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 ゆく年、くる年

 12月31日(水)
■今年も最後の日になった。行く年、来る年を、感慨にふけりながら考える一日でもあるが、やっぱり年賀状をだそうと印字して三〇人ほどの宛名書きをしただけで疲れてしまった。

■この程度で疲れるというのは、体調がよくない証拠である。ところで、「ゆく年、くる年」といえば、以前、民放テレビ局は全局が、年が明けると同じ番組を流したものだ。そのタイトルが「ゆく年、くる年」だった。1991年あたりが全局みな同じというスタイルの最後の年……ではなかったか。

■民放のキー局がもちまわりでこの番組を担当するのだが、最後の年はテレビ朝日がうけもった。じつはこの構成をぼくが担当した。旧知のプロデューサーから「香取さん、ちょっと助けてくれないかな」と電話があり、材料はあつめてあるからドラマ的にもりあがるように構成をやってくれといわれたのである。他に脚本の仕事をかかえていたし、時間的にきついなと思ったが、「来る仕事は基本的に断らない」ことにしていたので、眠る時間を削ればいいと思って引き受けた。

■確か西田敏之氏と、もう一人女優がメインキャスターであった。この女優、当時はもっとも旬の人であったのだが、最近顔を見ない。で、名前が思い出せない。ネパールに学校を寄付した日本人の写真家と、俳優の津川雅彦氏が北欧から運んできたという古城の話が、柱であったと記憶する。

■NHKをのぞく全局が、どこも同じ番組を放送するなど、今では考えられない。それを多くの人が「普通」と思っていた時代だった。そういえば、紅白歌合戦などもまだ視聴率が80%ほどあったのではないか。国民の、7、8割もが同一番組を見るなど、当時から「気持ち悪い」ものを覚えていたが、それが「普通」だと多くの人が思っていたのである。

■まだ18年ほど前のことである。国民の9割が中流意識をもっており、「世界でもっとも成功した社会主義」などといわれたりもした。国民の9割が中流意意識をもつ国など、古今東西なかったのではないか。これからも恐らくあり得ないのではないか。

■まだ、昨日よりも今日が、今日よりも明日が良くなるという空気が社会をおおっていた。もちろん個々の人間はさまざまな悩みをかかえていたが、ぼくの知る限り、多くの人が今よりずっと生き生きとして明日に希望をもって生きていた。

■今、若い人と話していて感じるのだが、夢や希望が小さい。皆無の人もいる。一ヵ月ほど前あった某大手広告代理店に入社したばかりの青年が「ぼくの希望は文科相になることです」と真顔でいっていた。彼のようなことをいうのは恐らく例外中の例外で、「食べられればいい」という人が多いようだ。本人の心構えというより、社会のシステムや空気が、気分を無意識のうちにも決めているのである。今や、ただ動物的に生き抜くことも容易でない時代になったということである。

■中年や壮年にも、夢や希望を明るく語る人はすくない。老年は老い先短いので、もともと夢や希望も少ないのだが。「昔はよかった」などというと「老人」であるといわれるが、敢えて申し上げると、やはり社会全体に「若さ」があった時代は「良かった」といわざるを得ない。
「若さがない」それが、今の時代の特徴である。若さとは物理的な命の短さではない。意欲や活力といっていいのか、なにか新しいものにチャレンジしていくエネルギーである。

■バブル経済をへて「拝金主義」が横行し、こちらのほうにチャレンジのエネルギーが行きすぎたという気もする。そのエネルギーも崩壊した。
 バブル崩壊前までは、未だ多くの国民に「拝金主義」への抵抗感があり、別の価値観、価値の尺度が残っていた。恐らく、戦前の教育をうけた人が、まだ多数残っていたことも影響している。

■インターネット時代をむかえ、戦前を知る世代も急激に減った。ボーダレス化の進む世界で、昔にもどることは出来ない相談だが、捨て去ってきた習慣、生き方、暮らし方のなかに、現在の混迷や閉塞感に打ち克つ鍵があるのではないか。経済原理主義国家アメリカの真似からは、そろそろ脱すべき時にきている。5年かかるか10年かかるかわからないが、混迷や混乱の時期がすぎれば、案外良い時代がくるかもしれない。

