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 5月29日(金)
■朝から雨。最近、体調が回復したようで、睡眠薬を飲まなくとも眠れて午前8時ごろに目がさめる。ようやく「人並み」のリズムになったということか。週刊文春をかって近くの品川シーサイドのコーヒー店で読んだ。自民党の元本部職員が自民党の堕落について「内部告発」している。この組織はすでに耐用期限がきれているというしかない。一度政権の座をはなれ、冷や飯を食べたほうがいい、とつくづく思う。

■村上春樹氏の新作長編小説「1Q84」(全2巻)が「異常な売れ行き」をしめしているようだ。発売日の本日、版元の新潮社は3度目の増刷を決め、部数は累計で68万部に上ったという。発売日に4刷68万部という数字について、同社広報宣伝部は「新潮社史上空前の記録」としている。1984年の日本を舞台にカルト教団の謎を描いているとのことで、新潮社では発売前に内容を一切公表しないという策をとった。それが効果的でもあった、ということだろう。

■書いてもなかなか本にならないぼくなどの「売れない作家」から見たら、うらやましい限りだ。『マス』へのアピール力がないということなのだろうが。じつは村上氏の小説は新人賞をとった「風の歌を聴け」のほか短編を数編読んだだけである。嫌っているわけではないが、基本的にベストセラー小説は読まないので、そういうことになった。天の邪鬼なのである。以前は文学界や群像などの純文学雑誌をよく読んでいたが、最近はほとんど読まない。読むのは、たいてい古典である。

■こういう混迷の時代は、先人の名著や古典を読むほうがいい。一方で時代の流れをつかむためメディア関係の本を読む。それと、やはり時間をかけて取材したノンフィクションが面白い。時代小説も比較的よく読むようにしている。今読みかけの時代小説「薄桜記」(五味康祐)は格調のある文体で読ませる。赤穂浪士事件の「裏話」として丹下典膳や堀部安兵衛の話をおりまぜて展開してゆく。すこしづつ寝床で読んでいて、四分の一をすぎたところ。剣豪小説の名手、五味康祐といっても、最近では時代小説ファン以外は知らないかもしれないが、五味は希代のストーリーテラーで文章に品格がある。以前はこのレベルの作家が「大衆小説作家」といわれたのである。

■本日北品川のコーヒー店で三分の一ほど読んだ「新世紀メディア論・新聞・雑誌が死ぬ前に」(小林弘人著)も、きわめて刺激的で面白い。既存のマスメディアは、従来の路線の延長線上では生き残れないことを、具体的に論理的に語っていて説得力がある。「出版」や「放送」というジャンルをこえた「新しいメディアの時代」にはいったのだ、とあらためて思う。一方、既存の「出版」「放送」のなかにどっぷりつかっている人たちは、時代はすでに「新しいメディア」の時代にはいったのだということが、わかっていない。そういうことがよくわかる書である。こちらも、おすすめの本である。

■夕方、近所の立ち飲み屋にはいったが、でてくるつまみがあまりにひどいので、すぐ退出。安かろう悪かろうでな駄目である。そのまま帰るのもいやなので、昭和30年代を思わせる古い居酒屋にはいった。お客の気持ちをよくつかんで動く女将がいて、心地よい。繁盛しているようだ。くつろぐためにこそお客はやってくるのだから、人を弾ませる工夫をしなければいけない。これはエンターテインメントの作品を創るときと同じである。新聞欄を見たら本日、「朝まで生テレビ」の放送日で、テーマは自民対民主の政権選択。とりあえず、見てみよう。
by katorishu | 2009-05-30 00:22 | 文化一般
 5月28日(木)
■脚本アーカイブズで著作権問題の研究会。講師は骨董通り法律事務所の弁護士、福井健策氏。福井氏は42歳。ニューヨークでも活躍し日大芸術学部の客員講師をつとめ、メディア情報にも詳しい。氏はむずかしい話をわかりやすく話す才にたけており、大変面白く参考になった。論理的で明快。「頭の良いひと」とはこういう人のことをいうのだな、と思ったことだった。

