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  6月29日(月)
■昨日、品川プリンスシネマでウッディ・アレン監督の最新作『それでも恋するバルセロナ』を見た。この邦訳タイトルあまりセンスがよくないが、中身はウッディ・アレンらしい観念的な恋を描いた楽しいものだった。バルセロナを舞台に「四角関係」の恋愛を描いたロマンチック・コメディーというより、ある種の風刺劇にもなっていた。

■同じウッディ・アレン監督のイギリスを舞台にした『マッチポイント』で主演したスカーレット・ヨハンソンが出演するし、さらにスペインを代表する俳優ハビエル・バルデムとペネロペ・クルスが出演するとなれば、見ないではいられない。画家や学生、ショートフィルムを撮る女性等々、時間にも金にも拘束されない「自由人」「芸術家」あるいは、その卵たちの、お気楽といえばお気楽な恋物語で、一面、バルセロナの魅力をPRする「観光映画」の趣もある。

■しかし、素直に画面にひきこまれた。ペネロ・ペクルスが途中から顔をだすと俄然、映像が引き締まる。この人の演技はいつ見ても凄い。ただし、物語の出来は『マッチポイント』のほうがずっと上である。ぼくは、73歳のウッディ・アレンが脚本・監督をしたという事実を評価したい。じつに若々しく、みずみずしく、いつになっても枯渇しない恋や愛、性への強い関心には感嘆する。以前、91歳の新藤兼人監督が脚本・監督をした『ふくろう』を見て、驚いたが、老いてなを「性」への関心を希求する監督たちの「精神の若さ」「しなやかさ」は見上げたものだ。

■恐らく、この映画、ウッディ・アレン監督でなければ見なかっただろう。そして上記の3人の名役者が出なかったら、見なかっただろう。冒頭ながされるバルセロナの歌も新鮮で、映画を見た後バルセロナにいってみたくなった。そんな金も時間もないので、しばし映画の世界に遊んだ。

■世界的な経済危機以来、人と人との愛や恋、友情にも金銭や経済が濃厚にからんでいる作品が多い。実生活でも、そうだが、この作品でウッディ・アレンは見事「経済」を無視して愛や恋の微妙さ面白さを切り取った。「経済」をあえて無視したところに図らずもウッディ・アレンの隠れた意図も読み取れるようだった。ただし、傑作とはいえない。手練れのウッディ・アレンが軽く流してつくったという印象である。5点評価で4点といったところか。
by katorishu | 2009-06-29 20:39 | 映画演劇

国全体が鬱病?

 6月27日(土)
■午後から北千住で脚本アーカイブズ倶楽部の脚本塾の講師。20人近い受講者。男女半々で年齢もまちまちだが、みなさん熱心に聞いてくださった。2時間ほど休みなしで話し続けた。最近、寝不足や疲れているときは、口のまわりがあやしくなるのだが、本日も寝不足なので、思うように舌がまわらないなと思いつつ、彼らの熱意に答えようと、ぼくなりの脚本術の一端を披露した。それと物書きになるきっかけや「原体験」等々についても語った。

■アンケートをとっていて、終わってから事務局から見せてもらったが、「よかった」「2時間が短いくらいだった」という声が多く、ほっとした。
 次の講座は7月11日(土)14時より、「ドラマをどう発想し、どのように物語を構築するか」について。一回限りの受講もOKで、1回500円。まだ空きがありますので、興味のある方はどうぞ。日本脚本アーカイブズのホームページに詳しい内容、その他が出ています。

■ところでこの講座、事務担当も同じ脚本家仲間で「ボランティア精神」を発揮してくれている。あらためて感謝の意を表したい。どの分野でもそうかもしれないが、「目立たない」ところで地道にコツコツやる人が少なくなっているという声を聞く。生活のため余儀なく「目立たず」「地味で」「苦しく」「安く」こきつかわれている労働者は多いが、ボランティア組織などでは、自分が自分がという人が多い。

■「自己顕示欲」は物書きのひとつの習性ともいえるものであり、書くことでは致し方ないが、ほかの面では気をつけないと――これは自戒の言葉でもある。ぎすぎすして余裕がなくなっている世の中である。こういうときこそ、「助け合い」の精神が大事であり、それが身についている人は対していて心地よい。

■それにしても、おかしな世の中になってしまったものである。敗戦後の荒廃から復興するため、国民の多くが頑張って働き「世界第二の経済大国」になったのだが、それで果たして多くの国民が幸福になったかというと、どうもそうではない。ひたすら「数字」に追われて、あくせくして、お互いを精神的に不安定な状況に追い込んでいる。「世界第二」も数字だけのものだ。

