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 3月30日(月)
■小泉改革のブレーンで元財務官僚で東洋大教授の高橋洋一氏が銭湯の一種で現金や腕時計などを万引きしたとして、書類送検されたという。本人も認めており、手鏡事件などで逮捕されたものの強く犯意を否定した植草一秀氏とは違う。「高給腕時計をもっている人はどんな人だろうと思って」と高橋氏は話したということだ。最近テレビや雑誌などで盛んに発言していたが、この程度のモラルの持ち主かと唖然とする。学校秀才で旧大蔵省にはいった「エリート官僚」にして、このお粗末さ。

■テレビなどで見て、この人の面相もあまりよろしくないなと思っていたが、案の定である。本性が、気のゆるみから顕在化したということだろう。世の指導的立場にある人が、こんなていたらくでは、若年層にしめしがつかない。高橋氏には東洋大教授も辞任してもらいたい。この人がやめることで、ほかの有為に学者が教授になれるのだから。

■「身を律する」という言葉も死語になってしまったようだ。イワシは頭から腐るというが、社会も指導層から腐るようだ。生活に困った上での万引き等であったら、まだ情状酌量の余地があるが、本人はいったいどういうつもりでこういう愚を犯したのだろう。こんな人物が日本国の「経済運営」の舵取りの一人であったのである。世も末であるな、とますます思ってしまう。
by katorishu | 2009-03-30 22:44 | 政治
 3月29日(日)
■テレビには功罪があるが、最大の「罪」はいわゆる「タレント議員」を輩出させたことではないかと思う。大衆的な「人気」が最大の取り柄で、一種の人気投票のようにして選ばれる議員や知事たち。頭の良い官僚がかれらを掌の上で「踊らせる」のは簡単なはずである。

■もちろん、例外はあるが、ほとんどの「タレント議員」はあまり勉強もしていないようだし、知識不足、情報不足である。「ごもっとも、さすが慧眼」などといわれて自分の力で「改革」等が進んでいると錯覚しているムキもあるようだが、大半は官僚の描いたシナリオにそって「踊っている」だけといっていいだろう。

■千葉県の県知事選挙が本日、行われ、俳優の森田健作氏が当選した。いやはや、である。ほかの候補者が立派とはお世辞にもいえないが、「やっぱりタレントの人気は力になる」と多くの政治屋が思いこみ、この傾向に拍車がかかるとしたら、日本はなかなか窮状から脱することはできないだろう。

■本日のサンデー・プロジェクトで郷原元特捜検事が、「小沢問題」について検察の捜査はまったくの失敗であり、おかしいと強調していた。「検察は正義の見方」で「間違わない」というのは、間違いである。人は誰でも間違いを犯すものである。だから、人間的なのである。マスコミは検察のリーク情報を検証しようともせず、垂れ流してきたが、今後、真相がはっきりしてくるだろう。ただ、民主党、小沢氏に大変な打撃をあたえたことは事実で、結果として「政権交代」のチャンスをつぶすことになるかもしれない。これこそ一部「既得権益層」の望むところである。(記者クラブ制度ひとつとってもわかるが、マスメディアも典型的な既得権益層です)

■現状をあまり変えたくない層が、依然として多いようだ。一方、この時期の共産党の「正論」は結果として、政権交代のチャンスをつぶす働きをする。民主党も自民党と大同小異であるという意見があり、たしかに同質の部分もあるが、世襲議員が国会議員の大半をしめる政権党の異常さは、「異常」としてあらためないと。ここに浄化の空気をおくるためには、「毒」をもって「毒」で制さなければダメ、と思うのだが。

■どうもマスメディアの情報に「素直すぎる」人が多すぎる。小沢氏の秘書を逮捕するなら、西松建設がらみの与党議員や秘書にも捜査の手をのばさないと、不公正であり、依然としてこの捜査への疑念が残る。マスメディアの裏側を多少でも知っている者として、一定の距離をもってマスコミ情報を見ていかなければいけないと思うのだが。マスコミ情報には、バイヤスのかかっているものも多い。たんに記者の知識不足からきているものもある。なのに、受け手の側にナイーブというか素直すぎる人が多すぎる。「ナイーブ」とは欧米ではバカということである。