■参加者は大いに勉強になったはず。われわれが「常識」と思っていることが、法的には違うことが多く、著作権問題のはらむ問題は、文化の盛衰に密接に関連する……こと等がよくわかった。著作権保護は大事だが、こちらに重きをおきすぎたり厳密にすると、かえって文化の発展の阻害要因にもなる。

■NHKの元経済記者で、今は経済学者の池田信夫氏が28日のブログで、いま話題になっている、あらゆる書籍をデジタルデータ化しようという「グーグル検索」の問題について以下のように記している。
『 私には文芸家協会や一部の出版社が何を騒いでいるのか、さっぱりわからない。ブック検索を使ってみればわかるが、これは本の一部を「立ち読み」できるだけで、プロモーションにはなっても本が売れなくなる心配はない。(中略)そもそもこのサービスは公共的なもので、国会図書館も今回の補正予算で127億円を計上してデジタル化とネット公開を進める。外資がやるのには怒るが、お上がやるのには文句をいわないのか』

■池田氏は「権利意識の希薄な日本で」これが大騒ぎになるのは期間であり、おかしいと指摘。
『彼らは「プライバシー」とか「著作権」を騒ぎ立てるのが権利にめざめた「近代人」だと思っているのかもしれないが、これは逆だ。こういう疑わしい権利を「自然権」として絶対化するのは、フランスやドイツなど後進国の法体系である。英米では、権利というのは慣習や妥協の積み重ねにすぎない。著作権も出版ギルドの独占を守る制度として生まれたので、マスメディアというギルドが滅亡すればなくなるだろう』 そんなふうに一刀両断している。

■池田氏のブログは、ほとんど毎日読むブログのひとつで、疑問符をつけたいものもあるが、グーグル検索については、ぼくも池田氏の意見に賛成である。じつは拙著をだしている出版社(文藝春秋など)からグーグル問題について「和解文書」がきており、拒否もできると書いてあった。文藝春秋からの文書は大変面白い内容で、そのままここに引用できないが、ぼくはとくに異議をさしはさまなかった。絶版になっている自分の本が、再び読まれることはありがたいことで、しかもグーグルは料金を支払うといっているのである。池田氏によれば、来日した全米作家協会の事務局長は、「和解案は絶版書籍をよみがえらせ、著作者に利益をもたらす」と説明しているという。

■時代は大きく変わっているのである。過去の「既得権益」にしがみついていると、「権益」そのものが「損益」になってしまう。そういうパラドクシカルな時代になっているということに、理解のおよばない(理解したくない)人たちも相変わらず多い。変革期には、過去に「善」であったことが、「悪」にかわることなど無数にある。変化への抵抗力ももちろん大切だが、変化の潮目をよめない組織や人は、歴史の流れの渦のなかに消え去るしかない。非情かもしれないが、それが「歴史」というものである。「歴史」とは生存競争の記録でもある。
by katorishu | 2009-05-29 00:29 | 文化一般

疲れた一日

  5月27日(水)
■日本脚本家連盟の総代会と日本放送作家協会総会に出席した。脚本家連盟の総代会の焦点は理事選挙で、本日が開票日。これまで脚本家連盟の理事はずっと選挙なしできまっていたが、今回は放送作家協会の理事から比較的多くの人が立候補したため選挙になった。

■定員23名のところに33名が立候補したので10名が落ちることになる。放送作家協会の理事や脚本アーカイブズの委員など8名が立候補した。投票は郵送で行われ本日開票日。100人あまりの総代が選ぶ選挙だが、開票結果は放送作家協会の「側」と見られる8名全員が落選。組織的な動きが背後にあった、と記すだけにとどめよう。

■両組織とも構成員はほぼかさなるのだが、脚本家連盟が著作権処理などをあつかう「組合」なのにたいし、放送作家協会は文化事業をおこなう財団法人。管轄官庁もちがうが、大いにちがうのは両組織にはいってくる金額だ。放送作家協会が会員ひとりの月1000円の会費でなりたっていて支援金をいれても数千万の予算なの対し、脚本家連盟には30億を超える「著作権料」などがはいってくる。

■構成員は重なるのに、この両組織の理事クラスがどうも仲がよくない。自分たちの権益を確保するのもいいが、文化活動にも一部資金をつかって劣化の度をふかめる映像ソフトを豊かなものにすべき、というのが作家協会側の心ある理事の意見だが、それが否定されたということである。いやはやである。