■1年間、あまり休まずに、思いつきを、とりとめもなく書き綴ってきましたが、来年もしばらくは、綴る予定です。
 ところで、現在、「1億総発信者」といってもいい状況になっていますが、昔大宅壮一がテレビを評して「1億総白痴化」といったようなマイナス部分が生じないことを、願いたいもの。
 携帯やパソコンに時間をとられるあまり、日本人の強みの源泉であった「読書」の習慣が減ってしまったら、大宅壮一の批判したような状況になっていく可能性が強い。「ゆく年、くる年」はたとえ30分でも、(仕事に関係のない)読書をしてみよう、と思う。読むとすれば、やはり昔の人の叡智がぎっしりつまった古典でしょうね。
 では、良いお年を!
by katorishu | 2008-12-31 23:00 | 文化一般
 12月30日(火)
■コーヒー店でたまたま隣に座った二人の男が深刻な話をしていた。100万か200万のお金が用意できず、年をこせない、このままだと倒産するしかない、といった言葉が聞こえた。ぼくがちらっと見ると、聞かれたくないのか、向こうのあいた席にうつっていった。

■中小零細の経営者にとって、ほんとに深刻な不況であり、深く同情に値する。一方でトヨタの巨大損失がマスコミなどで喧伝されているが、これまでトヨタに代表される大手企業は巨大な内部留保をためこんでいる。こういうときこそ、それで赤字を補填して、安易な首切りなどをせず、社会に「恩返し」をするべきではないのか。

■三菱東京UFJ銀行が暴力団系の企業の地上げ資金を融資した件が新聞のトップニュースになっていた。国民から低利で多額のお金をまきあげておきながら、こういうことをする。もともと銀行や証券会社にはまったく興味がなく、金、金、金で動く連中には一定の距離をたもってきたが、いやはやである。こういう騙しのメカニズムに、もっとジャーナリズムは切り込んでほしい。

■世に「記者発表」のニュースがある。これは相当いい加減なことが多い。ある事実を隠すために、あることを発表することが組織には多いのである。ぼくの関係した仕事でも現在、頓挫しているが、頓挫の原因について最近、記者発表があり、ある事実が公にされた。内側を知るものとして、苦笑を禁じえない。ある事実にふたをするため、ある事実を率先して記者発表したのである。記事を書いた記者がどの程度「真実」を知っているのかどうか、わからないが。世の中、見る角度を違えると、まるで違った光景が現れる。だから面白いのかもしれないが。
 
by katorishu | 2008-12-30 21:30 | 社会問題
 12月29日(月)
■コーヒー店を4軒まわり、計9時間、執筆作業をしたので、目がしょぼしょぼで、文字がかすんで見える。毎度感じることだが、時間の経過の早さに驚く。1時間ぐらいたったかと思って時計を見ると、3時間がすぎている。逆に考えればそれだけ中身に打ち込んでいることを意味するが。人と待ち合わせをした時など、20分ぐらいでも相手が遅れると、やきもきする。待っている20分は充実していないので、時間が長く感じるのである。

■人の気分、感じ方の問題である。作品についても、ほんとに人によって様々で、ある人にとって「面白い」ものが、ある人にとって「つまらない」。その落差に愕然とすることがある。逆に人の感じ方、受け取り方も、じつにさまざまで多様であるいうこともできるが。
 今はテレビはもちろん、映画も本も「数の多いほうが良い」という唯一の価値観が定着してしまっているので、10人のうち1人が非常に面白いというものが、抜け落ちていく。

■そういうものを創る人が、排除されがちなのである。ビジネス論理だと、数字がすべてを決めていく。すべてにビジネスが優先する社会というのも、大いに問題である。昭和40年ぐらいまでは、多くの冠婚葬祭はじつは「ビジネス」ではなかった。地域の共同体の催しという傾向が強いものだった。結婚式なども、自宅で行われたし、葬儀は「地域」住民の協力で行われた。子供のころ自宅で行われた結婚式を覚えているが、とても良い雰囲気で面白かった。いまでも、ヨーロッパの田舎などではそれが一般なのではないか。

