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 1月31日(土)
■昨日、乃木坂のコレドでの現代川柳の句会に久々に顔をだす。一口に「川柳」といっても古川柳やサラリーマン川柳、万能川柳などがあり、一般には諷刺やくすぐり、あてこすりなどが川柳であると思っている人が多いようだ。

■「現代川柳」は一般に思われている川柳とはちがい、なにより個の人間を描く。心情の吐露といってもよく、短詞型文学といってもいいだろう。はじめて句会にきた人は一様に「こんなに深いものだとは思わなかった」と驚く。

■時実新子氏がはじめたもので、コレドでの句会もその弟子筋の人が主宰している。主宰者は川瀬晶子氏や杉山昌善氏。昌善氏はNHKの関東ローカル「いっと6県」で月1回(月曜)川柳コーナーをもっている。午前11時からの生放送である。以前は毎週やっていた。一度、視聴可能な地域の人は見て欲しい。

■今回の参加者は20名。さまざまな分野の人が参加しており、前もってつくってくる句と、その場で題をあたえられてつくる句があり、それぞれの題について選者が選ぶ。特選ほか、7、8句が選ばれる。

■終わったあとの歓談が楽しい。若い人はすくなく、中高年が多いが、広告関係者や編集者のほか、サラリーマン、主婦等々。酒を飲み最後まで残るのは常連メンバーだ。ぼくには校正者の「ゆい」さんの句が印象にのこった。独特の角度から詠み、なるほどといつも感嘆する。晶子さんは「かもめ舎」という機関誌を発行するそうだ。

■終わって、参加者の某氏にさそわれ銀座のマジック・バーに。トランプの芸に感嘆する。独特の雰囲気のある店で、この店からいろいろなマジシャンが巣立っていったそうだ。紹興酒などすこし飲み過ぎた。銀座、新橋界隈は月末の金曜夜というので、賑わっていた。一瞬、バブル時代を思わせるほどであったが、バーの経営者は「ここ何ヶ月でお客さんの数が相当減っている」と話していた。

■本日は、脚本アーカイブズの会議。アーカイブという言葉も、じょじょに社会的に認知されつつあるようだ。本日は対立点もすくなく、建設的な意見がでて良好な雰囲気。みんなボランティア精神を発揮し、意味ある「形」を残したいという強い思いをもっている。資金をどう確保するか、最大の難関だが、なんとか知恵をしぼり、早期に実現させたいものである。
by katorishu | 2009-01-31 23:37 | 文化一般
 1月29日(木)
■午前中から起きて仕事をしたので、夕方、銀座にでて「夫婦割引」でシャンテ・シネで映画『エレジー』を見た。ペネロペ・クルスとベン・ギングスレー主演の佳作である。演技派のペネロペ・クルス主演の映画は期待を裏切られることがないが、今回も予想していた以上の出来で、大人の「恋」をこういうふうに描くのかと感嘆した。

■監督は48歳の女性のイザベル・コイシェ。『死ぬまでにしたい10のこと』などを監督した逸材でスペイン人である。離婚し一人で暮らしている初老の大学教授が30歳も年下の教え子に恋をする。彼には20年来の女性経営者の恋人がいるが、女学生にのめりこんでいく。しかし、若者の恋とはちがい、さまざまな恐れをいだき、臆病になる。映画『ガンジー』アカデミー賞を受賞したギングスレーは微妙な男の心情を見事演じきっている。

■ペネロペ・クルス演ずるコンスエラはキューバ系のアメリカ人という設定で、そのへんに数多いる女学生ではない。演劇評論なども書き、テレビにも出演する教授と彼女の二人だけのシーンが半分以上つづくが、緊張した画面で、なにより知的な含蓄にあふれた台詞に満ちており、映像表現も繊細で無駄がない。久々に感銘をうけた映画だった。

■家庭というものに幻滅をしている教授が、ピューリツアー賞受賞の詩人の友人に報告するスタイルで展開していく。アメリカ映画にも、こういう知的で含蓄のある作品があるのである。こういう佳作が単館上映であり、多くの人に見てもらえないのは、大変残念である。