■脚本家連盟の理事の高齢化がすすみ、デジタル化時代に対応できない方もすくなからずいる。ウェブ上の著作権問題についても、脚本家連盟側の古い理事の考えと、ぼくなどかなりの開きがある。この組織、いろいろ問題点もあり改善すべき点も多いはずだが、旧弊がつづくのだろうか。旧習墨守は長い目でみて組織にマイナスに働くと思うのだが。巨額の著作権料がはいってくるためか、「危機意識」がどうも薄い、と思わざるをえない。こういう時代「貧」のほうが物の本質をよりよく理解できる。

■放送作家協会の総会では「常務理事」として総会のしきり役になったが、こちらも疲れた。終わって懇親会。「大変ですね」と小声でいってくれる人もいた。ある方が小声で「知的じゃない人がのさばってますね」と歎き顔で語っていた。「顔を見ればわかりますよ」という人もいた。なんだか日本の縮図を見ているようで、げんなりした。こういうことからそろそろ足をあらい、執筆に専念したほうがいいかな、と思ったりもした。

■といっても、書いたものが何冊も氷付けになっている状態なので、じつは書く意欲がすくなからず削がれている。「香取さんの書くのは《文化》だから、今の状況だと出版はかなりむずかしい」と話していた某編集者。ある編集社は「今はハウツーものとペットものしか売れないんですよ。とにかくここ1,2年は冬眠です」といっていた。そういえば、先日メールで連絡をとりあった旧知の元編集者でノンフィクション作家の某氏が、時間をかけて一年以上前に書きあげたノンフィクションがまだでないと嘆いていた。「じつに出版界は深刻です」という某氏は、現在複数の癌で入院中。どこを見ても状況はよろしくない。

■そんな中、「大作映画」の企画人から「私は執念深いし、必ず実現します。これは必ずヒットする」という心強いファクスがはいっていた。悪いことや嫌なことにばかり目をむけていても仕方がない。良いことに目をむけたいもの。そして、自分が正しいと心から思うことはかならず世に受け入れられる――というオプチミズムを失いたくない。こういう時代、オプチミストでないと生きられない。
by katorishu | 2009-05-28 00:35 | 個人的な問題
 5月26日(火)
■「医療維新」という医師むけのサイトに、 現役の厚労省検疫官(東京空港検疫所支所・検疫医療専門職)で医師の木村盛世氏と、虎の門病院(東京都港区)泌尿器科部長の小松秀樹氏のインタビューが載っている。
 木村氏は検疫の問題点についてこう語る。
《以前にも指摘しましたが(『「今の状況は政府が招いたパニック」)、「新型」であっても所詮はインフルエンザですから、症状は特異的ではなく、潜伏期間があります。したがって、検疫を行い、水際対策を講じるのは、科学的に意味はなく無駄なことです。にもかかわらず、検疫にあれだけの労力、費用をかけたわけです。なおかつ、検疫をパフォーマンスにしてしまった。この政府の責任は重いと思います》

■木村氏は厚労省の「新型インフルエンザ対策行動計画」について、さらにこう語る。
『天然痘やバイオテロを想定したかのような代物です。では、なぜ新型インフルエンザでこうした行動計画が作られたか。それは全く知識がない役人が作ったからでしょう。欧米諸国では、感染防止のための検疫は実施されていません。「検疫を徹底せよ」という「神の声」があったとしか考えられないくらいの、検疫への入れ込みようです』

■さらに、検疫を見ていると医師の行動ではなく、警察の行動のように思えて仕方ないと指摘する。検疫は、検疫法に基づいて実施されるが、木村氏によると、検疫法は旧内務省時代、つまり日本国憲法の成立以前に作られた法律とのこと。
『旧内務省は、警察と今の厚労省の機能、両方とも持っていたので、その時代の名残でしょう』

■『感染症の関係で言えば、らい予防法、結核予防法、そして検疫法は、いずれも時代に合わなくなったとされ、らい予防法と結核予防法は既に廃止されています。検疫法も本来ならなくすべき法律。しかし、検疫法にはバイオテロと関わる病原体も入っていますから、法の見直しは大変な労力となることが予想されるためにしなかった』