■断っておくが、ぼくは別に民主党支持でもない。いまだかつて支持政党はなし、である。ただ、権力は必ず腐敗するので、ときどきは権力層を交代させることで「浄化」しないと濁り、澱む、と思っている。ネット上では、マスコミから閉め出された「心ある人」の発言もとびかっており、傾聴に値する意見もある。

■郷原元検事の発言をもっとマスコミはとりあげるべきである。この人は信じるにたる人物であり、それが端的に顔に出ている。(ぼくは顔でかなりの程度、人を判断してきたし、それが間違ったということは少ない)鈴木宗男氏も権力を離れてマスコミのバッシングをうけてから、いい顔になった。鳩山由紀夫氏もいい顔になった。

■日本の将来のため、小沢氏は身を捨てる「奇策」を用いるべきと思う。建設業界からあつめた億単位のお金を、「社会的弱者」や「奨学金」「文化・芸術」などに寄付するなどして、「金権体質」への決別を宣言し、与党の「隠れ金権」議員とさしちがえるほどの勇気が欲しい。そうして企業からの献金を廃止し、上限をかぎって個人献金に限ると宣言すれば、芽があるのだが。
 それができなければ、辞任しかないでしょうね。いずれにしても、あと半年が日本の今後の運命を決める正念場となる。与党議員の一部が小沢氏の「金権体質」を批判したりしているが、目くそ鼻くそを笑うとは、こういうケースについていう。
by katorishu | 2009-03-29 23:30 | 社会問題
 3月28日(土)
■脚本アーカイブズの会議とその後の意見交換で、ほぼ一日がすぎる。そして、3月もまもなく終わる。月日の過ぎ去るのが、じつに早く、茫然とした思いになる。帰宅して炬燵でテレビを見ていて、そのまま眠ってしまい、目が覚めるとすでに午前4時。気分転換に、京浜急行の始発電車にのって終点の三浦半島までいって、そのまま帰ってこようかと思ったが、寒いのでやめた。

■電車のなかは、ものを考えたり、読書をしたりするのに最適なのだが、思っても、すぐ行動にうつせない。人の名前などをすぐに思い出せないのと同様、これも「老化」現象のひとつなのかもしれない。自分が老いつつあると思うのと軌を一にして日本も老いつつあるな、とあらためて思う。以前にもこのブログで書いたが、杖をつく人が多い。歩くのが遅い人も多い。

■速く歩く人に病人はいない。ぼくは比較的、歩くのが速く、街を歩いていて人に追い抜かれることはすくない。みんなどうして、こうもたらたら歩いているのかと思ってしまう。「スローライフ」といった言葉もあり、ゆっくり、たらたら歩くように生きるのがいいのかもしれないが、ぼくはどうも性に合わない。たぶん、限られた「持ち時間」のなかで、やりたいことが多すぎるのだろう。あれもやらなければ、これもやらなければ――と、いつも気分的に追われており、それが「常態」だと思っており、またそうでないと、なんとなく落ち着かない。

■戦後、多くの日本人に共通の行動形態であるのかもしれない。恐らく、田舎では、こういうことはないのだろう。「農」では、気が急いても、自然は自然のテンポをもっており、稲が速く育つわけではない。自然のリズムに自分をあわせて生きることになるのだが、都会では自分のテンポに他をあわせて生きようとする。そこにテンポやリズムのズレが生じ、もどかしさ、焦りなどの原因になる。
 もっと、ゆっくり、静かに、たんたんと――と思うのだが、いつのまにか、「早足」になってしまう。早足である限り、「健康」と思うことにしているが。
 知り合いや知人の訃報や、重い病で入院、といった情報をよく耳にする。季節の変わり目である。こういう時代、せいぜい、健康には気をつけたいものです。
by katorishu | 2009-03-29 04:56 | 文化一般
  3月27日(金)
■乃木坂での川柳句会にでようと思ったが、仕事関連の資料読みなどで時間がなく、やめた。本日は雑誌「サライ」の編集部の取材もはいるとか。
 ここ数年、はいってくる「仕事」は、この国の根幹にかかわる人や組織、出来事についてのことが多く、膨大な資料を読むことになる。100冊近い古い本をよんで、ようやく長編小説を仕上げ、すでに某版元に送っているが、さていつごろ形になるのか。

