世界的な経済停滞もくわわり、世界はただならぬ気配になってきた。

■こういうときこそ、日本外交の見せ場だと思うのだが、外務省も大臣クラスの人間もあまり積極的に解決への動きを見せていない。ここらで日本の存在価値を世界に大きくアピールしておかないと、日本の「地盤沈下」はとまらない。
 一方で、今後日本が世界に向けて重点策として力をいれるべきは「ソフトパワー」ではないかと思う。文化芸術などの面で、「世界モデル」や「世界に通用する作品」をつくりだすことである。たとえば映画やテレビドラマ作品。ハリウッド映画には太刀打ちできな、と最初からあきらめる前に、国としても映像作品の振興にもっと力をいれて、有為の才能をあつめれば、相当のことができるはず。

■たとえば自動車産業。昭和30年代ごろまで、日米の自動車産業は天と地ほどの開きがあった。が、その後の官民あげての努力で、日米が逆転するほどになった。昭和30年代ごろまでの日本人の何人が、今日の自動車産業の隆盛を予想したであろうか。やる気のある人材を育てる環境作りこそ、今の日本に必要なことはない。
by katorishu | 2008-08-27 23:29
 8月26日(火)
■本日、マンションなどの不動産開発、販売を手がけるセボンが倒産したという。負債総額621億円。先にアーバンコーポレイションが倒産し、負債額は2558億円。ゼファーという会社も数百億円の負債をかかえて倒産している。

■アメリカのサブプライム・ローンや原油高などで景気が悪化したことが主因のようだ。一時「不動産バブル」が起こり、その波にのって拡大しぎたツケがまわってきたともいえるだろうが、当の会社以上に下請け、孫請け会社のこうむる実害に思いがいってしまう。

■汗水たらして働いたというのに、対価が支払われないということである。飲み屋などで飲み食いして払わずにでてしまえば「無銭飲食」で刑事犯として逮捕されてしまうのに、こういうケースの場合は、発注元の責任者は逮捕もされない。倒産しなくても、払わなかったり、値切ってくるケースもあるだろう。力関係が弱いので、下請けは無理をのまざるを得ない。

■こういう悪しき「商習慣」はほかの業種でも多いのではないか。食堂などで、「まずかったから値段を半額にしろ、とか、まずいから払わない」と客はいわない。ところが、にたような事態が起こる業種がある。
 対価を払わないケースは、物書きの世界にもよくある。ドラマの企画書などを書いても、企画が通らなかったとして書き手に対価を払わないケースが多い。「企画が通らなかったら支払いませんが、それでいいですね」という「約束」が前もってあって、書き手が書いたのなら、仕方がないが。

■「払います」といって請求書まで出したのに、なかなか払わないことも多い。根負けして、そのままになってしまうケースもある。企画書の対価は、一般に5万か10万円である。100万円ほどなら裁判に訴えることもできるのだが、5万、10万では、それもしにくい。「新人ライター」や「フリーライター」の世界では、しばしば起こっているようだ。

■ぼく自身の関係した仕事でも、「払います」といって請求書を出させておきながら、なかなか支払われないケースがある。「払わない」とはいっていないので、待つことにしているが、そのままなし崩しになってしまうこともありうる。

■アメリカではライターズ・ギルドといった書き手の組織がしっかりしていて、書き手の権利を守ってくれている。激しい競争社会だからこそ、そういう防御の手段、システムが必要なのだが、日本では昔から文士などに「原稿料の話などしないもの」という「伝統」があったため、書き始める前に稿料の話をすることは稀である。

■そのため、あとになって、払う払わないで問題になることも多い。ただ、現況では、「あまり強く要求すると仕事がこなくなる」として、個人の書き手が引き下がることも多い。組織と個人では個人が弱い。だからこそ、ライターズ・ギルドのような組織が必要なのだろう。そろそろ、日本でもこういう弊習を改善しないと、有為の才能が育たないし、はいってこなくなる。仕事をお願いしたのに対価を払わないということは、「無銭飲食」をしているのと同じであることを、関係者は認識してほしいものだ。
by katorishu | 2008-08-26 19:13 | 社会問題
 8月26日(火)
■前のブログで、脚本アーカイブズについてNHKの「スタジオパークからこんにちは」で29日に放送とお知らせしましたが、さきほど担当者からの連絡で、放送日が9月2日からの週になるとのこと。今週の木曜日に決定するそうです。