■一方、小松医師はこう指摘する。
『検疫には、科学的な観点だけでなく、法律的にも重大な問題があります。憲法第99条では「公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を負う」、また憲法第13条では「公共の福祉に反しない限り、個人の自由を尊重しなければならない」とそれぞれ規定しています。公務員は、人権の制限による被害と、公共の福祉のベネフィットの間で利益衡量を行わなければなりません』

■要するに厚労省のやっていることは、大変な間違いであり、バイオテロ対策のようなもので、実効性が薄いと、二人とも断罪している。今回の騒動はおさまりつつあり、どうやら大流行はさけられたようだが、秋以降、どうなるかわからない。厚労省まかせでは、効果的な措置がとれないことを、政府は強く認識し、現場の医師の声をよく聞くべきだろう。
by katorishu | 2009-05-26 23:08 | 社会問題
 5月25日(月)
■有楽町でパスポートを受け取ったあと、本郷三丁目にいき、コーヒー店で仕事。東大大学院のY教授と協議をしたあと銀座にでてしばし仕事。そのあとカミサンと落ち合い、銀座シネパトスで映画「新宿アクシデント」を見た。香港映画でジャッキー・チェン主演だが、いわゆる香港映画のような派手なアクションがすくなく、密航して新宿歌舞伎町に生活の場をもとめた中国人を、ジャッキー・チェンがリアルかつ地味に真摯に演じていて、出色の映画となっていた。

■ヒーロー映画の主人公が定番のジャッキー・チェンが、アンチ・ヒーローを演じていたのも興味深かった。相手役の女優、ファン・ビンビンの「息を呑むような」美麗さも映画に心地よいアクセントをあたえていた。脚本執筆に3年かけたというイー・トンシン監督のきれの良い演出も効果的で、気まぐれに見てよかったと思った。5点満点で4といったところか。お客が4,5人しか入っていなかったが、もっと見られていい映画である。

■帰宅して知ったのだが、本日北朝鮮が核実験をしたという。マスコミはトップニュースで報じていた。こういう形でしか自国の存在を誇示できない北朝鮮という「過去の遺物」といった趣の国。未だにこういう国が存在しつづけていることは異常であり、この国に影響力をもっている中国は本気でこの国を「常識の通用する国」にさせるため努力をして欲しいものだ。

■北朝鮮の行方を左右する国は残念ながら日本ではない。アメリカと中国であり、この両国が本気で独裁国家をかえる努力をしなかったら、拉致問題も解決しないだろう。こういう体制を築いたことにロシアも責任がある。ソ連時代のスターリンがやったことだといっても、プーチン氏は実質的なロシアの指導者なのだし、旧ソ連のKGBの一員であった。

■氏は北朝鮮にたいして一定の影響力をもっているのだから、この国が良い方向にむかうよう強い影響力を行使して欲しいものだ。体制崩壊が瀬戸際になるようなことになれば、金総書記は核兵器を使用する可能性もある。「経済制裁」だけで解決する問題ではない。かといって、他に妙案があるかと問われたら、政府関係者も「ない」といわざるを得ないのだろう。こういう軍事独裁国にいまだ振り回される「現実」にいらだちを覚えてしまう。いまだ、アウンサン・スー・チー氏を軟禁状態にしている軍事独裁政権下のミャンマーとともに、じつに困った国といわざるを得ない。一方、表面から(ニュースからではわからない)諸事情もあり、こういう独裁国家の存在によって利を得ている人も一定数いるのでは、などと思ってしまう。