■努力が「形」にならないものや、不満足な形になるものもあり、「ままならないもの」と思ったりするが、大変な勉強になる。「誰もやっていない」試みも多く、実現には当然のことながら時間がかり、困難さがともなう。
 資料を読んでいて思うのだが、いつの時代も困難の連続であったのだなと改めて思う。「山あれば谷あり」というが、まったくそうである。それが有史以前から引き続く人の世の営みであり、人はほとんど「進歩」などしていない。

■小沢一郎民主党党首のことが、連日のようにマスコミで流される。本日、民主党議員総会で、あらためて「決意」を表明した、というニュースが流れた。同時に、世論調査で小沢辞任を求める声が7割ほどに達し、麻生政権への支持率もややあがったという。小沢氏は確かに田中角栄タイプの「古い金権政治家」のイメージをひきずっていて、テレビ映りもよくない。

■イメージが悪いので、このままでは支持率が低下しつづけ、政権交代が起きないという声もあるが、予断を許さない。この国を実質的に仕切っているのは霞ヶ関の官僚である。この組織は日露戦争での旅順の要塞のベトンのように堅固であり、やわな政治家たちが束になってかかっても歯がたたない。官僚政治を突き崩せるだけの豪腕と強い意志をもっているのは、現在の国会議員を見渡しても、小沢氏以外にほとんど見あたらない、といってもいいかと思う。

■小沢氏には、怨念もあり、それが迫力を産む。毒素も相当程度保持しているようだが、「毒」を制するには「毒」をもって制するしかない。かりに今、小沢氏が代表をおり、「清潔」な政治家が代表になれば支持率はかなりの程度回復し、総選挙で民主党が勝つかもしれない。当然、その「代表」主導の政治が行われることになるが、それで簡単に壊れるほど官僚組織はヤワではない。ある意味、彼らは賢いし、「ご清潔」な議員など簡単に丸め込まれてしまうのではないか。

■長年かかって日本のすみずみまで張り巡らされている「システム」は、「毒」をもってしか崩れない。もっとも、崩すことが、必ずしも良いことかどうかはわからないが。
 これだけ情報に接する機会が増え、高学歴層が増えているのに、全体の「知的レベル」はあまり向上しないし、自分の頭で深く考え、行動する人が多数派にはならない国である。極論すれば、一種の「賢人政治」である官僚主導政治のほうが、人気投票のような選挙で選ばれた政治家の主導する政治より、マシかもしれないのである。

■今後、何度かの選挙をへて、紆余曲折しながら、すこしは「民主主義」に近づくシステムが作られていくのかもしれないが。ぼくの「目の色の黒い」うちは、どうもむずかしそうだ。政治も経済も「結果」で評価すべきである。より多くの「民」をどうやって食わせていくか。それの出来る政治家が「良い政治家」……庶民レベルでは、それが正直なところである。

■極論すれば、「食わせて」くれるなら「お上」は誰でもいいのである。こういう時代である。個々人のレベルで大事なのは、とにかく「生き残る」こと。時代のキーワードは、人も組織も「サバイバル」である。なぎ倒されても、焼き付くされても、したたかに根っこを残して、蘇りを目指すこと。そういうことに全力を注がなければいけない時代である。考えてみれば、人類はずっとそういう暮らしをしてきたのであり、じつはこれが「常態」なのである。過去の歴史資料を読むと、そういうことがよくわかり、気分がいっそ爽やかになる。
by katorishu | 2009-03-28 00:51 | 政治
 3月26日(木)
■仕事の関係上、司馬遼太郎の作品を読んでいるが、平易な文章で深いことをいっている。なにより文章の間やリズムがいい。プロとアマの文章家の分かれ目は、文章のリズムではないかと思う。リズムのよい文章はかなり難解なことをいっていても、脳にすっとはいってくる。逆にリズムのわるい文章はどうも頭にはいりにくい。文章のリズムといっても、わかる人とわからない人がいる。音痴とおなじで、文章のリズムについて音痴がいる。