■生放送でもあり、しばしば企画内容が変更になるそうです。
 あしからず、ご了解ください。また改めて、当ブログに記す予定です。
by katorishu | 2008-08-26 14:10
 8月25日(月)
■脚本アーカイブズのことが、NHKの「スタジオパークからこんにちは」で放送されます。8月29日(金)13時より。この日のゲストは竹下景子さんですが、13時45分頃から7分間、扇谷解説員によって紹介される予定です。ぜひご視聴のほどお願いいたします。脚本が映像作品にとっていかに重要であるかを、多くの人に知ってもらいたい、と改めて思います。

■人の営みを記録して後世に伝えること、つまり「記憶の伝達」をアーカイブといっているが、日本はこの点で世界に遅れをとっている。文化とは過去の営みの集積であり、古いものに新しい要素をつけ加えることで、文明は進歩してきた。よりよい未来を構築するためには、数々の愚行もふくめて人々の生きた証を記録して後世につたえることが大事である。多くの人にアーカイブの重要性を知ってほしいと切に願う。

■本日は打ち合わせが相次いだ。午前中は大手町で午後は市ヶ谷で、夕方近くに北千住の脚本アーカイブズで上記の番組の取材。新たに脚本執筆の注文がはいったりで、当分の間、執筆、執筆の日々が続く。こなしきれないほどの注文があったほうが、心身ともに活性化するし、健康の源泉になる。世間がまだ自分を必要としてくれているのだ、ということで、生きる励みにもなる。四苦八苦しながら、ない知恵を絞り佳品をものしたいものだ。
 形になり公開の暁にはこのブログで紹介いたします。
by katorishu | 2008-08-25 23:35 | 文化一般
  
 8月24日(日)
■昨日、国会図書館のプランゲ文庫で調べ物。アメリカ占領時代の雑誌なので、マイクロフィッシュには、検閲官の手書きやタイプの指摘が随所にはいっていて、生々しい。戦後日本を検閲などのない言論の自由の保証された「民主主義社会」にするという建前の裏で、組織的な検閲システムをつくっていたのである。

■権力者や権力を握ったものは、例外なく自分に都合の良いように実態をねじまげ、それにもっともらしい「口当たりの良い」理由づけをする。
 昨日の夕方、下井草にある東京芸術座のアトリエ公演「兵士タナカ」を見た。「天皇の軍隊」への強い批判をこめた作品で、ドイツ人のゲオルグ・カイザーの作品を、杉本孝司が脚本・演出した。ナチスへの強い批判が根底にある。

■東京芸術座は「忍びの者」などで知られる村山知義が起こした劇団で、来年は50周年をむかえるとか。「左翼作家」として位置づけらているが、村山知義が戦前、ムーランルージュ新宿座に籍をおいていたことは、案外知られていない。ムーランルージュを舞台に「白痴」という小説も書いている。画家としても相当の才気を感じさせる人だ。
 愚直に旧来の新劇的リアリズムを踏襲しているが、昨今のとにかく「笑いをとろう」とオーバーアクションに終始する舞台の氾濫するなか、かえって新鮮な印象を覚えた。愚直さも、今の時代貴重である。

■東京はこのところ肌寒い日がつづく。他人はどう感じたかしらないが、今年はあまり暑いと感じなかった。正確にえば、暑い日が少なかった。もっと暑くなり耐えられないかと思っていたのだが、もしかして慣れなのかもしれない。すでに熱帯に住む人の感覚になっているのか。人はかなり過酷な環境にも適応していくものである。
 もしかして、そこに人類の光明を見いだせるかもしれない。
by katorishu | 2008-08-24 22:27 | 映画演劇
 8月22日(金)
■オリンピックで金メダルをとった女子ソフトボール。テレビ中継の視聴率も大変高かったようだ。スポーツはやはり勝たなければ、優勝しなければダメである。参加することに意義があるといっても、人は負けた選手より勝った選手に喝采を送る。

■今度のオリンピック、どうも日本は男子より女子のほうが勢いがある。20代、30代の日本の女性の結婚相手は、欧米人が急増していると、このブログでも書いたが、20代、30代の日本の男子に元気がないということか。周囲を見廻しても、女子のほうがいろいろな面で元気があり、ものごとに積極的である。逆にいえば、ひ弱な男子が多いということである。