■よく競争が必要だといわれ、確かに必要なのだろうが、競争ばかりが全面にでると、焦りの気分ばかりが浮き出てしまう。不公平を是正させるための競争は必要だが、あらゆることが競争、競争になると、ストレスばかりが過剰になり、安心を得られない。競争には「数字」がつきものだが、「数字」ではかれない価値を、もう一度見直す時にきている、とつくづく思う。そのためには、便利さ、効率の良さを少し捨てることだ。帰りの電車の中で、そんなことを思ったりした。

■最近、とくに感じるのだが、翻訳ものの小説をよんでいて、すっと内容がはいってこない。評論やノンフィクションなどだと、頭にはいってくるのだが、小説だと今なにが書いてあったかな、と読み返したりしてしまう。以前は下手な翻訳でも、こうではなかった。イメージ喚起力が衰えているのかと、心配してしまう。腰痛もあいかわらずだし、顔色もすぐれない。なにより根気がなく、目が疲れ、文字も間違い易い。認知症にはまだ早いし、多分、鬱の症状なのかもしれない。作家で精神科医のなだいなだ氏が、50半ばをすぎるとたいていの人が鬱になる、それを当たり前のこととして受け入れるほうがいい、といった意味のことを書いていた。戦後日本も60年以上、多分、国全体が鬱病にかかっているのでは、と思ったりもする。
by katorishu | 2009-06-28 02:08 | 個人的な問題
6月26日(金)
■アメリカのスーパースターの歌手マイケル・ジャクソンが突然なくなった。全米に大きな衝撃を与えたとのことで、NBCやCNN、FOXなどの主要テレビは臨時ニュースとともに一斉に特別追悼番組に切り替えたという。アメリカのメディアがそういう扱いをするのはわかるが、日本の新聞がトップであつかうべきものか、若干疑義を覚えてしまう。テレビニュースは、ある面でジャーナリズムを放棄してしまっているので、トップあつかいも当然といえば当然であるが。

■新橋の駅の売店で見たところ、東京新聞と朝日新聞は一面のあつかいながらトップニュースではなかった。が、ほかはトップに大きな活字がおどっていた。もちろんファンには大変ショッキングな知らせであり、号外をだしても当然と思えるかもしれない。しかし、ファンでもなんでもない人には、世界的に有名な歌手がなくなった、というだけのことである。これが心中をしたとか、大犯罪をおかして死んだ……とかいうことなら、わかるが、アメリカのメディアに日本が追随することもないと思うのだが。テレビニュースなどでは、数字がとれるので、恐らく長々と流すのだろう。

■ぼくはにあまり興味のない歌手なので、なぜ死んだのか、死因のほうが気になった。もちろん人の死は悲しく、追悼の気持ちはあるが、新聞のトップニュースであつかうべきことは、他にもいろいろとあるのではないか、といいたいのである。夕方、永田町の某ホテルで行われた放送文化基金の受賞パーティに顔をだす。本年度はドラマ部門では倉本聰脚本の「風のガーデン」が受賞し、主演者の中井貴一氏が挨拶のスピーチをしていた。この種のパーティでは、旧知の関係者にあうことが多く、その後の消息等々意見交換ができた。渡辺美佐子さんなどもいらしていた。何年前だか忘れたが、TBS系の昼帯ドラマに渡辺さんが主演し、ぼくが脚本を書いた。そのほか業界関係者と名刺を交換したりして、しばし歓談した。

■見回すとお年寄りの姿が目立った。数十年前の放送業界関係者の集まりだと、みんな若々しく夢や野心をもち、みんな希望にあふれていた。今、日本全体が老いたことの証左だろう。一方、若い人が比較的多い集まりに顔をだすことが年に何回かあるが、こちらは年齢が若いのに、物わかりがよく、どこか老成している。というよりパワーがない。昭和30年代40年代の若者のような、向こう見ずな若さを見せる人が少なすぎるのである。これは成熟とはいわない。停滞であり衰弱であるというべきだろう。多くは、情けない空気をつくってしまった親や大人の責任である。
by katorishu | 2009-06-26 22:47 | 新聞・出版
 6月25日(木)
■蒸し暑い1日。これから2ヶ月あまり、こんな日が続くのだろう。どうも暑いのは苦手である。室内にはいればどこも冷房が強く、寒い。外に出ると暑い。そんなことを何度も繰り返していると、体温の調節機能がおかしくなる。過剰冷房故に、夏が大嫌いになってしまった。