■以前、やはり日比谷のシャンテ・シネで見て強い感動を覚えた『涙のかわくまで』(これはスエーデン女性の脚本と記憶する)のときもそうであったが。
 フィリップ・ロスの原作ということもあって、予告編を見たときから見なくてはと思っていた。こういう作品に接すると「映画っていいなあ」とあらためて思う。ロビーでフィリップ・ロスの原作を買った。読むのが愉しみである。
 
■作品を書くうえで、いろいろと参考になった。そのまま真っ直ぐ帰るつもりであったが、深く感動したので目についたスペイン料理店にはいった。キューバ系のアメリカ人役のペネロペ・クルスが念頭にあり、スペイン女性が監督ということもあって、スペイン料理店を選んだのだが、パエリア料理もふくめ味が今ひとつだった。味に比べて値段も高い。銀座のど真ん中なので、仕方がないのかもしれないが。そういえば最近、酒場などでオッサン、オバサンの姿が急減したという気がする。大不景気の影響のようだ。
by katorishu | 2009-01-30 03:47 | 映画演劇
 1月28日(水)
■どこもかしこも景気の悪い話ばかりで、心温まる話がほんとうに少ない。三菱自動車が2008年末から、コスト削減策のひとつとして本社への来客に対し、コーヒーや紅茶を出すのを取りやめたという。これまでは、社内の喫茶店で提供されていたカップに注がれたものを、来客者に運んでいたという。

■さらに社内の蛍光灯を一部取り外したそうだ。主要企業でこういうケチケチ作戦をはじめたケースは初めてだそうで、だからニュースになった。実質的にいくらも節約できるわけではなく、それだけ大変なんだということを内外に示す目的があるのだろう。

■三菱ほどの大企業がこんなことをやっては、ますます消費は冷え込み、人の心も萎縮し、まわりまわって「車など買わない」ということになるのではないか。過剰な消費は問題だが、過剰な非消費も、社会に深刻な問題をもたらす。どんなに不景気になっても、人は物を食べるので、食料品などはそれなりに消費されるが、消費を削ることが「美徳」となると、社会の余剰部分で生きている人たちが生きられなくなる。

■文化芸術関連に従事している人などにも、深刻な影響がでているようだ。交響楽団などもぞくぞく消えつつある。豪華なホールや美術館などは「はこもの」行政でつくったので、金食い虫とわかっていても壊すに壊せず維持しつづけているが。社会から「遊び」の部分が消えていくことに危惧を覚える。

■最低限「食いつなぐだけ」のところに文化芸術は生まれない。バブリーな世の中にも感心しないが、日々の話題に夢がなく、悪くなる話ばかりなのも、困ったものだ。日本も大変だが、急成長した中国も、今後、大変な事態になりそうだ。日本もアメリカも、経済が深く中国とからんでいるだけに、中国経済の崩壊は大津波となって日本を襲う。

■天然の災害ではなく極めて人為的な政策によって引き起こされたのである。張本人は、グローバリゼーション(アメリカ化)こそ世界を幸福にするとして、カネ、カネ、カネの世界観を世界にひろめ、見事すぎるほど失敗してしまったネオコンやブッシュ政権である。これに追随したどこぞの国の指導層も罪なことをしたものだ。

■ひところ「この世の春」を謳歌していた彼らは、いま何を考えているのだろうか。欲張ったあげくに、すべてを失う。古来「愚者」が繰り返してきたことを、性懲りもなく繰り返す。歴史に学ばないから、こういうことになるのだろう。ただ、人類そのものは全体として、したたかで順応性に富んでいる。個々に傷つき、自ら命を絶つ人もいるが、人類そのものは恐らく数年でこの危機を乗り越えていく。願わくば、悪賢い人間ばかりが生き残らないよう願いたいものだ。
by katorishu | 2009-01-29 01:32 | 社会問題
  1月27日(火)
■映画「上海ベービー」をDVDで見た。以前、原作の小説を大変興味深く読んで、中国にもこういう奔放な女性を主人公にした小説があらわれたのかと感慨深かった。この小説、中国では発禁になったようだ。ココという若い女性の実存的な性的遍歴を素材としたもので、もちろん翻訳で読んだのだが、華麗な文体で魅了された。画家で不能の恋人と、妻子あるドイツ人との間で揺れ動く女性の情感を巧みに描いている。一方で、彼女は小説家であり、二人の男との間で揺れ動く心情は、小説の素材に間接的につながる。