■結婚式はもちろん葬儀も、いつのころからか「ショー・ビジネス」になってしまった。そうなってから、結婚式はもちろん、葬儀にも出席したくなくなった。どうしても義理で出る必要がある人が関係する以外は欠礼したい、と思っている。もっとも、浮き世の義理でなかなかそうもいかないが。「未曾有の経済危機」を奇貨として、社会のシステムや慣習などもかわることを期待したい。

■最近の中高生は、ほとんど本を読まなという調査を何かかで読んだ。一方で、今の小学生はかなり本を読むそうだ。学校教育の結果であるという。ぼくは、比較的よく本を読むという今の小学生に期待したい。この層が社会の中核を担うときまで生きていないので、どういう社会になっているかわからないが、期待はもてそうだ。逆にいえば、その層にしか期待がもてそうにないということで、ごく一握りの人をのぞいて次代を担う層にほとんど期待を持てないというあたりに、現代の混迷がある。
by katorishu | 2008-12-29 21:37 | 文化一般

年賀状

 12月28日(日)
■年末になると、やるべきことがいろいろあるが、そのひとつが年賀状。じつは今年はまだ年賀状を買っていない。出すとなると、300枚ほどになるので、大変だ。宛名だけは、その人のことを考えながら書くので、手書きにしているのだが。

■年賀状を書くときしか思い出さない人もいる。元気にやっているか、どうしているか等々、ちょっと余白に添え書きをつけて書くのは、悪いものではないが。
 どうも今年は、年末年始も原稿書きで、賀状を書いている時間がない。で、失礼しようか。それともきた賀状にだけ返事をだそうかどうか、もっか思案中。
 もし年賀状がとどかなかった場合、悪しからずご了承ください。
 12月は芝居の案内もいろいろいただき、「ぜひ見てほしい」とあったが、結局、ひとつもいけなかった。こちらも、悪しからずご了解ください。
by katorishu | 2008-12-28 22:21
 12月27日(土)
■近くの蕎麦屋に、教え子など若い人にきてもらって意見交換。企業経営者も参加して雑談した。「危機の時代」ではあるが、見方を変えればチャンスかもしれない。創意と意欲のある者に運命の女神は微笑むものである。さきゆきは暗いのだが、よく見れば暗さのなかに明るはあるはずで、そこに希望があるという結論。

■夜、11時40分からNHKテレビで、解説員が総出で4時間以上におよぶ生番組「どう読む2009年の日本と世界」を、全部ではないが、一部見た。第一部の経済については、少なくとも3年くらい経済停滞がつづくという見通しを、解説委員諸氏が語っていた。。

■ある意味で「常識的見方」であり、現状分析からわりだすと、そういうことになるのだろう。それぞれの専門分野から見た解説であり、それなりに「正しい」のかもしれないが、もしかして、この未曾有の危機を打開するには、思い切って「非常識」といえるくらいの「劇薬」を処方することも必要ではないのか。

■「劇薬」の場合、毒が身体にまわる可能性もあるが、「常識的な」対応では、危機を脱することはかなりむずかしい。今のところ、多分に「悪くなる」というイメージが過剰に先行し、社会的責任のある大手企業経営者までが、それにのって、とにかく既存のものを守ろうという後ろ向きの姿勢になっている。

■自己を守ろう、守ろうとするあまり、結局は自分を破壊してしまう。歴史上しばしば人類が体験してきたことである。今、そんな体験が生きていない。大方の企業の活動原理の原点にあるのは、極論すれば「自分さえ良ければ良い」というエゴである。
 個人レベルでも、エゴは厄介である。これをどう調整するか。それこそ政治の力である。従来の価値観にどっぷり浸り、これを守ろうとする力学しか働かせることの出来ない政権では、解決はむずかしいだろう。

■恐らくあと二度、三度、総選挙を実施し、既存の価値にしがみつく政治家を落選させない限り、日本経済の回復はない、と予言する。
 ところで、どんなに弱く、おとなしい人でも、足蹴にされつづければ、爆発する。爆発のエネルギーは今、徐々にたまっている。政官財の指導層が今のような「無策」をつづければ、臨界点、沸点が急激に近づく。「過去に例のない」危機が迫っているのなら、「過去に例のない革命的な」政策をうちださない限り、対処療法としても効果はない。