■仕事の打ち合わせで久しぶりに飯田橋にいった。それから六本木、そして夕方は西麻布。ここも何年ぶりだろうか。こちらは某有名料理人に、ある件で話を聞いた。まず単刀直入に「6歳のときどこで何をしていましたか」と聞くことにしている。そのへんから語っていただくと、その人の「人間」の核になるものが見えてくる。相手との親近感を増すうえでも、ふさわしい質問であるそうだ。初対面のひとにいきなりそんな質問をすると、不機嫌になる人もいるかもしれないが、そこは「物書き」の特権で、ずばり質問をさせていただく。おかげでスムーズに話を引き出せたのではないか。

■ところで、すでに「持病」になっている脳の疲れである。これは文章にもはっきりでるようで、過日書いた文で自分ではまあまあ簡潔で悪くないと思っていた文章を本日読み返して愕然とした。簡潔どころか、すかすかの文章であり、これは自発的に改稿するしかない。メールの便利さで、深夜、編集者にその旨を伝えるメールを書いた。

■それはさておき、現代日本をおおっている鬱屈感、閉塞感はなんとかならないものか。強い政治力によってしか、この暗雲を払えない。個人の努力には限度がある。実家が「織物」という斜陽産業であったため、地場産業が壊滅状態におちいっていく様子を間近に見ることができた。斜陽産業にあっては、個人がどれほど努力をし才を発揮しても、ほとんど実らない。

■今、斜陽産業に転落しつつあるテレビ界でも、下請けやフリーを中心に、停滞、衰亡感がひろがっている。はっきりいって多くの制作会社が崖っぷちにある。みんな懸命の努力をしているのに、仕事にむすびつかないし、利益がでない。本体のテレビ局も似たような状況になってきた。

■他業種も似たようなものだろう。みんなが内心いらだっており、他人への嫉妬や怨嗟(えんさ)の気持ちを育てている。こういう社会の空気は子供たちにもっとも強く影響をおよぼす。それも怖いことだ。風をかえるためにも、バカのひとつ覚えのようだが、まず総選挙を実施し政権交代を!
by katorishu | 2009-06-26 02:08 | 政治
 4月24日(水)
■昨夜、近くの青物横丁の飲み屋で某新聞社の編集委員と歓談。話し好きで明るい人なので、文化、芸能、そのほか社会問題などについて意見交換し、ふっと気づくと4時間以上が経過していた。日本社会のかかえている問題は深く重いもので、早期に解決しないと重病になってしまうものも多い。口でいうは易く行うは難しであるが、声をあげていくことは必要だろう。会話のキャッチボールができるのは、精神衛生にもいいようで、久しぶりに愉快なひとときだった。

■おかげで今日は少々二日酔い。ぼくの場合、アルコールに弱いので飲むとすぐに眠くなり、じじつ眠れるのだが、2,3時間で必ず目がさめる。そのあとがなかなか寝付かれず、結局、布団のなかで朝まで本を読むことになる。藤沢周平の短編「木綿触れ」などを堪能jした。初期の短編集「又蔵の火」を主に電車内で読み、過日読了したが、初期のものは暗いトーンで、文章もやや生硬という気がする。「木綿触れ」などになると、ずっと読みやすく、藤沢周平の暗いリリシズムといった世界が素直に伝わってくる。

■時代小説の手本のような作品群である。寝不足で脳がうまく機能しないので、電車で2駅目の台場にいって映画「ハゲタカ」を見た。東宝の試写室で一度見ているが、もう一度見てみようと思った。いい映画は繰り返し見ても、見る度に「発見」があるものだが、この映画、二度見ても面白く発見が随所にあった。最後まで緊張感をもって対することができ、ここに日本の縮図があると思った。心に残る台詞やシーンがいくつもあった。ハリウッド方式のエンターテインメントの撮り方だが、内容は深く重い。そして考えさせるものを含んでいる。出演者の演技も秀逸。17時10分の回であったので、お客は10人に満たない。もっと大勢の人に見てほしい映画である。

■帰宅してテレビをつけると、与謝野財政金融大臣にかかわる政治資金問題が報じられていた。与謝野大臣は先物取引会社を母体とする「政治団体」から総計5000万円を超える政治資金を永年にわたって受け取っていたが、これは迂回献金であり、政治資金規正法に触れるのでは、と与党議員等が追求していた。企業献金には、どんな理屈をつけようが、どこかで「見返りへの期待がつきものである。議員には少なくない税金を投入しているのだし、この際、「献金」は個人献金に限るべきである。

