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 2月28日(土)
■趣味は?と聞かれると、昔から映画・演劇鑑賞と読書と答えることにしている。それと「町をぶらぶら歩くこと」であろうか。いわゆる「ウオーキング」ではない。さあ歩くぞといわんばかりに手を振り足を大きく前にだし、それなりの衣装をきた「ウオーキング」には、どうもなじめない。ぼくのは、普段着でリュックを背負って、ただぶらぶら歩く。路上徘徊といっていいかもしれない。

■以前は大きな鞄に原稿用紙や資料類をいれていた。もう随分前だが、住んでいた町の住人に「おたくはセールスマンかなにかですか」と聞かれたことがある。勤め人にしては「大きすぎる黒の鞄」をいつも持っていたからだろう。自然のなかをゆったりと散策するのともちがう。雑多な人間の暮らしが見える道がいいのである。できれば路地である。

■本日も午後から旧東海道を歩いて品川図書館にいき、また旧東海道をもどって品川シーサイドあたりまで「徘徊」。旧東海道の両側には、間口一、二間の小売店がならんでいる。和菓子屋、三味線屋、仏壇屋、畳屋、文具屋等々。界隈は戦災にあわなかったというから、恐らく戦前からつづいて商売をやっている人も多いのだろう。そんな店の間に、中国人の経営と思われる中華料理屋や中国式のマッサージ店などがある。いついっても客のいたためしのないマッサージ店があり、中国人経営のようだが、あれでよく経営が成り立つものだ。

■突然、中国の上海に興味をもちだし、資料類をよみはじめた。今の上海ではなく、「魔都」といわれた1930年代の上海である。フランス租界があり、日英米の特務らが、国民党、共産党員などと水面下で暗闘を繰り返していたころの上海である。ある映画を見ていて、突然、浮かんだストーリーがある。東京、横浜、上海、ロサンゼルスを舞台にした物語で、日本人、中国人、アメリカ人が登場する。現在から時間をさかのぼりつつ、人間関係の妙と秘密を解き明かす物語だ。数10秒で思いついた。カミサンに話すと、「それは面白い、いける」という。子供のころから「気分屋」で「調子に乗りやすい」ので、思い立ったが吉日とばかり、関係書籍を読み始めた。

■実在の人物で数奇な人生を生きた女性がいる。OSKの踊り子をやっていて突然、上海にわたり、戦後日本で外車のディーラーなどをやって「資産家」になった女性で、すでに故人である。その甥っ子の某通信社カメラマンから、叔母の話はノンフィクションとして面白いですよといわれて、関係者に取材したことがある。情報や資料が不足しており、ノンフィクションは無理、とあきらめた。せめて当人か当人をよく知る人の日記や手紙類が残って入ればいいのだが、残っていなかった。その女性のことが下地にあったので、不意に思いついたのかもしれない。

■「よし、これを書こう」と思うときが、いちばんワクワクする。とりあえず、活字で書き、形になれば、映像化も……と考えている。というより、映画を見ていて思いついたので、映像向きの素材である。
 最近、監督をやり脚本も当人が書く――というケースが増えている。原作があって「大作」の場合、そのケースが多いようだ。一方、脚本家がじぶんで映画を監督するケースも増えている。知人の脚本家が何人も、監督にチャレンジしつつある。自分がつくりたいものをつくりたい方法でつくるには、脚本・監督を両方やったほうがいい。できればプロデュース、原作も。