■今なお日本を牛耳っている官僚の行動原理は「前例を踏襲する」である。「前例」を踏襲する人たちでは、解決は無理、ということを国民は早く知るべきである。「お人好し」では、こういう「非常時」を生きられない。逆に考えれば「お人好し」が生きられない世の中はケモノの世界に近く、いやな時代になったものである。
by katorishu | 2008-12-28 03:05 | 社会問題
  12月26日(金)
■午前中、渋谷で打ち合わせのあと、六本木にでて日本放送作家協会の理事会に出席。いちおう「常務理事」なので、いろいろな問題に対応することになる。今後、テレビ界も激変する。おそらく、今のテレビのビジネスモデルは、早い時期に崩壊に至る……可能性大である。未だこの認識のないテレビ関係者も多く、逆に驚かされる。危機を正確に感じ取っているのは、「フリー」もふくめた末端で働く人たちだ。

■本日、朝日ニュースターにでていた野口悠紀夫氏によれば、今後、世界経済不況の影響をもっとも受けるのは日本と中国だという。GDPが毎年マイナス10%になる可能性があり、制御不可能になる恐れが大であるという。アメリカの金融は崩壊したが、経済そのものはそれほど崩壊せず、むしろ日本がもっとも深刻である。現在のエコノミストのなかで、もっとも信頼できる野口氏の言葉だけに、ぼくには衝撃だった。

■この解決のためには「禁じ手」をつかわなければいけないという。政府が25兆円の国債を発行し日銀を引き受けにする――ということ等々。公共投資の拡大を批判していた野口氏が、敢えてこういうのである。現在の政・官の指導層の多くは、事の本当の深刻さにじつは気づいていないらしい。
 よく「物づくり大国をめざせばいい」という人がいるが、野口氏によれば、これも輸出に依存しているかぎり駄目であるという。どんなに良いものをつくっても、買う人がいなければなんにもならない。金融の崩壊とともに、物づくりも崩壊の淵にある。だから深刻なのである。

■これから失業が増え、さまざまな経済指標が悪化し、ようやく政府も事の深刻さに気づくであろう。自分は年金があるから大丈夫とか、老後の生活設計をちゃんとしているから大丈夫などと思っている人も多いが、国の土台が揺らげば、じつは「大丈夫」などあり得ない。

■ぼくはソ連崩壊後のロシアを思いうかべてしまう。深刻度では、今後数年間、日本を襲う衝撃は、そのくらいであると考えておくべきだろう。ソ連崩壊前後のロシアを多少とも知っているだけに、大変な時代にはいったものだと思う。ソ連崩壊後のロシア人の平均寿命が相当低下した(具体的数字はちょっと思い出せない)という一点を紹介するだけで、深刻度がおかわりいただけるだろう。

■まさに日本が戦後経験したことのない未曾有の時代に突入したということだが、どこかに「脱出口」はあると思いたい。そこに新しいビジネス・チャンスがあるはずで、今、先見性のある人や企業は、そのための研究、模索、実験、実践にエネルギーを注ぎこんでいる。意欲あるところから、新しいビジネス・モデルが続々でてくるはずで、そこに期待したいもの。既存のビジネス・モデルにたよっている組織や人は、危ない。
 指導層が制御をあやまれば「革命」が起きるかもしれない。事態はそれほど深刻である。

■ぼくも、ささやかながら、新しい試みをはじめているが、具体的には記せない。成否は未知数なものの、試みる中から曙光が見えてくるはず、と思いたい。
 本日は仕事おさめの企業も多い。年末締め切りの原稿があったが、結局、仕上がりそうもなく、担当編集者に正月明けには何とか……などと断りの電話。もっとも、書き下ろしなので、半月程度の遅れは「誤差」の範囲ではあるが。
by katorishu | 2008-12-27 02:18 | 社会問題
12月25日(木)
■自民党の元行革大臣、渡辺喜美議員が24日の衆議院本会議で、自民党執行部の方針に反対し、民主党提出の衆議院解散要求決議案に賛成した。自民党内でただひとり「反抗」した。「人気とりのパーフォーマンス」という点は否定できないが、いっていることはまっとうである。集団の意志がある方向にながれる中で「正しいことは正しい」という意見を述べることは、じつはなかなか難しい。