■リズムのある文章は、小気味よいのである。脚本なども同じで、数ページ読んだだけで、かなりの程度、善し悪しが理解できる。面白い脚本には一様に、小気味よいリズムがある。役者の台詞や動きについても同様である。「プロ」と称する人のなかにも、小気味よさに欠ける人が多い。本質的に欠けているので、いくら訓練しても、駄目な人は駄目である。努力でかなりの程度補っている人もいるが。リズムといっても、ただ調子の良いというのではない。緩慢なリズムもあり、行きつ戻りつのリズムもある。要するにその個性独自のリズムである。もしかして、自然のリズムに通じるもので、だからこそ、むずかしいこともすっと頭にはいってくるのかもしれない。

■たいていの法律家や学者の書く文章は、小気味よさと対極にあるものが多い。ただ「伝わればいい」「受け手が苦労してでも理解につとめよ」式の「難解」で「理解不能」の文章も平気で書く。易しくいえることを、あえてむずかしく書く。それが「頭の良い証拠」と勘違いしている人もいる。生半可の知識であいてをバカにする学生などにも、このタイプが多い。そういう人はごくごく一部の例外をのぞいて、プロの文筆家にはなれない、といっていいだろう。不幸なことに、「この人は無理だな」と思える人にかぎってプロを目指そうとする……。
 もっとも、あるとき、見違えるように変身する人も、まれにいる。そこが、この世界の面白いところであるが。

■当て推量だが、10人のうち6,7人は文章音痴にはいる。なぜこの文章が良くて、この文章が悪いか、縷々説明してもわからない人はわからない。少なくとも「プロ作家」といわれる人の文章には例外なく、その人なりのリズムがあり、読んでいて心地よいし、意味がすっと入ってくる。一方、アマチュアのリズム感のない文章は、読んでいてもどかしい。この「もどかしさ」を文章音痴に伝えることは、なかなかむずかしい。

■ところで――
 自民党の平田副大臣の株取引問題だが、お粗末そのものである。議員は一般のひとが知らない情報を知りうる立場にある。こういう人が株の取引をすると「インサイダー取引」に近いものになる。以前でだれであったか、政治家、それも政権党やそれに近い立場にある政治家の最大のうまみの一つは株の取引である、と話していた。

■一般のひとに比べて新しい情報を知りうる立場にあるにある。というより、情報をつくりだすことも可能である。とりわけ経済関連の閣僚など、特殊な情報に触れることが可能である。当人ではなく、秘書でもなく、身内や知人等が取引をしたとしたら、マスコミなども把握できない。もちろん、「心ある政治家」は、特殊な情報を得て儲かるとわかっていても、敢えてかかわらないだろうが、恐らくそういう人は少数派だろう。

■経済閣僚の二階大臣の金銭疑惑が新たにた浮上した。今後、どのような展開になっていくのかわからないが、金銭まみれでない議員を選びたいものだ。ただ、政治家にせよ、文学者(創作家)にせよ、清潔だからすべて良しということにはならない。少々性格が歪んでいるほうが、良い作品を生み出す原動力になることも多い。政治も創作物も結果で判断される。どんなに「ご清潔」な政治家でも、結果として多くの民が苦境に陥る状況をつくりだしたら、そんな結果を招来した政治家は、率直にいって「悪い政治家」である。創作家も同じで、どんなに品行方正の生き方をしていても、作り出す作品が凡庸で、なんの発見も、感動も、驚きも、あたえてくれなければ、価値がない。むずかしいものである。
by katorishu | 2009-03-27 02:06 | 文化一般
 3月25日(水)
■西新宿の芸能花伝舎を訪れた。小学校の廃校あとに、文化芸能団体がいくつもはいっており、教室は実習室などは稽古などの貸し部屋として使われている。都内でも廃校後をこのような文化基地として使用している例がいくつかあるようだ。