■時代はその方向に流れている。脳科学者の茂木健一郎氏が「創作力とは脳の記憶量×意欲である」とどこかで書いていた。年齢をへた人は当然、脳の記憶量も多い。これに意欲が加われば、創作力が増え、佳作をつくれる可能性があるのである。問題は、ゼニである。地獄の沙汰も金次第、と昔の人はいったが、人類社会がつづくかぎり永遠の問題なのかもしれない。
 ところで、明日から京都、大阪。仕事と「脳の休息」をかねて行く。パソコンはもっていくが、ネットにつなぐかどうかわからない。つながなければ、メールも見ないし、当然、このブログも書かない……。考えてみると、東京都の範囲をでるのは、昨年の夏以来のことである。敢えて縮こまっているわけではないが、そのくらい行動半径が狭くなってしまった。
★訂正。東京都の範囲を出るのは去年の夏以来というのは、間違いでした。今年1月長崎にいっています。新幹線に乗ったのが、それ以来ということです。記憶力の衰えを実感します。 
by katorishu | 2009-02-28 23:06 | 個人的な問題
  2月27日(金)
■雇用の悪化がとまらない。調査の度に経済に関するさまざまな指標が悪化している。そんななか相変わらず政治の無策がつづく。総選挙をして民意を問い、民意にささえられた政府が、力強く危機回避の政策を打ち出さなければいけないのに。
 朝日ニュースターで、中谷巌氏がマーケットメカニズムにまかせておけば……基本的に諸問題をマーケットメカニズムが解決してくれるというアメリカ型のグローバル資本主義は、破綻したと強調していた。中谷氏は当初、市場原理主義を肯定し、これを推し進めるための旗振り役をやっていたが、所得格差の拡大や社会のモラルの崩壊などに直面し、これが誤りあったと公に率直に認めた。

■人は時に誤りを犯すものである。(ぼくなどしょっちゅう小さな誤りを犯している)。だから、誤りをあらためることに恥じることはない。中谷氏によれば、アメリカでは上位1%の所得の人が、富の総額の8%を所有していたのだが、この30年で、1%の人が富の30%を持つようになった。所得格差の拡大は社会を不安定化させる。事実、市場経済原理主義は、世界経済のシステムを不安定化させるとともに、地球環境の悪化をもたらした。

■自らの過ちを率直にみとめと共に、スカンジナビア(北欧)型の社会システムこそ、めざすべき社会であると、中谷氏は反省をこめて語っていた。北欧では所得の75%を税金でとられるが、それに見合うさまざまな手厚い社会保障等があり、失業しても何も問題ない。リタイヤしたらデンマーク人であるだけで月30万円をもらえる。だから、高い税金をとられても将来に不安を感じない。貧困とか所得格差もおきないし、ほとんどの国民はハッピーに暮らしているという。

■生活が完全に保証されてしまうと、「働かなくなる」「勤労意欲が失われる」といった俗説があるが、スカンジナビアの人たちの労働意欲は高いという。フィンランドなどは携帯電話ノキアなど、世界でトップクラスのブランドを誇っている。教育程度も高い。「社会民主主義的で」「リベラルな」社会である。これが日本の今後目指すべきモデルではないのか。

■じっさい、日本人の多くが「中流意識」をもっていたころの日本は「社民的」なシステムであったといっていいだろう。極端な金持ちもいないかわりに、貧乏人もすくない。中間層が多い中庸の社会であった。「村社会」などといわれたものの、「共生社会」でもあった。国際情勢の変化があったにせよ、アメリカ主導の「金融資本主義」が自壊したあと、日本のめざすべきモデルは、むしろ過去の中にあると思うのだが。

■本日、六本木で日本放送作家協会の総会があり、そのあと喫茶店にはいったのだが、人影はまばらだった。金曜の夜7時前後の盛り場であるのに、ひところからは考えられない光景だ。コーヒー一杯が900円ほどの比較的高い店ではあるが、数ヶ月前とは、大きく様変わりしてしまった。多くの人が不安心理にとらわれ、萎縮してしまっているようだ。今はまだ経済劣化の「序曲」である。生来、オプチミストのぼくでも、ペシミストになってしまいそうだ。
by katorishu | 2009-02-28 00:09 | 社会問題
 2月26日(木)
■雑誌の「創」で鈴木邦男氏が書いていることだが、佐藤優氏(外務省休職中)は、時間の管理が徹底していて「1日4分割」を実行しているという。1日は24時間しかないが、そのうち睡眠に6時間、読書に6時間、執筆に6時間、あとの6時間を人にあったり雑事をこなす、とのことだ。