■「村八分」にされる恐れもあり、大方の人は本心は「ちがう」と思っていても、集団の意志に従ってしまうものである。「あいつ一人が目立ちやがって」などといった批判のツブテを必ずあびせられるので、口をつぐんでしまうのである。その点、渡辺氏のパーフォーマンスは自民党に一石を投じた。これが硬直した与党の総選挙封じ込め政策に、風穴を開けることにならばいいのだが。とにかく民意を反映していない政権ではどうしようもない。

■とにかく、「やってみること」。その姿勢が今ほど大事なときはない。老若男女をとわず、なにか新しいことをやろうとすると、かならず、「そんなこと、お前には無理だ」「時期尚早だ」「成功するわけない」などという言葉が、浴びせられるものである。そういう意見はあまり顧慮しないほうがいい。

■閉塞感漂う時代を切り開いていくのは、「常識」に敢えてさからって、果敢に挑んでいく人間である。挑んだからといって、成功するものではなく、失敗する確率のほうが高いのだが、だからといって最初から「失敗を恐れて」挑まなかったら何も生まれない。経済ばかりでなく、文化面でも日本の力はどんどん落ちている。システムにも問題があるが、挑む力の枯渇も一因である。

■本日、銀座シャンテシネでチェコ映画『英国王 給仕人に乾杯!』を見た。誰であったか、大変面白いといっていたので、カミサンと銀座まで出て「夫婦割引」で見たのだが……ウーンという内容で「今ひとつだった」という点でカミサンと一致。ハリウッド映画などとは違ったスタンスで、料理人の「過去」を描いていく。一種のブラックユーモアのただようコメディで、意図はよくわかるのだが……。

■エピソードの連なりばかりで、深まっていかない。人と人との関係が深まっていかないと、感動には至らない、とあらためて思ったことだった。つまり、この映画、感動のセオリーからずれているのである。それでも客はかなり入っていた。単館上映むきのB級映画というべきもので、とくにおすすめもしない。シャンテシネでは『悲しみの乾くまで』のような傑作もよく上映しているのだが。今年はDVDもふくめかなりの数の映画を見たが、ぼくにとってのナンバーワンは『悲しみの乾くまで』。これにつきる。こういう傑作が、東京でも1館でしか上映されない不幸を思う。テレビで喧伝される映画しか見に行かない観客に、大いに問題がある。もっとも、映画館に足を運ぶだけでも映画に貢献していることになるのだが。
by katorishu | 2008-12-25 23:57 | 政治
 12月24日(水)
■六本木でちょっとした打ち合わせ。終わって真っ直ぐ地下鉄駅にむかったので、この盛り場界隈の空気がどうなのか、わからない。昔の六本木はそれなりの情緒があったが、今の六本木にはまったく興味も関心もないので、事務的用事が終わるとさっさと帰ってしまう。

■ところで、本日はクリスマスイブだという。一応仏教徒でキリスト教徒ではないので、ぼくにはまったく関係がない。イブイブといって騒ぐ人も減ったが、この点はよくなったということだろう。以前は喫茶店などでも、クリスマス料金と称して高い値段をとったものだ。バーではクリスのパーティ券を買わされた。買ったのはいいが、一度も行ったことはなかったが。

■クリスマスイブに、サラリーマンの多くはどんちゃん騒ぎをしていた時代がある。なんて馬鹿なことを、と翌日の新聞は冷やかし気味に書いていたが、今になると、懐かしいくらいである。今の殺伐とした光景しか見ることのできない人は、ちょっとかわいそうだな、と思ったりした。