■女性作家の作品で、恐らく自己の体験をもとにしたと思われる。映画はひところのフランス映画を思わせる作りで、それなりに見せる。しかし、やはり小説の深さに及ばない。当然である。小説表現と映画表現とは別物なのだから。映画は実存主義の趣をだそうと、ヒロインのモノローグで筋を運んでいく。哲学的な言葉や味わい深いセリフも随所にさしはさまれていた。前編基本的に英語である。

■脇で出ているマダム役の顔をどこかで見たなと思ったら、松田聖子であった。彼女の英語の発音はなかなかのもので、認識を新たにした。こういうところで、松田聖子も頑張っているのだなと思った。「頑張る」という言葉が今こそ必要になってきた。ふよふよ、ふらふらしていても生きられた時代は過去のものとなった。時代のキーワードはサバイバル得である。したたかで、しなやかでなくては生きられない。

■本日は自宅から半径200メートル以内で過ごした。コーヒー店を2軒まわり計5時間、おもに原稿の推敲に費やした。初の時代小説だが、まあまあの仕上がりだと思う。編集者にようやくできあがり、長いので削っている旨電話をいれた。

■夕方、カミサンとコーヒー店で落ち合い、半径200メートル以内にある蕎麦屋で夕食。焼酎を飲みながら、ある企画を考えた。日々夫婦でブレーンストーミングをやっているようなものである。この社会に、ささやかながら、なにか新しい価値を付加したい。先行世代から受け継いだ文化の精髄を次の世代に引き継いでいくことが、大事だと思う。
by katorishu | 2009-01-28 00:14 | 映画演劇
1月26日(月)
■「週刊東洋経済」の「新聞テレビの陥落」という特集を読んだ。マスメディアを代表するふたつの部門が崩壊の淵にあることが、具体的データで示されている。じつは数年前から、広告に頼る新聞と、広告にすべてを頼る地上波テレビのビジネスモデルは崩壊にむかうと指摘されてきた。それが金融恐慌によって加速されたということである。

■崩壊するといってもゼロになるわけではない。業界の再編は必至で、過去10数年で銀行が淘汰されたのと同じ傾向をたどるのだろう。すでに某テレビ局が某テレビ局を吸収するとかしないとかの情報が流れている。本日も別件で会った某新聞社の編集委員氏などとこの話題を話し合った。

■他の産業と同様、有効な処方箋は今のところ見つけにくい。一方、「週刊ダイヤモンド」では野口悠紀雄氏が、日本の輸出産業の惨状について書いている。
《 08年12月の数字は、対前年比で見ると、総輸出額は35.5%の減となった。地域別に見ると、対米が36.9%の減、対中国が35.5%の減となっている。
 品目別に見て落ち込みがもっとも激しいのは自動車であり、対前年比は45.4%の減。対米の自動車輸出は、52.6%の減という信じられないような値だ。輸出が1年前の半分以下になるというような事態は、これまでなかった異常事態である。》

■今後、輸出に頼る産業の回復はなかなか望めないのではないか。外需依存で急成長してきた中国は、日本以上に危ない状態であるという。日本はまだ内需に対する潜在能力をもっているが、中国の内需はこころもとない。昨日よりも今日が、今日よりも明日がよくなると信じて堪えてきた人たちの不満が爆発し、今後どんな事態になるか予断を許さない。

■日本は今後、内需を拡大するしか手はないようだ。内需依存の経済構造に転換できれば、崩壊は防げる。ひとつの例は介護サービスなどにより多くの資源がまわされる経済であり、その他の高齢者支援公的サービスの増加も考えられる、と野口氏は指摘する。

■「小泉改革」以降、外需依存になりすぎた日本経済のツケが今やってきているのだと思う。「小泉改革」を後押しした経団連の幹部たちは、ほとんど外需によって大儲けをしてきた企業の経営者である。経団連の構造改革も政官の構造改革とならんで必要になってくるだろう。そういえば、新聞テレビも「小泉改革」を相当もてはやしたものだ。