■ヒョウの生態をあつかったアニマルプラネットをちょっと見て仮眠したが、じつに嫌な夢を見た。なにかにつまずいて転んでちょっと膝をすりむいたのだが、そのことである組織にイチャモンをつけ、多額の金銭をださせた。そうするようそそのかした知り合いがいて、結局、その知り合いに「弱み」を握られ……といった「物語」展開。妙にリアルで怖く目がさめたとき全身に汗をかいていた。夢、これはなんだろう、といまだに思う。「現実」のゆがんだ反映という人もいて、なるほどと思うこともあるが。以前はよく死んだ夢、殺されそうになる夢を見たが、最近はそういう夢は見ない。もっとも、ぐっすり眠ったときは、起きたとき夢の内容を忘れているものだが……。本日の夢は「良心の呵責」にかかわる問題をふくみ、起きてから、「ああ、夢でよかった」と思ったことだった。
by katorishu | 2009-05-26 00:21 | 映画演劇
 5月24日(日)
■NHKスペシャル「インドの衝撃」を見た。本日の放送は、軍事大国インドに焦点をあてており、大変興味深かった。世界的な大不況がつづくなか、インドは年率5%の経済成長を維持しており、さまざまな分野で急速な変化がすすむ。

■人口11億で、いずれ中国をぬいて世界一の人口大国となり、存在感を強めつつある。軍事費の伸びも大変なもので、現在130万の兵力。軍事予算は10年で3倍となり、兵器輸入金額では世界一になっている。ムガール帝国などかつて大帝国を築いたインドが、21世紀にはふたたび大帝国を築く可能性も強い。

■残念ながら、日本は急成長するこの大国との交流があまり盛んでないようだ。今後、インドがどのような外交政策、経済政策をとってくるかわからないが、確実にいえることは、世界情勢を左右する強い存在になりつつあることだ。インドについて、日本人はもっと勉強しないといけないのだと思う。ぼくがもし今10代の若者であったら、インドへ渡ると思う。

■途中からCSテレビで「サンデー・プロジェクト」の再放送を途中から見た。ちょうど竹中平蔵氏と元自民党幹事長の加藤紘一氏が「小泉改革」について論争していた。はじめの部分を見ていなかったが、弁舌という点で確かに竹中氏は一種「天才的」なものがあり、相手を論難する術にたけている。加藤氏は相当押され気味だった。小泉氏など、恐らく竹中氏の弁舌のトリコになり、「小泉改革」に突っ走ることになったのだろう。

■本日は、都下あきる野市で行われた叔父の法事に参加。そのあとの会食でたまたま隣に不動産屋とS電気の会長のS氏がすわったので、歓談した。不動産屋氏の話では、不動産不況はひどいもので、価格は暴落に近いらしい。すこし不便なところでは土地付き一戸建てが1600万円ほどで売りにだされているという。新築の建物が下落しているので、中古物件はほとんど売れないそうだ。

■S氏は関東を中心に35軒ほどの電気販売店を展開している会社の創始者で、叔父と60数年来のともだちであると、叔父からきいていた。昭和30年初期、叔父とふたりでネクタイを売りに地方にいき、最初2本しかうれず、困難な状況におちいった。当時、ぼくの実家でつくっていたネクタイを売りにいったのではなかったか。食堂にはいりおかずはなしで、ご飯だけを注文し、そこに醤油をかけて食べた話等々の「苦労話」を叔父から聞いてはいたが。

■売れなかった原因を考えたS氏は「二人で一緒にいくから甘えがでて売れないのだ」といって、翌日は単独で売ることにし、頑張って結局400本以上売ったという。「S君はえらい」とぼくの祖父がいったとか。比較的裕福に育った叔父は、どこか甘いところがあり、それを諭す意味でS氏をほめたのかもしれない。

■いずれにしても、そんな体験を生かしてS氏はゼロから小さな電気屋をはじめ、高度経済成長の波にのって二部上場企業にまで発展させた。S氏は今でも社員にはしばしば、ネクタイを地方に売りにいったときの体験を話しているとのことだ。「私はとにかくあとがなかったから頑張った」と80歳をすぎてもなお35軒ある店を週の半分はまわるというS氏。S氏は一種「立志伝中」の人物で、土壌に「ハングリー精神」があったという意味のことを語っていた。