■過保護で育てられた動物は例外なく弱い。獅子は子を谷に落とす、と昔の人はいったが、そういう鍛え方も時に必要なのではないかと思う。男女を問わないが、ものごとに貪欲に執拗に食らいついていく姿勢に欠ける人が多い。そういう人は打たれ弱い。なにくそ、と意地を張るのではなく、さっさと逃げてしまう。舞台を降りてしまう。降りても安易に生きられると思っているからそうするのだろうが、この先、逃げて生きられる土壌が維持されるかどうか、わからない。世は常ならず、である。

■いろいろいわれた北京オリンピックだが、どうやら「大過なく」終わりをむかえそうだ。気になるのは、オリンピック後の中国経済がどうなるかである。日本経済の生殺与奪の権をにぎっているのは、今や中国である、といってもいい。オリンピック後、中国経済は大変な停滞をまねく、といった情報が流れているが、ガセネタであることを期待したい。

■本日は月に一度の放送作家協会の理事会。その前に六本木で仕事の打ち合わせ。六本木にはときどき足を運ぶが、周辺をぶらついたりすることはほとんどない。用事がすめば、すぐに帰ってしまう。多分、若さを失ったということだろう。ほかにやるべきことが、山とあり、「遊んで」もいられない、という事情もあるが。何事であれ探求心をなくすことは、要注意である。

■目標は、新藤兼人監督でありたい。今年、確か96歳になられたはずだが、なおも新しい映画を監督した。エネルギッシュな活動には驚嘆する。遺伝的要素はもちろんあるが、それだけではない。当人の意欲、創作欲が図抜けて強いのである。創り手はとにかく死ぬまで創りつづけることである。それが健康維持にもつながる。
by katorishu | 2008-08-22 23:44 | 文化一般
8月22日(木)
■今週発売の週間ダイヤモンドが、「エンタメ全解剖」というエンターテインメントの大特集をくんでいる。今や日本のエンターテインメント・ビジネスは9兆円の売り上げがあるという。不景気風が吹くなか、エンターテインメントは一大成長産業であり、今後、日本が世界に存在感を示すための柱になるのではないか。

■詳しくは週間ダイヤモンドを読んでいただくとして、「芸能、文化に国をあげて支援を」と訴えるシネカノン代表の李氏のインタビューを紹介しておこう。李氏によれば、好調を伝えられた邦画の興業成績にかげりが見えるという。
 邦画の大作は、ほとんどがテレビ局と大手配給会社を中心とした製作委員会方式で作られている。この製作方式だと、配役をテレビマンがきめるケースが多い。そのため出演者がテレビドラマと同じような顔ぶれになってしまう。テレビでいつでも見られる役者ばかりなら、わざわざ映画館に足を運ぼうとしなくなる、と李氏はいう。

■最近、日本ばかりでなく海外でも「シネマコンプレックス」が増えているが、じつは日本だけが例外で、観客動員数が増えていない。過去10年でアメリカがほぼ2倍、韓国では5倍にも観客が増えているのに。制作と配給に問題あり、と李氏は指摘する。
 どこの映画館にいっても同じような作品ばかり上映していることが、大きな原因である。

■アメリカでは独占禁止法で配給と興業を分けているが、日本では大手配給会社が系列の映画館をもっていて、自社の作品を中心に上映する。独立系の映画館も、アニメのように確実にお客をよべる作品をまわしてもらえないと困るので、大手配給会社に配慮したプログラムになってしまう。そのため金太郎飴のような、どこでも同じ作品を上映、ということになる。

■要するに、日本映画の観客が海外と違ってのびないのは、大手配給会社の旧弊なやり方が主な原因である、と李氏はいっているのである。李氏はそういう傾向に乗らずに「フラガール」をファンド形式で制作し、見事ヒット作にした。出演者の知名度やテレビでの露出度ではなく、内容で勝負したからこそである。

■アメリカ方式の、悪しき真似はしないほうがいいが、良い点はどんどん真似るべきである。そうしないと、日本はさらに沈んでいく。テレビでがんがん宣伝している映画ではなく、地味でも内容のある映画を選んで見てほしいものだ。ところが、内容が濃く、しっかりと人間造形ができている映画に限って、お客が少ない。周囲を見回しても具眼の人は相当数いるのだが、多数派には決してならない。いつになっても、「悪化が良貨を駆逐する」現象がつづく。不思議なことである。
by katorishu | 2008-08-21 23:50 | 文化一般