■既存の柱が崩れることで傷つく人も多いが、見方をかえれば、そこに新たなチャンスも生まれる。過去に何度もあった大危機を日本人は乗り越えてきた。なにもかもメチャクチャになる懸念が依然として去らないが、なんとか今回も乗り越えられるはずと思いたい。回復不能になる前に早く指導者を変えて、内需依存の産業の育成や、環境や介護などに強く配慮した政策を打ち出す必要があるのだが。指導層は「既得権益」層であるので、理屈ではわかっていても、自己保身から、恐らく大きく舵を切ることができないにちがいない。早く指導層をかえないと、回復不能の域にいってしまうと、思うのだが。過去の大恐慌がそうであったように、戦争による「回復」だけは御免こうむりたい。
by katorishu | 2009-01-27 00:42 | 新聞・出版

この世は常ならず

 1月25日(日)
■昨日、久し振りに新宿で芸能関係者と歓談。シナリオライター、プロデューサー、某有名女優、男優等々、みんなよくしゃべる。オバマ大統領の演説などが話題になる一方で、日本のテレビや新聞界の惨状も話題になった。26日発売の「週刊東洋経済」が「新聞・テレビの崩壊」を特集に組んでいるそうだ。以前からいわれていることで、「週刊ダイヤモンド」も同じような特集を組んだ。現在の新聞・テレビは3つぐらいになる可能性もある。

■銀行もすでに合併合併の連続で、いくつかのメガバンクに統合された。時代の波や人々の嗜好にあわせて、ビジネスも再編を繰り返す。この世には何一つ永久不滅のものはないので、当然のことである。常ならず、つまり無常こそが、この世の姿である。

■寝床で「昭和金融恐慌史」(高橋亀吉、森垣淑著・講談社学術文庫)を60ページほど読んだ。昭和に先立つ、明治や大正期にも、銀行のとりつけ騒ぎなどのパニックがあったことを、初めてしった。人は同じような愚を性懲りもなく繰り返していることが、よくわかる。現代の「大恐慌」について考えるヒントになる古典的著書であり、おすすめしたい本だ。

■例によって炬燵で眠ってしまったので、床についても眠気がやってこない。で、こんな本に手がのびたのである。眠気を催させるために読み始めたのだが、面白くてやめられそうになくなった。目の疲れで読むのをやめたが、政治史、文化史、経済史にせよ「歴史」は面白い。「愚者は体験に学び賢者は歴史に学ぶ」とよくいわれるが、確かにそうだと思えることが、しばしばある。
by katorishu | 2009-01-26 02:09 | 文化一般

嫌な言葉「雇い止め」

  1月23日(金)
■夕べ炬燵に横になったままテレビを見ていてそのまま数時間眠ってしまったので、そのあと眠気がささず、結局、睡眠不足で時差ボケ状態の一日。週の半分ほどは時差ボケ状態なのだが、会議とか打ち合わせとか大事な時に限って時差ボケになることが多い。

■時差ボケで放送作家協会の理事会に出席。目がしょぼつき、脳機能が低下し、しゃべるのも億劫。だが、報告しなければいけないこともあり、黙っているわけにもいかない。週のうち半分が時差ボケ状態というのは、困った生活習慣であるが、これは持病のようなものだ。なにしろ物心ついてから、ずっと睡眠障害に悩まされてきたのだから。

■「デリケートであり、感受性がそれだけ豊かなはず」と良いように思うことにしているが。
 駅の売店で久し振りに東京新聞の夕刊を買った。40円である。他の大手新聞より値段は安いはずだ。その一面トップに「京大100人雇い止め」という見出しがでていた。なんのことかと思ったら、京大が2010年度中に契約期限を迎える非常勤職員の約100人について、契約を更新せず、雇いをやめるということである。国立大の予算は年々減らされており、例えば京大では年間10億円づつ減らされているという。非常勤職員を5年契約で契約するようになっており、その「第一期」の人たちを、更新しないということである。

■「国立」という名のつく組織の無駄も多いはずだが、研究教育機関にまで経済危機の津波が押し寄せているのかと思う。非常勤職員といっても、専門性を必要とされるに違いない。今後の研究に支障をきたさなければよいのだが。

■本日も株価は下落し、会社倒産も急増等々深刻なニュースがあふれる。経済停滞の底が見えず、このまま経済が萎縮していくと、憂慮すべき事態になる。地球の環境を考えると、大量に消費する「経済発展」は考えもので、少々停滞したほうがいいとは思うが、「一気に」「急速」に低下すると、対応できない組織や人が多くでてくるので、問題である。