■「1日3分割」をいう人はよくいるが、4分割をして、きっちりそれを実行している意志の力はすごい。旺盛な筆力と、独自の知識で世界の中の日本や交際関係や外交問題について、卓見をはく佐藤優氏。鈴木邦男氏は1日6時間の読書というのが「すごい」と記している。

■学者なら研究のための読書をその程度は日々行っているはずだが(最近の大方の大学教授はそうでもないようだが)、佐藤氏の該博で多方面にわたる知識は1日6時間の読書の賜である。
 ぼくなど、1日平均すると読書にあてる時間は細切れではかったこともないが、3,4時間といったところかもしれない。電車などの乗りものなかで、ほぼ1時間、寝床で2時間ほど。あとは喫茶店などで1時間ほどか。圧倒的に読書の量も質も不足していると感じている。

■仕事関係の資料等の読み込みに使う時間が多くなり、脳の記憶を豊かにし、思考を鍛えたりするための読書となると、1日、1時間程度かもしれない。
 必ず読むべきだと思って購入する本は多いが、とてもこなしきれない。複数の図書館から常時、7,8冊かりているが、これも仕事関連が多くなる。仕事に直接関係のない読書をしないと、どんどん思考力が鈍ると自分でも感じている。

■「はじめに言葉ありき」というが、人が「人」として動物からわかれた原点に言葉があった。われわれが思考をめぐらせるとき、言語をつかっている。言葉は日々錬磨していないと、劣化するものである。おうおうにして、当人は鈍っていることに気づかないものだが、劣化に気づかないこと自体、深刻な劣化がすすんでいる証拠である。

■仕事の連絡等は、このごろたいてい携帯電話でする。だからこそ、「町が書斎」などといっていられるので、ありがたいツールが出現したものだが――。
 中学生や高校生が携帯メールにつかう時間が、看過できないほど膨大になっているらしい。昨日新聞で読んだ記事によると、2割の中が二年生が毎日50通ものメールのやりとりをしているという。それも夜の10時や11時すぎに多いという。当然寝不足になる。本なども読む時間もないだろう。

■脳がまだ柔らかくて、鍛えれば機能が豊かに向上する時期に、友人とのメールのやりとりなどで膨大な時間を浪費する。ゲームなどに費やす時間も多く、それだけで一日は終わってしまう。携帯電話等の関連会社の利益は増えるかもしれないが、社会全体から見て、大きな「損失」である。それより、本もよまずに、携帯をぴこぴこいじって一日を終える中高生の姿は、「知の劣化」の象徴的な光景といっていいだろう。
by katorishu | 2009-02-26 23:38 | 文化一般
  2月25日(水)
■山あれば谷あり、谷あれば山あり、というのが人間生活の実相のようだ。個人的には悪いニュースのあとには、良いニュースもある。とにかく、いろいろとやるべきことが多く、時間がいくらあっても足りない。「退屈」などと無縁というのは、良いことというべきか。

■気分転換には映画館で映画を見るのがいい。夕方、品川プリンスホテル内にある映画館「ゼロ」でクリント・イーストウッド監督の映画『チェンジリング』を見た。息子が行方不明になり、五ヶ月後に見知らぬ子供を「あなたの子供だ」と押しつけられた母親の苦悩を描いたもので、実話にもとずくものだという。

■ときは1928年のロサンジェルス。警察の腐敗の犠牲にされる母親の苦悩や焦りをアンジェリーナ・ジョリーが、全身全霊で演じきっている。ラストで、並のハリウッド映画であったら、行方不明の子供がもどってくる――という展開なるのだろうが、そうはならない。最後に母親のいう台詞は「HOPE」希望である。1929年は世界大恐慌の起こった年である。

■「ネオコン」などろくでもない欲望の権化のような人がいるかと思うと、こういう作品をつくる才能も併存するアメリカ。さすがアメリカ、と思う。
 登場する子役もうまい。脚本もいいが、役者の演技がすごい。クリント・イーストウッド監督の作品は見て損をしたということがないが、今回も見てよかったと思った。