■「芸能家伝舎」のホームページから以下、引用させていただく。
『芸能文化を担う「ひと」を育て、芸能文化を育む「場」をつくり、「ひと」と「場」が豊かに活かされる「しくみ」を整え、この国の人々が、多彩で深く、芸能を楽しみ豊かな心を育む社会を実現することを目指す芸団協。この理念を実現させるための、芸能文化拠点が「芸能花伝舎」です。
[ 芸能花伝舎には、11の創造スペースを持ち、芸能関連団体の事務所が入居しています。また、どなたでもご利用いただけるフリースペースも用意しております。演劇、音楽、舞踊、演芸などさまざまな芸能分野の関係者が集い、交流する。まさに芸能文化の総合的な拠点として機能していくことを目指しています」


■今年の9月、ここを借りてそれなりに大規模は脚本展を予定しており、その下見にいった。日本俳優連盟の関係者がもろもろ説明してくださった。みんな感じのよい人たちばかりで、政治の世界もこういう風であるといいのに、と思ったことだった。そのあと、都庁の大展望台にのぼった。初めて上ることになった。曇っていたが、見晴らしはいい。ただ眼下にひろがる人工都市を見て、「豊か」とは思えなかった。なんだか、不気味な、得たいの知れないゾーンを見ている気にさえなってしまう。

■人類は、妙な果てにきてしまったな、と思ってしまう。そんなことをいうと、「時代遅れ」といわれそうだが、どこかおかしい、と感じるほうが、より人間的ではないか。やはり都市はクレージーである。自然をこうも踏みつぶし、消し去ってしまった人類。天罰がかならずあたる、と考えたほうがよさそうだ。本日、仕事がらみで2冊本を読む必要があったのだが、1冊の3分の1しか読めなかった。資料読みは知的好奇心もくすぐられ楽しい。
by katorishu | 2009-03-26 00:56 | 文化一般
 
 3月24日(火)
■ラジオの懸賞ドラマの贈賞式に出席。放送作家協会とNHKが共催でつづけているもので、ここから数々の脚本家や小説家が巣立っている。理事長が都合が悪く欠席であったので、ぼくが慣れない贈賞のセレモニーを行った。大賞はでず佳作3作で、1編はNHKのFM放送、FMシアターで4月11(土)22時より放送される。ぜひお聴ください。

■最終候補にのこった人たちも参加した。率直な意見がとびかい、興味深い集まりだった。二次会にも出席し、久し振りに楽しく歓談した。
 本日の最大のイベントは民主党の小沢代表の秘書の起訴をうけて、小沢氏が続投を表明したことだ。記者会見の小沢氏の顔を見て、この人には「覚悟」があるなと思った。政府与党で権力のうまみをしった人にはない、気迫があった。小沢氏も以前は権力の中枢にあり、金権政治をやってきたが、強い反省から与党を割ってでた。

■依然として「古い体質」をひきずっているものの、水清くして魚すまず、であり、続投することで民意を問うという選択は、一定の評価をしたい。一つの政党があまりに長すぎる期間、政権をにぎっていること自体、民主主義国では異例の事態である。これを「おかしい」と思わない国民もマスコミも、ぼくには奇妙である。ときどきは政権が交代することで、淀みがすこしでも解消される。これが民主主義の基礎の基礎であると思うのだが。

■今回の件について、郷原元特捜検事は「特捜の敗北」であるという。極めて問題のある捜査であり、検察の「裁量」で「恣意的」に政治家を選ぶとなると、検察が国会の上になるということになってしまう。その後、検察からマスコミへリーク情報が流され、それによって世論が動かされる――このやり方に、元検事が疑義をていしていた。「この時期に、この程度のことで秘書逮捕というのは、フェアじゃないし、納得できない」と郷原元検事。CS放送でしかこういう意見が流れないのは、残念である。