■昨日発売の週間新潮が「今もなおマスコミに露出をつづけている」竹中平蔵氏を批判する記事を載せていた。同じく「市場原理主義」をあおった経済学者の中谷巌多摩大学教授は「自分はまちがっていた。謝罪する」と非を認めた。一方、竹中氏は未だに、「日本の経済停滞は改革が中途半端だから」と主張しているという。経済問題など、ある程度時間がたってみないと、善悪の判断をくだせないこともある。小泉竹中改革は、その前のバブルとその急激な崩壊の結果、もたらされたものであり、その前のバブルをあおり、急激に息の根をとめた政策等も、経済劣化の遠因になっている。誤った政策をとった指導層も、昔であったら切腹ものだが、今は我関せずとばかり、年金生活にはいり、優雅に上品に趣味的生活を営んでいるようだ。

■そもそも、多くの国民が小泉氏にあれほどの票を投じたのである。「小泉改革」に大量の票を投じた人たちは、今何を考えているのだろう。マスコミに、ああも単純にナイーブに踊らされる国民に、当時、あきれたものだ。ぼくの周囲には(知っている限りだが)、小泉改革に批判的な人が圧倒的に多く、イラク戦争にも強く反対していた。イラク戦争にいち早く支持を表明し、ブッシュ政権と密着した小泉元首相。彼の辞書には、反省などという言葉はないのだろうか。「改革改革」「自民党をぶっこわす」と叫びながら、こわしたのは旧田中派の「経世会」だけ。官主導の利権構造を温存し、ちゃっかり息子さんを「世襲」させるようだ。

■小泉元首相がイラク戦争に反対を表明していたら、ブッシュはイラク戦争に突入したかどうかわからない。イラク戦争に日本が反対したら『日米同盟をそこない、経済に支障をきたす』などと識者と称する人が盛んに発言していたものだ。今、彼等の多くはアメリカが引き起こした惨状について、口をぬぐったままだ。歴史に「もし」というのは意味のないことというが、それでもなお、もしあのとき、おごれるアメリカにナイーブに同調せず、それはまずいとをいえる日本であったら、こんな惨状に陥っていなかったはずだ。

■イラク戦争の膨大な戦費捻出のためにも、アメリカ経済は膨張をつづける必要があり、その延長上にサブプライムローンや金融工学などで常に巨額の「利潤」を出す必要があった。世界第二位の「経済大国」であった日本(の指導層)は、ただアメリカのネオコンの「妄想」を後押しする働きをし、いまのような惨状に「手を貸した」。この惨状、まだ「序の口」であることが、怖い。
by katorishu | 2009-01-24 09:09 | 社会問題
 1月22日(木)
■両国駅近くのベニサン・ピットに芝居「かもめ来るころ」を見にいった。知人の斉藤とも子さんが出ていることと、ベニサン・ピットがこの芝居をもって閉鎖されるというので、見に行った。
 ベニサン・ピットは町工場の倉庫を芝居小屋に転用して、数々の感動的な芝居を上演してきた場所で、知る人ぞ知るである。

■どういういきさつで閉鎖になるのか知らないが、芝居小屋や稽古用に貸し出しているのでは、採算がとれないのか。あるいは「大恐慌」の影響を受け、持ち主は手放す羽目になったのか。それとも、ビルにでも建て替えるのか……。いずれにしても、残念なことである。
 「かもめ来るころ」は「豆腐屋の四季」などの作品で知られる大分在住の松下竜一夫妻の物語で、この芝居では松下竜一を高橋長英氏がその妻洋子を斉藤とも子が演じる。「二人芝居」であり、合間合間に挿入される竜一作の短歌が効果的。

■多発性肺のうほう症という難病をかかえて松下竜一は、家業の豆腐屋をつぎ、友達もいない孤独な青年期を送った。が、30歳になったとき、11歳したの洋子を見初め、結婚にこぎつける。その後、豆腐屋の日常をかきとめた本を自費出版する。庶民の日常を淡々とつづった心温まるエッセーで、これが講談社で再発行され、ベストセラーになる。
 それをきっかけに竜一の生活は一変する。豆腐屋をやめ「文筆稼業」に転身するが、「売れない作家」なので、3人の子をかかえ貧乏つづき。妻の洋子にささえられながら、執筆活動をつづけるうち、「公害」の問題にいきあたる。