■そのS電気も海外に進出したりしたものの撤退した。最近は大型安売り店の進出の影響もうけ、社員は隆盛時より半分に減っているという。白髪で長身痩躯、「やり手」という印象の人ではなく、穏やかで静かな人だった。ある意味で良い時代を生きてきたのかもしれない。これからの日本は試練の連続になるだろうが、ヤワな体力になってしまった多くの人に、はたして試練を克服できるかどうか。ハングリー精神はスポーツばかりでなく、他のいろいろな分野で必要なのかもしれない。睡眠不足で疲れた脳で帰路電車に揺られながら、そんなことを思ったりした。
by katorishu | 2009-05-25 00:30
  5月23日(土)
■ノ・ムヒョン韓国前大統領が自殺したようだ。大統領在任中、家族親族などが関係した不正資金疑惑でちかく検察から事情聴取をされる予定で、それを苦に自殺した模様だ。不正資金は6億円をこすという。韓国では権力者がかわると、かならずといっていいほど、次の権力者によって前の権力者の不正があぶりだされ、前権力者は逮捕されたりする。

■一族の誰かが立身出世すると、そこに家族親族がむらがって権力の甘い蜜をすう。すでにそれが「文化」になっているようで、インドネシアなどでは賄賂が社会の潤滑油で「賄賂文化」が定着している、と中国系インドネシア人に聞いたことがある。アジアばかりではなく世界にひろまっているのだろうが、これを「アジア的停滞」と名付けた人がいる。誰であったか失念したが、明治維新後、日本を訪れた西洋人が記していた。

■中国も似たようなものだが、この国は長いこと政権交代がないので、前政権の「悪」はあばかれない。日本でも、ときおり政権交代がおきれば、前政権にまつわる「悪」が表面化するかもしれない。権力には必然的に「悪」のコケがはえる。政治の世界では、「清廉な権力者」といった言葉は「形容矛盾」といっていいかもしれない。「清廉」では権力者になれないし、権力者でありつづけることがでいないということである。

■いつの時代になっても、この傾向はかわらない。人間という種族が形成する社会の宿痾(しゅくあ)といっていいものかもしれない。今後、日本で政権交代が起これば問題が浮き彫りにされることは多々あると思うが、その一例について植草一秀氏が5月23日付けのブログに興味深い記事を書いている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/
郵政民営化に関する「疑惑」についてであり、ここに群がり膨大な郵貯の貯金を外資という「ハゲタカ」のエサに――と画策した人たちの「真実」が明らかになるかどうか、今瀬戸際にきているといってよい。

■昨日は、放送作家協会の理事会のあと、新宿の芸能花伝舎での俳優連盟のパーティに顔をだし、途中辞して渋谷での428会の定例のあつまりに出席。その間、関係者と意見交換したりして忙しく過ごした。428会の講師はアフリカ・ケニアで野生動物チーターの保護活動をしている女性。ぼくは終わり頃いったので、一部しか聞けなかったが、若い女性が海外にでていって絶滅寸前にある種の保護に邁進している姿には感動を覚える。

■終わって恒例のように428会を主催しているプロモーションセンターのデザイン事務所で、飲み会。いろいろな業種の人と歓談し、情報交換などをすることは、疲労回復に役立つ。前回の飲み会のとき、ある人にぼくが話したことがヒントになって、ある人はいまある仕組みを考案し、特許を申請しているという。なるほど、こちらの話がそういうふうに役立つこともあるのか、と思ったことだった。一方、こちらも、ものを書いたりする上でヒントになることもある。人には会ってみるものである。そうして意見交換をしてみるものである。やはり、直接あって5感をフル活用して意見交換をしたりすることが大事である、とあらためて思ったことだった。
by katorishu | 2009-05-23 13:40 | 東アジア
 5月21日(木)
■新型インフルエンザのニュースが毎日トップをかざる。いまのところ毎年季節風のようにやってくる普通のインフルエンザほどにもひろがっていない。突然変異でウイルスが強力になった場合、過去のスペイン風邪のように大量の死者をうむということもあり得るが、どうも騒ぎすぎという気がする。上杉隆氏の週刊ダイヤモンドの記事によると、アメリカではマスクをして街を歩いていると、インフルエンザにかかっていると見なされるという。アメリカのマスコミは日本での「インフルエンザ騒動」を揶揄して、「日本では特別に悪質なインフルエンザがはやっているのか」と報道しているとか。潔癖症の日本人の悪い面がでたと思わざるを得ない。