■大江戸線で大門にでて、ここの行きつけのコーヒー店で2時間ほど仕事。品川シーサイドにもどって2時間、合計、外で5時間ほど仕事をした。これで、本日、寝不足のぼくの脳の働きは限度いっぱいという気がする。カミサンと青物横丁の立ち飲み屋でビールと日本酒。世相なのか、立ち飲みやはいっぱい。ところが、もうひとつの立ち飲みやは客がゼロ。店を改造し、きれいにし、ついでに値段をちょっとあげただけで、こうなる。

■客もシビアになっているもの、とあらためて思う。シビアになるのはいいのだが、プラスアルファの部分にも時間と金銭をまったく割かなくなると、文化・芸術は衰退する。来年の春から夏にかけて、経済はさらに悪化し、どういう事態になるかわからない。ひところは世界一、二位を競う「経済大国」であったのに、このていたらく。しかし、考えてみれば、経済成長以後の日本が異常であったのかもしれない。

■今、中世に材をとった小説を書いているので、このころのことをいろいろ調べているが、人生とは「生存競争」であるな、とあらためて思う。喰うか喰われるか。それが人間生活の本質である。今は命こそとられないが、事の本質はかわっていない。誰かの犠牲のもとに誰かの幸福があるのである。みんな一緒に幸福に、などというのは、幻想である。人も動物の一種である、とあらためて思う。動物は生き残るために全力で生き、戦う。疲れることだが、動物はそうする。幸いにも、現代では、生存競争という戦いに敗れても即命を失うことはない。生存競争という戦いをむしろ楽しむくらいの余裕がないと、自らを殺してしまいかねない。そんな時代を、今日も生きる。
by katorishu | 2008-12-24 22:40 | 文化一般
 12月23日(火)
■本日が祝日で天皇誕生日であるこをと、本日になって知った。それほど、祝日にも天皇陛下にも関心が薄い証拠だろう。旗日だというのに、どの家にも日の丸がでていなかった。国旗掲揚、君が代斉唱を主張したどこぞの知事の自宅にも、おそらく日の丸はでていないにちがいない。以前、なにかのニュースで、国旗掲揚を主張する当人の家に日の丸がなかったと読んだことがある。

■ぼくが子供のころ、旗日には必ず日の丸をあげていた。子供のぼくが日の丸をあげる役割であったと記憶する。日の丸にはいろいろと批判の向きもあるが、ぼく個人は率直にいて日の丸はシンプルで明快であるし、世界の国旗のなかで秀逸のものではないかと思う。

■ところで、天皇家はいいとして、宮内庁の2000人ほどいるという役人には、大いに問題がある。「宮内庁御用達」などといった名目でかかわりあう人をくわえると、5000人ほどが「皇室」に直接かかわっているのだろうか。宮内庁は、どうもそこに関係する人たちの、まず「喰う手段」になっているようだ。

■人は社会となんらかのかかわりをもち、金を得て食っているのだし、宮内庁で喰うのも一概に悪いとはいわないが、2000人というのは多すぎる。役人全体にいえることだが、しなくてもいい仕事をして忙しがっている人も多い。村や市町村議員もふくめ議員の数も多すぎる。「100年に一度の経済危機」を奇貨として、役人と議員の数と給与を三分の一程度減らすことを、ぜひやっていただきたい。

■そこで減らした分を、家も職もない人の支援や、教育その他、明日につながることに使ったらいい。要するに、税金の使い道を根本的にあらためること。それが今ほど必要なときはない。
 新橋駅近くの喫茶店他で計7時間ほど仕事をした。家にいると冷蔵庫を開けたり、テレビを見たりしてしまうが、喫茶店、珈琲店では、仕事をするか本を読むか居眠りをするしかない。で、仕事もはかどるので、リュックにパソコンと資料をいれ、さらに布袋に本をいれ、ふらふらと歩く。祝日ということもあるのか、新橋界隈はひどく寂しいものだった。クリスマスイブの前の日というのに、歩く人もまばら。そういえば、今年はクリスマス音楽もあまり聴かれない。以前はうるさいように流れていたのに。
 ある意味、世の中、健全化に向かいつつあるのかもしれない。そこに至るまでに、多くの人が息絶えてしまっては、困るが、息絶え絶えの中から、新しい曙光がみえるはず、と思いたい。
by katorishu | 2008-12-24 00:22 | 文化一般
12月22日(月)
■一兆円以上の利益をだし日本の最優良企業といわれたトヨタが、今期赤字決算だそうだ。自動車産業は裾のがひろいので、マイナスの影響ははかりしれない。時間をかけて「落ち込む」場合はもっと有効な対策がとれるのだが、短時間に一気に悪化すると、多大な血が流れる。アメリカが先導した「自動車社会」は限られた資源のなか、いずれ行き詰まると思っていたが、こんなに早くやってくるとは思わなかった。アメリカ偏重のビジネスモデルの崩壊であり、ひとつの時代の終わりである。