■さらに悪質な迂回献金をうけている議員はいろいろいる。与党議員の多くがかかわっている裏の「献金」の流れに、あえて触れないことについても、郷原元特捜検事は不信感を表明していた。どうも「既得権益層」側の「巧みな世論誘導」が行われているようだ、と思わせてしまう。民主党が多数をしめ小沢氏が首相になると「困る」層が一定数いるということである。

■ずれにしても、9月までには確実に総選挙がおこなわれる。「理想の政治」などあり得ないが、それでも比較的「より、ましな政治」は国民の投票次第で実現する。政治は「お上」まかせではなく、自分たちのものであるとして、ぜひとも投票にいき、本物の政治家を選んで欲しいものだ。なにが「本物」であるか見極めるのはそう簡単ではないが、個々人が日々勉強して見識を高めることによってしかより良い選択は実現されないのはで、と思うのだが。
by katorishu | 2009-03-25 00:51 | 政治
 3月23日(月)
■週間ダイヤモンドが、「ホテル・旅館・大淘汰」を特集をしている。世界金融危機の影響がもっとも端的にあらわれる業界だけに、深刻な事態に陥っているようだ。お客の激減である。収入の激減した人や失業者にとって、その日をどうやって食べていくかが最大の問題で、観光どころではないのだろう。

■「好景気」を背景に外資系の高級ホテルが進出したが、大幅な供給過剰となった上に値引き競争がおこり、経営はひどい状態になっているらしい。高級ホテルほど影響をうけているようだ。国内の老舗ホテルも壊滅状態らしい。会社などがパーティを催すことも激減しているし、結婚式などもやらなくなった。だいたい、結婚する若者自体がへっている。

■例の高速道を週末に1000円にするという措置だが、当座は週末は観光地に確かにお客がふえたそうだ。しかし、逆にウイークデーの落ち込みがひどくなり、観光地にはあまりプラスにならないという声もある。有名観光地の老舗旅館の倒産や身売りも急増しているようで、観光頼りの「地方」は疲弊の一途である。

■本日、天王洲アイルに足を運んだ。過日いったときと同様、閑散としており、夕方だというのに、イタリアン・レストランの客はゼロ、ほかのカフェも一組のお客だけ。和風の居酒屋にはいったが、数組の客しかいなかった。洋風雑貨店などもお客がほとんどいない。足裏マッサージの店では、お客がいないのだろう、マッサージ師の男女が店の前で呼び込みをやっていた。こんなことは、かつてなかったことだ。

■天王洲アイル周辺にはIT関連の企業や「富裕層」の住む高層マンション群が立ち並んでいる。そんなところに住む住人の多くが株の投資などで巨額の損失をうけたのでは……と想像したりする。都内でも典型的な「お洒落ゾーン」である天王洲アイルが、こんな状態である。他は推して知るべし、である。

■政財官の指導層が「身を捨てて」、経済崩壊を食い止める努力をすることが、まず大事なのだが、どうも「我欲」がまずあって、権益を確保することを優先課題にしているように思えてならない。終戦直後、「闇米」を食べることを拒否したため栄養失調になって亡くなった判事がいたが、そんな心意気のある官吏も絶えて久しくなった。食えない人間、食えなくなりそうな人間が、急増していることに、指導層はきわめて鈍感である。
 こんな状態があと2年つづいたら、中小零細を中心にバタバタつぶれ、荒んだ空気が社会をおおう。過日、某編集者に「今、多くの人の気分は中世にもどりつつあるのでは」と話したりした。
by katorishu | 2009-03-23 23:30 | 社会問題
 3月22日(日)
■誰であったか、「地方新聞が案外、健闘しており、おもしろい」といっていた。名古屋地区であったら「中日新聞」、北海道であったら「北海道新聞」、広島地区であったら「中国新聞」、沖縄であったら「沖縄タイムス」等々、地方の経済、文化、暮らしぶりなどに密着し、「大新聞」で見過ごしている問題なども掘り下げて伝えているようだ。