■労組や宗教系の政党の「献金」にも問題がありそうだが、額にすればはるかに企業献金が多い。政治とは「税の使い方である」と極論してもいいくらいで、税の使い方ひとつで、社会が良くも悪くもなる。その税の配分の実質的権利を握っているのは旧大蔵省、現財務省である――という構図は相変わらずだ。各省に「族議員」がむすびつき、さらに関連企業がつらなり税金がばらまかれる。関連企業には役人が天下って、見事な「癒着の構造」を、蟻が蟻塚を築くような精巧さでつくりあげてきた。

■一時期はこのシステムが有効に機能し、戦後の「奇蹟の発展」に貢献したこともあったのだが、もうこのシステムでは日本は「再生」できない。早く総選挙を実施し政権交代をとにかく実現して、システムの転換をはかる時にきている。民主党政権になっても劇的にシステムがかわるわけではなく、さらに数度の選挙が必要になってくるだろうが、いくつかの試みをへて、新しい「税金の使い方のシステム」を構築すべきである。理想はアメリカではなく、フィンランドやスエーデンのような「暮らしやすい」社会である。これらの国は「大国」ではなく、小国だが、文化や教育に配慮がいきとどき、老後も安心して暮らせるそうだ。1億人以上をたばねる中央集権では駄目で、地方分権をもっと徹底させて、とにかく「暮らしやすい」システムを再構築していくしかない。これも言うは易く行うは難しなのだが、それをやらないと日本は衰退から沈没にむかう。
by katorishu | 2009-06-24 23:44 | 政治
 6月23日(火)
■東国原宮崎県知事を自民党の選挙対策の責任者、古賀氏が近づく総選挙に立候補者として頼んだというニュースがながれている。東国原氏は総裁選の候補という条件をだしたというが、酒席の戯れならともかく公の場でこういうやりとりがかわされるとは。すでに長いこと政権党をになってきたこの党が、崩落寸前にあることを象徴している。

■とにかく、人気取りのためなら誰でもいいという状況になっている。これが野党なら問題はないが、日本国の舵取りを現にになっている政権党である。経済ひとつとっても大変な危機にあるというのに、政治が機能jしていない。一部の既得権益者をのぞく多くの国民にとって、大変不幸なことである。

■たとえば年金問題ひとつとっても、過日、経済協力開発機構(OECD)が発表した年金制度に関する報告書でも、加盟30か国のなかで、日本は現役時代の所得に対する公的年金の受給額の割合が加盟国の中で2番目に低いとのこと。65歳を超える高齢化世代の貧困層の割合が22%と、OECDの平均(13.3%)を大きく上回り、高齢者と現役世代との間に大きなギャップがあることが示された。現役時の所得に占める公的年金の受給額の割合は33.9%と、英国に次いで低かった。OECD諸国の平均は59%だった。(読売新聞)

■日本は国民皆保険であるから単純に海外と比較できないと、政府関係者は語っているが、諸外国にくらべて一般国民の年金支給額が低く、暮らしにくい国になっていることは、否定できない。しかも、これは「序の口」であり、今後、少子高齢化が急速にすすむことを考えると、さらに悪い数字が積み重ねられていくだろう。
 一方で、「普通に」暮らしていくだけで、大変お金のかかるシステムがつくられてしまった。結婚し子をつくり教育をほどこすだけで、大変な費用がかかり、心労も多い。雇用も不安定であり、先が見えない、読めない。そんな状況のなかで、結婚さえためらう若い層が増えている。

■冠婚葬祭というが、最近は結婚式の案内はほとんどなく、葬式の知らせばかりだ。以前のように派手な結婚式はやらないひとが増えているのだろうが、それにしても極端に少ない。こんな状態では、ますます少子化がすすみ、一方で高齢化はさらにすすむ。若年層で仕事をしていない人も多く、老年層を加えると「働かない(働けない)」人の割合が、これほど高くなった時代は、かつてなかったのではないか。逆に考えれば、働く層がどんどん少なくなっているのである。