■クリント・イーストウッド監督の映画は、社会派の硬質な作品が多く、なにより人間を深く描き込む。人間の醜さをえぐる一方で、根底に人間への強い愛情が宿っており、ふっと心が浄化される。こういう映画をみると希望がわく。懸案の「大作」も粘り強く実現にもっていこうと、あらためて思ったことだった。

■『チェンジリング』とは、民話で妖精が子供をさらい、代わりに残す醜い(ばかな)取り替えっ子、すり替えられた子を意味する。巧みなストーリーテリングで142分の長丁場をまったく飽きさせずに見せる。『おくりびと』などとともにぜひ映画館で見て欲しい秀作である。

■ハリウッド映画にもくだらないものが多いが、こういう秀作もつくられる。この作品がアカデミー賞を受賞しても、おかしくない。作中、アカデミー賞の授賞式のラジオ中継などが挿入される。『ある夜の出来事』が受賞するのだが、それもさりげなく物語に組み込む。
 映画館は7割ほどの入りで、女性客が9割をしめていた。いつものことながら男は少ない。とくにオッサンの姿は皆無に近い。オッサンも、もうすこし映画館で映画を見て欲しいものだ。
by katorishu | 2009-02-26 04:22 | 映画演劇
  2月24日(火)
■映画「おくりびと」のアカデミー賞受賞で久々に明るいニュースが流れたものの、翌日にはもう暗いニュースのオンパレードである。
 株価の落下がつづき、底が見えない。これまで株なるものを1株ももったことはないが、今ほど株価の下落を懸念したことはない。アメリカのアリコ保険などをかかえるAIGが5,7兆円の追加支援をアメリカ政府に支援要請したという。自動車会社のGMとクライスラーが破綻の危機にあるし、もし破産申請した場合、3,8兆円の資金を政府に要請するという。アメリカ政府の財政も相当傷んでいるし、そんな負担に耐えられるのか。

■「アメリカのATM」の役割をはたしてきた日本に、アメリカは今も期待しており、現在訪米中の麻生首相に資金要請することもありうる。
 経済原理主義がこうも至る所にはびこったなか、カネがなくては今の世の中、なにも動かない。卑近な例でいえば、映画の企画も出版も、株価下落とその余波、影響で頓挫するか、停滞したままだ。「資金があつまらない」「売れそうにない」ということで、関係する組織が縮こまり……「面白い」「意味のあること」といわれながら、前にすすまない。他のいくつかの「プロジェクト」も暗礁にのりあげそうだ。

■アメリカの経済危機はオバマ新政権になっても、危機はそう簡単に解消されそうにない。なにより、底が見えないことが怖い。これはもう「大恐慌」そのものであり、「緊急手術」をしないと、大変悲惨な事態に至る。
 直接の原因をつくったのはブッシュ政権である。アメリカがここまで世界をめちゃくちゃにしてしまったことに、日本は無縁ではない。小泉政権の登場によって、対米従属は「かつてなく」強まり、日本からの資金がアメリカのバブルという火に油をそそいだことは否定できない。

■「会社は株主のもの」というアメリカ式の原理主義がまかりとおり、日本の伝統を根底からこわしてしまった。財界のご意見番といわれる品川正治氏(84,経済同友会終身幹事)が週刊朝日のインタビューに答えて「アメリカの真似はもうやめなさい」といっている。品川氏はに「日米で価値観を共有している」と市場原理主義者がいっているが、疑問を呈する。「世界でたったひとつ、原爆を落とされた国が日本で、落とした国がアメリカです。憲法9条を持つ国と軍事国家とが価値観が一緒なんて、そもそもあるわけがない」

■品川氏は「日本型の資本主義」を構築する必要があるという。「日本型の新しい資本主義とは、一言で表現すれば『人間の目で経済を見る』『人間を大事にする』ことに尽きます」
 品川氏は企業がひたすら成長をもとめることにも問題があるという。氏は保険会社を経営していたが、保険会社を大きくするためには「犠牲」がでるという。保険会社は社会のブレーキ役であり、全産業が成長をもとめてアクセルを踏んでいるときに、保険会社がアクセルをふんでしまったら、この国はどうなってしまうか、と警鐘を鳴らす。