■東京の「地方紙」といったら東京新聞である。戦前、芸能関係のニュースで定評のあった「都新聞」の系譜をひいている。最近、東京新聞がおもしろいという意見をよく耳にする。特報記事で「強い者」「強い組織」などをかなり辛辣に批判したりしており、切り込む姿勢がするどい。強者におもねったり、媚びるメディアが多いなか、東京新聞は「マスメディア」といっても、組織が小さいだけフットワークがいいのかもしれない。

■大新聞の記者などには知り合いがいるが、東京新聞には知り合いがいない。東京新聞は定期購読していないが、キオスクなどで時々買う。なにより社説にその新聞の方針がしめされるが、本日の東京新聞の社説は、日本語の危機についてふれている。日曜日には、「です、ます」調べの文章で通している。

■冒頭で、『「祖国とは国語」はルーマニアの思想家シオランの金言』という言葉をひき、国語がいかに大事であるかを示す。最近話題になっている作家、水村美苗さんの「日本語が亡(ほろ)びるとき-英語の世紀の中で」(筑摩書房)にふれ、『父親の仕事の関係で十二歳でニューヨークに移り住み、米国になじめず日本近代文学全集を読んで少女時代を過ごしたという水村さん。二十年を経ての帰国で日本語の変わりように驚きます。講演で「私が知っていた日本語は消え、その代わりに、過去とのつながりもなければ、現在を捉(とら)えようとする意志にも欠ける、悲しい薄っぺらい日本語が氾濫(はんらん)していた。それは日本語ではなく『ニホンゴ』であった」と語っています。日本語はすでに亡びの過程に入ったのでしょうか』

■社説によれば、世界に言語は6000語あるが、そのうち2500が消滅の危機にあるという。『かつてない勢いで言葉が消える一方で全世界で流通する言語・英語の出現が有史以来の異変です』
『水村さんは言語を<普遍語><国語><現地語>の質的三階層にとらえます。この英語の世紀に日本語が亡びるとは、日本語が劣化して国語から現地語に堕(お)ちてしまうことです。かつては普遍語と同じように知的、倫理的、美的な重荷を負って輝いた国語としての日本語が、高みにあったことさえ忘れられ<叡智(えいち)を求める人>が読み書きしなくなってしまう言葉に成り下がることをも意味します。近代文学を心から愛する水村さんゆえの現状と未来への深い憂慮です』

■さらに社説は英語教育の隆盛にふれ、政府の方針として、新しい学習指導要領について、英語が2011年度から小学校5,6年で必修に、また高校では13年度から「英語での授業が基本」となることを紹介し、『水村さんはこの指導方針の根底にある文部科学省の「学校教育を通じて多くの人が英語ができるようになればいい」の姿勢を問題にします』と指摘する。

■『水村さんが提唱するのは国策としてのバイリンガルの育成。戦後教育が一番の信条としてきた平等主義を捨てることになりますが、そこまで思い切ったことをしなければ、必要な数の人材が育たないばかりか、日本語が「亡びる」というのです』

■引用ばかりになって恐縮だが――『非英語圏の国語にとっての悲劇は、英語ができなくてはの強迫観念が社会のなかに無限大に拡大することです。ことに子供をもつ親の不安の連鎖は「もっと英語を」の大合唱ともなるでしょう。英語は「ここまで」という線と「日本人は何よりまず日本語」のより強い理念を打ち出さない限り、確かにこの不安の連鎖もとまりません』

■『なぜ日本語か。人間を人間たらしめ、日本人を日本人たらしめるのは言葉だからです。水村さんは<読まれるべき言葉>を読ませてこなかった戦後の国語教育の誤りを指摘します。漱石や鴎外を教科書から追いやったこともありました。そして、繰り返し提言されるのが、日本近代文学を読み継がせることを主眼とする国語教育です。「今ならまだ運命を選び直せる」の訴えは切実にみえます』