■大分県中津市の海沿いにできる火力発電所が海を埋め立て、自然を破壊するとして反対運動をおこし、病身でありながら、巨像に立ち向かう一匹の蟻のように「ドンキホーテ」のような戦いを演じる。市民運動の先駆けのような人物である。
「便利になるまで、人は不便を感じなかった。便利さを求めるようになって、人は不便を感じるようになったんだ」といった意味の台詞を、竜一がはくが、納得できる言葉である。作・演出はふたくちつよし氏。
 
■現在の日本人が失ってしまった「何か」がこの夫婦にはある、と感じさせてくれる舞台であった。最近多いオーバーアクションの、笑いをとろう、とろうという見え見えの芝居ではなく、一頃の新劇のように真摯にとりくむ芝居作りが、かえって新鮮さを感じさせてくれた。いわゆる「新劇」はあまり好きではなかったが、それが新鮮に感じられるほど、今のはやりの芝居やドラマが「ひどい」ということかもしれない。もちろん、例外はあるが。
 連日満席のようで、ぼくの前の席には薬害エイズ訴訟で有名になった川田龍平氏とその母、および妻のノンフィクション作家の堤美果氏の姿があった。彼等は大変感動していたようだ。


■観客には顔見知りの芝居関係者が多かった。いつもであったら、そのあと、近くの飲み屋にでもいって歓談するのだが、風邪をひきそうなので、両国駅近くの博多うどん屋で、暖かいうどんを食べて帰る。
 そのほか、午前中から諸々、人にあった。「テレビも末期だね」という話題が多い。作り手だけではなく、受け手にも問題がある。以前のテレビドラマなどには「かもめ来るころ」のような、深く考えさせてくれる作品が多かったのに。漫画的作品ばり。そのほうが「数字」がとれるのだという。数字をとらせてしまう受け手の劣化も問題である。こういう芝居をわざわざ見に来るお客は少数派であり、テレビや政治になかなか彼等の思いが反映されない。
 
by katorishu | 2009-01-23 09:58 | 映画演劇
  1月20日(火)
■日本時間、21日の未明に行われたオバマ新大統領の就任式を見た。CNNのライブで見たのだが、アメリカ国民の彼に駆ける期待は大きいと、あらためて思う。ヨーヨーマのチェロ演奏などがあって、ワシントン時間、12時ちょっ過ぎにオバマ氏は宣誓をした。いい顔をしている。知性と活力に満ちている。

■これほどアメリカ国民が祈る思いで注視した人物も珍しいのではないか。ブッシュ政権でダメにしたアメリカを、オバマなら再生してくれるものと期待しているのである。祈りをこめて見守る国民の気持ちは、わかる。原稿などを読むのではなく、自分の言葉で国民に語りかけるスピーチで、格調の高いものだった。この国に信頼が失われており、課題が多い。しかし、アメリカはこれらの困難な課題に立ち向かうことができる……等々。

■すべてが平等で、すべてが自由であり、すべてにその機会が与えられている。アメリカの偉大さは、他から与えられるものではなく、勝ち取るものである……。経済の現状は行動をうながしている。政府が大きいか小さいかであるかは重要でなく、機能するかどうかが重要であり、これまでのやり方を変えていく。われわれは慎重に力をつかったときにこそ、力を発揮することができる。世界は変わった、われわれも変わらなくてはいけない。

■希望と美徳をもって、厳しい試練を乗り越えよう……と力強く訴えた。感動的なスピーチであったと思う。ただ、国際問題研究家の田中宇氏によれば、オバマ大統領への期待とは別に、アメリカの再生はかなり難しいとのことだ。金融の劣化は底なしがつづき、投資銀行の破綻の波が大手商業銀行にもおよんでいるらしい。アメリカと特別な関係をもつイギリスも大変深刻な事態で、金融機関は膨大な公的資金を注入するあまり、財政破綻の危機に瀕しているという。

■ひところ経済破綻の典型的な国としてアルゼンチンが引き合いにだされ「日本がアルゼンチンになる日」といったタイトルの本もだされたが、世界のほとんどの国が「アルゼンチンになる」可能性もでてきた。ノーベル賞クラスの「叡智」をあつめて、「数値化」できないものをも敢えて数値化して「新しい科学的システム」を構築し、これこそ世界の理想の制度であると喧伝した。