■自転車や鉄道などの乗り物を大事にしないといけない、と多くの人はあらためて思ったのではないか。一方、トヨタがこけると、下請け、孫請け企業は深刻であり、深く同情する。
 それにしても、戦後最悪の事態に機動的に対処できない無力な政府。悪いときに悪い政権を選択してしまった日本の不幸を思う。来年も経済悪化が続き、底が抜けると、日本という国の存立基盤が毀損し、ある種、めちゃめちゃな事態の到来さえ予感される。今はとりあえず安定している人でも、どうなるかわからない。

■「傷の深さ」が本当のところわからないので、有効な処方箋をつくりようがない。それが疑心暗鬼をあおり、深刻度を強める。知り合いの中小零細企業主の中には「もう死ぬしかない」と思い詰めている人も多い。世襲議員などは実感がないだろうし、この深刻な事態を彼等では救えない。

■「好景気」といわれた時代、企業や株主に富が偏在してしまい、多くの国民は好景気を実感できなかった。国民の預金などもへりつづけ、内需を細らせた。外需が惨憺たるありさまになったときこそ、内需が頼みの綱なのだが、そこがもともと細く、弱っていたので、「ひとたまりもない」といった惨状が、東京でも至る所に現出している。

■マスコミがまた惨状を煽るので、比較的余裕のある人も消費しなくなり、経済の血液である金がまわらなくなる。人にたとえれば、癌であることがわかり全身に転移している可能性が強いものの、どこまで転移しているかわからない。手術をすると、体力が弱っているので、ショックで死ぬかもしれない。で、様子見……といった状態であり、先がない。

■もちろん個人とちがって、一億数千万の命が消えるわけではない。ある部分の犠牲のもとに、ある部分が生き残る……のだろう。犠牲になる人たちは、たまらない。
 率直にいって外需頼み、アメリカ追随の経済政策の大失敗である。自公政権は余命いくばくもないと思うが、かわって樹立される政権は、この大失敗を奇貨として「普通に生活」をする上で、あまりお金のかからないシステムを構築するよう最大限の努力をして欲しいものだ。

■一気にやったら、多大な血が流れるので、すこしづつ「生き方」を路線変更していくしかない、と思うのだが、では「あまりお金のかからないシステム」、たとえば東京オリンピックのころの生活に、歴史の歯車を戻すことが出来るかというと、なかなかむずかしい。と、なると、あとは考えたくない事態が招来する……。

■今は、将来に曙光を見つけ出すための努力をしたいもの。幸い、ぼくの周囲には、「やる気」や「志のある」若者(といっても20代後半から30代)がいるので、彼らに「文化」の一端でもバトンタッチしたいもの。彼らの圧倒的多数が女性ということも、この時代を象徴する事態かもしれない。

■過日、旧知の某新聞社の女性論説委員と話し合ったときも、日本社会はまだまだ「男社会」だということで意見が一致した。家庭内では「女・優位社会」のようだが、社会はちがう。「女がリーダーになったらダメ」という人が、オッサンばかりでなく、案外女性にも多いが、それは身近に「知っている女」をあてはめて考えるからである。世の中には要職やリーダーの位置についても男以上に立派にやっていけそうな有為の女性は沢山いる。一方、これは「困った女性だな」と思える女性も多いことは、否定しない。そういう女性が「権力」をもっている組織をよく知っており、じっさい困った状態に陥っている。
 しかし、その種の「困った人」は男にも多く、男女差はないといっていい。
by katorishu | 2008-12-22 23:05 | 社会問題