■大企業の経営者の多くが「アメリカ帰り」であり「アメリカ式の経済こそ正しい」と頭から思いこんでいるので、そうなる。日本には日本の伝統があり、長年にわって築き上げてきた生活習慣や社会慣習がある。そこを無視して、「改革」とやらの美名のもとに、「アメリカ式」の弱肉強食の社会を築いてしまった。それで多くの人が幸福になればいいのだが、どこをどう見ても「幸福そうな」人は少ない。
by katorishu | 2009-02-24 23:30 | 社会問題
 2月23日(月)
■映画「おくりびと」(滝田洋二郎監督)がアカデミー賞の外国語映画賞に選ばれた。56年度(29回)に同賞が独立した賞になって以来、日本作品が受賞したのは初めてとのことで、久々に明るいニュースだ。脚本は構成作家の小山薫堂氏。
 試写会で見て、これはいいと思った。当ブログにも08年8月8日、「おくりびと」について記している。
 以下に採録します

★★★★★

『映画おくりびとを見た」
 09年8月8日(月)
■(略)……夕方、気分転換のためにカミサンと映画『おくりびと』(小山薫堂脚本、滝田洋二郎監督)の試写会に文京区の春日までいった。シビックホールという1000人以上はいれそうな大ホールである。マスコミ向けの試写だと、ずっと狭いのだが、こういう大ホールで見るのも久しぶり。

■『おくりびと』は死者を棺におさめる「納棺」という仕事についた、元チェリストの物語。この役を本木雅弘が好演していた。妻に広末涼子。納棺会社の社長を山崎努、事務員を余貴美子が演じていたが、いずれもいい味をだしていた。山形の酒田が舞台で、劇的なストーリーがあるわけではなく、たんたんと納棺にまつわるさまざまな家の物語を点描していく。

■本木役の男の父親は彼が6才のとき、女をつくって蒸発。ラストにこの父親が出現するのでは……と思っていると、案の定、死体となって出現し、30年ぶりに再会した息子が父の納棺をする。脚本のセオリーに従ったような展開だが、それまでの描写が的確で、人物の背景も描き込んでいるので、不自然さは感じない。小道具の使い方も巧みで、涙なしに見られないシーン。

■誰もが迎えなければならない「死」というものを静かに見つめた佳作であり、エンドマークがでたとき、会場から大きな拍手がわいた。演劇では当たり前のことだが、映画で会場から拍手……というのは最近では珍しい。それほど深い感銘を与えた証拠である。

■今年見た邦画の中では、今のところベスト3にはいると思っている。一般公開の折は、ぜひ見て欲しいものだ。日本映画も数は少ないながら、佳作が生まれつつある。滝田洋二郎監督の年齢を知らないが、比較的若い監督ではないのか。旧来の「映画屋さん」とは違った感覚と角度から描く才能が輩出しているようで、心強い。

■ただ、この映画にもテレビ局が深くからんでいる。宣伝配給等の面で、テレビのキー局がからまないと、制作がむずかしいのだろう。逆にテレビ局がからまないと、低予算の作しかつくれないとしたら、あまり歓迎すべき傾向でもない。地上波テレビのビジネスモデルが崩壊の危機に近づきつつある昨今、テレビ局にとって映画製作は「新しいビジネスモデル」でもあり、ここに力をいれるのは悪いことではないが。

■内容、素材ばかりでなく、作り方にも、もっと多様性があったほうが、映画が豊かになる。芝居を創るように、映画も個人や小グループが、自らの発意と創意をいかして創るようになれば、さらに日本映画は活性化する。ネックはいうまでもなく、お金である。行政が資金面でのバックアップを真剣に考えるべきときにきている、と改めて思ったことだった

by katorishu | 2009-02-23 17:25 | 映画演劇
 2月22日(日)
■テレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」が1000回記念だという。記念番組として本日は評論家の西部邁氏、桜井よしこ氏、中谷巌氏、姜尚中氏らの論客が出席した。みんな一様に指摘していたのが、物質的な追求ではなく、心のありかたが大事で、そのためには「過去の記録、記憶」を大切にすることであると強調していた。良くも悪くも、今は過去の集積である。つまり伝統の上にのっているのである。