■修学旅行にでかけたどこかの中学、あるいは高校生が、途中でひきかえした、というニュースなどを読むと、そこまでするかと思ってしまう。学級閉鎖などは普通のインフルエンザの流行のときにもしばしば行われているし当然の措置だが、過剰に恐怖をまきちらすあまり、社会のいろいろなところが機能麻痺におちいったとしたら、そのほうの害も大きい。マスコミの騒ぎすぎ報道には、異常なものを覚える。

■新型インフルエンザでこれだけ騒ぐのなら、毎年3万人以上が自殺をしていることに、もっとマスコミも注意を喚起してほしい。交通事故が年間1万人をこえたときは「交通戦争」などといって防止に政府も警察も力をいれたが、3万人もの人が自ら命を絶っている現実にたいし、指導層の関心は薄い。東京の場合、電車にのって出かけると、駅の表示板に「人身事故」とか「人が線路にたちいった」という文字の見られることが多い。率直にいって自殺である。

■これがどんなに異常な事態であるか。マスコミは繰り返しキャンペーンをし、自殺数を減らすための努力、施策、対策をこうずべきである。自殺者の増加は、生きる希望を失った人の増加である。死にたいやつは弱者だから勝手にしたら……と為政者は内心思っているのでは、と疑ってしまう。精神を病んだり、癌の末期で生きるのがつらくなって命を絶つ人については、まだ仕方がないなと思う点もあるが、最近は30代の若者や働き盛りの男性に自殺者が多い。

■自殺者の増加は社会が深く病んでいる証拠である。自殺など考えない人たちにも「病んだ社会」のツケは、まわりまわってやってくる。社会は有機的につながっており、不幸な人が多くなれば幸せだと思っている人たちにも、いずれ不幸の影が落ちるものである。自分さえよければ、自分たちさえよければ……という価値観は、決して人を幸せにしない。そのことを、世界はアメリカの金融崩壊によって深く学んだはずである。日本の指導層は、ひょっとするとあまり学ばなかったので、と思える今日この頃である。

■六本木ヒルズ内の焼き鳥屋で珍しく飲食した。以前の比較的値段の高い店を衣替えした新しい店とかで、値段も安く、内容も悪くなく、客の入りもまあまあといったところ。一方で、ほかの店はがらがらのところが多かった。店員が暇そうに立ち尽くしている。夕食時だというのに、こんな状態がつづくと閉鎖ということになるのではないか。大不況に新型インフルエンザの流行がかさなり消費が一層落ち込むと、倒産がふえ、自殺者も増える。暗い世相を一変させる意味でも、出来るだけ早く総選挙を実施し、民意を反映した政権が強力なリーダーシップをとって明るさをとりもどす努力をして欲しいものだ。

★ところでこのたび、日本脚本アーカイブズのメルマガが発行されました。下記のURLです。
http://www.melma.com/backnumber_179041/
by katorishu | 2009-05-22 00:41 | 社会問題
5月20日(水)
■国内総生産(GDP)成長率について、悪い数字がでた。あらゆる産業の業績が悪い数字だらけで、こんな状態があと1,2年つづいたら倒産する企業が激増し、社会不安も増し、日本はきわめて住みにくい国になる。政財官の指導層はそれこそ死にものぐるいで、経済の立て直しをして欲しいものだが。あまり期待できそうにない。インフルエンザなどと同じで、一定期間をすぎないと回復はのぞめないのかもしれない。

■テレビ各局の決算もでたが、いずれも悪い数字だ。テレビ朝日やテレビ東京は赤字を計上した。テレビ朝日など開局してはじめてだという。こういう状況を前に、テレビ各局は制作費の減額などで「危機」を乗り越えようとしているようだが、制作費を減らしたら危機をのりこえられるはずがない。制作費の減額は必然的に番組の質の低下をもたらし、長い目で見たらなにもプラスにならないし、結局は自分の首をしめるだけである。

■減らすべきは、まず正規社員の給料の減額である。役員報酬を減額しているテレビ局もあるようだが、おざなりという気がする。もともと高給をとっているのだら、思い切って3割減くらいにして、その分を制作費にまわすべきだろう。自分たちの生活を最優先にしてテレビの危機を乗り越えられると思ったら、甘いというしかない。