■70、80歳代でも元気な人はたくさんいる。その年齢にふさわしい仕事の場をあたえる仕組みをつくるのも政治の仕事である。「少子高齢化」のマイナス面が今後、20年間ほどでさらに強く出てくる。よほどしっかりした政治哲学をもった政治家がリーダーにならないと、日本は内部から崩壊する。とりあえず早く総選挙を。そして民意を得た政権が政治の舵取りをしてほしいものだ。そうしないと、何も動かない。
by katorishu | 2009-06-24 13:11 | 政治
6月22日(月)
■セブンイレブンが公正取引委員会からクレームをつけられた。消費期限切れのおにぎりなどを、値引きして売ることにたいし、セブンイレブン本社が加盟店に圧力をかていたということで排除命令をだした。まだ食べられるのに廃棄することの無駄や自然環境への悪化などを、セブンイレブン本社はどう思っているのか。

■セブンイレブン社長が加盟店とは対等の契約関係にあり、圧力などかけていないというが、どう見ても対等の関係にはない。フランチャイズを打ち切るぞと脅されたら、本部の意向に従うしかない。値引き競争はかならずしも良いことばかりではないが、大量廃棄がなくなることは地球規模で考えれば悪くはない。

■加盟店も期限切れ商品の廃棄に月30万円ほどかかり、利益がすっとんでしまうという。デパートやスーパーでは値引き販売が常識なのだし、コンビニも廃棄する前に値引きして売り切ることに踏み切るべきだと思う。

■本日発売の週刊朝日によると、新国立劇場の演劇部門の芸術監督をめぐって、劇作家の永井愛さんらと、官僚の天下りの理事長、理事とのあいだで対立が深まっている。理事長側が一方的に今の鵜山仁氏の芸術監督再任を拒否し、理事長側の用意した別の人に再任をきめた。その方法が一方的で納得できなとして、永井愛氏や井上ひさし氏、演劇評論家の小田島雄志らが抗議の記者会見を開いた。

■ここの理事長は元文科大臣をつとめた元文科省の官僚、遠山敦子氏である。新国立劇場の長は、典型的な天下りポストのようだ。この問題は「異様な事態」だとして、永井氏らは公表に踏み切ったという。永井愛氏は「理事長が強権を発動し、芸術家を使い捨てにするような行為を見過ごすことができなかった」と語る。官主導は芸術文化にまでおよんでいるということだろう。問答無用、お上の言うことを聞けという態度だとしたら、大問題である。国民の目のとどくところで徹底議論してもらいたいものだ。
by katorishu | 2009-06-23 00:16 | 社会問題
6月21日(日)
■テレビ朝日の開局50周年ドラマ「刑事一代・平塚八兵衛の昭和事件史」の後半の一部を見た。「吉展ちゃん事件」の項目で、渡辺謙の演じる八兵衛刑事と犯人小原保役の萩原聖人とのやりとりは迫力があった。茨城弁がきいていて強く印象に残るシーンだった。渡辺謙の演技もよかったが、なにより萩原聖人の芝居に注目した。これほど存在感のある役者であったかと、目を見張る思いであった。

■石橋冠演出のもと、他の役者たちも力のこもった芝居をしており、近頃出色のドラマであると推定される。(全部見たわけではないが)。ただ、3億円事件などは未解決であり、実録なので、表面をなぞるだけであったが。この事件なら、以前「新潮45」に一橋某の筆名で恐らく複数の新聞記者等が書いたと思われる3億円事件の推定をまじえた追求ドキュメントが、面白かった。これこそ、ドラマ化したら面白いと思うのだが、どこのテレビ局もその勇気はないようだ。

■二ヶ月ほど前、放送作家協会50周年記念本の原稿依頼を石橋冠氏に携帯で依頼したところ、現在ロケ中で移動の車のなかで電波の途絶える地域にいるので、車が現地についたら電話をする、との連絡をもらった。そうか、このドラマの撮影中であったのだ、とあらためて思ったことだった。

■日本テレビのドラマの流れを回顧する原稿だが、石橋氏ならではの文章で味のあるものだった。この50年のテレビのドラマ、バラエティ、ドキュメント、アニメなどを60人以上の関係者が書いている。本年8月末には本屋に並ぶ予定なので、ぜひご一読のほどを。タイトルは「テレビ作家たちの50年」(NHK出版)定価2000円の予定。ほぼ原稿がそろってきたが、大変面白い内容で、今や「崖っぷち」にあるテレビの「よき時代」の息吹を伝える出色の本になるはずである。
by katorishu | 2009-06-21 23:41 | 映画演劇
6月19日(金)
■有明のビッグサイトで開催中のケーブルテレビジョンの展示会を見に行った。最寄り駅から7分ほどでいけるので、ときどき足を運んでさまざまな催しに接するのも、脳の機能停滞をふせぐ役割はあるだろう。たまたまカミサンが必要あって行くというので、ついていった。工学系の機器類の見本市で、とくに興味をもてるものもなかった。ひとつ気になったのは、展示コーナーにいる説明員の若い女性をことさらカメラでとっている男性が多かったこと。