■敗戦によって日本の過去の歴史や伝統は悪であるとして、歴史の記憶を消去するよう、アメリカ占領軍は政策としてうちだした。それに見事、戦後日本はのったのである。冷戦時代はそれでよかったのかもしれないが、冷戦後も、そのモデルでやっていけると思ったのが、間違いだった。その後のバブル崩壊、今の悲惨な経済崩壊が証明している。

■アメリカ化を単純素朴に受け入れ、それを極限にまで推し進めたのが、「小泉竹中改革」である、という点でも四人の論客の意見が一致していた。ぼくも日頃からそう考え、このブログでも繰り返し記してきた。小泉竹中改革の象徴である 「かんぽの宿」問題は「小泉竹中改革」の影の部分をあぶりだし、リクルート事件のようなスキャンダルに発展する可能性がでてきた。

■この問題、当初、朝日新聞も疑義をていした鳩山総務相の行為は「政治介入でおかしい」と社説で主張していた。その後、それを否定するような記事を載せているが、日経新聞はいまだ、郵政のかんぽ売却について肯定的で、西川総裁を擁護する発言をつづけているようだ。
 今に赤恥をかくので、真実を報道したほうがいい。この問題でぶれない鳩山総務相の人気が高まっている。金持ちのお坊ちゃんであるからこそ、あまり「もうけ話」などに首をつっこまない。「坊ちゃん議員」にも、なるほど買うべき美点はあるものだと思ったことだった。
by katorishu | 2009-02-22 22:34
2月20日(金)
■判断の基礎になるのは「情報」である。情報が少なかったり、間違っていると、人は判断を誤る。国家や組織はもちろん、個人でも同じことである。本日は、午後から夜にかけて「情報収集」に時間をついやした。歓談しながらの意見交換もふくめて、人間は面白い。愚かではあるが、愛すべきところもある。

■ところで、マスメディア等が報じないことで、今の日本の土壌の部分で大きな地殻変動が起きているようだ。プラスの地殻変動ではなく、マイナス面が多い。将来を考えると、かなり絶望的な状態というべきだろう。指導層の創意や努力でマイナスのかなりの部分をプラスに変えられるのだが、彼らには本気で危機を回避させる意志も意欲もない。

■なにより深刻さへの実感がないので、場当たり的でおざなりな措置しかとれない。私見では、日本がいったん「地獄」へと突き落とされるきっかけは、関東地方を襲う大地震ではないかと思う。ひところ「東海大地震」がくると騒がれたが、いまその話題についてほとんどのメディアが報じない。「忘れたころにやってくる」のが天変地異である。

■ナマズでないが、漠然と大地震が迫っていると感じる。そのとき、どこにいるかで生死がかわれる。いったんに世界が地獄の底におちたあと、人類は恐らく再生への道を歩き始めるにちがいない。そのときの世界は今とかなりの程度ちがっているだろう。リサイクルを大きな柱とした社会になっているとよいのだが……。
 出来ればその時まで生きて、この目で再生のプロセスを見てみたいものである。
by katorishu | 2009-02-22 02:38 | 社会問題
 2月19日(木)
■19日発売の日刊現代が次のように報じている。『「かんぽの宿」売却は、やはり日本郵政とオリックスのデキレースだった。総務省に提出した書類の中に、財務アドバイザーのメリルリンチ日本証券が入札前の段階で「オリックス不動産」を譲渡先に選ぶよう促した文書が含まれていた。文書では譲渡先候補の3社は別の単語に置き換えられ、日本郵政とオリックス双方に有利な取引にするノウハウまで記載。結局、オリックス不動産が選ばれた』

■鳩山総務相の異議で表面化したこの事件、やはりそうであったか……と「小泉改革」なるものの裏面を象徴する出来事として、国民は記憶しておいたほうがいい。
 内田樹氏がブログで、与党は敢えて「政治に国民が幻滅する」ようにしていると「うがった」見方を示している。政治があまりにバカバカしく「投票する気にもなれない」人が増えることを期待しているのだという。