■グローバリゼーションという面妖なシステムだが、それが見事失敗した。なによりそこには「人の情」といったものがなかった。この世には数値化できない価値、数値化すると真実から遠くなってしまうものが沢山ある。それを無視して、「科学的に理想のシステム」ができると思い込んだ。これは共産主義こそ人類の理想と喧伝していた人たちの言い分と、相当部分重なる。

■「産業革命」によってアングロサクソンが築き上げてきた「近代文明」の弔鐘が、今鳴っているのである。
 本日、脚本アーカイブズについて、朝日新聞文化部記者の取材をうけた。2月10日ごろの朝刊に載る予定。取材されるついでに、こちらから新聞界の現況について「逆取材」をしてしまう。この類のことは公にできないが。

■多少ともマスメディアの裏側を知っている人間には公にできないことが多い。仕事をしていく上での「仁義」もある。仕事は科学や数値で割りきれるものではなく、切れば血のでる人と人との関係で成り立っていることが多い。「日本的経営」の基盤はまさにそういうものだった。「家族主義」であり、経済学などの科学では、説明できない。

■アジアという視点も、今後大事になってくるだろう。未だ英米が軍を送り、軍事的増強を考えているアフガンもアジアである。英米の財政悪化から、アフガンへの軍の駐留は困難、という見方もでている。オバマ新大統領が、ブッシュ政権の描いた「テロとの戦争」などという「物語」から離別して、アフガンからの撤兵を打ち出せたら、あるいはアメリカの再生はあるかもしれない。

■一方で、大恐慌に匹敵する経済停滞、消費の停滞から脱出するには、膨大な消費事業である「戦争」を起こすしかないと考えている人もいる。たしかに戦争に勝る大消費はないのだが……。依然としてアメリカが軍事大国であることに変わりはなく、ロシアも膨大な核兵器を備えている。
 戦争だけは回避願いたいものだ。先行き明るいことが少ないが、ここは束の間であってもオバマ氏に期待をかけたい。そこにしか希望が見いだせないというのも、現代世界の悲しい現実である。
by katorishu | 2009-01-21 02:41

数字万能社会は問題

 1月19日(月)
■去年末の健康診断の結果、目が要注意とのことだった。ほかは正常値なのだが。同じ病院で同じ日に、カミサンも一緒に受けたところ、二人とも目の検査で、要注意という結果。症状がまったく同じなのである。文芸美術健康組合の定期健康診断である。あるいは機械が原因では……と思ったりする。某クリニックでの検査であるが、最初に体温をはかる際、体温計がみんな一様に高い数値がでて、おかしいという声が続出していた。

■体温計が古すぎるのである。ぼくがはかった体温計も、ぴぴっと音がでて取り出すと、数字が表示されるのだが、係のところにいく間に表示の文字が消えてしまう。
 こういうクリニックで、カミサンと目にまったく同じ症状がでたことは、どう解釈したらいいのか。同じ眼底検査等の機械で検診したのである。二人とも毎日、パソコンにむかっている時間が一日10時間を超えるので、目が傷んでることは確かだが。

■眼科専門医院で見てもらったほうがいいのだろう。健康診断が病気のもとをつくる、といった特集を以前、週刊誌で読んだことがある。健康なのに悪い数値がでて、必要もない医療をうけたり、ストレスから体調を崩したりするのである。

■医療器具ではかられる数値などは、かなりいい加減で、以前、体重がもっとも低かったとき、肥満という数値が出た。まったく納得できない。数字最優先の時代であるが、あまり数値を信用しないほうがいい。数字など、目安程度にとどめておくべきだろう。しかし、多くの人が自分の眼力や想像力、推理力、判断力に自信がないので、なんでも数値に頼る。数字を科学と置き換えても良い。数字、科学万能社会は、人にとって何か大事なものを、捨て去る機能をもっている。

■現実には数値が、なにより力を発揮する。売上高など数値に正確に繁栄されるが、そうでないものも、数値化する傾向が強くなっている。数値に置き換えられないことにこそ、価値があるかもしれないのに。
by katorishu | 2009-01-19 23:57 | 個人的な問題