■下請け制作会社やフリーランスの人たちを安くこきつかってきたテレビ局は、今こそ悔い改めて、零から出直すという姿勢をとる必要がある。これは新聞社にもいえることである。心ある関係者はそのことをよくわかっているのだが、温室のなかでぬくぬく生きてきた「優等生社員」の中には、まだ事の本質がわかっていない人も多いようだ。

■本日は天王洲アイルまで歩いて、そこのコーヒー店で資料読み。この界隈、バブル期に建てられたこともあって、バブリーな店が何軒もあったのだが、かなり様変わりしている。洒落た印象のバーが、安価なコーヒー店に衣替えしたり、撤退したりで、経営者もかなり涙ぐましい努力をしているようだ。

■天王洲から品川運河をわたって倉庫街をぬけ品川駅まで歩いた。小一時間は歩いたのではないか。運河ぞいに立ち並ぶ高層ビル群を見て、これが「繁栄」だとしたら、荒涼とした光景であるなと思ってしまう。きわめて人工的で、人のぬくもりが少ないのである。この界隈をぬけて旧東海道のあたりにくるとホッとする。ここには昔ながらの小住宅が櫛比(しっぴ)し、畳屋、仏具屋、和菓子屋など戦前からつづくと思われる店が生きている。こういう「人のぬくもり」の感じられる風景が消える文明は、滅びに向かう文明である、とあらためて思ったことだった。
by katorishu | 2009-05-20 23:34 | 文化一般
  5月19日(火)
■脚本アーカイブズに元日活の鍛冶昇監督がみえるとのことで、でかけた。鍛冶監督のかかわった映画、テレビ映画の脚本を寄贈したいただいた件で、脚本アーカイブズとはどんなところか見て見たいとのことで、来訪された。

■鍛冶さんとお会いするのは20年ぶりではないのか。共通の知り合いなどの消息、日本映画界の現状などについて、7階のレストランでしばし話し合った。鍛冶さんは日活に監督第一期として入社した人で同期には吉永小百合のデビュー作である「キュープラの町」などを浦山桐郎監督などがいる。老後をカリフォルニアでおくるため渡米し、それなりに快適な生活を送っていたのだが、高い医療費に辟易して、日本にまいもどったということだ。

■ある年など夫婦で手術をうけたが、その医療費が二人で1500万円ほどになったとか。数年前、軽い脳梗塞にかかったが、アメリカで治療すると膨大な医療費をとられる恐れがあり、思い切って日本にもどったとのこと。

■マイケル・ムーア監督が描いた映画「シッコ」の世界が現実であり、健康であるうちは快適だが、いったん病気になると極めて住みにくい社会であると、鍛冶さんは述懐されていた。アメリカでは富裕層と底辺層には国家の手厚い保護があるのだが、中間層が厳しいとのこと。中間層はちょっとした不動産や株などをもっているので、すってんてんになって底辺層におちいらないと公的な援助が得られない。一方、富裕層は株そのほかで、さまざまな優遇措置があり、そもそも「異常」ともいえるくらい高額の所得があるので、病気などになっても、いっこうに困らない。

■竹中・小泉改革では、日本をアメリカ式システムに「改革」しようとしたのだが、医療ひとつとっても、そんなアメリカ式にしてはいけない。世論の大半は竹中・小泉改革に批判的になっているようで、悪しきアメリカの真似は、ぎりぎりのところで回避されたようだ。

■しかし、文化面ではアメリカ文化が日本を席巻しつつある。本日夕方、渋谷にいき、トイレにはいるため道玄坂にある109ビルにはいったのだが、ここは「どこの世界か」と思われるくらい「異様な空間」だった。一時代前であったら「娼婦の群れ」といった雰囲気の若い女性が、彼女たちむきのへんてこりんなファッションの衣料品店にあつまっている。音楽といい、彼女たちのハデハデの化粧といい、ぼくなどにはなじめない。

■そのあと、疲れていたので、気休めに映画「バーン・アフター・リーディング」をみた。名作ノーカントリーのコーエン兄弟監督作品なので、期待したのだが、アメリカ人の劣化、愚かさを浮き彫りにするのはいいが、なじめない展開と内容だった。
by katorishu | 2009-05-19 23:54