■無党派層が投票所にいかなくなれば「組織票」をもつ党が相対的に獲得票を増やす――というのである。与党はどう考えても9月までに行われる総選挙で勝つ見込みはない。このままでは大敗しそうだが、国民が政治があまりにバカバカしいと感じ、投票に行く気もしなくなる……といった状態になれば、負けの程度が少なくなる。だから敢えて政治に対する嫌気を誘うようなことをしている、というのである。

■半ばジョークだが、一面であたっている。こういう「非常識」が「常識」になりそうなのが、現代日本政治の悲しい現実である。
 本日も近所の酒場は閑散としていた。比較的、収入の低い人が多くいくと思われる立ち飲み屋の一軒(値段がやや高いほう)には、午後の8時だというのに、客はゼロ。店員が悲しそうな顔で立っていた。あの店、今年の夏までもつかどうか。楽天の本社が昨年夏ごろ越してきたりして、界隈の居酒屋などは連日、大入りであったのだが、ここにきて急速にお客が退いている。みんなが一斉に財布のひもをしめてしまったら、全体が失速すると思い、金もないのに敢えてささやかながら消費をしているが。
「3月危機」をどれほどの企業や個人が乗り切れるのか、深く懸念される。
by katorishu | 2009-02-19 23:55 | 政治
  2月18日(水)
■目の前のビルの解体工事で午前8時から騒音が激しく、ずっと不眠状態がつづいている。夜早く寝て、朝早く起きればいいのだが、長年の習慣で早く寝付くことができない。ここ数日は特に地下の杭などをくだくので、騒音が激しいので……と「お知らせ」が郵便受けにはいっているものの、鬱陶しいことである。

■本日、散歩の途次、工事現場にでている工事の標示を見たところ、「石綿」の専門の取扱業者の名前があった。「石綿」とはアスベストのことである。肺に吸い込むと何十年後かに肺癌になる恐れがある。取り扱い専門家がかかわっているので、問題はないといいたいのだろうが、アスベストは微細であり、周辺の住民はすでにアスベストを吸い込んでいる可能性もある。

■もっとも、いまから数十年後は、いくら長生きの家系であったも、恐らく生きていないので、ぼく個人に限っては問題がないということもできるが。
 アスベスト問題は根が深い。最近、マスメディアもあまりとりあげないが、昭和30年、40年代につくられたスレート瓦などにアスベストを含むものが多く、木造住宅の解体工事などでは、「取り扱い専門家」なども厳密に介在していないであろうし、空に放出されてしまった可能性も否定できない。

■すぐに病気に結びつくわけではなく、長い年月がたたないと「結果」がでないので、危機感は薄い。しかし、日本中にアスベストがらみの建物や工場は無数にあるはずである。最近でこそ十分注意するようになったが、2,30年前まではアスベストが肺癌につながるという警鐘も鳴らされなかったし、すでに空中に飛び散ったアスベストは相当量あるのではないか。今後、「長寿国」日本の長寿に悪い影響をあたえるにちがいない。

■長い時間をかけて醸成されたものは、善悪は別にしてなかなか人の注意をひきにくい。現在、なんの「問題」になっていないことでも、将来的に大問題に発展することも多々あるにちがいない。携帯電話を子供のときから使用している子供や、パソコンに一日8時間以上連日むかっている人(ぼくもその一人)に、今後、思いもかけない障害がもたらされる可能性もある。

■逆に良い面があるかもしれない。いずれにしても、時間をかけて醸成されたものは、ある意味怖いもので慣れてしまい、影響に鈍感になる。蛙を水にいれ下から徐々に熱していくと、水が湯になり熱くなっていくのに鈍感になり、熱いと気づいて飛び出ようとしたときには、すでに湯だってしまっている……とはよく例にだされることである。これに類したことは実に多いはず。よほど心して、冷ややかに、この世を見ていかないと、気づかないうちに「空気」に染まって、判断停止状態になっていることも多そうだ。
by katorishu | 2009-02-18 23:58 | 社会問題