■彼女らは「コンパニオン」というのか。パンフを手にもってもらってポーズをとってもらってシャッターを切る。そんな光景をいくつも見た。会場のすみには、水着一歩手前の露出度の高い若い女性が5,6人ならび、それをとりまく男性たちがカメラで撮りまくっていた。「ギャルの写真撮影」コーナーの趣でもあった。工学系の会社の社員にも、あるいは「オタク系」の若者が多いのか。スーツにネクタイ姿の若い男性が圧倒的に多かったので、「社員」なのだろう。見本市をみがてら、同時に「趣味」のカメラ、ビデオのほうも……というのだろうか。

■これも世相なのかなと思う。国際展示場と銘打ったビッグサイト周辺には、人の住む区域はまったくなく、パナソニックなどIT系企業とワシントンホテルやホテルサンルートのばかでかい建物が目立つ。
 1時間もいられずに去った。そのあと渋谷にでて、某放送局の演出家の定年退職の送別会にでたり、定例の「勉強会」の二次会にでたりで、一日は終わる。腰痛がさらず、仕事への意欲はわかず、気分はどんよりした梅雨空といった気分だ。
by katorishu | 2009-06-20 16:31 | 社会問題
 6月18日(木)
■今年の春会場した劇場、「座・高円寺」にはじめていった。黒塗りのユニークな建物でホールのほか、演劇資料室もそなえ、文化の発信基地としてはなかなかお金をかけたもの。地域の演劇振興にやくだてようとする目的でたてられたようだ。本日みたのは、流山児★事務所創立25周年記念公演スペシャル「ユーリンタウン」。グレッグ・コスティス脚本・詞で、音楽・詞がマーク・ホルマン、台本を坂手洋二、演出は流山児祥。

■渇水で水が貴重になりトイレはすべて有料のものになった都市の、貧困地区で起こった騒動を、社会風刺劇にまとめたもの。それなりに面白い内容であったが、ミュージカルなので歌唱力や舞踏力がものをいう。残念ながら、この劇団はアングラ的風合いのものを演じてきたので、ミュージカルでは「素人」に近い。歌唱力が足らないなとまず思ってしまい、あまりのめりこめなかった。
 以前、この劇団が新宿花園神社でやった「野外劇」は面白かったが、その味に及ばない。試みは評価したいが。

■文化・芸術あるいは教育もふくめ、こういう分野への税の投入が諸外国にくらべて日本は少ない。戦後日本の政治は、「戦後復興」のかけごえのもと、ひたすら「土木建築」に大量の税金を投入してきた。そのため「土建国家」がつくりあげられ、堅固なシステムができてしまった。国土交通省とこれにつらなる業界団体、族議員らが、「それで食うシステム」である。これが社会のすみずみにまでできあがっているので、並大抵なことでは壊れない。

■土木建築は必要で大事な事業だとは思うが、この分野に投入する税金の割合が多すぎるのである。税収は限られているのだから、ある分野に多額が投入されれば、ほかの分野への投入が減るのは当然のことである。それで食っている企業や人が多いので、必要がなくとも毎年巨額の予算を投入していくことになり、それが自然環境をも破壊するようになった。

■このゆがんだ構造の上にあるのが、政官財の癒着の構造つまり既得権益である。これを一気に崩すことはそれこそ「革命」が必要であり、今の情勢で出来るはずもないが、すこしでも「ただす」ことは国民の投票でできる。そんな選択が、目前に迫っている。同時に既得権益を維持したい層の、必死の工作もすさまじい。

■最近、腰痛がでていて、どうも根気がつづかない。パソコンにむかう時間は極力減らしているのだが、すでにパソコンをみることが、朝起きて顔をあらうように日常化してしまっている上、携帯パソコンで文字を書く習慣が定着しているので、あまり減らせない。この15年ほどで、人と人とのコミュニケーションの有り様がずいぶんと変わったものである。この変化が人を幸せにしていくのか、不幸にみちびくのか、未だ判定できない。ただひとつはっきりしていることは「文明」は後戻りがきかないということである。この先になにがあるのか、大変悲惨な事態がまっているのか、あるいはそこそこ幸せな世界がまっているのか、じつは誰にもわからない。
by katorishu | 2009-06-19 10:55 | 映画演劇