■『島国という地理的に有利な条件や歴史の幸運もあったでしょう。私たちの祖国に伝えられてきた日本語は、私たち一人ひとりがまた未来に伝えていくものです。言葉は私たちの文化や文明、精神の反映で新たにつくられていくものです。インターネットが英語の世紀をもたらしたといえども、精神の高さと誇るものがあれば、世界はその言葉に耳を傾けます』

■最後に社説はこう結ぶ。『経済は劣勢といっても、映画やアニメ、漫画やファッションの日本の大衆文化は世界を制覇しつつあるとの報告もあります。祖国の運命も結局は私たち一人ひとりのがんばりです』
 ほかの新聞社の社説ではめったに見られない。東京新聞は値段もやすいし、夕刊には「大波小波」という名物コラムがある。もっともこのコラムについては、数10年前、花田清輝らが匿名で書いていたころと比べるとレベルが落ちるが、記者諸氏の文章力が全体的に落ちているなか、健闘しているというべきだろう。講読をおすすめできる新聞だと思う。ためしにキオスクなどで買ってみてください。
by katorishu | 2009-03-22 22:20 | 文化一般
 3月21日(土)
■NHKで「テレビのこれから」という3時間の生放送を放送していた。「テレビ関係者」のひとりなので、どんな議論が戦わされるのかと思って興味深く見た。視聴者「代表」と民放をふくめた地上波テレビの制作者などが参加していたが、両者の間にかなり認識のズレがあるなと思った。

■テレビ局の人間は会社を代表してきているので、本音をいいにくかったかもしれないが、現状を的確に認識しているのは、むしろ視聴者側ではないか。それと視聴率とひとくちにいうが、ビデオ・リサーチのみの調査ででてきた数字が果たしてどれほど現状を把握しているかについて疑問がでなかった。以前、ニールセンというアメリカ系の調査会社もあったのだが、「ある陰謀のもとに」なくなった、などとも聞いている。ビデオリサーチとニールセンの調査の数字には、かなりの差があった。もし、今、ニールセンの調査があったら、数字にもとづいて創られる番組の内容もかなりかわっていたのではないか。

■ぼくはテレビを比較的よく見るが、ほとんどはCSなどの「専門チャンネル」が多く、地上波テレビはあまり見ない。(おかげで月6000円近い料金を払っているが)よほど時間があれば別だが、限られた時間のなかで、地上波テレビに費やす時間が、もったいないのである。本当に見たい番組は録画しておくが、録画するだけであらためて見ることは少ない。

■この番組で意識的にさけていたことがある。民放にとくにいえるが、若者が見ていないことからスポンサーが離れていっていることである。急速な収入の低下がおきており、今後深刻な経済停滞がつづけば、ますますスポンサー離れが加速し、地上波テレビのビジネスモデルが成立しなくなる。テレビそのものがなくなることは、近い将来ではないと思うが、メディア界での地位は相対的に低下するだろう。そのほうが、まともかもしれない。

■出演者のひとり、糸井重里氏が発言していたが、これまで人がテレビにくっつきすぎていた。テレビを1日、4,5時間も見ていることが(平均視聴時間はこのくらいではないのか)ぼくにいわせれば「異常」である。多くは「ながら視聴」なのだと思うが、人間の「持ち時間」はそう多くはない。もっと別の時間の過ごし方があるはずである。

■アメリカのテレビの現状を紹介していたが、インターネットテレビが今後、隆盛になる可能性が強い。いずれにしても、テレビの隆盛とともに歩んできた「戦後日本」が大きな曲がり角にたっているので、テレビも当然、大きな曲がり角にある。どのように変わるか未知数だが、映像ばかりを見ていると、想像力が枯渇する。ラジオや活字にもっと接した方がいい。ともあれ、「テレビ界初めて」というこういう試みについては、一定の評価をしたい。危機意識の反映としてこういう番組がつくられたのだと思うが。
by katorishu | 2009-03-21 22:38 | 文化一般